Reconsideration of the History |
73.東京は「首都」ではない!?〜異例中の異例だった「東京遷都」(2000.7.7) |
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東濃(岐阜県)・那須(栃木県)・阿武隈(福島県)・・・。昨今、「首都」東京(左写真:新宿副都心、東京都庁周辺)への一極集中を是正する目的から、首都機能移転 ── いわゆる「遷都問題」が取り沙汰されています。確かに江戸(東京の前身)は、慶長8(1603)年、徳川家康による「江戸開府」以来、徳川将軍15代のお膝元として、250年にわたって、日本の「政治の中心地」として機能し、明治維新後、東京と改称された後も、政治・経済・文化の中心地として繁栄してきたのは確かです。しかし、その東京が、実は「首都」では無いと言ったら、皆さんはどう思われるでしょうか? と言う訳で、今回は「首都」であって「首都」では無い?東京について書いてみたいと思います。
「今でも京都が日本の首都」・「東京の皇居は別荘で、京都の御所が本宅」。現在も、京都の人達の中には、この様に考えている人が少なからずいます。しかしなぜ、明治維新の際、東京に「遷都」して130年も経た今尚、この様な考えが残っているのでしょうか? 実は、幕末維新の動乱の中、京都から東京への「遷都」に際して、ある手続きがなされなかったからなのです。
明治2(1869)年3月28日、明治天皇が東京に着き、江戸城改め皇城(1888年、宮城と改称、現・皇居)へと入りました。いわゆる「東京奠都」(東京遷都;右絵)ですが、この京都から東京への「遷都」の際、明治天皇は「ちょっと(東京へ)行って来る」と言って、京都を出たと言います。「ちょっと行って来る」と言う以上、当然、「暫くしたら(京都へ)帰って来る」と言う訳で、当時の京都の人達は、東京への「遷都」では無く、せいぜい「行幸」程度にしか考えていなかったと言えます。又、「東京遷都」に際しては、ある手続きがなされませんでした。それは、時の天皇が、「何時いっか何処々々に都を遷す」と宣言するもので、いわゆる「遷都の詔勅」と呼ばれるものです。この「遷都の詔勅」は、奈良時代の平城京遷都(和銅3=710年)、平安時代の平安京遷都(延暦13=794年)の際、時の天皇から発せられました。しかし、「東京遷都」に際して、明治天皇は「遷都の詔勅」を発してはいないのです。
天皇名 | 都宮名 | 所在地 |
神武 | 大和国橿原宮 |
奈良県橿原市 |
綏靖 | 大和国葛城高丘宮 |
奈良県御所市 |
安寧 | 大和国片塩浮孔宮 |
奈良県大和高田市 |
懿徳 | 大和国軽曲峡宮 |
奈良県橿原市 |
孝昭 | 大和国掖上池心宮 |
奈良県御所市 |
孝安 | 大和国室秋津島宮 |
奈良県御所市 |
孝霊 | 大和国黒田廬戸宮 |
奈良県磯城郡田原本町 |
孝元 | 大和国軽境原宮 |
奈良県橿原市 |
開化 | 大和国春日率川宮 |
奈良県奈良市 |
崇神 | 大和国磯城瑞籬宮 |
奈良県桜井市 |
垂仁 | 大和国纏向珠城宮 |
奈良県桜井市 |
景行 | 大和国纏向日代宮 |
奈良県桜井市 |
景行・成務・ |
近江国高穴穂宮 |
滋賀県大津市 |
仲哀 | 長門国穴門豊浦宮 |
山口県下関市 |
筑前国橿日宮 |
福岡県福岡市 |
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神功皇后 | 大和国磐余若桜宮 |
奈良県桜井市 |
応神 | 大和国明宮 |
奈良県橿原市 |
摂津国難波大隅宮 |
大阪府大阪市 |
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仁徳 | 摂津国難波高津宮 |
大阪府大阪市 |
履中 | 大和国磐余若桜宮 |
奈良県桜井市 |
反正 | 河内国丹比柴籬宮 |
大阪府松原市 |
允恭 | 大和国遠飛鳥宮 |
奈良県高市郡 |
安康 | 大和国石上穴穂宮 |
奈良県天理市 |
雄略 | 大和国泊瀬朝倉宮 |
奈良県桜井市 |
清寧 | 大和国磐余甕栗宮 |
奈良県桜井市 |
飯豊青皇女 | 大和国忍海角刺宮 |
奈良県北葛城郡新庄町 |
顕宗 | 大和国近飛鳥八釣宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
仁賢 | 大和国石上広高宮 |
奈良県天理市 |
武烈 | 大和国泊瀬列城宮 |
奈良県桜井市 |
継体 | 河内国樟葉宮 |
大阪府枚方市 |
山城国筒城宮 |
京都府綴喜郡田辺町 |
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山城国弟国宮 |
京都府向日市 |
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大和国磐余玉穂宮 |
