Reconsideration of the History
226.来月が「日韓併合100年」なら猶の事、「植民地支配」に対する「おわび」等一切不要!! (2010.7.29)

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治43(1910/韓国・隆熙4)年8月22日、大韓帝国(李氏朝鮮)の首都・漢城(ハンソン;現首爾(ソウル)特別市)に於いて、日韓両国の全権、寺内正毅(てらうち-まさたけ)韓国統監李完用(イ-ワニョン)韓国首相により『韓国併合ニ関スル条約』 ── 所謂(いわゆる)『日韓併合条約』 ── が調印、同29日に裁可公布され、当時、既に大日本帝国の保護国となっていた大韓帝国の国家主権は完全に消滅。昭和20(1945)年8月15日、日本の対米敗戦に伴い、昭和天皇より朝鮮統治を委任されていた阿部信行(あべ-のぶゆき)朝鮮総督(陸軍大将)・上月良夫(こうつき-よしお)朝鮮軍司令官(陸軍中将)の両名が、朝鮮建国準備委員会を結成させ自治権を与える迄、朝鮮半島は35年間に亘(わた)って日本の統治下にありました。これが、彼らコリアン言う所の日本による「植民地支配」 ── 所謂「日帝三十六年」 ── である訳です。(但し、昭和20年8月15日に朝鮮が獲得した自治権は僅(わず)か24日後の9月8日、進駐してきた米軍による軍政布告により、呆気(あっけ)無く否定された)

李完用・韓国首相 寺内正毅・韓国統監
『日韓併合条約』に調印した李完用・韓国首相(左)と寺内正毅・韓国統監(右)

そして、その日韓併合から、来月(平成22年8月)29日で丁度、100年を迎える訳ですが、ここへ来て韓国側は元より、もう一方の「当事者」である日本側 ── 菅「プロ市民」政権 ── が何と、

過去の植民地支配に対する「おわび」

の意を示す方向で検討に入ったと言うではないですか?

「おわび」で緊密調整の方針 併合100年に向け日韓外相

【ハノイ共同】岡田克也外相は22日午後、韓国の柳明桓(ユ-ミョンファン)外交通商相とハノイ市内で会談し、来月の「日韓併合100年」に際して日本政府が植民地支配への「おわび」の意を示す方向で検討に入ったことを踏まえ、未来志向の関係強化につながるよう両国間で緊密に連携、意見調整していく方針で一致した。柳氏は日本政府による踏み込んだ「おわび」の意の表明に期待感を示し、岡田氏が菅政権の基本的立場を説明したとみられる。

 両外相は、今年が「両国にとってセンシティブ(敏感)な年」であるとの認識を確認した。

 韓国国内では併合100年を前に、歴史認識問題をめぐる日本の対応に注目が集まっている。岡田氏は会談後、記者団に「併合100年に関し、さまざまな議論をした。過去だけでなくこれからの100年についての話もした」と述べ、柳氏との間で突っ込んだやりとりがあったことを示唆した。

 ただ、菅直人首相が韓国国民向けに「おわび」を表す談話を発表するかどうかについては「まだ決まっていないので、申し上げられない」と述べるにとどめた。

(2010年7月23日 23:43 共同通信)

