Reconsideration of the History
259.日本の戦争責任を糾弾する韓国を糺す ベトナム戦争での蛮行は総括したのか? (2013.8.31)

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2013年7月28日、ソウルのサッカースタジアムに韓国側サポーターにより掲げられた横断幕「歴史を忘却した民族に未来は無い」
2013年7月28日、ソウルのサッカースタジアムに韓国側サポーターにより掲げられた垂れ幕「李舜臣(左)と安重根」
サッカー東アジア杯最終戦での韓国側の蛮行
平成25(2013)年7月28日、韓国の首都ソウルで行われたサッカー東アジア杯最終戦(日韓戦)に於いて韓国側サポーターは、平成24(2012)年8月10日のロンドン五輪男子サッカー3位決定戦に於いて2対0で日本に勝利した韓国側ミッドフィルダー・朴鍾佑(パク-ジョンウ)による所謂(いわゆる)「獨島セレモニー」が五輪憲章が禁ずる政治的宣伝活動に抵触するとして物議を醸した一件に対する反省や意識が微塵も見られず、再び同様の行為を繰り返した。上の写真はバングルで「歴史を忘却した民族に未来は無い」と書かれた横断幕、下の写真は左が豊臣秀吉による朝鮮征伐に抵抗した李氏朝鮮の李舜臣(イ=スンシン)将軍、右が明治42年に満洲は哈爾浜(ハルビン)駅頭で伊藤博文を暗殺したとされる「テロリスト」安重根(アン=ジュングン)の垂れ幕。どちらも、会場での政治的主張を禁ずるFIFA(国際サッカー連盟)の規定に抵触する疑いが濃い蛮行だ。
2013年7月30日、米国グレンデール市の公園に設置された「従軍慰安婦少女」像
米国グレンデール市の公園に設置された「従軍慰安婦少女」像
平成25(2013)年7月30日、米国カリフォルニア州南部、ロサンゼルス近郊のグレンデール市の公園に、ソウルの日本大使館前に設置されたものと同じ「従軍慰安婦少女」像が設置された。設置主体は韓国系米国人・在米韓国人等だが、「歴史に無知」であったり、彼等コリア系の「票」に目が眩(くら)んだ米国人市議も同調。「謬(あやま)った歴史認識」に基づくモニュメントが建立されてしまった。視線は「少女」像にばかり行くが、その傍(そば)に共に建立された記念碑の方こそが問題だ。碑文には日本兵による「性被害」の犠牲者として韓国人だけで無く、オランダ、支那、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアの女性の事が謳(うた)われている。然(しか)し後述するが、百歩譲ったとしても、ベトナム女性を蹂躙(じゅうりん)したのは「日本兵」では無い。此こそが、彼等韓国による「歴史歪曲」の卑怯な手段の一つなのである。
ソウルで反日発言をした潘基文・連合国事務総長
ソウルで反日発言をした潘基文・連合国事務総長
平成25(2013)年8月26日、帰郷した韓国ソウルの外交通商部で記者会見をした潘基文(パン=ギムン)連合国事務総長は、此処で聞き捨てならない発言を口にした。曰く、「日本政府と政治指導者は自らを深く顧みて、国際的な未来を見通すビジョンを持つ事が必要だ」。一方的に特定の国家・組織に肩入れする事無く公正中立性を求められる連合国事務総長の立場にあり乍ら、日本を批判する発言をしたのだから、其の罪は極めて重いと言わざるを得ない。発言後の日本政府・メディアによる「異例の反発」に驚いたのか釈明したが、「覆水盆に返らず」の諺(ことわざ)通り手遅れである。歴代事務総長の中でも「無能」との評価が高い彼の正に面目躍如と言った所か。
