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スターリン Iosif Vissarionovich Stalin 1879-1953

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スターリン 連の政治家。ソ連共産党書記長(在任 1922-1953)・ソ連首相(在任 1941-1953)。本名はジュガシヴィリ(Dzhugashvili)と言い、グルジアのゴリ市の靴職人の子。スターリンとは、「鋼鉄の人」の義。神学校を中退、職業的革命家となり、論文『マルクス主義と民族問題』がレーニンに認められて、1912年、共産党中央委員に抜擢、頭角を現した。1917年、ロシア十月革命に際しては、革命を主導した「共産党中央」5名の一人に列せられ、民族人民委員(1917-1923)として「ソヴィエト連邦」の結成に成功。1922年、レーニンの推薦で、共産党書記長の要職に就任。以後、死去する1953年迄、実に30年にわたって、ソ連の最高指導者として党内外の実権を一手に掌握した。1923年、レーニンはその「遺書」の中でスターリンへの権力集中の危険性を警告したが、その後の党内論争の過程で、トローツキィ等を次々と排除・粛清し、「独裁者」としての基盤を確固たるものとしていった。1941年、連邦首相・赤軍最高司令官をも兼任、党・政府・軍全ての最高ポストを掌中にし、第二次世界大戦においては、F.ローズヴェルト(米国大統領)チャーチル(英国首相)と共に「三巨頭」として、独自の役割を果たした。しかし、1956年、死後3年目に開催された第20回党大会において、フルシチョーフ首相が「スターリン批判」を行うに及び、個人崇拝・民主主義ルールの逸脱が非難されるに至った。


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