Reconsideration of the History
61.ソ連は本当に「対日戦勝国」なのか? 終戦秘話-其の参-(1999.9.7)

前のページ 次のページ


和20(1945)年8月15日、大東亜戦争は日本の敗北で終結しました。その際、日本はナチス-ドイツ同様、米(アメリカ)・英(イギリス)・中(中華民国)・ソ(ソ連)の4ヶ国によって国土を分割支配される予定でした。結果的に日本は、事実上のアメリカ単独支配によって、国土の分割と言う最悪の事態は免れました。さて、ここで先述した「幻の日本分割」に関わる筈だった当事国を、今一度眺めてみましょう。アメリカは、開戦から終戦迄、常に日本と戦火を交えたので当然でしょう。イギリスも、緒戦において、日本に東洋艦隊を撃滅され、香港・シンガポール・マラヤ(マレーシア)・ビルマ(ミャンマー)を次々と攻略されたので納得できます。シナも、支那事変(日中戦争)で、日本と交戦していましたから理解できます。しかし、ソ連が、日本に宣戦布告したのは、昭和20年8月8日。なんと、終戦の僅か1週間前なのです。これで本当に「対日戦勝国」と言えるのでしょうか? と言う訳で、今回は「対日戦勝国・ソ連」の欺瞞について書いてみたいと思います。

和20年8月8日、ソ連は、翌9日から戦闘状態に入る事を通告してきました。これは、日本に対する事実上の「宣戦布告」でした。その後、反撃能力が殆(ほとん)ど残されていない日本軍に対して、ソ連軍は終戦迄の短期日に、大規模な攻勢をかけ、千島列島・南樺太・北朝鮮全域・満州国を次々と制圧していったのです。そして、先述の「日本分割」案では何と、北海道の占領支配迄、描かれていたのです。この様に見てみると、一応、日本に対して「宣戦布告」をしており、短期日とは言え交戦しているので、「対日戦勝国」と言うのも当然と思えます。しかし、その裏で、ソ連は重大なペナルティを犯していたのです。

『日ソ中立条約』。この条約は、昭和16(1941)年4月13日、ソ連の首都・モスクワにおいて調印されたもので、日ソ両国の相互不可侵及び、一方が第三国と軍事行動の対象となった場合の他方の中立等がを謳(うた)われていました。この条約は、ソ連にとっては、反共のナチス-ドイツと、その同盟国・日本(1936年、日独両国は、『日独防共協定』を締結していた)による、ソ連に対しての東西両面からの攻撃を回避する目的で、又、日本にとっては、南方進出の際、北方の安全保障を盤石にする目的で、共に必要だったのです。さて、日ソ両国の思惑が交錯した条約ですが、僅か調印2ヶ月にして、「最大の危機」が訪れます。6月22日、日本と同盟関係にあったナチス-ドイツが、ソ連に対して奇襲攻撃をかけ、独ソ戦が開始されたのです。7月2日、日本は、御前会議において『情勢の推移に伴う帝国国策要綱』(対ソ戦準備・南部仏印(ベトナム南部)進駐)を決定。続いて、大本営が「関東軍特別演習」(関特演)を発動、ソ満国境に70万の大兵力を集結させ、ソ連攻撃の時機を窺ったのです。しかし、ソ連の極東防備態勢が弱体しなかった事もあって、日本は対ソ開戦を踏みとどまり、こうして「最大の危機」は回避されたのです。しかし、再び「危機」は訪れました。そして、その「危機」は今度は現実のものとなったのです。

和20年2月4日、米ローズヴェルト大統領・英チャーチル首相・ソスターリン首相三国の首脳が、ヤルタにおいて会談し(ヤルタ会談)対独戦後処理とソ連の対日参戦についての密約 ── いわゆる『ヤルタ秘密協定』を結んだのです。そして、ソ連は『ヤルタ秘密協定』に従って、8月8日、対日宣戦布告をし、翌日から攻撃を開始したのです。しかし、これこそ、ソ連の犯した重大なペナルティだったのです。『日ソ中立条約』は、「条約の有効期間を5年間とし、廃棄の為には満期1年前の不延長通告を必要とする」共謳っており、条約の満期は昭和21(1946)年4月でした。日本の敗色が濃くなった昭和20年4月5日、ソ連は条約不延長を日本に対して通告してきました。つまり、条約が満期を迎える翌21年4月で廃棄する事を通告してきた訳です。そして、迎えたのが、8月8日の対日宣戦布告。確かに条約不延長を通告してきましたが、条約が満期するのはまだ8ヶ月も先の事。つまり、ソ連は、いまだ効力がある条約を一方的に破棄、対日戦を開始した訳で、これは重大な「条約違反」と言う事になります。

して昭和20年8月15日、日本は敗戦しました。『日ソ中立条約』を一方的に破棄して、千島列島・南樺太・北朝鮮全域・満州国を占領したソ連は、その勢いに乗じて、北海道の占領支配まで要求。その後、北朝鮮はソ連の息のかかった金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)父子を絶対指導者に仰ぐ独裁国家に、満州は中華帝国再興を夢見るシナに併合されました。そして、千島列島は、日本が今なお領有権を主張する「北方領土」(択捉島以南の南千島)を含めて全て、ソ連及びその後継国家であるロシアに占領されたままとなっています。以上の様に見てくるとお分かり頂けると思いますが、ソ連は、終戦直前 ── 日本の反撃能力が殆ど失われた絶妙のタイミングを選んで、期間が満了していない条約を一方的に破棄、対日戦を開始した訳で、正直言って「対日戦勝国」と言えるかどうか、甚だ疑問が残ります。言い方を変えれば、アメリカとの殴り合いの喧嘩で、「ピヨピヨ状態」(最早、殴り返す力も残っていない)の日本に喧嘩を仕掛け、「日本との喧嘩に勝った」と喧伝していると言うか・・・「終戦直前のどさくさ」に紛れて、火事場泥棒よろしく「北方領土を盗んだ」と言うか・・・私にはそう思えてなりません。(了)


   読者の声 (メールマガジン ≪ WEB 熱線 第1065号 ≫ 2008/08/29_Fri ― アジアの街角から― のクリックアンケートより)

アンケート結果


前のページ 次のページ