成25(2013)年7月28日、韓国の首都ソウルで行われたサッカー東アジア杯最終戦(日韓戦)に於いて、韓国側サポーターがハングルで「歴史を忘却した民族に未来は無い」と書かれた横断幕や、初代韓国統監を務めた伊藤博文を明治42(1909)年10月26日、満州は哈爾浜(ハルビン)駅頭で暗殺したとされる「テロリスト」安重根(アン=ジュングン)の垂れ幕を掲げたり(余談だが、コリアが「日韓併合を推進した大悪人」として槍玉に挙げる伊藤博文は、実際には当時の日本政府内に於ける「日韓併合反対・韓国再建推進」派の重鎮であった。その伊藤暗殺の真犯人は別にいる。安重根は確かに伊藤に向けて銃を発射したが、伊藤を死に至らせた銃弾は別の者が発射したものだ。それは状況証拠からも明白だ。詰まり、安重根はケネディ大統領暗殺事件に於ける「オズワルド」の役を負わされたのである)、2日後の7月30日、米国はカリフォルニア州ロサンゼルス近郊のグレンデール市の公園で韓国系米国人・在米韓国人により設置された「従軍慰安婦少女」像の除幕式を行ったり、8月15日には例年の恒例行事よろしく、総理を筆頭に日本政府関係者や国会議員の靖国神社参拝にヒステリックな反応を示したり(韓国国会の東北アジア歴史歪曲対策特別委員会所属の与党議員が8月28日、外交通商・教育両部(省に相当)に対し、靖国神社に参拝した日本の国会議員のリストを提出する様求め、拒否されると言った出来事も起きている)、極め付けは、8月26日に「帰郷」した連合国(通称は「国連」)事務総長・潘基文(パン=ギムン)が、外交通商部での記者会見の席上、中立性を求められる「連合国事務総長」と言う立場にあるにも関わらず、日本の「歴史認識」問題と憲法改正問題に付いて記者から質問された際、「日本政府と政治指導者は自らを深く顧みて、国際的な未来を見通すビジョンを持つ事が必要だ」と発言する等、昨夏の李明博(イ=ミョンバク)による竹島(韓国側呼称は「獨島(トクト)」)上陸以来、こと日本に対しては常軌を逸する発言や行動を繰り返し、その様は最早(もはや)韓国が国家・民族(ミンジョク)ぐるみで極めて重い精神疾患を患(わずら)っているかの如き様相を呈しています。尤(もっと)も、従来からも「火病(ファビョ)っている」として敬遠されてきた韓国の国家・民族に対しては、国際社会からもいい加減ウンザリされ、正直「相手にされていない」と言った方が妥当な所です。(その証拠に韓国系米国人・在米韓国人が米国紙に一面見開きで「反日」広告を載せる事があるが、思った程の「戦果」を上げているとは到底言えない) とは言え、「大人」の日本が何時迄(いつまで)も「小人」の韓国に言いたい放題言わせておいて良い筈もありません。そろそろ、彼等(かれら)の頭上に拳骨(げんこつ)の一つでも落としてやるのが、「小人」に対する「大人」の「教育的指導」と言うものです。と言う訳で、今回は「日本の歴史認識」や「日本の戦争責任」を声高(こわだか)に叫ぶ韓国の国家・民族に対し、逆に「韓国の歴史認識」と「韓国の戦争責任」を突き付け、手厳しく糾弾してやりたいと思います。

