韓国の存続 ── 国家の自主独立 ── を担保しているもの。それは一体何なのか? その最大の担保は、軍事同盟国であり後ろ盾でもある米国の存在に尽きます。読者の中には、「日本だって『日米安保条約』により、米国の庇護(ひご)の下(もと)にあるから同じでは無いか?」と思われる方も居(お)られるでしょう。然(しか)し、日本と韓国は似て非なる状態にあります。例えば、日米同盟に於いては、戦後、日本の自衛隊が極東有事の際、主力軍として戦う米軍の後方支援を担(にな)う存在として整備されてきた事から、自衛隊が米軍の「予備軍」或(ある)いは「二軍」の如き存在であると言う見方があります。実際、海上自衛隊が営々力を注いできたのは敵潜水艦をいち早く探知し、これを速(すみ)やかに除去する「対潜」であり、殊(こと)この分野では米軍をも凌駕し、世界一の能力を有しています。では、何故(なぜ)、海上自衛隊は対潜能力を向上させてきたのかと言うと、有事の際、米艦 ── それも主力艦である米国機動部隊の空母に対する敵潜水艦の脅威を排除するのが主目的であったからですが、近年は、極東米軍を補完する役割から、徐々に米軍の負担を担う主力軍(準一軍)へと変化しつつあります。その証左共言えるものが、「ひゅうが」級2隻(1番艦「ひゅうが」・2番艦「いせ」)に次いで、今年8月に進水した「いずも」級新型ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の存在です。「ひゅうが」級で採用された空母型全通甲板を踏襲、搭載機体が「ヘリコプター」とされているものの、縦にすると六本木ヒルズ(高さ238m)をも上回る全長248m、自衛隊現有艦船最大を誇る基準排水量19,500t(満載排水量27,000t)の艦体は最早(もはや)「護衛艦」(列国海軍に於ける「駆逐艦(デストロイヤー)」)とは言えない程(ほど)巨大で(旧海軍の大型正規空母「赤城」や超弩級巨大戦艦「大和」に匹敵)、米国海兵隊仕様の統合打撃戦闘機F-35Bを艦載機として導入し、艦体を空母用に多少改装(艦首へのカタパルト或いはスキージャンプ台構造、着艦フック等の設置)すれば、小型空母としても充分運用可能だと囁(ささや)かれている新鋭艦です。他国 ── 特に「中国」及び韓国 ── から「事実上の空母」として受け止められている1番艦「いずも」(DDH-183)を日本が進水させ、平成25(2014)年1月には2番艦(通称「24DDH」)の起工も予定されていると言う事は、婉曲に「日本の空母保有を認めてこなかった」米国に変化が生じ、少なく共、軍事面に於いて、米国が日本を「子分」から「パートナー」に格上げしようとしている共解釈出来る訳です。(とは言え、米国の国益に沿って行動を共にするイエスマンとしての役割を求めている訳だが) それに対し、韓国はどうでしょう? 韓国も日本が米国との間に締結している『日米安保条約』に基づく日米安保体制同様、『米韓相互防衛条約』に基づく米韓軍事同盟を構築しています。然し、日韓両国には決定的な違いがあります。日米安保体制に於いては、極東有事の際、米軍を自衛隊が後方支援する事は前述しましたが、その際も自衛隊の指揮権は飽く迄も日本が握り、日米両軍の統帥権(とうすいけん)は個々に独立したものとなります。(現実の運用面ではどうあれ、形式上、自衛隊が米軍の指揮下に入る事は無い) 然し、米韓同盟では違います。若(も)しも、朝鮮半島で有事が発生(朝鮮戦争は休戦協定により単に「休戦」しているに過ぎないので、何時(いつ)戦闘が再開しても、それは「第二次朝鮮戦争」では無く、「朝鮮戦争の続き」でしか無い)し、北鮮軍と米韓連合軍が交戦する事態共なれば、韓国軍全軍は即座に「米韓連合司令部」の下(もと)、在韓米軍の指揮下に入り、在韓米軍の作戦命令で戦う事になっています。これは「戦時作戦統制権」と呼ばれるもので、平成6(1994)年に「平時作戦統制権」こそ韓国軍に移管されたものの、現在も韓国は有事の際に自らの意志で自由に考え戦う事を許されていません。この戦時作戦統制権に付いては、平成27(2015)年12月1日を以て在韓米軍から韓国軍に移管される事となっていましたが、今年10月2日にソウルで開かれた米韓安保会議に於いて、ヘイゲル米国防長官と金寛鎮(キム=グァンヂン)韓国国防部長官(元韓国陸軍大将)が戦時作戦統制権の移管時期再検討で合意した事で、平成27年の移管は事実上白紙となりました。詰まり、これからも韓国は軍事面で日本以上に米国の影響を色濃く受ける事になったと言う事です。然し、その米国が韓国を「見捨てる」可能性があると言ったら、果たしてどうでしょうか?
