Reconsideration of the History |
111.アメリカによる広島・長崎への原爆投下こそ「人道に対する罪」 (2002.12.21) |
昭和21(1946)年5月3日に開廷し、昭和23(1948)年11月12日に閉廷した極東国際軍事裁判 ── 所謂「東京裁判」については、以前のコラム(『1.東京裁判は法律上成立しない』)において、その違法性と判決の無効について書きました。その「東京裁判」の中で、日本の罪状として挙げられたものは、第一に、既に確立していた戦時国際法に基づいた「通例の戦争犯罪」、第二に、侵略戦争の計画・準備・開始・遂行等を犯罪とする「平和に対する罪」、そして、第三に「人道に対する罪」でした。
人道に対する罪
(『欧州戦争犯罪人裁判に関するロンドン協定附属 国際軍事裁判所条例』第6条より)
戦前又は戦時中に於ける全ての一般人民に対する殺人・殲滅(せんめつ)・奴隷化・強制的移送及びその他の非人道的行為、もしくは政治的・人種的又は宗教的理由に基づく迫害の事。
その中でも、特に「人道に対する罪」は、昭和20(1945)年8月に成立した『ヨーロッパ戦争犯罪人裁判に関するロンドン協定及び国際軍事裁判所条例』に於いて明文化され、昭和23年12月、国連総会に於いて『集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約』 ── 所謂『ジェノサイド条約』として採択(昭和26(1951)年1月発効)されたもので、前述の通り、「敗戦国」日本は「東京裁判」に於いて、この「人道に対する罪」で断罪された訳です。もっとも、私自身は、「平和に対する罪」にしろ、「人道に対する罪」にしろ、それらが戦後になって成立した「事後法」であった以上、そもそも、それらの罪状で日本が過去に遡って断罪されるいわれは全く無いと思っています。又、「敗戦国」日本を「人道に対する罪」で裁いたのなら、「戦勝国」米国の犯した「人道に対する罪」についても同様に断罪されて然るべきでは無いか共思っています。何故なら、米国は日本以上に「人道に対する罪」を犯していたのですから。そこで、今回は、米国が日本以上に犯していた「人道に対する罪」について書いてみたいと思います。
米国の犯した「人道に対する罪」とは一体何なのか? 結論から言えば、それは、広島・長崎に対して行われた「原子爆弾」(以下、「原爆」と略)の投下です。そもそも、米軍が原爆開発に着手するきっかけを作ったのは、「特殊相対性理論」で知られるアインシュタイン博士等、ナチス(ドイツ第三帝国)の迫害から逃れたり、あるいは国外追放されたりして、米国に亡命したユダヤ系科学者達でした。昭和14(1939)年、シラード・テラー・ウィグナーと言ったユダヤ系科学者等から、「核分裂が軍事利用される危険性があり、それをナチスが開発する可能性が非常に高い」との警告を受けたアインシュタイン博士が、その事についての手紙を書き、当時の米国大統領・ローズヴェルトに送った事で、米国の原爆開発はスタートしたのです。さて、ここで非常に重要な点が一つあります。それは、亡命ユダヤ人の警告と提言によってスタートした米国の原爆開発は、そもそも、ナチスに対して使う事を目的にしていたと言う事です。この点は非常に重要ですので、覚えておいて下さい。
さて、この様にして米国の原爆開発がスタートした訳ですが、研究段階から二つの核物質による二種類の原爆が開発されていた事を皆さんはご存じだったでしょうか? 一口に「原爆」とは言いますが、昭和20年8月6日の広島と、同月9日の長崎とでは使われた「原爆」が全く異なっていたのです。広島に投下された暗号名「リトル-ボーイ」(Little boy:チビ)と呼ばれた原爆は、「ウラン235」(235U)を原料にした「ウラニウム爆弾」、長崎に投下された暗号名「ファット-マン」(Fat man:デブ)と呼ばれた原爆は、「プルトニウム239」(239Pu)を原料にした「プルトニウム爆弾」だったのです。この二種類の原爆開発に関する話はここでは割愛し、話を進めます。
