Reconsideration of the History |
213.米国民ニ告諭ス!! もう好い加減、原爆投下に対する罪を認めよ!! (2009.8.6) |
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初めてご覧になった方もいるかと思いますので改めて説明しますが、これは、昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、米陸軍航空隊 第509混成部隊 第393爆撃戦隊所属 B-29長距離爆撃機「エノラ-ゲイ」号よりウラニウム爆弾「リトル-ボーイ」が広島に投下された凡(およ)そ1時間後、爆心地から約80キロの瀬戸内海上空に於いて米軍機が撮影した広島の光景です。そして、今日8月6日は、その広島への原爆投下から丁度64年目に当たります。その2日前に当たる8月4日、米国からこの様なニュースが伝えられました。
米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査
2009年08月05日 10:24 発信地:ワシントンD.C./米国 AFPBBニュース【8月5日 AFP】米キニピアック大学(Quinnipiac University)が4日に発表した世論調査によると、米国人の約3分の2が、第2次世界大戦中の64年前、米国が広島と長崎に原爆を投下したことは正しかったと考えていることが明らかになった。
この世論調査によると、当時のハリー・トルーマン(Harry Truman)米大統領が原爆投下を命じたことは間違いだったと回答したのは、回答者のわずか22%だった。
米国は1945年8月6日に広島に原爆を投下し、14万人以上が死亡した。同9日には長崎にも投下され、7万人が犠牲になった。
世論調査によると、原爆投下を支持する意見は年齢が上がるにつれ顕著に増加しており、55歳以上の回答者では4分の3近くが支持している。一方、18-34歳では50%、35-54歳では60%にとどまった。
キニピアック大学のピーター・ブラウン(Peter Brown)氏は、「第2次大戦の恐ろしさが記憶に残っている回答者は、圧倒的にトルーマン大統領の決断を支持している。その一方で、冷戦時代の核の恐怖の下で育った世代以下の回答者では支持する意見は少なくなっている」と指摘した。
今回の世論調査は、全米の2409人を対象に7月27日から今月3日までの期間に行われた。誤差はプラスマイナス2%。(c)AFP
6割超が「原爆投下は正当」=根強い肯定意見−米世論調査
8月5日7時13分配信 時事通信【ワシントン時事】米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で、64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが4日、分かった。投下を支持しない人は22%にとどまった。
オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。
調査は7月27日から今月3日にかけて、全米で約2400人を対象に実施された。男性の72%が投下を支持したのに対し、女性は51%。年齢層別では、 18〜34歳は半数が「正しかった」と回答し、「間違っていた」は32%だったものの、55歳以上では投下支持が73%に上った。
政党支持者別では、共和党支持者の74%が投下を評価、民主党支持者では49%だった。
米国が先の大戦に於ける戦勝国であった事は私も認めます。日本は米軍による空襲(爆撃)で国土の至る所が焦土と化してしまいましたし、海洋国家に於ける主戦力である海軍は事実上壊滅、昭和20年8月15日、昭和天皇の玉音放送(終戦の詔勅)が無く、其(そ)の儘(まま)、本土決戦に突入していたとしても、残存の陸軍兵力だけでは起死回生は絶対不可能。孰(いず)れにしても敗北していたであろう事は疑う可(べ)くもありません。ですから、私は日本の敗北を認めます。但(ただ)し、それは飽(あ)く迄(まで)も「軍事上の敗北」であり「政治上の敗北」でしかありません。米国は「軍事上の勝利」は収めました。然(しか)し、
米国は、「道義上の敗北」を喫した
と私は考えています。
米軍機によって広島に投下された原爆の爆心地、広島県物産陳列館。通称「原爆ドーム」(昭和20年秋頃、米軍撮影) |
広島・長崎への原爆投下こそ、「人道に対する罪」では無かったのか?