現代のソウル
現代の首爾(ソウル)特別市市街。人口1千万人を誇る韓国の首都であると同時に、数多くの高層建築物が犇(ひし)めく世界有数の近代都市でもある。
李朝末期のソウル
これが明治26(1893)年頃の漢城府(ハンソン;現首爾)の通り。日本が韓国を併合したのが明治43(1910)年、ましてや、韓国保護国化の第一歩とされる『第一次日韓協約』の調印が明治37(1904)年である事を考えれば、この写真に写っている街並みには日本の影響は一切及んでいない。詰まり、これが明治中期の朝鮮の王都の実情なのである。
日帝時代の京城大通り
そして、これが「日帝時代」の京城府(けいじょうふ;現首爾)の大通り。李朝時代とは打って変わって、道幅の広い通りの両側には、電線と街灯、更には路面電車の軌道迄もが整備され、煉瓦造りの建築物が軒を連ねている。これら近代都市としてのインフラの整備を賄(まかな)った莫大な資金は、「植民地である朝鮮を搾取した」とされる日本が拠出したものである。
平成17(2005)年の崇礼門(南大門)
平成17(2005)年当時の崇礼門(スンネムン;通称「南大門(ナムデムン)」)。3年後の平成20(2008)年2月10日、首爾特別市の名勝であり、韓国国宝第1号に指定されていたこの門は、自国民男性による放火によって焼失。平成25(2013)年完成を目途に、現在、復元工事が行われている。(Jpatokal氏撮影)
明治30(1897)年当時の崇礼門(南大門)
日韓併合以前、明治30(1897)年当時の崇礼門。朝鮮国の王城の正門として、初代王・太祖(李成桂 イ-ソンゲ)の命により建設されたにも関わらず、門前には露天商等の「掘っ立て小屋」が乱立。王城の正門としての威厳等、微塵(みじん)も感じられず、現在の北鮮然としている。
「日帝時代」の崇礼門(南大門)
「日帝時代」の崇礼門。周囲からは李朝時代の猥雑さが一掃されると同時に、南に京城駅(現首爾駅)、北に京城府庁舎(現首爾市庁舎)が建設され、文字通り、京城府の表玄関として整備された。尚、崇礼門は朝鮮総督府により朝鮮宝物第1号に指定され、戦後、独立した韓国も国宝第1号として、これを踏襲した。
それにしても、正直、呆(あき)れてものも言えないとは、正(まさ)に、この事です。

日本列島は日本人だけの所有物
じゃないんですから!!

等と呆(ほう)けた事を真顔で口にし、史上最高額の「子供手当て」をママから貰(もら)っていた鳩山由紀夫・前総理も如何(いかが)なものか?とは思っていましたが、先般、消費税増税を巡る軽口が災いし、参院選に於いて大敗を喫した菅直人・後継総理も一国の総理の器(うつわ)に非(あら)ず、所詮は「プロ市民活動家」でしか無い事が、はっきりしました。何故(なぜ)なら、まだこの期(ご)に及んで、過去の正しい歴史も日本の国益をも一切考慮せず、「過去の植民地支配に対する『おわび』」等と言うふざけた事をしようとしているのですから。

は、以前から幾度と無く日韓併合に付いて論じてきました。詳しくは以前の小論をお読み頂くとして、極論から言えば、日韓併合前夜の朝鮮半島は、日清戦争に対する日本の勝利以前は

大支那株式会社 朝鮮営業所

(も)しくは「出張所」(「支社」や「支店」ですら無い)、それ以後は、曲がりなりにも支那(当時の清国から独立し、

大韓株式会社

となったものの経営状態は最悪で、何時(いつ)倒産しても不思議では無い状態。そんな「お荷物」以外の何ものでも無い火中の栗=「大韓株式会社」を、経営体力のより強固な大企業

大日本株式会社が吸収合併

し、路頭に迷う所であった全「従業員」(朝鮮人民)を救済。営々35年にもわたって再建の為に支援し続けたと言うのが真実であり、「詫びる」どころか「感謝」されて当然だった訳です。(吸収合併である以上、日本の天皇が合併後の新会社の「社長」(国家元首)に就くのは至極当然) それを「歴史の真実」を自分達民族に都合の良い様に捻(ね)じ曲げ、剰(あまつさ)え「反省しろ」だの「詫びろ」等とは正に言語(ごんご)道断。寧(むし)ろ、コリアンの方こそ、自分達民族の「不甲斐(ふがい)なさ」から亡国(国家破綻)の危機を招き、隣国である日本が国民(当時の呼称は「皇国臣民」)から徴収した血税や、投資家から集めた債券資金によって支えてきた事実を直視す可(べ)きでは無いのか?と強く思う訳です。

「韓国国内では併合100年を前に、歴史認識問題をめぐる日本の対応に注目が集まっている」そうですが、日本の対応の選択肢として、何故、「過去の植民地支配に対する反省や謝罪」以外のものが無いのか、私には不思議でなりません。コリアンにしてみれば、

歴史認識問題をめぐる日本の対応

反省・謝罪・補償

となるのでしょうが、抑(そもそ)もこれが間違っている訳です。「未来志向の日韓関係」等と言うのであれば、来月の日韓併合100年を機に、韓国が従来からの思考や対応と訣別。