ドイツ第三帝国が、早い段階からカイザー-ヴィルヘルム研究所に於いて原爆研究を開始し、昭和14年9月には核分裂実験に必要なウランと重水(D2O:酸化ジュウテリウム)の市販禁止措置を執った事は事実です。しかし、ヒトラー総統の強い意向が働いた事で「実戦兵器としての原爆」開発は中止、第三帝国自体も昭和20年5月7日、連合国に対して無条件降伏した事で、ナチス製原爆は遂に日の目を見る事無く終わったのです。一方、米国の原爆が、「対ナチス用兵器」として研究開発されていた経緯を考えれば、第三帝国の崩壊によってその存在理由は無くなった筈でした。しかし、それは実戦に使われました。イタリア・ドイツが相次いで連合国の軍門に下った後も、尚、対米戦争を継続していた日本に対して。
昭和20年8月6日、広島上空で、同月9日には長崎上空で、米軍の新型爆弾 ── 「原爆」が炸裂しました。この市街地に対する原爆投下について、米国は一貫して、
日本本土上陸作戦(通称「オリンピック作戦」)が実行されていたとすれば、米兵に膨大な数の死傷者が出ていただろうし、終戦自体も遅れていた事だろう。又、広島や長崎が「市街地」とは言っても、双方共に「軍事都市」であり、当時、日本の軍需生産が町工場で市民を動員しての家内制手工業的手法を採っていた以上、「市街地」全体が巨大な軍需工場だった共言え、原爆投下は止むを得なかった。
と主張し、戦争の早期終結に寄与した、と迄言っています。しかし、この米国の主張には疑義を挟まざるを得ません。例えば、もしも、米国が原爆を投下せず、昭和20年8月15日に「終戦」を迎えなかったとしても、終戦がほんの数ヶ月、場合によっては一ヶ月先に伸びる程度だった事でしょう。又、当時の日本の国力を考えれば、最早、大規模な反攻作戦(攻勢)等とても出来無かったでしょうし、米国がその気になれば、日本本土上陸作戦等せず共、日本本土近海を四方八方から海上封鎖し、蟻の子一匹たり共抜け出せない状態にした上で、戦略爆撃機B-29による主要都市への空襲を継続、執拗に降伏を勧告していさえすれば、例え原爆投下が無かったとしても、御前会議に於いて昭和天皇が『ポツダム宣言』を受諾したであろう事は想像に難くありません。古来、様々な兵法家が戦争について論じていますが、「戦わずして敵に勝つ」事が最も上策とされていた事を考えると、多少、時間がかかったとしても、海上封鎖と、決して迎撃される虞(おそれ)の無い高々度からの空爆によって日本を締め上げ、じり貧になって降伏を受け入れる迄待つ方が、上陸作戦をするよりも、味方の損失が格段に少なく、正に「上策」だった筈です。それをせずに、原爆投下に踏み切ったと言う事は、全く別の「意図」があったと見るべきなのです。それでは、その「別の意図」とは一体何なのか? それは、「原爆」そのものにあったのです。
我々の知る「歴史」に於いて「原爆」=核兵器が実戦、しかも市街地に対して使用されたのは、広島・長崎が最初で最後です。そして、米国が開発した「原爆」が、「ウラニウム爆弾」と「プルトニウム爆弾」の二種類であった事は先述しました。その事を踏まえた上で、改めて広島・長崎への「原爆」投下を見つめ直すと、「別の意図」もはっきりと浮かび上がってきます。つまり、こう言う事です。
米国は、ヒロシマと言う実際の都市を使って、「原爆投下実験」を行った。しかも、米国が開発した「原爆」は二種類だったので、ナガサキを使って、二度目の「原爆投下実験」を行う必要があった。