と言う事です。
米軍機によって長崎に投下された原爆の爆心地より約800m北東の浦上天主堂。クリスチャンが同じクリスチャン集う教会を残虐な爆弾を以て破壊した(昭和21年1月7日撮影) |
「戦前又は戦時中に於ける全ての一般人民に対する殺人・殲滅(せんめつ)・奴隷化・強制的移送及びその他の非人道的行為、もしくは政治的・人種的又は宗教的理由に基づく迫害の事」
と。広島への原爆投下により14万人、長崎への原爆投下により7万人にものぼる命が一瞬にして失われました。然も、夫々(それぞれ)たった一発の爆弾によってです。広島も長崎も軍事拠点都市ではありましたが、死亡者は軍人・軍属に限定されず、その大多数は一般人民でした。そして、辛うじて一命は取り留めたものの、今尚、後遺症によって苦しんでいる被害者がいるのです。これこそ、正に「人道に対する罪」に謳われている
一般人民に対する殺人・殲滅・非人道的行為
そのものでは無いのか? だからこそ、米国が例え戦勝国だとしても、「残虐極まりのない大量殺戮兵器」原子爆弾を二都市に投下し、多くの民間人を殺傷した事に対する「道義上の責任」があるのです。にも関わらず、米国民の多くが、今尚、広島・長崎への原爆投下を肯定している。この事を我々はもっと糾弾せねばなりません。
昨今の映画は、実写版に於いても VFX(Visual Special Effect:映像特殊効果)技術の格段の進歩により、実際に現場で撮影したものにコンピュータで作成したCG(Computer Graphics)を融合し、現実では表現不可能なシーンを可能にしています。その代表作とも言える米国映画に皆さんもご存じの『ターミネータ』シリーズがあります。この作品の中で、近未来、自我に目覚めた軍事管理コンピュータシステム「スカイネット」が人類に反旗を翻(ひるがえ)し、「審判の日」と称される対人類核戦争を起こすストーリーが語られているのですが、その中に、フェンスを掴(つか)んでいた人間が核兵器の強烈な熱線と爆風によって肉体が瞬(またた)く間に融解、骨だけになってしまうと言う何ともおぞましいシーンが登場します。この映画は米国製ですから、当然の事乍(なが)ら多くの米国民も観た訳で、上記のシーンも目にされている筈です。その上で、指摘しなければならない点があります。それは、この作品は近未来を舞台にVFX技術をフルに活用して製作された作品ではありますが、その中に登場する
核兵器は現実に存在している
と言う事です。詰まり、この作品に描かれている事は、人間型殺人ロボット「ターミネータ」の有無は別にしても、こと核戦争とそれに伴う甚大な被害に限っては何時(いつ)現実に起きたとしても何ら不思議では無いと言う事なのです。にも関わらず、米国民は映画の中でしか仮想体験出来ない「核兵器の威力」や「核兵器による被害」を遙か遠い世界での出来事の様に捉え、64年前、自国が実戦に於いて使用し、多大の死傷者を出した現実が存在するにも関わらず、原爆投下を未(いま)だ肯定している訳です。これは何とも救い難(がた)い事実です。
二機の旅客機に突入され煙を上げるニューヨークはマンハッタンの世界貿易センタービル (2001年9月11日) |
「グラウンド-ゼロ」とは、強力な爆弾、特に
核兵器である原爆や水爆の爆心地
を指して使われる事が多い用語であり、「我々が知っている歴史」上、世界初の核兵器爆発実験が行われた米国ネバダ砂漠の跡地や、他の核保有国が行った地上核実験の爆心地を除けば、都市に対して用いられてきたのは、事実上、広島・長崎の二都市のみです。その様な特別な意味を持つ用語「グラウンド-ゼロ」を、WTCの跡地に冠した米国民の神経を私は正直疑わざるを得ません。確かに、あの事件で多くの死傷者が出ました。然し、その被害者数は広島や長崎には遠く及びません。私は、米国民が広島・長崎への原爆投下の「非」(間違いだった事、投下する必要等無かった事)を認めた上で、WTC跡地に「グラウンド-ゼロ」を用いるのであれば、何ら異を唱えませんが、未だに原爆投下を肯定する様な状況に於いては、正直用いて欲しくはありません。
たった一発で一都市を灰燼に帰す事が可能な原爆(核兵器)はおろか、無差別絨毯爆撃で都市を焦土にする事が可能な焼夷弾でも無く、ましてや、ミサイルやダイナマイトですら無い旅客機の突入によって受けた被害に対してすら、深い悲しみに包まれ、「グラウンド-ゼロ」なる特別な意味を持つ用語を用いた米国民に私は言いたい。その何十倍、何百倍、何千倍もの無辜(むこ)の人命が、あなた方の国が落としたたった二発の原爆によって失われたのだと。そして、その道義的責任を何ら感じないのか?と。起きてしまった事は、どう足掻(あが)いても元には戻せません。亡くなった多くの方々を生き返らせる事は出来ませんし、後遺症に苦しむ人々から全ての苦痛を取り除く事も又、不可能な話です。だからこそ、せめて米国民には、
ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は間違いだった
と非を認め、亡くなった方々に哀悼の意を表して欲しい。何故(なぜ)、それすら出来ないのか? イラクやアフガニスタンでは、今尚、米軍の「誤爆」によって無辜の人命が失われています。その事に対する米国の姿勢は、正直真摯(しんし)さに欠けており、償(つぐな)いをするどころか、非すら認めません。アブー-グレイブ刑務所に於けるイラク人捕虜に対する屈辱的な虐待事件一つ取っても、米軍、米国の品性は疑わざるを得ません。
これでは、米国に対する反感や憎悪(ぞうお)が無くなる訳がありません。「テロとの戦い」を今尚続けている米国ですが、その「テロ」の原因を自ら作っている事に、政府・軍はおろか国民すら気付いていないのだとしたら、正に「滑稽(こっけい)」の一語に尽きます。米国には、「世界で唯一の超大国」や「世界の警察官」を自負する前に、先(ま)ずは過去の罪業 ── 「人道に対する罪」に値する広島・長崎への原爆投下 ── を、きちんと総括し清算してもらいたい。その事が出来て、初めて他国の問題に首を突っ込む資格が生じるのだと言う事を強く「告諭」(こくゆ;言い聞かせる事)したいと思います。(了)
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