(ま)ず、一番に指摘せねばならない事があります。それは韓国の国家・民族が「日本の戦争責任」を叫べば叫ぶ程、ブーメランの様に、その「責任」が彼等にも返ってくると言う事です。仮定の話として、例えば私の住む山梨県が「甲州国」として日本から分離独立したとしましょう。その「甲州国」が国際社会の中で「日本の戦争責任」を厳しく糾弾したとしましょう。すると、国際社会は「甲州国」の言動に半ば呆(あき)れて、こう指摘してくる事でしょう。曰(いわ)く、


貴国は先の大戦中、大日本帝国を構成する一部だったではないか。
ならば、貴国も同罪。日本と同様に戦争責任があるのではないか?

と。韓国の国家・民族は総出で「そんな事は無い!」と否定するでしょうが、彼等が日本に対し「学べ!」と叫ぶナチス-ドイツの「戦争責任」に付いては、当時、ドイツ第三帝国に併合され国家の一部となっていたオーストリアが、自国にもナチス-ドイツの「戦争責任の一部がある」と自己批判している事から、同じく当時、大日本帝国に併合され国家の一部となっていた韓国にも「日本の戦争責任の一部がある」と言う論理に帰結するのです。詰まり、彼等が国際社会に対し、「日本の戦争責任」を叫べば叫ぶ程、それは巡り巡って自国 ── 「韓国の戦争責任」 ── にも話が波及する事になるのです。まあ、他国がその様な指摘をした所で、彼等は彼等特有の「火病(ファビョン)(コリア民族特有の遺伝性自律神経系精神疾患)を発症して、指摘した相手に対し罵詈雑言(ばりぞうごん)を吐いて自らの論理の殻(から)に閉じこもって「心理的鎖国」に陥(おちい)るだけの事でしょうが。結論から言えば、彼等は先の大戦に於ける「大日本帝国」に帰結するとされる「責任」が、自らにも大なり小なりあるであろう事を心の底では分かっている。然し、その責任を免れたい。だからこそ、戦後、日本から分離独立した事を此(これ)幸いに、恰(あたか)も、「日本」とは台湾や朝鮮半島と言った海外領土を除く「日本本土」であるとし、「日本の戦争責任」は海外領土には及ばず、本土に住む日本人のみに帰結するのだと言う「独自の論理」を構築したのでしょう。勿論、国際社会に北鮮の「主体(チュチェ)思想」よろしく、その様な「独自の論理」が通用するであろう筈もありませんが、彼等はそう「信じている」、いや、そう「信じたい」のでしょう。然(しか)し、厳正な目で見れば、当時、大日本帝国の一部を構成し、大日本帝国の戦争に際し、軍の募集に応じて自ら志願採用された24万人を超える軍人・軍属を輩出し、中には洪思翊(こう-しよく,ホン=サイク)の様に帝国陸軍中将として戦争を指揮指導する立場に登った者迄居(い)た以上、彼等に「何も責任も無い」訳がありませんし、到底、彼等言う所の「日本の戦争責任」から免れ得ないのです。(此処(ここ)で私は彼等流に「日本の戦争責任」と書いたが、戦勝国の論理に拠る「戦争責任」が日本にあったとは到底考えて居ない。若(も)しも「戦争責任」があるのだとすれば、それは戦勝国・敗戦国を問わず、先の大戦に関わった全ての国にあるものと考える)

(さて)、前置きとして彼等言う所の「日本の戦争責任」と韓国との関係に付いて論じましたが、本題は此処(ここ)からです。突然ですが、皆さんは「𤳆大韓(ライダイハン)」と言う言葉を聞いた事があるでしょうか? 恐らく大抵の方は初めて聞くのではないでしょうか? 第一、「𤳆」なんて「漢字」、生まれて初めて見たと言う方が殆(ほとん)どでしょうから。此処で「𤳆」と言う「漢字」と書きましたが、正確にはこの字は漢字ではありません。我々が当たり前の様に日常的に使っている「峠」や「働」、「榊(さかき)」と言った「漢字」は実は、漢字の本家本元である支那から輸入した字ではありません。日本で漢字を元にして独自に作られた和製漢字(通称「国字」)なのです。「𤳆」もその類(たぐい)で、「𡨸喃(チュノム)(一般には「字喃」と表記される事が多い)と言うベトナム製漢字なのです。では、「𤳆大韓」とは何の事なのか? 「𤳆」と言う字には動物を含む混血雑種に対する侮蔑の意味が込められており、「大韓」とは文字通り大韓=韓国を指します。詰まり「𤳆大韓」とは、ベトナム語で「ベトナム人と韓国人との混血」を指す言葉なのですが、此の言葉は必ずしも良い言葉では無く、ベトナムの公式文書上では一切使われる事の無い蔑称或(ある)いは卑語なのです。では、何故(なぜ)、「𤳆大韓」は蔑称であり卑語なのか? 其処(そこ)にこそ「韓国の歴史認識」と「韓国の戦争責任」が深く絡んでくるのです。