広島への原爆投下によって、米国はその計り知れない威力と、膨大な数の死傷者が出た事を知った筈です。又、原爆投下が早期終戦を目的とした日本に対する「示威」に重点が置かれていたのだとすれば、軍から実情報告を受けた政府・大本営、そして、昭和天皇に強い衝撃を与え、日本から『ポツダム宣言』受諾を引き出すのに充分だった筈です。それを、日本の「反応」(『ポツダム宣言』受諾表明)を見る時間的猶予を与えず、最初の原爆投下から僅か三日後、長崎に対して別種の「原爆」を投下したとなれば、米国に「別の意図」があったと見るのが自然です。しかも、原爆投下直後に行われた日本人科学者や報道カメラマンの調査資料は元より、被爆者の日記や、病院の診断書等迄をも、戦後、進駐してきた米軍が押収した事や、米軍自体も現地で様々な調査を行った事を考えると、矢張り、「別の意図」があったと考えざるを得ず、米国が一貫して主張してきた「公式見解」は「別の意図」(本音)を隠蔽する為の「建前」でしか無いと言わざるを得ないのです。
さて、ここで話を、米国が犯した「人道に対する罪」に戻します。繰り返しますが、「人道に対する罪」は、
戦前又は戦時中に於ける全ての一般人民に対する殺人・殲滅・奴隷化・強制的移送及びその他の非人道的行為、もしくは政治的・人種的又は宗教的理由に基づく迫害の事。
と謳(うた)っています。そして、米国による広島・原爆に対する原爆投下は、一般市民に膨大な死傷者が出た事から、「戦時中に於ける全ての一般人民に対する殺人・殲滅」に合致し、正に「人道に対する罪」 ── 明確な「戦争犯罪」と言えるのです。又、平成14(2002)年6月、赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表部職員で、昭和20年8月30日、原爆投下後の広島を視察したフリッツ=ビルフィンガー氏の原爆機密報告書(緊急電報を含む)がICRC文書館で発見された事も、それを補強する有力な材料となっています。『ビルフィンガー報告書』には、
「(広島の状況は)筆舌に尽くし難い」
「病院での状況は想像を絶する」
等と書かれており、更に、
「原爆の殺傷能力は他の兵器とは比較にならない」
共指摘。ICRCが、組織として「核兵器の使用禁止を訴えるべき」であると迄提言しています。ICRCが「中立」的立場にあるにも関わらず、ビルフィンがー氏がその一線を越え、敢えてこの様な提言を本部に対して行ったと言う事、これこそが「原爆」が如何に「残虐な兵器」であり、「戦時中に於ける全ての一般人民に対する殺人・殲滅」どころか、「非人道的行為」そのものであったかを証明している訳で、米国による原爆投下を「人道に対する罪」と言わずして、一体何を「人道に対する罪」と言うのか? と言わざるを得ません。
最後に、昭和天皇の『終戦の詔勅』(大東亜戦争終結ノ詔書)を引用して、このコラムを締め括りたいと思います。
(前略) 先ニ米英二國ニ宣戰セル所以(ゆえん)モ、亦(また)実ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ、他國ノ主權ヲ排シ、領土ヲ侵スカ(おかすが)如(ごと)キハ、固(もと)ヨリ朕(ちん)カ(が)志(こころざし)ニアラス(あらず)。然(しか)ルニ交戰巳(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ、朕カ(が)陸海將兵ノ勇戰、朕カ(が)百僚有司ノ勵精(れいせい)、朕カ(が)一億衆庶ノ奉公、各ゝ(おのおの)最善ヲ盡(つく)セルニ拘ラス(かかわらず)、戰局必ス(かならず)シモ好轉セス(せず)、世界ノ大勢、亦我ニ利アラス(あらず)。加之(しかのみならず)、敵ハ新(あらた)ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ、頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ、慘害ノ及フ(およぶ)所、眞(しん)ニ測(はか)ルヘカラサル(べからざる)ニ至ル。而(しか)モ尚、交戰ヲ繼續(けいぞく)セムカ。終(つい)ニ我カ(わが)民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス(ならず)、延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ(すべし)。(後略)