米国が韓国を見捨てる? それは、一体どう言う意味なのか? 韓国による「反日」的言動がエスカレートしている ── その事はこれ迄嫌と言う程、書いてきましたが、この韓国の言動を正直苦々しく思っている国があります。当事者である日本は当然の事乍(なが)ら、同盟関係にある米国がそれです。その理由は至極簡単です。
韓国が米国の言う事を聞かない!
からです。前述の通り、米国は訪韓したヘイゲル国防長官を通して、朴大統領に日本との関係改善を促しました。然し、朴大統領は米国の提案 ── と言うよりも「指示」であり「命令」 ── を拒絶しました。米国が極東で求めているもの、それは新たに「核保有国」となった北鮮と、経済発展と軍備増強で再び東アジアに嘗(かつ)ての中華帝国(中華朝貢秩序)を再建しよう ── これが習近平(シー=ヂンピン)国家主席がよく口にする「中国梦」(中国の夢) ── と企図している「中国」(支那)への対抗上、日米韓三国同盟の結束を盤石(ばんじゃく)なものとする事。詰まり、台湾も含め米国を盟主とする陣営に足並みの乱れは決してあってはならない、そう米国は考えている訳です。然し、韓国が常軌を逸した「反日」で同盟関係を乱している。米国の目にはそう映っている訳です。ましてや、嘗(かつ)て実際に戦戈(せんか)を交えた米国が全く問題視していない旭日旗に対し、韓国が自国内での禁止を謳(うた)う刑法改正案を可決成立する構えを見せている。実際にその様な法改正が為されたりしたら、日米韓三ヶ国も参加している環太平洋合同軍事演習(通称「リムパック」)に於いて、韓国艦の隣で共に演習に参加している日本の護衛艦に対し、韓国艦が「旭日旗を下ろせ!」とでも言うのでしょうか? まあ、実際にはその様な事が起きないとは思いますが、理屈から言えばあっても何らおかしくはありません。そこ迄いかず共、朝鮮半島有事共なれば、北鮮が主張している通り、日本が直接、自衛隊を参戦させないとしても、自衛隊が米韓連合軍を後方支援し、在日米軍基地がある日本が後方兵站(へいたん)拠点として重要な役割を担う事は誰の目から見ても明らかです。詰まり、いざ有事となれば、「韓国の命運」は日本が握っていると言っても過言では無いのです。その日本を貶(おとし)める様な言動を繰り返す韓国に対し、米国は内心「何を言っているのだ、この馬鹿野郎が!」と思っているでしょうし、言う事を聞こうとしない今の韓国に正直嫌気が差していると言うのが、米国の本音だろうと思います。そこへ持ってきて、韓国の昨今の風潮が更に米国の「韓国離れ」を促す可能性があるのです。
米国の韓国離れ(と言うよりも「韓国を見捨てる」と言った方が当を得ている)を促す要因は何なのか? その答えを明らかにする前に、先(ま)ずは韓国 ── と言うよりも、コリア史(「コリア」とは南北朝鮮を包含する朝鮮半島全域を指して使う。以下同)にとって切っても切れない不可欠なキーワードを示しましょう。それは、
事大主義
です。「事大」とは、古代支那の儒家、孟軻(通称「孟子(もうし)」)の教えである『孟子(もうじ)』の中に登場する「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)が語源です。これは元来、支那の戦国時代に、小国の越が、大国の呉に仕える事で乱世を渡った故事に準(なぞら)えて、
小国の強(したた)かな外交政策
を指して用いられたものです。まあ、現代で言えば、中東の小国イスラエル(軍事的には域内強国だが)が、超大国である米国の中東政策を米国内のユダヤ系財閥やロビー団体を通じて左右しているのも「以小事大」の派生と言えるでしょう。横道に逸(そ)れましたが、元来の「事大」とは「小国の強かな外交政策」と言う意味での「以小事大」であった訳です。然し、コリアが導入採用した「事大」は、元来の「以小事大」を大きく逸脱する歪(ゆが)んだ思想だったのです。そして、それは、
小国である自国はその分を弁(わきま)え、自国よりも大国の為に尽くす可(べ)し
