Reconsideration of the History
101.「割譲」の意味を知らない支那 ── 「台湾問題」に見る支那の矛盾(2002.4.7)

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「台湾は中国の絶対不可分な神聖なる固有領土である!!」・「台湾の独立は断固として認めない!!」 ── 支那が台湾に対する「領有権」を主張する際に必ずと言っても良い程、持ち出す常套句ですが ── 私はこれ迄幾度と無く、この問題に触れ、支那の主張に対して反論してきました。しかし、支那が台湾に対する「領有権」を取り下げる気配は一向に見受けられません。そこで、今回も「台湾問題」について別の視点から斬り込んでみたいと思います。そして、そのキーワードは、ズバリ「割譲」です。

「割譲」 ── この言葉を『広辞苑」で調べてみると、

割譲(かつじょう) 土地・物等の一部分を割(さ)いて他に譲り与える事。「領土を―する」
とあります。では、この「割譲」と「台湾問題」にどの様な関係があるのか? それを知る為に、先ずは、時計の針を百年前に戻す所から始めましょう。

は、明治28(1895)年4月17日、場所は山口県は下関、春帆楼(しゅんぱんろう)。ここに集(つど)うは、日本からは伊藤博文・首相に陸奥宗光・外相、清国からは李鴻章の直隷総督・北洋大臣)に李経芳(李鴻章の養子で駐日公使)。そして、ここ下関に於いて、日両国の全権大使により、前年(1894)に勃発した日戦争の講和条約 ── 『下関条約』(馬関条約)が締結されたのです。さて、この条約の第2条にはこの様な事が明記されていました。

   下関条約
第2条(領土の割譲 *筆者による意味付け

清国は左記の土地の主権並(ならび)に該地方に在る城塁、兵器製造所及官有物を永遠日本国に割与す
  1. (省略 *遼東半島についての記載
  2. 台湾全島及其の附属諸島嶼
  3. 澎湖列島即(すなわち)英国「グリーンウィチ」(「グリニッジ」の事)東経119度乃至(ないし)120度及北緯23度乃至24度の間に在る諸島嶼
ちなみに、この条項に記載されている「割与」とは「割譲」と同義です。つまり、『下関条約』第2条は、清朝が領有する遼東半島・台湾全島・澎湖諸島を、「日本に対して永久割譲する」と謳(うた)っているのです。そして、前述の様に、この条約は、日両国を代表する全権大使によって正式に調印されたものであり、その法的拘束力に挟み込む余地等何ら無いのです。ちなみに、余談ですが、『カイロ宣言』(正確には、『カイロ公報』)に盛り込まれていた
「台湾及び澎湖島のような日本国が清国人より盗取した一切の地域」
と言う表現は、『下関条約』によって、日本が同地域を清国から合法的に割譲された歴史的事実を全く無視しており、連合国による欺瞞と言えます。話が逸れましたが、要は、日清戦争の結果、台湾及び澎湖諸島(以後、単に「台湾」と総称する)が「日本に永久割譲」されたと言う事だけ覚えておいて下さい。

和20(1945)年8月15日、日本は『ポツダム宣言』を受諾し、大東亜戦争(太平洋戦争)に敗北しました。そして、『ポツダム宣言』第8項には、

「『カイロ宣言』の条項は履行せらるべく、又、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(われら)の決定する諸小島に局限せらるべし」
と謳われており、日本に対し、本州・四国・九州(南西諸島は除外)・北海道以外の領土 ── つまり、朝鮮半島・台湾・南樺太(サハリン島の内、北緯50度以南)・千島列島(「北方領土」を除く北千島)・南洋群島(サイパンやパラオ等)と言った海外領土(満州は「満州国」と言う独立国だったので「日本領」とは言い難い)に対する領有権を全て放棄する事を要求、日本はその要求を呑んで、台湾に対する「領有権」を放棄したのです。その後、日本は連合国(現実にはアメリカ一国)による支配を経て、昭和26(1951)年、『サンフランシスコ平和条約』(対日平和条約)の調印によって独立を回復、国際社会に復帰した訳ですが、同条約第2条b項の、
「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原(権限)及び請求権を放棄する」
に従い、日本は改めて台湾に対する領有権を放棄(と言うよりも、「領有権放棄」確認の意味合いが強い)したのです。さて、それでは、日本が放棄した台湾に対する「領有権」は、支那に移譲されたのでしょうか?

