Reconsideration of the History
250.「中国」の尖閣盗取攻勢に対し、日本は「歴史的理論武装」で対抗せよ! (2012.9.18)

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「中国」海洋監視船「海監」の尖閣群島付近日本領海侵入事件に対する「中国」側の報道(平成24年9月15日)
日本領海に侵入、魚釣島付近を航行する「海監50」
日本領海に侵入、魚釣島付近を航行する「海監50」
日本海上保安厅出动多架巡逻飞机对中国海监船进行“监控”。
日本海上保安厅出动多架巡逻飞机对中国海监船进行“监控”。(日本海上保安庁が飛行機を何機か出動させ、中国海監の船を「監視」している。)
日本海上保安厅巡逻船采取了“船盯船”的战术阻挠中国船只的正常巡航。
日本海上保安厅巡逻船采取了“船盯船”的战术阻挠中国船只的正常巡航。(日本海上保安庁の巡視船が並走する戦術を取っているが、中国船は行く手を阻まれる事無く正常に巡航している。)
“海监27”船在钓鱼岛黄尾屿海域进行巡航。
“海监27”船在钓鱼岛黄尾屿海域进行巡航。(「海監27」は尖閣群島は久場島の海域で巡航している。)
中国海监船在钓鱼岛海域维权巡航执法郁斐制图
中国海监船在钓鱼岛海域维权巡航执法郁斐制图(中国海監船群と日本海保巡視船群の尖閣群島海域に於ける巡航展開状況図)
『中国領海に不法侵入してきた日本海上保安庁の巡視船に対して「警告」する「海監50」』の職員。
『中国領海に不法侵入してきた日本海上保安庁の巡視船に対して「警告」する「海監50」』の職員。(実際には『日本領海に不法侵入した事で日本海保巡視船から警告され乍ら、逆に海保巡視船に対し「警告」をしている「海監50」』の職員。)
 
「中国」メディアによるニュース報道の具体的内容
「日本海上保安庁の巡視船、此方(こちら)は中国海監50船だ。直(ただ)ちに主権侵犯行為を停止するよう要求する!」── 平成24(2012)年9月14日午前6時20分頃、沖縄県石垣市の尖閣群島(尖閣諸島;以下、「尖閣」と略)の大正島北北東22kmの日本領海に「中国」(支那)国家海洋局所属の海洋監視船「海監51」・「海監66」の2隻が侵入。更に、午前7時過ぎには久場島(くばじま)北方の日本領海に「海監50」・「海監26」・「海監27」・「海監15」の4隻が侵入。過去最多、計6隻もの「中国」公船が尖閣の日本領海に侵入してきたのです。この6隻の内の1隻「海監50」に対し、海保巡視船が日本領海からの退去を要求した所、逆に冒頭に掲げた暴言を海保巡視船に対して吐き、「中国領海からの退去」を要求。その模様をメディアを通じて異例の早さで全世界に発信し、尖閣に対する「中国の領有権の正当性」をアピールすると言う暴挙に打って出たのです。

