Reconsideration of the History |
215.コリアンよ、好い加減、支那の属国だった事実を受け入れよ!! (2009.10.17) |
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▲平成21(2009)年6月6日、ソウルの青瓦台(韓国大統領府)に李明博・大統領を訪ねた鳩山由紀夫・民主党代表(当時;現首相)。この会談の席上、李明博大統領は歴代韓国大統領と同様、「過去の植民地支配」に対する「日本の謝罪」を要求した。何年経とうが、幾度政権が交代しようが、韓国は今も昔も全く変わって等いない。 |
▲「日本固有の領土」竹島で日章旗を焼く不逞韓国人。彼らは支那人と共に、他国の国旗に対する敬意と言うものを、まるで持ち合わせていない。「中国」(支那)・韓国共に「国旗侮辱罪」が定められているにも関わらずだ。 |
韓国国旗「太極旗」 |
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ところで、コリア(李氏朝鮮)が国旗を意識し出したのは、いつ頃の事なのか? そして、その意匠はどの様なものだったのか? これを知る史料として、1882年7月に米国海軍省航海局(Bureauof Navigation of Navy Department)が発行した『海上国家の旗』第5版(Flags of MaritimeNations)が参考になります。
この内、向かって右側の旗は、ソウル大学校奎章閣所蔵の御旗「太極八卦図」と呼ばれ、太極旗以前に太極図を旗として使用したものとしては確認されている最古のものです。意匠としては、紅色地の中心に陰陽を表す文様があり、その周囲に白色八卦が配されています。これとは別に、白地の中心に半紅半黒の太極図、その周囲に黒色八卦が配され、更に赤色周縁を施した意匠も考案されています。次に向かって左側の旗ですが、これは現在の太極旗に非常に似ていますが、よく見ると四卦が☳(震 しん)・☲(離)・☴(巽 そん)・☶(艮 ごん)と言った具合に異なっており、現太極旗へ至る過渡期の旗である事が分かります。そして、中央の旗です。中央の太極こそ巴文様の尾が長く伸びてはいますが、四卦は現太極旗と同様であり、意匠としては、ほぼ同じものと見なしても良いでしょう。問題は、その上に書かれている文字なのです。其処(そこ)には、この様に書かれています。
大清國屬 高麗國旗
と。詰まり、現在の韓国国旗「太極旗」とほぼ同じ意匠のこの旗は、「大清国に属す高麗国の旗」であると言っているのです。そして、これは裏を返せば、李氏朝鮮が「独立国」等では無く、「清の属国」 ── 然(しか)も国名すらも「朝鮮国」では無く「高麗国」とされている ── だった事の紛れも無い証(あか)しなのです。だからこそ、李氏朝鮮の首府・漢城(ハンソン;現ソウル)には清国(支那)から派遣された朝鮮駐箚官(ちゅうさつかん)が常駐し、清朝(しんちょう)皇帝の名代(みょうだい;お目付役)として朝鮮国王の行う政務全般を管理監督していた訳です。(詳しくは、小論『53.朝鮮を独立させたのは「日帝」だった!!』を参照の事)
扨(さて)、次にご覧頂きたいのは、韓国『朝鮮日報』の2004年1月26日付記事です。
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この記事中にも、米国海軍省航海局発行『海上国家の旗』掲載の朝鮮国旗が掲載されていますが、何か違う事にお気付きではありませんか? 実は、『海上国家の旗』に掲載されている中央の太極旗の上に「大清國屬高麗國旗」と書かれていたものが、『朝鮮日報』の記事では「大清國屬」の四文字が消され、単なる「高麗國旗」に改竄されているのです。
▲ 左側が米国海軍省航海局発行『海上国家の旗』掲載の太極旗、右側が『朝鮮日報』記事掲載の太極旗。『朝鮮日報』掲載の太極旗からは「大清國屬」の四文字が削除されている。 |
まあ、「大清國屬」の四文字は、どうやら「写真の枠外」に追いやられた形になっている様ですが、これが韓国民の自尊心を傷付けず、更に民族のアイデンティティを保つ為に意図的に為された措置である事は疑う可くもありません。その証拠に、『朝鮮日報』英語版の記事では、英語圏の読者が漢字を読めないと高を括ったのか、「大清國屬」の四文字は削除せぬまま掲載しているのです。
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因(ちな)みに、『朝鮮日報』簡体中文版(支那語版)では、韓国語版・英語版とは比較にならない程、粗末な記事になっています。然も、「大清國屬」の四文字どころか、自国の国号が「朝鮮」では無く「高麗」とされていた事実すらも不都合と判断したのか、「大清國屬 高麗國旗」の八文字に付いては全く触れていません。
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太極旗の意匠起源や使用開始時期が何時(いつ)頃であったか等、我々日本人にとっては正直どうでも良い事です。但(ただ)し、その旗が「独立国としての証し」では無く、寧(むし)ろ「清の属国としての証し」であった事を、コリアンはきちんと認める可きです。その上に立って、日本が自国民の尊い血の犠牲を払って日清戦争(明治27年=1894年)に勝利し、朝鮮を清国の軛(くびき:属国の地位)から解放、大韓帝国として独立(明治30年=1897年)させた事。そして、国家としての存立基盤が崩壊寸前だった大韓帝国を保護国化(明治38年=1905年)して支え、それでも二進(にっち)も三進(さっち)もいかなかったが為に遂に併合(明治43年=1910年)、搾取どころか逆に日本が莫大な国費を投入して彼ら言う所の「日帝36年」間、朝鮮半島の近代化を全面支援した「正しい歴史」を直視す可きでは無いのか? 日韓併合前夜の朝鮮の内情がどの様な状態であったのか? 朝鮮が当時の国際情勢の中でどの様な立場(ポジション)に置かれていたのか? それを検証する事も受け入れる事もせず、唯々(ただただ)、「日本による過去の植民地支配」=「日帝36年支配」で括(くく)る事からは何も生まれはしませんし、この先、何時迄(いつまで)経っても、「近くて遠い隣国」が「近くて近い隣国」になる事はあり得ません。コリアが本当に日本と良好且つ建設的な関係を築きたいのであるならば、先ずは、虚構と欺瞞と捏造によって構築された「日本による過去の植民地支配」と言う「偽りの歴史」との訣別を図る可きでは無いのか? その意味に於いて、日韓・日朝関係の善し悪(あ)しに関わるボールは日本側では無く、彼らコリア側にあると言える訳で、両国関係を改善するのも悪化させるのも、全て彼らの出方次第にかかっている共言えるのです。(了)
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