余談(つれづれ)
今回、広島・長崎への原爆投下を例に、「大東亜戦争」(太平洋戦争)に於ける米国が犯した「人道に対する罪」について書いた訳ですが、米国が犯した「人道に対する罪」は、何もこれだけに限りません。皆さんもよくご存じの「東京大空襲」を始めとする日本各地に対する米軍 ── 戦略爆撃機B-29による空爆も、「人道に対する罪」に該当する米国が犯した「戦争犯罪」の一つです。日本軍の高射砲が届かず、迎撃戦闘機も辿(たど)り着けない高々度の上空から、遙か眼下の市街地に向けて、日本に多かった木造建築物の焼失に極めて効果的な焼夷弾をばら捲き、都市全体を住民諸共焼き殺した「本土空襲」。軍事施設も住宅地も全く関係なく、只々、敵国民である「ジャップ」(日本人)を皆殺しにする事のみを目的とした無差別爆撃は、「原爆」に勝る共劣らない「人道に対する罪」です。しかし、もっと驚くべき事があります。その「本土空襲」(戦略爆撃)の張本人であった米空軍参謀総長・カーティス=ルメイ大将に対して、昭和39(1964)年12月4日、日本政府から「勲一等旭日大綬賞」(勲章)が贈られていると言う事実です。何でも、航空自衛隊(空自)創設の功績が認められての事だそうですが・・・戦時中の「戦争犯罪」と空自創設の「功績」とを天秤にかけた時、果たして、どちらにより「重み」があったか等、考える迄も無い事であり、勲章なんぞを贈った当時の日本政府が、如何に「愚か」であったかを物語るエピソードの一つと言えます。(了)
読者の声 (メールマガジン ≪ WEB 熱線 第1185号 ≫ 2009/6/5_Fri ― アジアの街角から― のクリックアンケートより)
- まったくそのとおり。さらに、いわゆる「平和憲法」や戦後の「アメリカ製教育」も、明らかに「人道に対する罪」に含めるべきではないでしょうか。日本人はこれで明らかに精神面からの虐殺を受けたと思います。「過ちは二度と繰り返しませんから」の繰り言や米空軍参謀総長カーティス・ルメイ大将に「勲一等旭日大綬賞(勲章)」が贈られているという事実を見ても、日本民族の精神的虐殺の事実は、間違いなくあったと考えられます。 (Halさん 2009年6月4日)
- 前略 小生も原爆の被害については承知して居るが アメリカだけ責めるのは片手落ちだと思う。
聞きたいことは日本軍による延べ2万機による重慶爆撃はどう考えてるのか・
人道に対する罪ではないのか。
それも宣戦布告無き戦争行為であるが・
回答を待つ。 (権兵さん 2009年6月4日)
- 原爆開発に参加した1人の博士が、日本に来日するというドキュメンタリー番組がありました。
彼は、広島の原爆記念館にも行きましたが、全く罪悪感のかけらもありませんでした。
それどころか、原爆の威力について興味を示していたほどです。
そこでレポーターが質問。
「これだけの犠牲者を出して、心が痛まないのか」
博士「パールハーバーを思い出せ!多くの仲間が死んでいる!!」
ここでレポーターは黙り込んでしまいます。
バカだなぁ。
「犠牲になったのは軍人だろ?民間人を大量に虐殺するの話が別ではないのか?国際法違反だぞ、バカ!」といってやればいいのです。
それが言えない、萎縮している日本人が情けないですね。
原爆を落とすなら、日本軍基地に落とせば良かった、なぜ市街地に落としたのか??