成22年4月17日未明(米国東部時間16日)、石原慎太郎・東京都知事が訪問先の米国ワシントンはヘリテージ財団主催のシンポジウムの席上で、尖閣の内、さいたま市在住の栗原国起氏が所有する魚釣島(うおつりじま)・北小島・南小島の3島を東京都が購入すると宣言して以来、都に対して購入費用の一部にと計102,622件、14億7327万円(9月13日現在)もの寄付金が寄せられる等、大きな脚光を浴びた尖閣売却問題は、所有権者の変心により9月11日、20億5千万円で国が購入、正式に国有地となりました。その間、8月15日に「香港(ホンコン)保釣(ほちょう)行動委員会」の活動家が尖閣の日本領海に侵入、最大の島、魚釣島に上陸した5人を含む計14人が逮捕されたり、その4日後の8月19日には超党派議員で構成された「日本の領土を守るため行動する議員連盟」所属の国会議員8人と地方議員、「頑張れ日本!全国行動委員会」の活動家らの総計約150人が尖閣諸島戦時遭難事件の海上慰霊祭の為、尖閣海域を訪れた際、鈴木章浩・東京都議、和田有一郎・兵庫県議、小嶋吉浩・茨城県取手市議、小坂英二・東京都荒川区議、田中裕太郎・東京都杉並区議の地方議員5人と「頑張れ日本!全国行動委員会」の水島総(さとる)幹事長(日本文化チャンネル桜代表)等活動家5人の計10人が船から海へ飛び込み、泳いで魚釣島に上陸する等、日中(日支)両国が互いにジャブを打ち合う神経戦となっていました。当初、都による購入を目指していた石原都知事は、国への売却話が明らかになると、悪天候時に漁船が避難可能な「船だまり」(寄港施設)の整備を条件に、都に寄せられた寄付金を全額国へ譲渡する旨、野田総理に打診しましたが、日本政府は石原提案を拒否。結局、尖閣が都に売却され容易に上陸や開発を許す事で「中国」が態度を硬化、両国関係が極度に悪化する事を怖れた日本政府は、国有化後も、上陸させず、開発させず、従来と同様、尖閣には何もしない「塩漬け」にする事で「中国様のお怒り」を鎮めようとしたようですが、9月14日の「中国」公船6隻による領海侵入事件が示した通り、事態は沈静化する所か、逆に「中国」の増長を許した結果となったのです。(9月16日には「中国」漁船が、「中国」漁業監視船に護衛され乍(なが)ら大挙して尖閣に出漁すると言う噂も飛び交っている)

局、日本が事を穏便に済ませよう ── 日本領海に侵入されても積極的に処罰しようとしない ── と「中国」に配慮しようがしまいが、彼等(かれら)にとっては日本の領有権主張等「馬の耳に念仏」程度の効力しか無く、明確且つ正当性を裏付ける根拠や証拠が有ろうが無かろうが「釣魚島(ディアオユタオ;尖閣の「中国」側呼称)は中国の領土である」との主張を撤回する気等更々無いばかりか、日本の弱体化に乗じて、漁船・「漁政」(農業部漁業局所属の漁業監視船)・「海監」を尖兵として日本領海に繰り出し、更には近年増強著しい人民解放軍海軍の艦艇をも動員して、尖閣を力尽くで盗取(奪取)する方針に何ら揺るぎは無いのです。(この点だけは外交力ゼロで何事にも煮え切らない日本の民主党政権よりも「中国」を褒めてやりたい。何せ彼等は「やる」と言ったら絶対に「やる」のだから) 実際、「中国」は南支那海(西フィリピン海)に点在する南沙諸島(スプラトリー諸島)の内、フィリピンが実効支配していたミスチーフ礁(「中国」側呼称は「美済礁」)に対し、平成7(1995)年、モンスーンでフィリピン海軍が周辺海域のパトロールを休止していた間隙を縫って岩礁を占拠。フィリピンの猛抗議には耳をも呉(く)れず、「自国(中国)漁民を守る為」と称して岩礁上に鉄筋コンクリート製施設を建設、海軍要員を常駐させ、「領有の既成事実」を積み重ねると言った行動を取りました。その様な前例がある以上、尖閣に大挙して漁船が押し寄せる様な事態共なれば、漁船に分乗した「漁民」(恐らくは漁民に変装した人民解放軍兵士であろう)が次々と島に上陸、五星紅旗(「中国」国旗)をはためかせて居座った上で島に建築物を構築、韓国による竹島(韓国側呼称は「獨島(トクト)」)侵略占拠と同様、今の日本は為(な)す術(すべ)も無く唯々「外交努力」により島の返還を求めると言った軟弱且つ消極的な施策しか打ち出せない事でしょう。然(しか)し、本当に其の様な消極的姿勢で日本は良いのでしょうか? 前述の様に、「中国」は「やる」と言ったら絶対に「やる」、例え何十年掛かろうが絶対に「やる」、そう言う国なのです。一時的に「退(ひ)いた」と見せ掛けて日本を安堵させた上で、ミスチーフ礁の如く、日本側の隙を突いて必ずや尖閣盗取の居に打って出て来る事は必定(ひつじょう)なのです。

