Reconsideration of the History |
62.『サンフランシスコ平和条約』に見る不合理 終戦秘話-其の肆-(1999.10.7) |
昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ講話会議(対日平和条約調印会議)の最終日、首相の吉田茂は一つの条約に署名をしました。通称『サンフランシスコ平和条約』と呼ばれる旧連合国との講和条約です。これによって日本は、旧連合国(ソ連・支那・インド等を除く48ヶ国)と講和し、ようやく、国際社会への復帰を果たしたのです。しかし、この条約はある意味で非常に「不合理」なものでした。と言う訳で、今回は、『サンフランシスコ平和条約』に見る不合理について書いてみたいと思います。
まず、下の表をご覧になって下さい。
『サンフランシスコ平和条約』の批准国
批准国名(アルファベット順) |
アルゼンティン(ARGENTINE) |
レバノン(LEBANON) |
オーストラリア(AUSTRALIA) |
リベリア(LIBERIA) |
ベルギー(BELGIUM) |
メキシコ(MEXICO) |
ボリヴィア(BOLIVIA) |
オランダ(NETHERLANDS) |
ブラジル(BRAZIL) |
ニュー・ジーランド(NEW ZEALAND) |
カンボディア(CAMBODIA) |
ニカラグァ(NICARAGUA) |
カナダ(CANADA) |
ノールウェー(NORWAY) |
チリ(CHILE) |
パキスタン(PAKISTAN) |
コスタ・リカ(COSTA RICA) |
パナマ(PANAMA) |
キューバ(CUBA) |
パラグァイ(PARAGUAY) |
ドミニカ共和国(DOMINICAN REPBLIC) |
ペルー(PERU) |
エクアドル(ECUADOR) |
フィリピン(PHILIPPINES) |
エジプト(EGYPT) |
サウディ・アラビア(SAUDI ARABIA) |
エル・サルヴァドル(EL SALVADOR) |
南アフリカ連邦(SOUTH AFRICA) |
エティオピア(ETHIOPIA) |
スリ・ランカ(SRI LANKA) |
フランス(FRANCE) |
シリア(SYRIAN ARAB) |
ギリシャ(GREECE) |
トルコ(TURKEY) |
グァテマラ(GUATEMALA) |
イギリス(UNITED KINGDOM) |
ハイティ(HAITI) |
アメリカ合衆国(UNITED STATES OF AMERICA) |
ホンデュラス(HONDURAS) |
ウルグァイ(URUGUAY) |
イラン(IRAN) |
ヴェネズエラ(VENEZUELA) |
イラク(IRAQ) |
ヴィエトナム(VIET NAM) |
ラオス(LAOS) |
日本国(JAPAN) |
これは、『サンフランシスコ平和条約』の批准国(現在は46ヶ国)の一覧ですが、ご覧になってお気づきの点はないでしょうか? 例えば、キューバやハイティ、アルゼンティン。日本は戦時中、パナマ運河を越えて大西洋に進出、カリブ海・南米諸国と交戦したのでしょうか? 次に、イランやイラク。日本はインド洋を越えてペルシア湾に進出、湾岸諸国と交戦したのでしょうか? 更には、南アフリカ連邦。日本はアフリカ東岸にまで進出、喜望峰沖で南アフリカと海戦でもしたのでしょうか? 答えは全て「NO」です。日本軍がこれらの地域に進出し、列挙した諸国と交戦した事等、一度もないのです。つまり、米英等はともかくとしても、戦時中、一度も交戦した事の無い諸国と、日本は「講和」した事になるのです。何とも不思議な話です。これを身近な話に置き換えてみましょう。すると、もっと分かり易くなります。
あなたが路地を歩いていると、向こうからAと言う男がB・Cの二人と共に近づいてきました。たまたま路地が狭かった事もあり、あなたとAの肩がぶつかってしまいました。これがきっかけで、あなたとAは殴り合いの喧嘩になってしまいました。しかし、Aの方が腕力が強かったので、あなたは喧嘩に負けてしまいました。その結果、あなたはAに土下座をして謝りました。すると、あなたとAの喧嘩を傍観していたB・Cの二人も、「俺達はAの仲間だから、俺達にも謝れ」と言ってきました。これに対して、あなたは納得がいきませんでしたが、成り行き上、B・Cの二人にも土下座をして謝る羽目になってしまいました・・・。
これを図式化すると、
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-> |
あ な た |
↑ ×喧嘩× ↓ |
|
A |
B |
C |
(当事者) |
(傍観者) |
|
-> |
あ な た |
| 謝罪 ↓ |
| 謝罪 ↓ |
A |
B |
C |
(当事者) |
(傍観者) |
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となる訳ですが、「あなた」を日本に、Aをアメリカに、B・Cをキューバやハイティと言った諸国に、そして、「喧嘩」を「戦争」に置き換えてみると・・・
日 本 |
|
アメリカ |
キューバ |
ハイティ |
(連 合 国) |
|
-> |
日 本 |
↑ ×戦争× ↓ |
|
アメリカ |
キューバ |
ハイティ |
(当事国) |
(同盟国) |
|
-> |
日 本 |
| 講和 ↓ |
| 講和 ↓ |
アメリカ |
キューバ |
ハイティ |
(当事国) |
(同盟国) |
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如何でしょうか? いかに、『サンフランシスコ平和条約』が「不合理」であるかが、お分かり頂けた事と思います。私自身は何も、日本が米英と講和した事が「悪い」とは思っていません。しかし、交戦相手国であった米英はともかく、一度も交戦した事がない ── 単に「連合国」に参加していたと言う理由だけで、日本が「講和」しなくてはならない理由は無いものと考えます。その意味では、新世紀を迎えるに当たり、『サンフランシスコ平和条約』について、今一度考えてみる必要があるのではないかと思います。