Reconsideration of the History
110."The Flying Tigers" ── 「義勇軍」の名を借りた米国の対日先制攻撃 (2002.12.8)

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和16(1941)年12月8日。この日、何が起こったのか? 皆さんなら、ご存じかとは思いますが、言う迄も無く「真珠湾攻撃」 ── 大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった日です。しかし、在ワシントン日本大使館の職務怠慢によって、攻撃開始後に「宣戦布告」が米国側に届けられた事から、以後、米国側から宣戦布告無き攻撃 ── 「騙し討ち」(卑劣な攻撃:sneaky attack)と言うレッテルを貼られる事となったのです。しかし、私は、以前のコラム『86.「真珠湾奇襲」は嘘だった!! ── アメリカの対日先制攻撃』で、日米開戦当日、日本側の攻撃より1時間以上も前に、米国側が日本潜水艦を撃沈していた事を書きました。しかも、この時、米国側は日本に対して「宣戦布告」を行ってはいません。つまり、米国側が喧伝してきた「騙し討ち」を実際に行ったのは、実は今迄言われてきた日本では無く、喧伝してきた米国だった訳です。しかし、皆さんの中には、

それはあくまでも開戦当日の事で、時間差もたかだか1時間程度でしか無い。国家間の大規模な戦争と言うものは、往々にして散発的な衝突から始まるものだ。ましてや、小さな潜水艦の撃沈と、大規模な空爆とでは規模が違いすぎる。だから、日本が「騙し討ち」と言われても仕方が無い。

と仰る方もおありでしょう。確かに、攻撃規模を比べれば、その差は歴然としています。しかし、米国側の対日攻撃が更に時間を遡(さかのぼ)って行われていたとしたら、一体どう言う事になるのでしょうか? 実は、米国は「真珠湾攻撃」の8ヶ月も前に、対日開戦していたのです。と言う訳で、今回は、8ヶ月前の対日開戦を通して、米国による「騙し討ち」について書いてみたいと思います。

和16年4月15日。米国大統領・フランクリン=ローズヴェルトは、ある重要な大統領令(行政命令)に署名、直ちにその命令が実行に移されました。そして、その命令とは、

「米国空軍・海軍・海兵隊軍人は、クレア=リー=シェノールト陸軍大佐麾下(きか)の「フライング・タイガース」戦闘機部隊に志願すべし。」

と言うものだったのです。しかし、皆さんの中には、

「フライング・タイガース」(飛虎隊:The Flying Tigers)? 聞いた事が無いが、一体どんな部隊なんだ?

と思われた方もおありでしょう。

「飛虎隊」所属仕様 P-40戦闘機 「フライング・タイガース」(以下、「飛虎隊」と略)とは、蒋介石(支那軍)の空軍顧問だった米軍佐官・クレア=リー=シェノールト(支那名は陳納徳、日本では一般に「シェンノート」と書かれる事が多い)が、蒋介石夫人・宋美麗の資金提供を受け、米国陸海軍航空隊に所属していた一癖(ひとくせ)も二癖もあった「ならず者」の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名を以て創設した傭兵戦闘部隊「アメリカン・ヴォランティア・グループ」(American Volunteer Group:略称「AVG」)の事です。「AVG」は、機体の機首部分に吊り目と鮫口(シャーク・マウス)、主翼に支那(中華民国)のマーク「青天白日旗」が描かれた、当時の米軍最新鋭戦闘機・カーチスP-40 ── これは、米国で成立した『武器貸与法』に基づいて供与された機体 ── を擁し、一般には「飛虎隊」の名で知られており、「AVG」の名よりもむしろこちらの方が知名度が高く、「AVG」は知らないが「飛虎隊」は知っていると言う方が多いと思います。

て、この「飛虎隊」は、表向き「AVG」の「V」(ヴォランティア)が表している様に、あくまでも蒋介石軍を支援する為に馳せ参じた米国人の「義勇軍」とされていました。しかし、「飛虎隊」が主戦場としたのは、日本陸軍と蒋介石軍が「支那事変」(日中戦争)を戦っていた支那大陸であり、当時、蒋介石軍の航空兵力が日本陸軍航空兵力によって事実上壊滅状態にあった事を考えると、支那軍機として日本軍機と空中戦を演じていたのは、実質的に「飛虎隊」だったと言えます。又、ローズヴェルトの大統領令、構成員が米軍関係者、そして、使用機種が米軍の最新鋭戦闘機となると、これは単なる「義勇軍」どころの話ではありません。むしろ、米国が「国策」として「飛虎隊」を編成、支那大陸に派遣したと見るべきで、日米開戦の8ヶ月も前に、米軍は支那大陸に於いて、「宣戦布告」無きまま日本軍との戦闘状態に突入していたと言う事になるのです。