と言った「大国に媚(こ)び諂(へつら)う卑屈な政策」に成り下がったのです。そして、更にそれが変容し、コリアをして「常に時の大国に媚び諂う」事を国是とする体制(会社内で力のある上司に取り入り、その上司の勢いに翳(かげ)りが見えるや否(いな)や、新たな力のある上司に鞍替える、風見鶏の如きおべっか使いの社員を想像すると分かり易い)に堕したのです。そして、その傾向が顕著だったのが、日韓併合前夜の李氏朝鮮(以下、「李朝」と略)でした。
李朝は、抑(そもそ)もその成立からして「媚び諂う」所から始まったと言っても過言ではありません。李朝初代の李成桂(イ=ソンゲ;太祖)は、元々、高麗(こうらい,コリョ;王氏高麗)の一武将でしたが、1388年、国王の命を受けて明国(支那)攻撃の為、威化島(ウィファド)迄進軍した兵を反転、首府の開京(ケギョン;現在の開城(ケソン))を攻め落としたクーデター「威化島回軍(ウィファドフェグン)」で権力を奪取。その余勢を駆(か)って明の皇帝・朱元璋(明の太祖)に対し、新王朝成立を報告。その際、高麗に代わる新たな国名に付いて、「朝鮮(チョソン)」と「和寧(ファニョン)」孰(いず)れにす可(べ)きか「お伺(うかが)い」を立て、明の皇帝より国名を「朝鮮」に決めてもらった程です。然も、「朝鮮初代国王」である筈の李成桂は、明の皇帝から正式な「朝鮮国王」としては認めてもらえず、「権知朝鮮国事」(朝鮮国の知事代理)の肩書きしか許されない始末。結局、李朝が君主の称号として明国から「朝鮮国王」の肩書きを認められたのは第3代の太宗・李芳遠(テジョン・イ=バンウォン)からでした。(初代・第2代と二代に亘(わた)って「権知朝鮮国事」にしかなれなかったと言う事は、王朝成立期の朝鮮は「国王の治める国」では無く「支那を構成する一地方の知事の治める地域」としか見られていなかった事を意味する) そして、この「媚び諂う」傾向が加速したのが、満洲から勃興し明朝に代わって新たに支那を支配する事となった清朝の時代(清代)です。
1636年、後金国第2代ハーン(王)であった愛新覚羅皇太極(アイシンギョロ=ホンタイジ;清の太宗)が満洲・蒙古(モンゴル)・漢(支那)の三民族に君臨する大ハーン(皇帝)に即位、国号を従来からの「後金国(アマガ-アイシン-グルン)」から「大清国(ダイチン-グルン)」に改め、支那史上最後の王朝である清朝が成立しました。これにより、それ迄、明朝に「事大」していた李朝は、「仕(つか)える可(べ)き大国」の変更を清朝より求められる事となったのです。然(しか)し、時の朝鮮国王・仁祖(インジョ)は清帝・皇太極に対し、飽(あ)く迄も明朝が正統な中華帝国の支配者であるとして、清朝への「事大」を拒否。これに逆鱗(げきりん)した皇太極は自ら兵を率いて朝鮮を攻め、屈服させたのです(これをコリアでは「丙子胡乱(ビョンジャ-ホラン)」と呼ぶ)。皇太極の軍門に降(くだ)った仁祖は、首府・漢城(ハンソン;現ソウル)の郊外、三田渡(サムジョンド)に於いて、皇太極に対し「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」と言うさせられる者にとっては最大の恥辱である土下座の一種である礼法を以て清朝に「事大」する事を誓わされ、更には、清帝の名代(みょうだい)が朝鮮にやって来る度に、朝鮮国王自ら郊外に建立した迎恩門(ヨンウンムン)に迄足を運び、仁祖が皇太極にさせられたのと同じ三跪九叩頭の礼をして出迎える事を義務付けられたのです。それにしても不思議なもので、これだけの恥辱であり乍(なが)ら歳月が経過し、国王の代が次々に代わっていくと、恥辱を恥辱とも思わなくなるのか、李朝は清朝への「事大」に益々拍車が掛かっていきました。そして、時代は清国が西欧列強に蚕食(さんしょく)される近代を迎えます。