ころで、近年、「中国」は従来は用いてこなかった表現を尖閣に対し使う様になってきました。それは、

核心的利益

です。それ迄は「中国の神聖なる固有領土」と言った表現しか用いてこなかった「中国」が、新たに使い始めた「核心的利益」との表現。これは「中国の神聖なる固有領土」よりも警戒を要する表現なのです。それは何故か? 「中国」が此迄(これまで)「核心的利益」との表現を用いてきた地域を見れば一目瞭然です。それは、「中国」が現在「領有」(実際には不法占拠)しているチベット自治区と新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)、そして、自国領であるとの主張を展開している台湾に対して用いられてきた、言わば「専門用語」なのです。その「核心的利益」なる表現を尖閣に対して用いる様になったと言う事は、即ち、「中国」の尖閣に対するスタンスが従来よりも格段に高まった、言い換えれば、従来は単に言葉だけで「中国の領土」と言ってきたものが、経済力・軍事力を付けた事で現実的に日本から奪取する事を表明したにも等しい事になるからです。余談ですが、日本政府による尖閣三島の国有化の際も含め、「中国」外交部報道官が記者会見の際、必ず口にする「(日本政府の決定は)不法であり無効である」と言った表現。これも我々は決して真に受けてはなりません。その理由は簡単な事です。彼等は「不法」・「無効」と強調しますが、何を以て不法なのか、何を以て無効なのか、その理由や根拠を決して口にはしません。まあ、こちらが理由や根拠を明らかにするよう求めた所で、答えが返ってくる事は決してありませんが。何せ、端(はな)から明確な理由も根拠も存在しないのですから。詰まり、「中国」の主張をまともに聞いていては駄目だと言う事です。その事を踏まえた上で、日本が「中国」に対して取る可(べ)き戦術・戦略を披瀝したいと思います。

前、私は「中国四千年」等と言う表現は眉唾(まゆつば)物だと小論で述べた事があります。その考え方は今も変わっては居ません。現在の「中国」(中華人民共和国)の領土は、概(おおむ)ねラストエンペラー(宣統帝・愛新覚羅溥儀)で名高い支那史上最後の王朝である清朝に重なります。然し、何度も何度も諄(くど)い様ですが、「中国」は清朝の正統な後継国家ではありませんし、清朝領土を継承する資格も持ってはいません。支那の歴史には、日本も積極的に遣使し政治体制・文化・宗教等の導入を通して手本とした唐朝(618-690・705-907:但し、一般的には則天武后による武周朝(690-705)の断絶期も含めて唐朝と呼ぶ事が多い)、二度の元寇(蒙古襲来)で鎌倉幕府滅亡の要因を作った元朝(1271-1368:但し、元朝は1368年に大都(ダイドゥー:現在の北京)を放棄しモンゴル高原へ退去した後も、1636年に最後の正統な大ハーン(リンダン=フトゥクトゥ=ハン)が死ぬ迄存続した。これを「北元」と呼ぶ)、そして、前述の清朝と広大な版図(はんと)を誇った帝国が幾度も出現しました。そして、「中国」はこれら広大な版図を誇った偉大な王朝の存在を根拠にして、「○○は中国領である」、「△△は中国領である」との主張を繰り返しているのです。然し、この「中国」の主張を打破し、領有権問題で「中国」の野望を挫(くじ)く方策があります。それが本小論の表題にも掲げた「歴史的理論武装」なのです。

「歴史的理論武装」とは何ぞや? それを語る前に少々長くなりますが、近年、中韓両国(北鮮も含む)の間で繰り広げられている激しい「歴史バトル」に付いて触れたいと思います。それはズバリ、

高句麗(こうくり)や渤海国(の歴史)は中国のものか? 将又(はたまた)コリアのものか?