の後、「飛虎隊」は、日本陸軍が新たに「ゼロ戦」(三菱零式艦上戦闘機) ── 米軍が「ゼロ・ファイター」(Zero Fighter)として恐れた高性能戦闘機を支那戦線に投入した事で壊滅。昭和17(1942)年7月、「飛虎隊」の残存兵力は、米軍正規部隊である第10空軍の戦闘機大隊「チャイナ・エア・タスクフォース」(China Air Task Force:略称「CATF」)に編入、更に大戦後期には、米国第14空軍麾下の「中美混合航空団」(「美」は米国の事)として戦い、終戦を迎えたのです。この様に、支那事変における「飛虎隊」から、日米開戦後の「CATF」・「中美混合航空団」に至る一連の流れを見ていくと、そこには連続性があります。又、これは非常に重要な事なのですが、支那事変の「直接当事国」はあくまでも、日本と支那蒋介石政権)でした。米英ソが、軍事顧問団の派遣や物資援助をしていたのは事実であり、これが劣勢だった蒋介石軍を支えていた事は否めません。しかし、日米開戦前の段階に於いて、米国が「義勇軍」の名を借りた空軍部隊(飛虎隊)を派遣したとなると話は全く別です。これは、明らかに中立義務違反であり、国際法上許されるべきものではありません。ましてや、自国が宣戦布告無きまま、支那大陸に於いて日本軍との戦闘状態に突入していながら、「真珠湾攻撃」を日本からの「宣戦布告」が遅れた事で、「騙し討ち」等と称す事は正に言語道断と言えます。それこそ、米国側が喧伝してきた所の「Sneaky」(卑劣な)と言うものです。

後に、「真珠湾攻撃」直前の日本潜水艦撃沈や、「飛虎隊」の支那派遣とは別に、米国が自ら対日戦争を望んでいた事実を書いて締め括りたいと思います。それは、「真珠湾攻撃」の7ヶ月も前、昭和16年5月に、米国が蒋介石軍と共に、支那大陸から日本の主要都市に対する渡洋爆撃(日本本土空襲)を計画、スチムソン陸軍長官・ノックス海軍長官、更にはローズヴェルト大統領迄もが承認の署名をしていた、と言うものです。結局、この計画は、欧州戦線への爆撃機投入が優先された事により、実行が開戦後にずれ込んだ訳ですが、計画によれば、

  1. カーチス戦闘機350機・ロッキード-ハドソン爆撃機150機を投入し、大阪・神戸・京都・東京・横浜と言った日本の主要都市に対する爆撃を実施する。
  2. 爆撃に際しては、木造家屋の多い日本の事情に合わせて「焼夷弾」を使用する。

と言ったものでした。余談ですが、「焼夷弾」とは、戦時中、日本中を焦土に変えた米軍による空爆(空襲)で威力を発揮した兵器で、爆裂して目標を破壊するのでは無く、目標(主として日本の木造家屋)を焼き尽くす事を目的に、戦前から米軍内で独自に研究開発された「対日戦争専用兵器」でした。もしも、米国が本当に日本との戦争を望んでおらず、「真珠湾攻撃」が「騙し討ち」だったと言うのであるならば、わざわざ開戦前から日本専用の兵器開発に手を染める必要性等無かったのです。つまりは、如何に米国が、「真珠湾奇襲」(騙し討ち)・「日本軍国主義」等と喧伝し、戦後も、米国は「正義」・日本が「悪」だったと言う「日本悪者論」を展開しよう共、次々と明るみに出て来るこれらの事実を見れば、日米どちらにより大きな「戦争責任」があったか、如何に米国が「日本との戦争」(大東亜戦争)を欲していたかは、正に火を見るよりも明らかな事なのです。


   余談(つれづれ)

者で、米国に移住し現地の高校に通っている日本人学生から届いたメールにこの様な事が書かれていました。

「アメリカ人(学生)の大半は、『ハル・ノート』の存在すら知りませんでした。(中略) 友達にこの話をすると、"Oh,not again!" と煙たがられます。」

『ハル・ノート』(詳しくは、『85.交渉の余地無し!! ── 「ハル・ノート」に見るアメリカの「戦争責任」』を参照の事)の存在自体を全く知らないかどうかは別にしても、米国民の多くがそこに書かれていた内容迄、果たして知っているかどうか? 戦後半世紀を経て次々と明らかになる「大東亜戦争」の真実や、「湾岸戦争」・「エンロン事件」、更には「9.11」(2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が突入したテロ事件)と言った事件で、次々と明るみに出る事実を考えると、米国政府の「公式発表」は、戦時中の日本に於ける「大本営発表」と、五十歩百歩、大した違いはありません。それと同時に、米国民自体も、共産党一党独裁及び言論・思想統制下にある支那人民同様、米国政府とユダヤ系に牛耳られている大手マスメディア(米国三大ネットワーク等)によって、情報統制されていると言えるのです。(了)


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