故、「𤳆大韓」 ── 「ベトナム人と韓国人との混血」は蔑(さげす)まされねばならなかったのか? 問題の本質は正に此処にあります。いや、抑(そもそ)も凡(およ)そ3万人にも及ぶとされる「𤳆大韓」が何故誕生したのか? 其処にこそ光を当てる必要があるのです。結論から言いましょう。「𤳆大韓」の多くは「望まれて此の世に生を享(う)けた訳では無い」と言う事です。「言っている意味がよく分からない」と言う方もおありでしょうから、よりはっきりと言えば、彼等の多くが、ベトナム戦争当時、米軍と行動を共にしていた韓国軍兵士(男性)により強姦される等したベトナム人女性から生まれた。だからこそ、侮蔑の対象となったのです。韓国人に此の話を持ち出せば、煙(けむ)に巻くか、話題を逸(そ)らすか、将又(はたまた)、「火病」を発症、席を立って罵詈雑言を口にし乍(なが)ら、その場を去るかの孰(いず)れかでしょう。まあ、韓国の国家・民族にとっては、決して触れられたく無い「歴史的恥部」と言っても過言ではないでしょう。先程、私は「𤳆大韓」の誕生に付いて、韓国兵によるベトナム人女性に対する強姦を主原因と書きましたが、実は其れだけが原因ではありません。女性を押し倒して無理矢理性行為を行う「強姦」以外の原因があります。その一つは現地ベトナムに於いて、韓国兵がベトナム人女性を妻とし、子供を儲(もう)けたものの、敗戦による撤兵で妻子を残した儘(まま)、韓国へ帰国した例ですが、その他にも、彼等が最も触れられたく無い原因があるのです。其れは「ベトナム人慰安婦」の存在です。韓国は事ある毎に「日本の戦争責任」の一つとして、「従軍慰安婦」問題を持ち出しますが、橋下徹・日本維新の会共同代表(大阪市長)が指摘した通り、「慰安婦」と言う存在は戦争には正に付きもので、旧日本軍と「従軍慰安婦」との関係は、軍が慰安所を設置し慰安婦を管理していたのでは無く、民間慰安所(非管理売春)に対し、其処を利用する将兵に性病が移る事の無い様、きちんとした管理運営(慰安婦に対する性病罹患の有無確認や、性交渉に於いてはきちんと避妊具を使用する事等)を行う様、求めた程度の事です。(一人の将兵が性病に感染した状態で戻ってくると、狭い兵舎の中で瞬(またた)く間に他の将兵にも伝染する。其れは詰まり、部隊が運用出来る実働兵力の減少や、最悪の場合、部隊そのものの存続にも関わる問題であり、その事を軍 ── 現地部隊は最も恐れた) 話が横道に逸れましたが、「慰安婦」はベトナム戦争でもご多分に漏れず、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた」とのベトナム人による証言も残っている以上、当時、ベトナム人慰安婦が存在し、その慰安所を韓国兵が利用した事は紛れも無い事実なのです。詰まり、日本の「従軍慰安婦」問題を声高に叫ぶ韓国も、其の実、ベトナムで「同じ事をしていた」訳で、私に言わせれば、

ベトナム人慰安婦を抱いていた韓国(兵)が、日本の事を言えたタマか?

と言いたくもなるのです。然し、彼等韓国の「戦争責任」は何も「慰安婦」問題に止(とど)まりません。実はベトナム戦争に於いて、韓国は「慰安婦」問題等足下(あしもと)にも及ばない悪行 ── 「戦争責任」 ── を犯しているのです。