和27(1952)年、日本は当時の「中華民国」(台湾)との間に『日華平和条約』を締結しました。これは、『サンフランシスコ平和条約』への調印を拒否し、昭和47(1972)年の『日中共同声明』で国交を樹立(一般には「回復」と呼ばれている)した「中華人民共和国」(大陸=支那)よりも、20年も前の事です。さて、『日華平和条約』の第2条には、

「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約(「サンフランシスコ平和条約」の事)第2条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南諸島(現在の南沙諸島)及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」
と明記されており、日台両国はここで改めて、日本の台湾に対する領有権放棄を確認しています。その後、日本は「中華人民共和国」を承認し、台湾と断交した訳ですが、そこで、皆さんに問題です。「中華人民共和国」(支那)は「中華民国」の後継国家なのか? 答えは「YES」でもあり、「NO」でもあると言えます。

「中華人民共和国」(以後、「中国」と略)は、「中華民国」の後継国家か? 「中国」には台湾に対する「領有権」があるのか? 「中国」の前身である毛沢東の共産党は、大東亜戦争終結後、蒋介石の国民党(中華民国)との対日共闘体制であった「国共合作」を解消し、支那の支配権を巡って内戦に突入しました(国共内戦)。結局、内戦は共産党の勝利に終わり、1949(昭和24)年10月1日、毛沢東が北京で「中華人民共和国」の成立を宣言した訳です。しかし、内戦敗北の結果、「中華民国」が滅亡した訳ではありませんでした。蒋介石率いる国民党は、「中華民国」諸共(もろとも)台湾に移住し、今に至る迄「中華民国」は台湾に存続しています。つまり、「中国」は「中華民国」を滅ぼした訳では無いのです。

中華民国(大陸)─┬─中華人民共和国(大陸)
         │
         └─中華民国(台湾)
又、「中華民国」が台湾に移転してから一度たり共、「中国」が台湾を支配した事実が無い以上、「中国」が台湾に対する「領有権」を主張する事には最初から無理があるのです。その観点から言えば、「中国」が『日中共同声明』(1972年)や、『日中平和友好条約』(1978年)に於いて、繰り返し且つ執拗に、「台湾に対する領有権」について触れていると言う事は、裏を返せば、元々「中国」が台湾に対する領有権を「持っていなかった」から ── 「後ろめたさ」があったからこそ、一々、「執拗に確認する」必要性があったと取れるのです。(日本が対外条約に於いて「本州は日本の領土である」等と明記しなく共、諸外国にとっては、本州に対する日本の領有権は「当たり前」の事でしか無い) 一方、「中国」が「中華民国」の「後継国家」だったとしましょう。すると、「中国」の台湾に対する「領有権」主張に再び、立ち塞がる問題が生じるのです。

正元(1912)年、辛亥革命によってラストエンペラー(宣統帝=愛新覚羅溥儀)が退位、清朝が滅亡し「中華民国」が成立しました。清朝は、満州族が支那・モンゴル・チベット・ウイグルと言った地域を「征服」し成立した国家だった訳ですから、辛亥革命によって清朝が滅亡し「中華民国」が成立したと言う事は、取りも直さず、支那が満州族の支配から「独立」した事になります。それと同時に、支那同様、清朝に支配されていた他の地域(モンゴル・チベット・ウイグル)も「独立」したと言う事になる訳です。しかし、「中華民国」は清朝の「後継国家」であるとして、他の地域の「領有権」をも主張したのです。ここで、「中華民国」が清朝の「後継国家」であるかについては論じませんが、もし、仮に「中華民国」が清朝の「後継国家」であったとした場合、「中華民国」は清朝の「領土」を継承すると同時に、清朝が諸外国と締結した全ての条約についても「継承」する責任が生ずる筈です。すると冒頭に戻りますが、「中華民国」は清朝の「後継国家」として、明治28年、清朝が日本との間に締結した『下関条約』についても「履行義務」が生ずる事になります。そして、その『下関条約』第2条には、