と言ったものです。皆さんの中には「どちらの国の歴史に含めたって良いじゃないか」と仰有(おっしゃ)る方もおありでしょう。まあ、日本人であれば、余り目くじら立てず、どうだって良いじゃないか、とくるのでしょうが、「中国」や韓国にとっては「どうでも良い」どころか領有権を左右する極めて重要な問題 ── 然(しか)も「歴史問題」では無く、「政治問題」であり「外交問題」なのです。(だからこそ、「中国」も韓国も日本に対して「歴史認識」問題を殊更(ことさら)主張するのである) 扨(さて)、「中国」と韓国が「自国の歴史の一部」と称して鎬(しのぎ)を削っている高句麗(前37-668:正称は「高麗(こま)」。後の「王氏高麗」(918-1392)と区別する為、王室の姓を取って「高氏高麗」共呼ぶ)は、最盛期には満洲(「中国」称する所の「中国東北部」)と北鮮、そして、首爾(ソウル)を含む韓国の北半分をも版図としていた北東アジアの大国でした。漢代から支那とは幾度と無く戦戈(せんか)を交え、隋代には煬帝(ようだい)による三次に亘(わた)る遠征を悉(ことごと)く撃破し、度重なる遠征の失敗と経済的負担に反発した民衆による反乱、それに呼応した有力諸将の自立により隋朝の滅亡と唐朝の成立を惹起しました。然し、新たに成立した唐朝が朝鮮半島南東部の新羅(しらぎ)を支援。始めに半島南西部の百済(くだら)を滅ぼさせ、半島南部を支配下に納めた新羅と唐朝とで南北から挟撃した事で支那を散々手古摺(てこず)らせてきた北方の大国、高句麗は滅亡。その故地(旧領)は、鴨緑江(おうりょくこう,アムノッカン)を境界線として、北側(満洲地域)を唐朝、南側(朝鮮半島)を新羅が、夫々(それぞれ)分割支配する事となりました。一方の渤海国(698-926)は、高句麗滅亡から29年後の697年、契丹(きったん,キタイ)人の酋長(しゅうちょう)で松漠都督の李尽忠が唐朝に反旗を翻(ひるがえ)して起こした分離独立蹶起(李尽忠の乱)に乗じて、粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)部の酋長・乞四比羽(きつし-ひう:原音不明)と共に蹶起した乞乞仲象(きつきつ-ちゅうしょう:原音不明)が、粟末靺鞨族・高句麗人・契丹人を糾合して独立、彼の子、大祚栄(だい-そえい:高王 在位:698-718)が翌698年に「大震国」を建国したのが起源で、713年、大祚栄が唐朝より「渤海郡王」に冊封(さくほう)された事から国号を「渤海」としたものです。その版図は満洲全域と北鮮の北東部に及び、朝貢国が支那王朝の元号使用を強要される中、独自の元号を用い、唐朝が差し向けた討伐軍の侵攻を屡々(しばしば)撃退する等、唐朝をして「海東の盛国」と言わしめる程の隆盛を極め、727年の高仁義の対日派遣以来、926年に契丹(遼:イェケ-キタイ-オルン Yeke Khitai Orun)に滅ぼされる迄、200年もの長きに亘り日本との間で使節の往来、文物の交換を通じて善隣友好関係を維持しました。(余談だが、渤海使は922年の第34次が最後だが、渤海滅亡の翌927年、渤海を滅ぼした契丹が渤海旧領に設置した東丹国の使節を第35次「渤海使」として日本に派遣している) 以上、中韓両国が「自国の歴史の一部」(両者共に自国域内の「地方政権」との位置付け)と称して、その「帰属」問題で鞘(さや)当てしている高句麗と渤海国に付いて触れた訳ですが、私から見れば、高句麗・渤海国共に、支那史に含めるのも、ましてや朝鮮半島史に含めるのも妥当では無い、寧(むし)ろ、支那でも無く、朝鮮でも無く、満洲をアジアに於ける一地域として見做(みな)す事を前提とした「満洲史」として括(くく)るのが妥当では無いかと考えています。(「満洲史」の立場に立てば、夫余─高句麗─渤海契丹(遼)金(女真)清(後金)─満州国は一本の線で明確に繋がる) 高句麗・渤海国の「歴史帰属」問題が、単なる歴史問題であるならば、何ら問題ではありませんが、これを根拠に中韓両国共に領有権問題と絡め歴史を歪曲捏造しているのですから、平素、「歴史認識」問題で中韓両国から「正しい歴史」を押し付けられ辟易している日本が、

高句麗・渤海国の歴史は「中国」史に非ず! 朝鮮史にも非ず!

