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煬帝 (隋) Yáng-dì 569-618

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那・隋の第2代皇帝(在位 604-618)。姓は楊,名は広・英,廟号は世祖,諡名(贈り名)は煬皇帝。父の文帝即位と共に晋王となり、隋による支那統一に尽力。600年に兄の楊勇を失脚させ皇太子の座を奪い、604年には父(文帝)を暗殺して帝位を奪った。治世中、東都(洛陽)の造営、通済渠をはじめとする大運河を建設し、南北の物流を活発化させた。しかし、高句麗・突厥(テュルク)・吐谷渾(とよくこん)・林邑(チャムパ)・流求(台湾)等の周辺諸国を侵略。第三次高句麗遠征の失敗と土木工事への過酷な徴用によって反乱が相次ぎ、618年、宇文化及ら禁軍(親衛隊)兵士によって暗殺された。その後、煬帝の二人の孫が帝位を嗣いだが、共に傀儡であった為、隋は事実上二代で滅んだ事になる。


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