トナム戦争に於いて、韓国が犯した「慰安婦」問題以上の悪行とは一体何なのか? 結論から言えば、其れは、

ベトナム民間人(非戦闘員)に対する虐殺行為

です。戦争のルールを定める国際規範の一つして明治32(1899)年、オランダはハーグで調印成立した『陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約』及び其の附属書『陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則』 ── 両者を併せて通称『ハーグ陸戦法規』(明治40=1907年改定) ── がありますが、この条約には、民間人に対する殺傷を禁じた条項が存在します。そして、この条約(1899年条約)に韓国 ── 当時の大韓帝国 ── も明治36(大韓帝国光武7=1903)年加盟しています。韓国は明治43(大韓帝国隆熙4=1910)年、『韓國併合ニ關スル條約』(通称「日韓併合条約」)により日本と合邦(がっぽう)、昭和20年8月15日の終戦迄(実際には米戦艦ミズーリ号上で日本全権が降伏文書に調印した同年9月2日が正式)、大日本帝国の一部を構成し、米軍の軍政を経て昭和23(1948)年8月13日、大韓民国として国家主権を取り戻した訳ですが、彼等は李氏朝鮮、大韓帝国の喪失した主権を復したと言うスタンスである訳ですから、大韓帝国時代に加盟した『ハーグ陸戦法規』に付いても承継したと見るのが当然でしょう。そうすると、その条約に於いて禁止されている民間人(非戦闘員)に対する殺傷行為に付いても遵守(じゅんしゅ)するのが当然と言う帰結に至る訳です。(其の様な堅苦しい解釈をせず共、兵士が武器を持たず無抵抗な民間人を殺傷する事は道義的にも許されざる行為であるが) 平たく言えば、

韓国軍は民間人を殺傷してはダメよ!

フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
昭和43(1968)年2月12日、ベトナムはクアンナム省フォンニィ-フォンニャット村に到着した韓国海兵隊第二海兵師団(青龍師団)は、婦女子を一ヶ所に集めて虐殺した。写真は米国海兵隊J.ボーアメリカ伍長によって撮影されたもので、両胸を抉(えぐ)り取られた上に銃撃を加えられた瀕死の21歳女性。写真撮影後に病院に徹送されたが「お母さん、お母さん・・・」と母を呼びながら妹達の前で息絶えたと言う。
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件後、到着した米国海兵隊は直ちに生存者の救出保護を行うと同時に、韓国派遣軍に対し事件に対する説明を求めた。それに対する韓国側の回答は「韓国海兵隊の軍服を着たベトコンによる陰謀」と言うもの。後に米軍監察官が事件の実態 ── 韓国海兵隊による犯行を明らかにすると、蔡命新(チェ=ミョンシン)韓国軍総司令官は、「誰に対しても償う必要は無い。あれは戦争だったのだから」と平然と言ってのけたと言う。其処には「戦争責任」を反省する態度は微塵も見られなかった。(写真は遺体を収容する米兵)
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件の被害者
上の写真は、至近距離から撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦。下の写真は、無惨にも殺害された幼い子供である。(共に、米国海兵隊J.ボーアメリカ伍長撮影) 老若男女問わず無抵抗な非戦闘員を虐殺する行為は『ハーグ陸戦法規』をはじめとする戦時国際法が禁ずる所であり、事件が第二次世界大戦後に起きた事から、既に戦争犯罪の一つとして定義されていた「人道に対する罪」に抵触する事は論を俟(ま)たない。この「戦争犯罪」に対し、韓国政府は未だに被害者であるベトナムの国家・国民に対し、謝罪も補償も、ましてや反省すらしていない。其の様な「戦争犯罪国家」に日本の「過去の戦争責任」を追求する資格が果たしてあるのだろうか? 韓国は他国の「歴史認識」を云々する前に、先(ま)ずは朴槿惠(パク=クネ)大統領をはじめとする韓国国民が一億総懺悔(ざんげ)するのが先決ではなかろうか?
と言う事です。然し、その約束事は破られた。其れがベトナム戦争当時、米軍と共にベトナムに派兵された韓国軍兵士によって行われたのです。例えば、昭和40(1965)年から昭和41(1966)年に掛けて、ベトナム南中部、南支那海に面したフーイエン省(富安省)タオ村では、大部分が婦女子の村人40人余を小火器で全員虐殺。昭和41年1月11日から19日迄のたった9日間には、フーイエン省の北隣ビンディン省(平定省)に於いて、300人以上の住民を捉えて拷問に掛け、更に400人以上の住民を虐殺。他にも、若い女性に対する集団強姦後の殺害や、ナパーム弾や毒ガス、化学兵器と言った「非人道兵器」を用いた老若男女を問わない大量虐殺(現在、軍事介入が取り沙汰されているシリアどころの話では無い)と、住民資産の略奪行為に枚挙の暇(いとま)が無い程です。そして、その最たるものが、昭和43(1968)年2月12日にベトナム中部、南支那海に面したクアンナム省(広南省)のフォンニィ・フォンニャット村で韓国海兵隊第二海兵師団(青龍師団)が起こした「フォンニィ-フォンニャット良民虐殺事件」(ベトナム語では「惨殺豐一且豐二(タムサット-フォンニャット-ヴァー-フォンニィ)」)です。当時、フォンニィ-フォンニャット村は米国海兵隊と友好関係にあり、男達は南ベトナム軍に参加し米軍と共に北ベトナム軍(正式には「南ベトナム解放民族戦線(陣民族解放沔南越南)」、略して「ベトコン(越共)」)と戦っていました。詰まり、米軍の友軍として参戦していた韓国軍から見ても、フォンニィ-フォンニャット村の住民は「味方」だった訳です。其れにも関わらず、韓国海兵隊は男が不在のこの村に到着するやいなや、婦女子を一ヶ所に集めて虐殺し、村に火を放って立ち去ったのです。事件後、米国海兵隊が現地に到着、生存者の救出保護が為されましたが、この事件の報告を受けた米陸軍参謀総長ウィリアム=ウェストモーランド大将の度重なる照会に抗しきれなくなった韓国側は、何と自国軍兵士による蛮行であったにも関わらず、