と介入する事は、中韓両国の「歴史」攻勢を跳ね返す第一歩である。そう私は考えているのです。

、閑話休題(それはさておき)、話を「歴史的理論武装」に戻す事としましょう。高句麗・渤海国の歴史一つ取っても、「中国」(及び韓国)の思考は相当歪んでいる訳ですから、尖閣に対する領有権主張が其れにもまして歴史的事実を歪めたものであろう事は論を俟(ま)ちません。何せ、昭和44(1969)年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が尖閣周辺海域で行った海洋調査により、大量の石油が埋蔵されている可能性があるとの報告書を発表する迄、「中国」国内で発行されていた自国製地図に於いて、尖閣は日本領として記載されていましたし、それを遡(さかのぼ)る事半世紀前の大正9(1920)年には、前年に遭難した自国民を救助して呉れた事を感謝する中華民国駐長崎領事・馮冕(ひょう-めん)名義による感謝状に於いて、尖閣を「日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島」と明記、はっきりと尖閣に対する日本の領有権を認めていた訳ですから、「中国」の尖閣に対する領有権主張が嘘八百を並べ立てた妄言(もうげん)である事は疑いようの無い明確な事実です。然し、「中国」は日本側のこの様な証拠を明確に示した主張に対し、単に「不法であり無効」だの、「神聖なる固有領土」だの、はては「核心的利益」だのと強弁。今回の海洋調査船6隻による日本領海侵犯事案に対しては、日本領海からの退去を求めた海保巡視船による警告に対し、逆に「中国領海からの退去」を求めてくる始末。事此処(ここ)に至っては、海上保安庁だけでは余りにも荷が重く、海上自衛隊の護衛艦を当該海域に展開し、海保巡視船と共に警戒監視活動に当たらせ、領海侵犯事案に対しては警告、退去を求め、従わなければ拿捕(だほ)や撃沈をも厭(いと)わない位の正に「毅然とした態度」(野田総理の言う処の「毅然とした態度」とは一体何ぞや? 侵犯船の遊弋(ゆうよく)を容易に許し、後から抗議するだけでは何の能も無い)を示さねば、領土・領海の防衛等到底全う出来よう筈がありません。その点では、民主党・野田政権の対応は歯痒(はがゆ)いの一語に尽きます。とは言え、ドンパチ(軍事力)だけが相手に対抗する為の武器ではありません。「歴史的理論武装」も又、有効な対抗兵器と成り得るのです。それでは、「中国」が最も嫌がるであろう(それは同時に激怒するであろう事も意味する)「歴史的理論武装」による日本の対抗手段を明らかにしましょう。

