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フビライ・ハン (忽必烈) Qubilai 1215-1294

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フビライ 古帝国第6代大汗(在位 1260-1271)にして元朝初代皇帝(在位 1271-1294)。廟号は世祖,諡号(贈り名)は薜禅汗(セチェン=ハン Sečen Khan),聖徳神功文武皇帝。蒙古帝国の創始者、成吉思汗(チンギス=ハン Činggis Khan)の孫。兄の蒙哥(モンケ Möngke)蒙古帝国の第4代大汗(皇帝)に即位すると、漢地大総督に任じられ、支那攻略の総責任者となった。1260年、大汗である兄が死ぬと、首都・和林(カラコルム Karakorum)で即位した弟の阿里不哥(アリク=ブカ Arigh Bügha 在位 1260-1264)に対抗して、上都(ドロン-ノール Doron-nor)で即位。1260年、阿里不哥が退位すると、名実共に大汗となり、1271年に、国名を「蒙古」から「大元」と改め、支那風王朝への基礎を築いた。ちなみに、二度に及んだ蒙古襲来(元寇)は、彼の治世に行われた。


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