事件は韓国海兵隊の軍服を
着たベトコンによる陰謀

と虚偽報告をし、事件の隠蔽を図ったのです。然し、その後、米軍監察官ロバート=モレヘッド=コック大佐による調査で、韓国側の虚偽報告が暴かれるやいなや、何と韓国側は全く悪びれる風でも無く、逆に「米軍のやり方は手緩(ぬる)い」として居直ったのです。此(これ)を「此の世の地獄の様なベトナム戦争」当時の出来事と言ってしまえば簡単な事かも知れません。実際、当時の韓国軍総司令官だった蔡命新(チェ=ミョンシン)将軍は、米国誌『ニューズウィーク』のインタビューに対して、

誰に対しても償う必要は無い。
あれは戦争だったのだから

と嘯(うそぶ)いた位ですから。然し、此が「非戦闘員に対する殺傷」を禁じた『ハーグ陸戦法規』に明確に違反した行為であり、大東亜戦争終結に合わせて新たに設けられた「人道に対する罪」に該当する事は明々白々です。そして、その韓国の卑怯姑息な所は、此等(これら)自国軍の犯した残虐行為 ── 「人道に対する罪」 ── に付いて、「日本の歴史認識」や「日本の戦争責任」を云々しておき乍(なが)ら、韓国内に於いて長年タブー扱いとし、自国の歴史教育に於いてもベトナム戦争に対する記述は、

そして、共産侵略を受けているベトナムを支援する為に国軍を派兵した

と只の一行で済ませ、自国軍が犯した蛮行に付いて一切教えてこなかった事です。此で、よくぬけぬけと日本の歴史教育に付いて注文を付けたり糾弾出来たものだ!と言えますが、更に彼等の卑怯姑息な所は、此だけの「戦争犯罪」を犯しておき乍ら、「被害者であり戦勝国」であるベトナムに対し、「加害者であり敗戦国」としての戦後補償どころか、国家の責任に於いて只の一言も謝罪を公式に表明していない事です。其れも幾度と無く「謝罪」と「反省」を日本に求めている韓国がです。此に付いては、此の様なエピソードもあります。然も、その「当事者」は、昨年(平成25年)、韓国の国家大統領として初めて竹島に不法上陸したあの李明博(及びその政権)なのです。

成21(2009)年、韓国国家報勲処が国家報勲制度改定に関する法案改正趣旨説明書を国会に提出しました。そして、その中のある文言がベトナムを烈火の如く怒らせたのです。では何故、ベトナムは怒ったのか? それは、ベトナム戦争参戦者について、「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したからです。これに対し、ベトナム政府は即座に反応しました。曰く、

我々は被害者だ。何故、ベトナム戦争の目的が世界平和の維持なのか?