奈良県桜井市 |
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安閑 | 大和国勾金橋宮 |
奈良県橿原市 |
宣化 | 大和国檜隈廬入野宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
欽明 | 大和国磯城嶋金刺宮 |
奈良県桜井市 |
敏達 | 河内国百済大井宮 |
大阪府河内長野市 |
大和国訳語田幸玉宮 |
奈良県桜井市 |
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用明 | 大和国池辺雙槻宮 |
奈良県桜井市 |
崇峻 | 大和国倉椅宮 |
奈良県桜井市 |
推古 | 大和国豊浦宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
大和国小墾田宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
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舒明 | 大和国飛鳥岡本宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
大和国田中宮 |
奈良県橿原市 |
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大和国厩坂宮 |
奈良県橿原市 |
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大和国百済宮 |
奈良県北葛城郡広陵町 |
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皇極・孝徳 | 大和国飛鳥板蓋宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
孝徳 | 摂津国難波長柄豊碕宮 |
大阪府大阪市東区 |
大和国飛鳥川原宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
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大和国後飛鳥岡本宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
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天智・弘文 | 近江国志賀大津宮 |
滋賀県大津市 |
天武・持統 | 大和国飛鳥浄御原宮 |
奈良県高市郡明日香村 |
持統・文武・ |
大和国藤原宮 |
奈良県橿原市 |
元明・元正・ |
大和国平城宮 |
奈良県奈良市 |
聖武 | 山城国大養徳恭仁大宮 |
京都府相楽郡加茂町 |
摂津国難波宮 |
摂津国大阪府大阪市東区 | |
近江国紫香楽宮 |
滋賀県甲賀郡信楽町 |
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近江国保良宮 |
滋賀県大津市 |
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河内国由義宮 |
大阪府八尾市 |
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桓武 | 山城国長岡宮 |
京都府向日市 |
桓武〜孝明 | 山城国平安宮 |
京都府京都市上京区 |
安徳 | 播磨国福原京 |
兵庫県神戸市兵庫区 |
更に不思議な事は、明治維新に際して、京都から東京へ「遷都」したにも関わらず、東京を「首都」とする旨の法令も政令も存在しないと言う事実です。つまり、京都から東京への「遷都」は、ある意味で場当たり的に行われた事になり、東京は「遷都の詔勅」と言う「お墨付き」の無い中途半端な都だと言えるのです。しかし、皆さんの中には、「誰が何と言おうと、政府の所在地で政治・経済の中心地は東京なのだから、東京が首都である事に変わりが無い」と仰る方もおありでしょう。では、徳川時代の「首都」もやはり、京都では無く江戸だったと言うのでしょうか? なぜなら、江戸も徳川時代、幕府(政府)の所在地として政治の中心地だった訳ですから・・・。しかし、江戸は「首都」とは呼ばれませんでした。政治の中心地であったにも関わらず、「首都」はあくまでも京都でした。この様に見てくると、日本の「首都」の定義は、極めて曖昧なものと言えます。いや、そもそも日本人は、源頼朝が初めて将軍となり幕府を開いて以来、「政治の都」(鎌倉・安土・大坂・駿府・江戸)と「儀礼の都」(京都)と言う「展都」体制に慣れ親しんできたせいか、「首都」に対する厳密な定義を必要としなくなったのかも知れません。