明確な理由など言えないだろう。
こちらは民間人を大量に虐殺されている、その仕返しをしてもいいのならば、ニューヨークに原爆を10発くらい落としても文句はないよな、アメリカさん? (尊野ジョーイさん 2009年6月5日)
- 2種類の核兵器を人体実験として使用した、人類史上最悪の破廉恥な行為。未来永劫消せない悪行として記憶されるべきでしょう。巧みなWGIPですっかり去勢されてしまった戦後日本人は、米国側の都合の良いところだけを摘み食いした左翼の歴史観と相まって、すっかり毒が回ってしまいました。放射能の半減期よりも長いとされた魂の破壊はあとどのくらいで回復するのでしょうか。 (lonsome carboyさん 2009年6月5日)
- ーーー権兵様、
>聞きたいことは、日本軍による延べ2万機にのぼる重慶爆撃はどう考えてるのか。人道に対する罪ではないのか。それも宣戦布告無き戦争行為であるが。
先に仕掛けてきたのは支那国民党のほうである(正確には中共の謀略であるが) 宣戦布告もしていない、だから「支那事変」という呼称になっている。
重慶には、民間人と国民党軍(ゲリラ、便衣兵)が混在していたのが問題ではないのか。ヒスボラが民間人を盾にして攻撃しているようなものである。
敵を殲滅するには、民間人を巻き込んでもやむを得ないのではないか。
原爆投下のように、最初から民間人の殺傷を意図していたものではない。ーーーこれを、人道に反する罪と呼べるのか。
回答を待つ。 (尊野ジョーイさん)
- 重慶爆撃はハーグ条約違反か ―――――――――――― hideおじさん
竹下義朗さんの記事に対するコメントで、権兵さんと尊野ジョーイさんが応酬なさっている「重慶爆撃」について、横から口を挟んで申し訳ないですけど、ちょっと話をさせてください。
ーーー「戦争史上初の無差別爆撃」と槍玉に挙げられる重慶爆撃ですが、
尊野ジョーイさんが仰るように、一般住民が住んでいる同じところに、万を越える兵士を混在させた国民党にもルール違反があった、ということを認識していないと、正しい判断はできないのではないかと思います。
ましてや、日本軍からの攻撃が明白であるにも関わらず、重慶の一般住民に対する有効な手段を講じていなかった責任は、軽いとはいえないでしょう。
ーーーこれを踏まえた上で、少々理屈を述べさせていただきます。
日本のこの攻撃を、「ハーグ条約違反」だとの批判があることは間違いありません。確かに陸戦法規では、
「防守せざる都市=無防備都市、村落、住宅又は建物は、如何なる手段に依るも之を攻撃、又は砲撃することを得ず」
となっておりますから、一見すると日本軍の攻撃は「違反である」という認識になりそうです。
ただ、この陸戦法規の解釈に沿うと「軍事力の存在しない都市であれば、たとえそこに武器弾薬などの軍事物資があっても攻撃できない」ことになります。
ところが、これは現実的ではない、不合理であるとして、空戦法規にある「軍事目標主義」に沿って行われることを要件に、空爆は合法とされた経緯があります。
ーーー誤解を招くといけませんので、もう少しお話ししますと、
そもそも攻撃目標となるものには「防守都市」と「軍事目標」というものがあります。「防守」とは、都市の占領を企図して接近する敵に対し、軍隊が抵抗することを意味しており、このような都市に対しては攻撃が認められる(陸戦規約25条)とされております。
但し、同27条には、宗教施設・学術施設・医療施設などは、軍事上の目的に使用されない限り、また、可能な限り被害を免れるように努力しなければならないとする規定もあります。
一方「無防守都市=軍事力の存在しない都市」に対しての攻撃対象は「軍事目標のみに限定」され、民間のものに関しては攻撃が禁止される。この原則を軍事目標主義(Doctorine of Military Objective)といいます。
この解釈は陸戦だけでなく、海上や空中からの攻撃にも同様の制約があるとされるので(海軍砲撃条約第2条・空戦法規案第24条)、空爆もこの解釈に沿って行わなければなりません。
さらに、軍事目標への攻撃によって民用物に付帯的な被害が出ても、故意になされたものではなく、また、目標の破壊による軍事的な利益に比較して軽微な場合には違法ではないとされています。
