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蒋 介石 Jiăng Jiè-shí, Chiang Kai-shek 1887-1975

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カイロ会談(左から、蒋介石、F.ローズヴェルト、W.チャーチル) 那の軍人・政治家。中華民国国府主席(在任 1928-1948)・中華民国総統(在任 1948-1975)。字(あざな)は中正。浙江省奉化県の出身。1907(明治40)年、保定軍官学校卒業後、日本の陸軍士官学校に留学。革命家・陳其美の下で、辛亥革命に参加。1922(大正11)年、広東軍政府に参加、孫文の信任を得て、ソ連視察後、黄埔軍官学校校長に就任した。孫文の死後、指導権を握り、1928(昭和3)年、北伐軍を指揮。同年、南京国民政府主席として全権を掌握、以後、反共政策を採る様になった。その後、共産党を駆逐して、ファッショ的な国内支配を目指したが、1936(昭和11)年末、西安事件で共産党に身柄を拘束されると、周恩来の仲介で、国共合作に応じ、以後、国防最高委員会主席・行政院長(首相)として、抗日戦を指導した。戦後、国共合作を放棄し対米従属路線に傾倒。1948(昭和23)年、憲政下初代大総統(国家元首)に就任したが、翌1949(昭和24)年、内戦に敗北し、台湾へ亡命。以後、1975(昭和50)年の死迄、国民党総裁・中華民国(台湾)総統として同島に君臨し、「大陸反攻」を叫び続けた。

(写真は「カイロ会談」でのスナップ。左から、蒋介石、F.ローズヴェルトW.チャーチル


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