支那歴代王朝変遷表
図中の支配民族区分は代表的なもの。例えば、五胡十六国時代には「五胡」の名の通り、匈奴(きょうど)・鮮卑・羯(けつ:匈奴の別種)・氐(てい:チベット系)・羌(きょう:同)の五つの異民族(非漢民族)が長江以北の地に相次いで建国興亡し、最終的には鮮卑族拓跋(たくばつ)部の建てた北魏が北支を統一した。
「中国」が現在自国が統治している地域(チベット、東トルキスタン、南モンゴル、満洲等)及び、現在は他国が統治しているが本質的に自国領であると主張している地域(台湾、南沙・西沙・中沙・東沙の各諸島、尖閣を含む沖縄及び東南アジア諸地域)に対する領有権の根拠が、唐朝や元朝清朝と言った広大な版図を誇った嘗(かつ)ての帝国に依拠している事を先に述べました。然し、この「中国」が依拠している領有権主張の前提が砂上の楼閣だったとしたら一体どうなるでしょうか? 本質は正に此処にあるのです。我々は何の疑問も無く、唐朝や元朝清朝を彼等言う所の「中華帝国」=支那の統一王朝として「認めて」います。然し、それが抑(そもそ)もの大間違いである訳です。支那歴代王朝の王室は皆異なっており、それはさながら日本に於ける鎌倉幕府執権の北条氏、室町幕府将軍の足利氏、江戸幕府将軍の徳川氏と同様です。そして、各王朝の王室の姓は「国姓」と言います。支那歴代王朝を代表する唐の国姓は「李」ですが、李氏は元々の姓を「大野(だいや)」と言い、南北朝時代に北支を統一した北魏(386-534)王室の拓跋(たくばつ,タブガチュ)氏や北周(556-581)王室の宇文氏同様、「中華」から見て北方の異民族「北狄(ほくてき)」の一つ、鮮卑(せんぴ)族出身でした。元朝(正称は「大元大蒙古国(ダイオン-イェケ-モンゴル-ウルス Dai-ön Yeke Mongγol Ulus)」と言う)モンゴル帝国の初代大ハーン、チンギス=ハン(成吉思汗,元の太祖 在位:1206-1227)の孫、フビライ(忽必烈,元の世祖 在位:1260-1294)によって創始された王朝ですが、幾ら歴史に疎(うと)い方でも、これがモンゴル人が支那を征服して漢民族(支那人)を支配した「征服王朝」である事位はご存じの事でしょう。そして、取りを飾る清朝ですが、その国姓は四文字の「愛新覚羅(アイシン-ギョロ)」。「北狄」の一つである女真(ジュシェン,ジュルチン)族の内、建州女真(他に海西女真・野人女真あり)の一酋長、愛新覚羅弩爾哈斉(ヌルハチ,後金(清)の太祖 在位:1616-1626)が、1616(明の万暦44/後金の天命1)年、満洲の地に「満洲国(マンジュ-グルン Manju Gurun)」、又の名「後金国(アマガ-アイシン-グルン Amaga Aisin Gurun)」を建国。2代目の皇太極(ホンタイジ,清の太宗 在位:1626-1643)が、1635(後金の天聡9)年、満洲・蒙古・漢三民族に君臨する皇帝に即位、国号を「大清国(ダイチン-グルン Daichin Gurun)」と改称し、3代目の福臨(フリン,清の世祖順治帝 在位:1643-1661)の代、満洲から支那へ進出。1661(清の順治18)年には南明(なんみん:明朝の皇族を奉じた亡命政権)を滅ぼし、4代目の聖祖康煕帝(在位:1661-1722)の代、1683(清の康煕22)年には、「反清復明(はんしんふくみん)」の旗印の下(もと)、台湾に独立王国を築いていた鄭成功の孫、鄭克爽を降して台湾をも勢力下に置きました。そして、その末裔が「ラストエンペラー」の名で知られる愛新覚羅溥儀(ふぎ,プーイー)である訳です。詰まり、此処で私が何を言いたいのか?と言うと、唐朝にしろ、元朝にしろ、そして、最後の統一王朝である清朝にしろ、全て

異民族が支那を征服、漢民族を支配した征服王朝

であると言う事なのです。と言う事は、「中国」が唐代・元代清代に支配していた地域を自国が領有支配す可(べ)き地域であると言う主張はパラノイアの戯言(たわごと)、妄言でしか無いと言う事になります。此処迄(ここまで)言っても理解出来ない方に、より具体的に説明したいと思います。

二次世界大戦終結から暫くの間は、まだ、インドは大英帝国の殖民地でした。そのインドが独立後、旧宗主国(本国)であるイギリスに対し、「インドは大英帝国の正統な後継国家である。従って、イギリス本国の統治権を有している」とか、嘗て大英帝国を構成していた地域、カナダやオーストラリア、ニュージーランドに対して、領有権を主張したりしたら、国際社会は一体何と言うでしょう? 一言「お前ら、莫迦(ばか)か?」と一顧だにされないでしょう。

旧大英帝国とインド
戦後、イギリスの支配から独立したインドが、イギリス本国や旧大英帝国構成地域の領有権を主張出来るのか?