清朝が領有する遼東半島(「三国干渉」によって返還)

台湾全島・澎湖諸島を「日本に対して永久割譲」する

と謳われているのです。そして、「中華民国」が清朝の「後継国家」であり、更に、「中国」が「中華民国」の「後継国家」だった場合、
清朝──中華民国──中華人民共和国
その「連続性」から見ても、清朝が日本との間に締結した『下関条約』についても「履行義務」が生ずる訳で、とりわけ、同条約第2条については、「後継国家」の責任に於いて遵守する義務が生ずる筈です。(日本では、明治維新以前に幕府が締結した対外条約について、維新政府がこれを継承した) つまり、「永久割譲」によって手放した領土に対して「領有権」を主張する事等、到底出来よう筈が無いのです。(ロシアはアラスカを米国に「割譲」したが、その後、一度たり共、米国に対してアラスカに対する「領有権」を主張してはいない) とは言え、日本も『サンフランシスコ平和条約』によって、台湾に対する「領有権」を放棄していますので、今更、日本が台湾に対する「領有権」を主張する事も出来ません。それでは、現在、台湾に対する「領有権」を持つのは何処の国なのでしょうか?

在、台湾に対する「領有権」を持っている国は果たして何処か? その答えは「台湾」(中華民国)と言うのが妥当な所です。繰り返しますが、『サンフランシスコ平和条約』には、

「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原(権限)及び請求権を放棄する」
とは書かれていますが、
「日本が放棄した台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原(つまりは「領有権」)は中国に移譲されるものとする」
等とは一言も書かれてはいません。(米国の台湾政策はこの認識に立っている) 書かれているのは、日本の台湾に対する「領有権放棄」だけです。つまり、見方を変えれば、台湾は日本によって、その「領有権」が放棄されただけで、何処の国にも「領有権」は移譲されてはいない、と言う事になります。もし、そうだとすれば、台湾の「領有権」は台湾住民に帰するのが一番自然な成り行きと言えます。ましてや、現在の台湾には、住民(国民)がおり、総統を頂点とする政府(行政院)及び議会(立法院)が組織され、各種法令・軍隊も保有しており、「独立主権国家」としての要素を充分満たしています。更に言えば、「独立主権国家・台湾」の「領有権」が台湾自身に無く、建国以来、一度も台湾を支配した事が無い「中国」にある、と言う主張の不自然さ。台湾は「中国固有の領土である」、と言う支那の主張を今迄信じて疑った事の無い方には、今一度、この点について考えて頂きたい、と思うのです。


   余談(つれづれ)

和47(1972)年4月13日、『民社党訪中代表団と中日友好協会代表団との共同声明』に明記された「復交三原則」の第3項は、この様なものでした。

「『日台条約』(『日華平和条約』の事)は不法であり、無効であって、破棄されなければならない」
日本が『日華平和条約』を締結したのは昭和27年の事で、相手は「中華民国」(台湾)でした。当時、既に大陸には「中華人民共和国」が成立していましたが、日本は台湾を「正統政権」と見なし、その台湾との間に「平和条約」を締結したのです。そして、その台湾はと言えば、「中国」の支配下には無く、独自の政府の下、「中国」とは異なる法制に従って国家が運営されていました。ですから、「中国」が『日華平和条約』を「不法」であるとか、「無効」であると言った主張をする事自体、日台両国に対して極めて非礼な物言いであると同時に、両国の「国家主権」を全く無視した、それこそ「中国」が決まって使う所の「内政干渉」に該当するのです。


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