Reconsideration of the History
72.満州にユダヤ国家を樹立せよ!!〜幻に終わった「フグ計画」(2000.6.22)

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巻義雄氏のベストセラー小説に『紺碧の艦隊』シリーズがあります。この小説中、もう一つの「第二次世界大戦」の歴史の中で、南樺太(サハリン)にナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人の為の「約束の地」として、日本が「東方エルサレム共和国」を建国させる、と言う場面があるのですが ── 実は、これには実際に一つの歴史上の「モデル」があったのです。すわなち、満州に「ユダヤ国家」を樹立させる!! と言うものです。結果的に幻に終わった訳ですが、今回は、荒巻氏が小説の中で甦らせた幻の「ユダヤ国家」について触れてみたいと思います。

は1917年。日本をして二度の大戦争(日清・日露戦争)に駆り立てた脅威の帝国・ロシアは、共産革命によって呆気ない結末を迎えました。世に言う「ロシア革命」ですが、この革命を指導したレーニン等がユダヤ系だった事と、『シオン賢者の議定書』なるプロパガンダ文書の流布によって、ユダヤ人が革命拡大によって世界支配を目論んでいると言う「ユダヤ脅威論」が欧州諸国に拡大し、ひいては、ユダヤ人排斥運動を増長させる結果となったのです。そして、その急先鋒が、アドルフ・ヒトラー総統率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党 略称:NSDAP)が政権を獲得したドイツ第三帝国だったのです。

方、極東は満洲。ロシア革命の混乱の中、満洲へと難を逃れたユダヤ人に対する処遇を、日本は真剣に考える必要に迫られたのです。1931年の「満州事変」以来、日本は国際社会 ── とりわけ米国との関係悪化に苦しんでいました。日増しに強まる対日圧力と、日本の生存圏確保と言う二つの命題をどう解決していくか? その方策として考えられたのは、当時、「亡国の民」として国家を持たず、欧州において排斥の対象となっていたユダヤ人に「約束の地」 ── 定住の場を満州に設けると言う奇抜なアイデアだったのです。

「河(フグ)計画」。これがこのアイデアに対する暗号名(コードネーム)でした。この計画は、満州国内に「ユダヤ人特別自治州」を設置すると言うもので、ユダヤ人に対して高度自治権を付与する事実上の「ユダヤ人自治国」(内モンゴルにおける徳王の「蒙古自治邦」の様なもの:『もう一つの満州国、幻の「内モンゴル独立国」』参照)と言えるものでした。しかし、この計画はそれに留まるものでは決してありませんでした。「ユダヤ人特別自治州」の設置によって、世界中に散らばるユダヤ資本からの投資促進による満州国、ひいては日本の国力活性化をも企図していたのです。又、対日関係が日増しに悪化の一途を辿っていた当時の米国において、政財界に多大な影響力を持つユダヤ人ロビーが存在しました。その最右翼と言えるのが、反日家で知られ、フランクリン・ローズヴェルト大統領の側近でもあった世界ユダヤ人会議議長・ラビ・スティーブン・ワイズだったのですが、その彼を通しての対米融和工作(「日米開戦」と言う最悪事態の回避)をも企図していたのです。この為に、陸軍・安江仙弘(1888-1950 大連特務機関長)、海軍・犬塚惟重(支那方面艦隊司令部付上海在勤海軍武官府「犬塚機関」長)の両大佐が東奔西走しました。しかし、事態は思わぬ方向へと進んでいったのです。

1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。翌28日、「フグ計画」の中心人物であった安江大佐が大連特務機関長を解任、予備役に編入され、安江大佐と在東京ユダヤ人キンダーマンによって、水面下で進められていた米国政府との直接交渉は、実現を目前にして潰えたのです。そして、同年12月8日、日本は遂に米英に宣戦布告。ここに「フグ計画」は事実上、終焉を見たのです。

後、シオニズム運動の高揚と、戦時中からの英国の「二重手形」(パレスティナ・ユダヤ両民族に対して、戦後、パレスティナの地に独立国家を建設する事を承認していた)によって、パレスティナ・ユダヤ両民族双方が、「同じ場所」(パレスティナ)に独立国家の建設を画策。結果的に、ユダヤ人が「イスラエル建国」(1948年)と言う形で独立国家建設を強行。その後の四次にわたる中東戦争の中で、大量のパレスティナ難民が生み出され、又、今尚続く「パレスティナ問題」として尾を引いてしまったのです。しかし、もし、戦前・戦中の激動の時期に「フグ計画」が実現し、満州の一部にユダヤ人の「約束の地」として「ユダヤ国家」が建国されていたとしたら・・・そして、英国が「二重手形」を振り出さなかったとしたら・・・ひょっとしたら、その後の中東戦争もパレスティナ問題も起こらなかったかも知れません。その意味では、ユダヤ人に対する「最終的解決」の好機を逸したと言う点で、非常に残念としか言いようがありません。