幕末維新前夜の日本は、隣国でありアジアの「眠れる獅子」である清国が鴉片(阿片)戦争に代表される様に、西欧列強に蚕食されていく様子に危機感を抱いていました。そこへ持ってきて、マシュー=ペリー提督率いる米国東インド艦隊の四隻の黒船の来航です。(実際には、ペリー艦隊来航以前から、日本近海にはロシアをはじめとする欧米列強の「黒船」が姿を現していたが) 日本はこの「クロフネ・ショック」が引き金となり、一気に倒幕維新から近代化へと加速していった訳ですが、これだけ東アジアに激震が走る中、独り惰眠(だみん)を貪(むさぼ)っていた国がありました。それが李氏朝鮮です。隣国であり宗主国である清朝が西欧列強に蚕食され、同じく隣国である日本が体制の大変革と急速な近代化を模索する中、李朝は相も変わらず旧弊を墨守し、清朝に「事大」する事しか能がありませんでした。(この辺の周囲の「空気」(列強の脅威に晒(さら)されている近隣諸国の危機感)が読めない所は、現代の韓国と全く同じである) 清朝が明朝に取って代わって支那の新たな支配者となった際、小国の強(したた)かな外交政策を発揮して、いち早く明朝から清朝に鞍替えしていれば、あれ程の恥辱を強(し)いられる事は無かったのでしょうが、その時の「空気の読めなさ」同様、清朝に代わって新たに東アジアの盟主に躍り出ようとしていた明治日本が共に近代化、同盟して西欧に対抗していこうと呼び掛けたにも関わらず、これを拒絶。結局、日本から匙(さじ)を投げられた李朝は後に国家主権を喪失。日本に併合(合邦(がっぽう)共言う)されると言う末路を辿(たど)りました。然し、その過程で李朝には幾度と無くチャンスがあったのです。例えば、明治9(1876)年、日本と李朝の間で初めて締結された『日朝修好条規』の第一款には、
「朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ、日本國ト平等ノ權(権)ヲ保有セリ」
と明記されており、日清戦争後の明治28(1895)年、日本と清朝が締結した『日清講和条約』(通称『下関条約』)の第一条に於いても、
「C國ハ朝鮮國ノ完全無缺(無欠)ナル獨立(独立)自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリC國ニ對(対)スル貢獻(貢献)典禮(典礼)等ハ將來(将来)全ク之ヲ廢止(廃止)スヘシ」
と明記。日本は飽(あ)く迄も李氏朝鮮を日本と同様の主権独立国として遇しようとしていました。然(しか)も、この『下関条約』により、李氏朝鮮は永らく「事大」してきた清朝からの独立を実現、国号を「大韓帝国」、君主を清朝と同じ「皇帝」号で呼ぶ事が可能になったのです。然し、永年染み付いてきた「事大」 ── 常に時の大国に媚(こ)び諂(へつら)う事でやってきた伝統 ── の癖は全く抜けず、これからは日本と同様、富国強兵・殖産興業等により列強の侵略をはね除(の)ける近代国家への脱皮を図ろうと言う気概はまるで無し。日清戦争で日本に負けた清朝が「落ち目」と見るや、今度はロシア帝国に「事大」しようと接近を図ったのです。当時の日本にとって、シベリアから満洲、更には朝鮮半島をも窺(うかが)うロシア帝国の南下程、悪夢はありませんでした。だからこそ日本は、李朝を一刻も早く近代化させ、国力を蓄えた李朝を以てロシアの南下を阻もうと躍起になっていたのですが、「空気の読めない」李朝は、あろう事か日本が望んでいたのとは正反対、ロシアへの接近 ── 「事大」に舵を切ろうとしたのです。その結果、日本は折角「大韓帝国」として独立させたものの、李朝に独立の気概無しとして、遂に日韓併合への道を歩む事となったのです。(日本にしてみれば、朝鮮が自主独立を放棄しロシア帝国へ「事大」、孰(いず)れ朝鮮がロシアに併合される位ならば、日本が逆に朝鮮をロシアに先んじて併合してしまう方が、まだマシと言う訳だ) そして、明治43(1910)年、大韓帝国は『日韓併合条約』により日本と合邦(がっぽう)。昭和20(1945)年8月15日の日本の敗戦迄、コリアは日本に「事大」していた訳です。(彼等(かれら)言う所の「日帝三十六年」の間、コリアが日本に「事大」していた証左は、日韓併合も、皇民化教育も、創氏改名も、主たる政策の多くが彼等コリアンの側から求められたものであったからだ) 結論から言うと、李朝末期は、1884(明治17)年に金玉均(キム=オッキュン)等開化派が起こすも失敗に終わった朝鮮版明治維新クーデター「甲申政変(カプシン-チョンビョン)」を除けば、清国、ロシア帝国、そして、日本と常に最も力のある大国に「事大」する事しか能が無く、「第二の明治維新」、「第二の大日本帝国」を目指そうと言う気概がまるでありませんでした。それ故、自主独立を堅持する事が出来ず、国家主権を喪失した訳で、正に自業自得(じごうじとく)であったと言えます。そして、21世紀の現代、この「事大」の悪弊が再び韓国を覆い亡国の危機を呼び寄せているのです。