と。ベトナム側の言う事は尤もです。ベトナム側の史観 ── 「正しい歴史認識」 ── からすれば、韓国は米国と共に不法にもベトナムに派兵し、多数の民間人を非人道的な手段で虐殺した「戦争犯罪国家」なのですから。その韓国がベトナム戦争に於ける「戦争責任」を反省、謝罪するなら兎も角、逆に「世界平和の維持に貢献」等と美化したのですから、怒るのも当然です。ベトナム政府は予定されていた李明博のベトナム訪問を拒否する方針を韓国政府に通告する強硬姿勢を見せたのです。この問題は、その後、韓国側が柳明桓(ユ=ミョンファン)外交通商部長官(大臣に相当)をベトナムに派遣、外相会談に於いて「世界平和の維持に貢献」の文言を削除する事を約束した事で、李明博の訪越を何とか実現しましたが、その交渉過程で、ベトナム側から、

侵略者(韓国)は「未来志向」と言った言葉を使いたがり、過去を忘れようとする!

と手厳しく批判されたそうです。大統領が代替わりする毎に、日本に対し「未来志向の韓日関係」等と言う韓国ですが、ベトナムからは、その「未来志向」なる言葉を取り上げられて罵(ののし)られる始末。然も、韓国をして、オブラートに包む事無く「侵略者」とはっきりと述べている所からも、ベトナム側の韓国に対する憎悪と怨念の根深さを知る事が出来ます。(実際、ベトナム国民の韓国に対する民族感情は今でも良くない。その傾向は地方へ行けば行く程顕著になると言う)

り返しますが、韓国は未だ事ある毎に日本に対して、「正しい歴史認識」や「過去の戦争責任」を持ち出し、「謝罪」と「補償」を繰り返し求めてきます。そして、その傾向は昨年の李明博による竹島不法上陸以降、顕著となり、新たに大統領に就任した朴槿惠(バク=クネ)政権になって以降、更に輪を掛けて常軌を逸する言動が増し、日韓関係は最早修復不可能な危険水域に達しようとしています。其の様に、日本を糾弾する事しか能が無い韓国の国家、そして、国民に私は声を大にして言いたい。

お前ら、自国の「戦争責任」を精算してから、日本の「戦争責任」を問え!

と。被害者であるベトナムに対し、反省や謝罪の弁も無く、ましてや、賠償すらしていない韓国。その大統領たる朴槿惠が今年3月1日に、

(日本と韓国の)加害者と被害者と言う歴史的立場は、
千年の歴史が流れても変わる事は無い!

と嘯いたが、ならば、こうも言える。

(韓国とベトナムの)加害者と被害者と言う歴史的立場は、
千年の歴史が流れても変わる事は無い!

又、5月9日に米国議会で行った演説では、

過去に目を向けない者は未来を見る事が出来ない!

と一席ぶったが、これとて同じ事。日本と違い、何一つ自国の「戦争責任」に付いて総括、精算していない韓国に決して「未来は無い」!

国は「中国」(支那)と共に、日本を糾弾し、恰(あたか)も日本が「アジアの中で孤立している」かの如く喧伝して已(や)まないが、実際は然(さ)に非(あら)ず! アジア ── 特に嘗(かつ)て日本が兵を進めて席捲(せっけん)した東南アジアに於いて、日本に対する民族感情は韓国が喧伝する程、悪くは無い。寧(むし)ろ「良い」し、百歩譲ったとしても「良くも無く、悪くも無い」(何とも思っていない)と言った所だ。其れに対し、韓国に対する民族感情は日本に比べ頗(すこぶ)る悪い。其の事に気付かぬ韓国の国家・民族の悲劇。朴槿惠流に言えば、

周りからどう思われているか気付かぬ者に未来は無い!

とでも言った所でしょうか?

「韓国に明日は無い! 未来も無い!」 ── 其れが、私の到達した一つの結論なのです(了)


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