簡単に言うと「軍事目標主義」というのは、軍事目標=糧秣、弾薬倉庫なども含む)があれば、防御の有無に関わらず攻撃の対象としてよい。但し、無駄に市民を殺傷するような攻撃はやめましょう、という考えです。
ーーーこれらを踏まえて考えると、
重慶には多くの国民党軍兵士が存在しており、尚且つ軍事施設があり、さらに重慶政府という中心があったわけですから、「無防守都市=無防備都市=軍事力の存在しない都市」とはいえません。
攻撃しても違反ではない都市と解釈して問題ないでしょう。
さらに、第1議定書58条「軍事目標近傍からの文民の移動・人口密集地の軍事目標設置の禁止」に反している国民党軍の行動を考えても、爆撃したことをもって日本だけ戦時国際法違反であるという非難は妥当だとは思えません。
勿論、重慶爆撃は「絨毯爆撃」という方法で、一般住民に甚大な被害が出たのだから、とても「軍事的利益に比較して軽微な場合とはいえない」ーーーいくら理屈を並べたところで戦時国際法違反であり、非人道的なことに間違いないーーーという批判は当然あるでしょう。結果、1万2千人以上の犠牲者が出たことは事実ですから、日本に非がないとはいえません。
しかし、そもそも蒋介石軍は、相当数の対空砲台を、わざわざ飛行場や軍事施設から市街地域に移動させ、また、軍需工場も地下に造成したため、日本軍はやむなく市街地域の絨毯爆撃を決定した、といういきさつがあります。
司令官として、一般住民が巻き添えになることが明白なのにも関わらず、敢て市街地に軍事施設を置いたことは、一般住民が犠牲になっても構わないという認識であろうことは疑いようもないことで、国民党軍の国際法違反も、十分認識しなければならないことだと思います。
自国民軽視ともいえるこの行動こそ「非人道的」と非難されても仕方がないのではないでしょうか。
- 「軍需工場も地下に造成したため」とありますが、何か資料はありますか?今でも工場跡地はあるのでしょうか? (張宋援さん 2009年06月28日)
- 地下軍需工場のことは、以前月刊「正論」の記事で読みました。また前田哲男氏の「戦略爆撃の思想」という本にも簡単ではありますが書かれていた記憶があります。
現在跡地(当時その多くが防空壕であった)がどうなっているか、詳しい資料はありませんが、戦後は共産党軍の武器工場として使われたとか、一部は遊戯場として使われていた、または現在バイク工場があるとか、いろいろな話があります。
直接は関係無いかもしれませんが、北村稔・林思雲氏の「日中戦争」なども参考になるかと思います。 (hideおじさん)
- >重慶の一般住民に対する有効な手段を講じていなかった責任は、軽いとはいえないでしょう。
蒋介石に、一般市民を守るなんて意識なんか最初からありませんよ。
彼は、退却中に日本軍を攪乱するために川にコレラ菌をばらまいています。=最初に細菌兵器を使ったのは支那国民党軍である。川下にいる支那住民が被害を受けることなどはお構いなしです。
台湾でも、3万もの知識人を虐殺しています。権力のためなら、一般市民の犠牲など何とも思わない、冷酷な性格の持ち主なのでしょう。----毛沢東にはかなわないけど────。
歴代の支那皇帝も一般市民には圧政を行ってきました、今の中共と同様です。
天皇と皇帝の統治は、月とすっぽんぐらいの差がありますね、日本に生まれて良かったです。 (緑の保守派の尊野ジョーイさん)
- まさに仰るとおりです。さんざん日本軍の残虐さを訴えておきながら、自分がやっていることはそれ以下のことです。
重慶に退却する際に、追撃を逃れるため黄河をわざと決壊させ、32万人もの犠牲者を出したこと。重慶の前にも、上海の租界を空爆し欧米人も含めて百人単位の犠牲者を生んだことなど、無差別爆撃を言うならこれも批判されて当然です。
許せないのは、国民党はこれを日本軍の仕業と虚偽の宣伝を行ったことです。自分の違反行為は棚に上げて、さらにそれを他人のせいにする。戦争のルールを守れというのならば、国民党こそルールを守れということです。
ーーー少なくとも日本軍は、自国民が黙って犠牲になって良いなどとは考えてもおりません。
