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李氏朝鮮 (李朝,朝鮮王朝 1392-1910) Choson, Joseon

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朝鮮国王(李氏)
代数 在位期間 王名
1 1392-1393 太祖康献王(権署高麗国事)
1393-1398 太祖康献王(権署朝鮮国事)
2 1398-1400 定宗恭靖王(権署朝鮮国事)
3 1400-1418 太宗恭定王(以後、朝鮮国王)
4 1418-1450 世宗荘献大王
5 1450-1452 文宗恭順王
6 1452-1455 端宗恭懿王
7 1455-1468 世祖恵荘王
8 1468-1469 睿宗襄悼王
9 1469-1494 成宗康靖王
10 1494-1506 廃王・燕山君
11 1506-1544 中宗恭僖王
12 1544-1545 仁宗栄靖王
13 1545-1567 明宗恭憲王
14 1567-1608 宣祖昭敬王(宣宗)
15 1608-1623 廃王・光海君
16 1623-1649 仁祖(仁宗)
17 1649-1659 孝宗
18 1659-1674 顕宗
19 1674-1720 粛宗
20 1720-1724 景宗
21 1724-1776 英宗
22 1776-1800 正祖(正宗)
23 1800-1834 純祖
24 1834-1849 憲宗
25 1839-1863 哲宗
26 1863-1897 高宗(以後、帝位)
大韓帝国皇帝(李氏)
1 1897-1907 高宗太皇帝(光武皇帝,徳寿宮李太王)
2 1907-1910 純宗孝皇帝(隆煕皇帝,昌徳宮李王)
(コリョ)の武将・李氏が建てたコリア最後の王朝。1392年、和冦(日本人海賊及び、日本人を騙った朝鮮人・支那人海賊の総称)討伐に功績のあった高麗の武将・李成桂(イ=ソンゲ:太祖)が、高麗の純宗恭譲王(スンジョン-コンヤンワン)を廃して、漢城(ハンソン 京城:現ソウル)を首都に、「権署高麗国事」(高麗王)を称し、翌1393年、明国(支那)より正式に「権署朝鮮国事」(朝鮮王)に封ぜられたのがその起源。以後、1910(明治43)年の「日韓併合」迄、27代519年にわたって続いた。コリアには、檀君朝鮮(前2333-238)・箕(き)氏朝鮮(前323-194)・衛氏朝鮮(前194-108)と言った「朝鮮」を国号に持つ王朝がかつて存在したので、それらと区別する為に「李氏朝鮮」あるいは「李朝」と呼ばれる。15世紀には、対馬・北九州の諸大名との交易を通して日本と交流していたが、太閤・豊臣秀吉の朝鮮征伐(文禄・慶長の役)によって、国運が衰退し、宗主国・明国(支那)が滅亡すると、満州族の清国の属国となった。その後、徳川家康が江戸幕府を開くと、日本と国交を回復し、19世紀初頭迄、12次にわたって「朝鮮通信使」と呼ばれる使節を派遣した。しかし、その後、清国への事大主義によって、鎖国政策を採り、明治維新後の日本が開国要求した際、これを拒絶したので、日本は砲艦外交で開国させた。王朝末期の朝鮮は、官僚腐敗と国土の荒廃、更には清国・ロシアの脅威で国家が崩壊寸前だったが、半島の安定を願っていた当時の日本は、保護国化で何とか朝鮮の自主独立・近代化を企図していた。その過程において、日本は日清戦争(1894-1895)に勝利し、朝鮮を清国の属国的地位から解放。1897(明治30)年、国号を大韓、国王を皇帝と改め、清国からの独立を達成した。しかし、閔妃等の守旧派がロシアへの接近を図る等した為、日本は日露戦争(1904-1905)後の1910年、「日韓併合」を行い王朝は滅亡した。



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