反省や謝罪・補償を一切求めず、
過去の歴史を直視する新思考

を打ち出す可きでは無いのか? 又、日本も日本で、相手から言われたからと言った理由だけで、軽々(けいけい)に反省の意を表したり、悪くも無いのに謝罪したり、更には過去の「決着」(昭和40(1965)年6月22日に調印された『日韓基本条約』を指す)を破棄して賠償に応じるかの如き事を口にす可きではありません。

述の通り、韓国国内では「日韓併合100年を前に、歴史認識問題をめぐる日本の対応に注目が集まっている」訳ですから、ここは一つ、彼等(かれら)の関心の高さと日本に対する仄(ほの)かな「期待」を大いに裏切る意味からも、


両国間の条約調印に基づいて行われた日韓併合は合法であり、
日本は以後、反省・謝罪・賠償と言った要求には一切応じない!!

菅直人総理
拝啓、菅総理殿。口が軽い貴方なら、こんな総理談話も発表出来ます。

との総理大臣談話を発表しては如何(どう)でしょう? 先の参院選運動期間中、各地での遊説(ゆうぜい)に於いて消費税増税に際し全額還付する年収額の線引きを巡る発言 ── 所謂「消費税還付」発言 ── で迷走した菅総理ならば、後先の事を考えず思い付きで発言出来るのですから、この位の大胆な談話を発表するには正に打って付けの逸材と言えるでしょう。ましてや、韓国が件(くだん)の哨戒艦沈没事件で北鮮(北朝鮮)との関係が緊張している昨今、北の北鮮どころか、南の日本とも関係が悪化する事は、韓国にとっては絶対に避けたい所でしょう。となれば、日韓併合100年の今夏、韓国主導の歴史認識を正(ただ)すには、これ以上無い好機と言える訳です。

韓服を纏う韓国統監・伊藤博文公(後列中央)
韓服を纏(まと)う初代韓国統監・伊藤博文公(後列中央)
伊藤は日韓併合の立役者としてコリアンからは忌み嫌われているが、その伊藤が朝鮮の民族衣装を纏っている事をどう説明すれば良いのだろう? 仮にも大日本帝国の初代総理迄務めた維新の元勲が、自ら植民地化しようとしている「野蛮人の国」の民族衣装に袖を通す事は到底考えられない。詰まり、この一枚の写真は、伊藤が日本による韓国の保護国化を通して、朝鮮半島の再建と自立を真剣に考えていた事の証左でもある。

(いず)れにせよ、歴史の歪曲と捏造により「日帝三十六年」の真実を大きく捻じ曲げ、それを基にして日本に反省・謝罪、更には賠償を求める韓国に日本が振り回されるのは、一日本国民の立場から見ても好い加減うんざりです。日韓併合100年を機に、日本は日本なりの「正しい歴史認識」の下(もと)、韓国に対し「歴史認識の是正」を求める位の気概を示す可きですし、日韓併合から100年、終戦から数えても65年を経過した今日(こんにち)、戦後の日本と日本国民を大きく蝕(むしば)んできた

敗戦性自虐史観症候群

を克服、健全な歴史観と精神性(台湾人言う所の「日本精神(リップンチェンシン)」)を取り戻さなければなりませんし、その為にも障碍(しょうがい)となっている「内なる敵」(反日政治勢力であり、反日マスコミであり、反日進歩的文化人や市民団体)から先(ま)ず取り除かねばなりません。(政党であれば投票せず、メディアであれば視聴せず、新聞であれば購読せず、進歩的文化人の発言には耳を貸さず、市民団体の活動には参加しないと言ったスタンスで各自が臨む事)

後に今一度。くどい様ですが、日韓併合は当時の日韓両政府が正式な条約に調印し、合法的に為されたものです。ましてや、日本が韓国を併合した事により、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなっていたどん底の朝鮮半島が、近代文明の栄に浴した事は紛れも無い事実ですし、その為の原資を日本が拠出していた事を日本政府は韓国側にだけで無く、自国民に対してもより積極的にアピールする可きです。我々日本はコリアに対して「良い事をしたのだ」と言う事を認識、いや再発見する。8月29日の「日韓併合記念日」が、その絶好の機会になる事を強く願いつつ、本小論を締め括りたいと思います。(了)


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