Reconsideration of the History
5.もう一つの満州国、幻の「内モンゴル独立国」 (1997.3.28)

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支那とモンゴル 国・内蒙古(モンゴル)自治区。ここに戦時中、「もう一つの満州国」が存在した事を皆さんはご存じでしょうか? この授業でも教えられる事の無い「もう一つの満州国」がどのような運命を辿ったのか? なぜ、「モンゴル」が分断されたままなのか? 書いてみようと思います。

ず、モンゴルの歴史について簡単にまとめてみましょう。モンゴルと言って、皆さんがまず思いつくのが、チンギス・ハン(ジンギスカン)では無いでしょうか? 部族抗争に明け暮れ、統一など夢の又夢だったモンゴル平原を統一し、一代で欧亜にまたがる強大な帝国を築いた事は、いくら歴史に疎い方でもご存じだと思います。そして、チンギス・ハンの孫、フビライ・ハンによる二度の蒙古襲来(元寇)もご存じでしょう。では、その後、モンゴルはいったいどうなったのでしょうか?

ンゴル帝国(元朝)は1368年、チンギス・ハンから数えて17代目の順帝トゴン・テムルの時、新たに勃興した明王朝によって遂に中国の支配権を失い、故郷のモンゴルへと帰って行きました。これ以後のモンゴル帝国「北元」と呼びます。しかし、北元は1388年、時の皇帝、天元帝トクズ・テムルが暗殺されるに及んで瓦解します。その後のモンゴルはタタール・オイラートと言う二大部族の抗争と和解を繰り返し、一時、衰退します。しかし、モンゴル王室の流れを汲むタタール族のダヤン・ハンにより再び勢いを盛り返し、その後、アルタン・ハン等の英主により、中国本土の明王朝を弱体化させ、モンゴル帝国が再興されるかに思われました。しかし、モンゴルの運命は思わぬ展開に翻弄されます。

王朝による周辺諸国への圧力が「北虜南倭」により低下すると、満州・青海・ヴェトナムと言った地域が一斉に自立を始めました。とりわけ、満州はヌルハチにより統一されると瞬く間に領土を拡大し、2代ホンタイジの時、モンゴル最後の正統なハン(皇帝)、リンダン・ハンよりモンゴル皇帝の正当なあかしと言える「元朝伝国璽」を得て、清朝を樹立します。そして、モンゴルはこれ以後、清朝に帰属する事となります。その後、時代は下り、1912年。辛亥革命により清朝が滅亡すると、中国は中華民国となり、チベットも独立を果たしますが、モンゴルは満州と共に、歴史の荒波の中、数奇な運命を辿ります。

亥革命の前年、外モンゴル(現在のモンゴル国)が活仏ジェプツンダンパ8世を君主に独立を達成、その後、モンゴル人民共和国を経て、現在のモンゴル国に至ります。独立を達成した外モンゴルとは反対に、内モンゴル(現在の中国・内モンゴル自治区)は中華民国の治下に、いまだ独立はもとより自治さえ認められませんでした。そんな内モンゴルに一人の男が現れます。

の男の名は、徳王。内モンゴル・チャハル部の王公の子として生を受けた徳王は、自分の住む内モンゴル(南蒙)外モンゴル(外蒙)、そして、ロシア領ブリヤート(北蒙)を統一し、大モンゴルを再興すると言う「汎蒙古主義」を胸に、1934年、百霊廟蒙政会を組織し国民政府(中華民国)に対し、完全独立の前段階、高度自治を要求します。しかし、蒋介石率いる国民政府は様々な理由で内モンゴルの自治を阻害します。そんな中、満州を勢力圏に納めた日本、とりわけ関東軍に注目した徳王は、日本の影響力を背景に中華民国からの独立を企図します。

等、内モンゴルの指導者達は、1936年、関東軍の支援の下、蒙古軍政府を樹立します。翌年には蒙古連盟自治政府と改称します。この時、内モンゴルには同じく日本の支援の下、察南自治政府・晋北自治政府が樹立されましたが、1939年、日本の興亜院蒙疆連絡部・蒙疆軍司令部の下で三自治政府は統合され、蒙古連合自治政府が樹立されます。そして、1941年には、非公式ながら、蒙古自治邦と改称し半独立国となります。そんな独立前夜だった内モンゴルの夢、終始、内モンゴル独立に尽力した徳王の夢が遂に叶う事はありませんでした。1945年、玉音放送。大東亜戦争は日本の敗戦により終結します。そして、日本の支援の下、成立した満州国と蒙古自治邦もその命運が尽きるのです。

の後の内モンゴルはそれぞれ、東部に東蒙古人民自治政府内蒙古第二自治共和国が、西部に徳王が組織した蒙古自治準備委員会蒙古自治政府が樹立されましたが、1947年、中国人民解放軍による「解放」後、内モンゴル自治区が設置され、遂に独立の夢はついえたのです。一方、内モンゴル独立運動の指導者・徳王は、1950年、張家口収容所に収監、1963年に釈放、そして、1966年、内モンゴル自治区フホホト市で逝去しました。それはモンゴルの「ラストエンペラー」の64年に及ぶ波乱に満ちた人生の終幕でした。


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