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習近平「中国」国家主席と朴槿惠
平成25(2013)年6月27日、「中国」を訪問した朴槿惠(パク=クネ)韓国大統領は習近平(シー=ジンピン)「中国」国家主席と会談。大統領就任後、同盟国である米国や日本を差し置いて真っ先に「中国」を訪問(その後、訪米は実現したが、未だに訪日はしていない)した朴槿惠の再訪中に、習近平はわざわざ人民大会堂の前まで出迎える演出で歓迎した。日本との関係が益々悪化する中、朴槿惠には「中国」と「反日」で共闘、日本に対し揺さぶりを掛けようとの思惑があるのだろうが、日本との関係悪化で経済的にも対中依存が顕著な韓国の実情を見逃す程、「中国」は馬鹿では無い。「中華帝国復興」の野望を隠して韓国を支援、朴槿惠が気付いた時には既に後の祭りと言った具合に、「中国」が韓国を朝貢国として自らの秩序に組み込む日もそう遠く無いのかも知れない。 |
韓国が「事大」しようとしている、いや既に「事大」している大国は何処(どこ)か? それは皆さんもご存じの「中国」です。韓国は李明博(イ=ミョンバク)から朴槿惠(パク=クネ)へと大統領が交代した折角の機会を逃さず、悪化した日本との関係を改善す可(べ)きでした。何しろ、日韓関係を悪化させたのは李明博であり、新たに大統領に就任した朴槿惠に非は無かったのですから。然(しか)し、韓国は悪化した日韓関係仕切り直しの好機を自らの手で摘(つ)んでしまいました。蓋(ふた)を開けてみれば、朴槿惠は李明博よりもタチの悪い「反日」的言動を繰り返し、日韓関係を改善どころか、逆に傷に塩を塗り込み益々悪化させてしまいました。日本のオバサマ方を熱狂させた「ヨン様」・「ジウ姫」に代表される韓流は斜陽。露骨に繰り返される韓国側の「反日」的言動に、従来、「嫌韓」とは無縁だった極々普通の一般日本人の間にさえ、「反韓」・「嫌韓」感情が増加。幾度と無く指摘している事ですが、時代が時代なら、とうの昔に戦争になっていても何ら不思議では無い、それ程迄に現在の日韓関係は極度に悪化しています。そして、この日韓両国の関係悪化に比例し、中韓両国が「反日」で共同歩調を取る場面が最近とみに増えて来ている事実。又、経済面でも結び付き ── と言うよりも韓国経済の対中依存 ── が深まっている習近平(シー=ジンピン)体制の「中国」に朴槿惠政権の韓国が益々接近し、韓国国内に於いても、中国語(「中国」の標準語「普通話(プートゥンフワ)」)の習得や中華文化への傾倒に拍車が掛かっている現実。朴槿惠政権の韓国は、「敵国」である日本への対抗上、「中国」に接近し、彼(か)の国を「利用」しようと考えているのでしょうが、私の目から見れば、「中国を利用」どころか「中国に事大」しており、「中国の夢」 ── 「中国」を宗主国に、南北朝鮮を含む周辺諸国を属国(朝貢国)とする21世紀版中華朝貢秩序の実現 ── を目論む習近平体制の「中国」に呑み込まれるのでは無いか? 同盟国として日本との関係改善を御注進したにも関わらず拒絶され、逆にライバルである「中国」に接近している韓国は米国の目にどう映っているのだろうか? ほとほと呆(あき)れ、
米国が韓国を見限る日
が来ないと一体誰が言えるでしょうか? その時になって、日本や米国に泣き付いても後の祭りです。最後に・・・せいぜい、韓国が再び国家主権を喪失せずに済む事を「敵国」の一国民として祈ってあげる事にしましょう。尤(もっと)も韓国が「悔い改め」無い限り、この儘(まま)では、地図上から「大韓民国」の四文字が消え失(う)せ、代わりに「中華人民共和国朝鮮省」の十文字が刻まれるであろう事は自明の理・・・ですが(了)