「フグ計画」 関連年表
年 次 歴史的事績
1897年 第1回シオニスト大会開催
1917年3月3日 ペトログラードのプチロフ工場で大ストライキ発生。ロシア全土に政治ストライキ・軍の反乱が波及(ロシア革命勃発)
1917年3月15日 ロシア皇帝ニコライ2世が退位宣言に署名し、ロマノフ王朝滅亡(ロシア二月革命)
1917年11月7日 ペトログラードでボルシェビキが武装蜂起し、ケレンスキー臨時政府崩壊(ロシア十月革命) 『シオン賢者の議定書』の流布と、ロシア革命指導者の多くがユダヤ人だった事から、欧州で反ユダヤ主義(ユダヤ人警戒論)が伸張。
1918年 日本政府、ロシア革命に伴う革命拡大阻止と「白軍」支援を名目に、欧米列強と共同で対ソ連干渉軍を派遣(シベリア出兵) 革命動乱の中、ロシア国内ユダヤ人の一部が満洲へ移住。
1922年6月 日本政府、シベリア派遣軍撤兵を声明(シベリア撤兵)
1931年1月 南満洲鉄道(満鉄)総裁・松岡洋右(のち外相)、『満蒙生命線』論を発表。
1931年9月18日 関東軍が柳条溝の満鉄線路爆破事件を口実に軍事行動開始(満州事変)
1932年3月1日 元清朝皇帝・愛新覚羅溥儀を執政(国家元首)に、満州国建国
1933年8月 満洲でユダヤ富豪子息シモン・カスペ誘拐殺害事件発生
1934年 鮎川義介(満州重工業開発総裁)、外務省より『ドイツ系ユダヤ人5万人の満洲移住計画について』(論文)を発表
1934年3月1日 満州国執政・愛新覚羅溥儀、皇帝に即位し、帝制に移行
1934年8月 ユダヤ人排斥を政策に掲げるナチス党首アドルフ・ヒトラー、ドイツ第三帝国総統(首相兼大統領)に就任。
ジュネーブで「第3回ユダヤ人大会」開催(対独ボイコット及び、「世界ユダヤ人会議」の開催を決議)
1936年 ジュネーブで「第1回世界ユダヤ人会議」開催
1937年11月6日 日独伊防共協定成立
1937年12月26日 ハルビンで「第1回極東ユダヤ人大会」開催
1938年1月 安江仙弘・陸軍大佐、大連特務機関長に就任
1938年4月 外務省、「回(イスラム)教及猶太(ユダヤ)問題委員会」設置
1938年11月3日 近衛文麿首相、『東亜新秩序建設』の声明発表(第2次近衛声明)
1938年12月6日 近衛首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬(しげあき)蔵相兼商工相による五相会議開催し、『猶太人対策要綱』決定
1938年末 ハルビンで「第2回極東ユダヤ人大会」開催
1938年12月20日 欧州より上海ユダヤ人租界に、難民500人が到着。以後、続々と難民が流入
1939年5月 上海ユダヤ人代表、犬塚惟重・海軍大佐(上海駐在武官)に対し、上海ユダヤ人租界への欧州ユダヤ難民流入制限を要請。
1939年8月 日本政府、上海ユダヤ人代表の要請に基づき、難民流入制限を発令
1939年9月1日 ドイツ軍、ポーランドに侵攻(第二次世界大戦勃発)
1939年10月 安江仙弘・大連特務機関長、満鉄調査部に対し、「猶太避難民収容地区の為の所要面積推定」の作成を指示。
1939年末 ハルビンで「第3回極東ユダヤ人大会」開催。満洲国内に、「ユダヤ人自治区」の設置を求める陳情書を採択。
1940年7月 安江大連特務機関長と在東京ユダヤ人キンダーマン、米国大統領側近の世界ユダヤ人会議議長ラビ・スティーブン・ワイズに日米関係打開についての工作打診。ワイズ議長より、米国国務省諒解下に対日政府直接交渉の用意あり、との回答。
1940年7月22日 松岡洋右、外相に就任
1940年7月下旬〜9月1日 駐リトアニア領事代理・杉原千畝、欧州ユダヤ人の為に、約4500通の日本通過ビザを発給。(うち、ユダヤ系は6000人)
1940〜1941年 日本通過ビザを取得したユダヤ人が日本に続々と入国。1941年に入ると、神戸在留ユダヤ人が1万人を突破。
1940年9月27日 日独伊三国同盟成立
1940年9月28日 東条英機・陸相、安江・大連特務機関長を解任し、予備役に編入。
1940年12月 松岡外相、安江の仲介で、ユダヤ人リュー・ジクマンと会見し、同盟国ドイツの施策に関わらず、ユダヤ人の安全保証を確約。
1941年8月 神戸在留ユダヤ人の内、再定住ビザの取得出来ない者に対して国外退去が発令され、ユダヤ難民の上海移住開始。上海ユダヤ人が1万7千人を突破。
1941年12月8日 日本軍、米英に宣戦布告(大東亜戦争勃発)
1942年1月19日 陸軍次官通達『時局に伴ふ猶太人の取扱に関する件』。この中で、戦時下におけるユダヤ人への差別に対する慎重な対応を政治的に考慮する事を指示。
1942年3月14日 陸軍次官通達により、1月19日付通達及び、1938年12月6日決定の『猶太人対策要綱』の廃止を決定。
1943年2月18日 陸海軍上海地区司令官布告により、上海市内居住無国籍者の共同租界虹口(ホンキュー)地区(通称「日本租界」、「虹口ゲットー」)移住を通達。
1943年5月18日 「虹口ゲットー」の設置
1945年8月15日 日本軍、無条件降伏(終戦)
1948年5月14日 テル-アビブにおいて、イスラエル共和国が成立。
1948年5月16日 イスラエル建国を承認しないアラブ諸国が、イスラエルへの攻撃を開始(第一次中東戦争)

参考文献


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