又、先の大戦に敗れ、GHQ ── 実質的には米国一国 ── による6年8ヶ月に亘る占領統治(1945-1952)を受けた日本が、昭和27(1952)年4月28日の『サンフランシスコ平和条約』の発効により独立主権を回復後、日本を統治していた米国の領有権を主張したりしたら、矢張り相手にもされず一蹴される事でしょう。この様に極々普通に考えれば、到底あり得ない事を根拠に真顔で領有権を主張している国、其れが「中国」なのです。何故なら、自国を征服支配していた唐朝・元朝清朝の支配地域に対する領有権主張と支配は、唐朝・元朝清朝を大英帝国に、チベットや東トルキスタンをカナダ・オーストラリア・ニュージーランドに置き換えれば、正に根拠の無い不当な占領支配以外の何ものでも無いからです。正に彼等言う処の

不法であり無効

を地で行く、それが「中国」が現在進行形で行っている事なのです。それを踏まえれば、日本は尖閣(台湾、南沙・西沙・中沙・東沙の各諸島も同様)に対する「中国」の領有権根拠に対し、この様な「歴史的理論武装」で対抗していく事は極めて有効な措置と言えるでしょう。又、今後も「中国」が漁船や公船を大挙、尖閣の日本領海に侵入させ、露骨な領有権主張や圧力を日本に掛けてくるのであれば、日本は唐朝・元朝清朝と言った支那に於ける「征服王朝」と大英帝国の例を持ち出して、チベットや東トルキスタン、南モンゴル(「中国」側呼称は「内蒙古」)、そして、大英帝国に於けるイギリス本国に相当する満洲(満洲は清朝発祥の地である)に対する「中国」の領有権の否定を国際社会に対して宣言、同地域の分離独立を「中国」に対し要求すると同時に、同地域の分離独立運動や海外亡命組織に対する支援を行えば良いのです。(その一例が平成24年5月14日、「中国」側が「内政干渉」として猛反発する中、東京で開催された世界ウイグル会議第4回代表大会である)

旧大英帝国とインド
嘉慶25(1820)年に於ける清朝の版図
現在「中国」の版図は概ねモンゴル国(外蒙古)及び台湾を除く地域と重なる。然し、本来の「漢地」(支那)は地図の内、台湾を除外した黄色の地域に限定される。チベット自治区・新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)・内蒙古自治区(南モンゴル)は当然の事乍(なが)ら、清朝に於ける支配民族であった満洲族の発祥地にして故国である遼寧・吉林・黒竜江の東三省(満洲)に付いても、「中国」は何ら正当な領有権を有してはいない。

とは言え、矢張り近年著しい「中国」の軍事力増強に対する処方箋も示す必要があるでしょう。その事を最後に書いて、本小論を締め括りたいと思います。

日台比越印五ヶ国による対中海洋防衛包囲網「海のマジノ線」
日台比越印五ヶ国による対「中国」海洋防衛包囲網『海のマジノ線』
「中国」の軍事的脅威に悩まされているのは何も日本一国ではありません。尖閣よりも更に西側に位置し、「中国」の直接的脅威に晒(さら)されている台湾や、島の領有権問題で「中国」に猛反発しているフィリピン等の東支那海・南支那海の海洋国家、昭和54(1979)年に起きた中越戦争(第三次印度支那戦争)は元より、漢代より千年に亘って支配され、その後も事ある毎に軍事侵攻を受けて骨の髄から支那に対する警戒感を抱いている地続きのベトナム、更には、隣国で独立以来敵対関係にあるパキスタンを背後から支援したり、自国に対して核ミサイルの照準を合わせている「中国」の覇権主義を苦々しく思っているインド。これら諸国と日本が集団安全保障条約を締結、「中国」を海側から囲い込む。平成10(1998)年に発表した小論『41.アメリカからの真の独立〜新・日本国防論』でも触れましたが、当時、私が提唱した「日台比枢軸」(日本・台湾・フィリピンの海洋国家三ヶ国による対「中国」軍事同盟)に、更に日本の「潜在的同盟国」(敵(「中国」)の敵は味方の論理)であるベトナムとインドを加えた巨大な対「中国」海洋防衛包囲網 ── 私は仏陸軍大臣アンドレ=マジノの名を冠した対独要塞防衛線「マジノ線」に倣(なら)い、これを「海のマジノ線」と呼んでいる ── を構築すると同時に、同盟国による合同軍事演習の実施等を通じて、「中国」の海洋覇権に対抗する。それを台湾やフィリピンは望んでいるでしょうし、ベトナムやインドも歓迎する事でしょう。「中国」の領有権主張を裏打ちする根拠の論破(歴史的理論武装)と、現実的な軍事力による対抗措置(日本の防衛力のより一層の充実と、周辺国との密接な連携と同盟関係の構築)。国土を移転(引っ越し)出来ない以上、この二段構えで、日本は「周回遅れでやってきた帝国主義国家・中国」を掣肘(せいちゅう)していかなくてはならないのです。そして、その嚆矢(こうし)として、外交力ゼロ・国防三流の民主党政権の退陣と、「中国」の攻勢に対抗し日本の主権・国民・国益を守り抜く気概を持つ強い新政権の一日も早い誕生が希求されているのです。

