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ヤルタ秘密協定 (1945) |
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昭和20(1945)年2月、ソ連領クリミア半島のヤルタで開催された米・英・ソ連三国の首脳会談 ── いわゆる「ヤルタ会談」(クリミア会議)において、締結されたソ連の対日参戦に関する秘密協定。その骨子は、ドイツ第三帝国降伏後2ヶ月ないし3ヶ月後に、ソ連が対日参戦する事、その見返りとして日本領である南樺太(サハリン)の返還と、千島列島(クリル列島)のソ連への引き渡しを決定した。この秘密協定に基づき、ソ連は同年8月8日、対日参戦し、同地域を占領した。戦後、日ソ国交回復交渉の席上、日本側が、歯舞(ハボマイ)諸島・色丹(シコタン)島・国後(クナシリ)島・択捉(エトロフ)島からなる南千島(南クリル) ── いわゆる「北方領土」の返還を要求したが、ソ連側は本協定を法的根拠として拒絶、現在に至っている。しかし、戦後、アメリカが本協定が領土移転の法的効果を持つものでは無いとして、日本の立場を支持している事からも分かる通り、正式な条約でも無く、かつ一方の当事者(日本)が何ら与(あずか)り知らぬ「秘密協定」に、国際法上の「法的根拠」は存在し得ない。従って、ソ連の「日ソ中立条約」一方的破棄と対日参戦、更に日本領である南樺太及び千島全島の占領は、正に「侵略」の名に相応(ふさわ)しい行為と言える。
1945年2月11日 ヤルタで署名
現代語訳
(本用語解説中に掲載する条文は、河原一敏氏入力のテキストを利用させて頂きました。ここに同氏に対し、謹んで感謝を申し上げます。)