重慶爆撃があったから広島・長崎、東京などの大都市空襲があったのだとか、東京裁判で重慶爆撃を問題にするとこれらの空襲も批判されるから、というような意見もあります。だから日本が悪かったのだとなるのでしょうが、
私は、このような方々はアメリカを知らないのではないかと思います。
だいたいアメリカが、人道的でフェアプレーであるならば、最初から原爆など使用しなかったでしょうし、大都市空襲もしなかったでしょう。
アメリカというのは「やられたら徹底的にやり返せ」の国です。今でも多くのアメリカ人が「原爆攻撃」は是としているのです。それが、重慶を取り上げると原爆も批判される、などというようなセンチメンタルな気持を持つはずがありません。
1940年代の週刊誌「ライフ」では、日本人を「インディアンと同様で排除して構わない人種」とする記事を出しております。こんな認識の国が、重慶と原爆を比較して弱気になどなるわけがないのです。
冷酷だというのなら、中国がそうであり、アメリカがそうであったのです。人を虫けら同様に考えていたのはどちらか、その反省なくして何の反省になるのでしょう。 (hideおじさん)
- 重慶爆撃を正当化することは、広島・長崎の原爆投下、東京やドレスデンの空襲を正当化する輩にお墨付きを与えることに他なりません。
我々の過ちは過ちとしてきちんと反省し、その上で先の大戦における米英の過ちをも追求することが必要なのではないでしょうか。 (げさん 2009年06月30日)
- げさん、コメントありがとうございました。
本文をお読み頂ければ理解いただけると思いますが、日本の重慶爆撃は正しいとは申しておりません。理由はどうあれ、この攻撃によって多くの一般人が犠牲になったことは疑いもないことですから、日本に非がないとは申せません。
しかし、何ゆえこのような多くの犠牲者が生まれたのか、日本が「侵略戦争」といわれるものをしなければこんなことが起こらなかった、という見方だけでは、悲劇の原因とするには無謀であると思います。
戦闘を行う当事者は、ルールを守る義務があります。ーーー戦争は単なる殺し合いではなく、国際法で認められた武力を使った政治に他ならないのですから為政者は特に慎重であるべきです。
それを、わざわざ犠牲者が出るように仕向けた中国の指揮官が無罪と言えるのか、責任を日本に押し付けるだけで、彼らの行動が正当化できるのか、大いに疑問を持っております。
ルールを守らない戦闘は、敵であれ味方であれ、勝者であれ敗者であれ、同罪ではないのではないでしょうか。
このことを明確にしないと、広島・長崎の原爆も、東京大空襲、ドレスデン空襲も、勝者の論理でしか語られなくなるのだと思います。 (hideおじさん)
- さぶろうさん、書かれていたコメントがその後見当たらなくなりましたが、何かの手違い? 失礼があってもいけませんので、ご返事させていただきます。
陸戦協定は所詮「戦争のルール」であって「平和のルール」ではありません。それを考えると、どんなに理由のある攻撃であろうが不合理であり、悲劇を生むことには変わりません。
戦争のルールでは「よい」からといって、平和のルールでも「よい」ものなどないでしょう。逆に考えれば、そもそも不合理である戦争を平和のルールで判断しても、双方相容れるものではないと思います。
そういった矛盾があるからこそ、指揮官はどんなルールであれ厳守する義務があるのだと思います。それを考えると日本軍は無罪だとは言えないでしょうし連合軍とて無罪だとは言えません。
戦争に勝ったから無罪で、負けたから有罪、という理屈などありえないのではないでしょうか。
重慶を考えた場合、住民が犠牲になるのが明らかであるのにも関わらず、敢て一般住民の住居の傍に対空砲や軍需工場を郊外から移設した国民党軍は、住民を盾にしたとしか考えられません。
さらに、重慶の前に「以水代兵」ということで、蒋介石が黄河を意図的に決壊させ、一説には32万人の犠牲者を出したことにも触れておくべきでしょう。
このような自国民軽視の作戦が果たして許されるものなのか、日本軍が侵略したからこうなった、という問題ではないはずです。他人のルール違反を責めるのは簡単ですが、自分たちのルール違反によってより多くの犠牲が出たことも指揮官は大いに反省すべきだと思います。 (hideおじさん)