   余談(つれづれ)

魚釣島の西南西沖約27km付近の接続海域を列を作って進む「中国」監視船団(左側)と並走する海上保安庁巡視船(右側) (18日午後4時32分、毎日新聞本社機「希望」より金澤稔氏撮影)
魚釣島の西南西沖約27km付近の接続海域を列を作って進む「中国」監視船団(左側)と並走する海上保安庁巡視船(右側) (18日午後4時32分、毎日新聞本社機「希望」より金澤稔氏撮影)
成24年9月18日午後1時45分以降、4日前の15日に続いて、「中国」の公船が次々と尖閣周辺の日本側接続水域に侵入した。その数なんと12隻。海洋監視船「海監」10隻と漁業監視船「漁政」2隻が隊列を組み、正に「連合艦隊」の様相を呈した。勿論、日本も海保巡視船が警戒に当たってはいたが数の上で圧倒され、相手が日本側の警告を全く意に介する事無く「この海域は中国の管轄下にあり、我々は正常なパトロール業務を行っている」等と嘯(うそぶ)き、更には「海監」の内3隻が午後5時20分頃から午後6時過ぎに掛けて日本領海に侵入する始末。この事態を受けて対応を問われた野田総理は、

緊張感を以(もっ)て対応に万全を期して参ります

魚釣島の西北西30km付近の接続海域を航行する海上保安庁巡視船と「中国」監視船団 (18日午後4時37分、読売新聞機より清水健司氏撮影)
魚釣島の西北西30km付近の接続海域を航行する海上保安庁巡視船と「中国」監視船団 (18日午後4時37分、読売新聞機より清水健司氏撮影)
と通り一辺倒の答えを返すだけ。接続水域、更に領海に侵入したのは漁船=民間船では無い。「中国」の公船なのである。誤って水域に侵入してしまったのでは無く、100%確信犯的に侵入してきたのである。日本側が「冷静」に対応した所で、相手は「やる気満々」なのである。であるならば、日本もそれ相応の対応を取るだけの事だ。日本の領海に侵入してきたら、相手が民間船だろうが公船だろうが一律に拿捕(だほ)。大挙して押し寄せてくるのであれば巡視船を増派し、それでも対応し切れなければ海上自衛隊の護衛艦をも展開。更にどうせ緊迫して日本漁船も出漁出来ないのだから、周辺海域に機雷を敷設。「中国」船が無理に侵入しようとして触雷、その結果、船が沈もうがどうしようが「全責任は中国側にある」として捨て置く・・・それ位の事を日本もす可きなのである。一部には「其の様な事をすれば、戦争になってしまう・・・」と危惧する声もあるが、喧嘩上等ではないか! 正義は日本側にあるのだし、抑も向こうが日本の領海に侵入 ── 侵略してきているのだから、専守防衛の日本が「自衛権の発動」に踏み切る事に誰憚(たれはばか)る必要があろうか? こう言う時の自衛隊、こう言う時の護衛艦。床の間に飾って置くだけの「置物」では無いのだから、使う可き時に使ってこそ「なんぼ」なのである。(了)


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