Reconsideration of the History
178.日本4島、ロシア2島、間を取って折半? ── 「北方領土」等分ならこれを起点とすべし(上) (2007.1.13)

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成18(2006)年12月。一人の閣僚の発言が物議を醸しました。その閣僚とは外務大臣・麻生太郎氏。外交部門のトップである麻生外相が、日露両国間で膠着している北方領土返還交渉に付いて、

「島の面積も考えず2島だ、3島だ、4島だという話になれば、勝ち負けの話になり双方の合意がなかなか得られない」

と発言。歯舞(はぼまい)群島・色丹(しこたん)島・国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島の所謂(いわゆる)「北方領土」を、日露間で面積の上で等分するのも一つの解決策、とのアイデアを披瀝したのです。これは、日本が「北方領土」がロシア(以下、「露国」と略)に占領されて以来、4島一括同時にしろ、2段階(最初に『日ソ共同宣言』に基づき、歯舞・色丹の返還を実現。残る国後・択捉に付いては、日本の主権を露国に認めさせた上で、後日返還させる、と言う案)にしろ、返還方法の如何(いかん)に関わらず、一貫して4島全面返還を訴えている事に対し、もう一方の当事者である露国が、全島無返還、或(ある)いは、歯舞・色丹の2島返還で決着を図りたい思惑である事により、事態が一向に前進しない事に対する外務省のジレンマの表れでもある訳です。

「北方領土」の位置と各島の面積
北方領土地図 島名 面積
択捉島 3,183Km2
国後島 1,499Km2
色丹島 250Km2
歯舞群島 102Km2

(も)しも、日本が露国の主張を受け入れて、歯舞・色丹の2島返還で決着したとしましょう。確かに数の上では、4島の内の2島ですから、「半分還ってきた」様に見えます。然(しか)し、歯舞・色丹の2島では「北方領土」総面積の僅か7%でしか無いのです。これでは「半分」どころか1割にも満たない訳で、この様な案を日本が受け入れる事等、到底出来る筈がありません。かと言って、露国が日本の主張する4島全面返還を呑む共思えない。ならば、4島か? 2島か? と言う「島の数」では無く、「北方領土」総面積を両国で折半しよう、と言うアイデアを外交当局が考えたとしても何ら不思議ではありません。この場合、総面積 5,034Km2の半分の 2,517Km2を両国で分割する事となり、日本側に返還されるのは、歯舞・色丹・国後の3島と、残る択捉の5分の1と言う事になります。これならば、4島の内の3島の返還を獲得し、尚且つ面積の上でも半分を回復するのですから、2島返還に固執する露国に「大幅な譲歩をさせた」事にもなり、外交当局としてはまずまずの「成果」と言う事になるのでしょう。然し、どうせ「総面積を折半する」、その様な話をするのであるならば、(総面積の)起点を小さく見積もる必要等ありません。交渉の起点となる「数字」を弄(いじ)くり、少しでも日本側に有利な様に「操作」す可(べ)きです。と言う訳で、今回は、麻生外相の発言を元に、「北方領土を等分する」場合の一つの案を提示したいと思います。

突と言うか、何を今更(いまさら)と言うか、皆さんはそう思われるかも知れませんが、「北方領土」とは何なのでしょう? 単に、歯舞・色丹・国後・択捉の4島の事だけなのでしょうか? 今回の小論の核心は正に此処(ここ)にあります。時は、昭和天皇の『終戦の詔勅』『ポツダム宣言』受諾表明から3日後の昭和20(1945)年8月18日。条約違反を承知の上で『日ソ中立条約』を一方的に破棄し、終戦直前の8月8日に対日参戦したソ連軍は、この日、カムチャツカ半島の目と鼻の先にある千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に侵攻。同島攻略を皮切りに、ソ連軍は、9月5日、現在、日本が返還を求めている「北方領土」を含む、日本が嘗(かつ)て合法的に取得した正規領土である千島全島を占領したのです。(ソ連軍は、千島列島だけで無く、北緯50度以南の樺太島、所謂「南樺太」も占領した) そして、下に示したものが、日本が嘗て合法的に領有していた千島列島と南樺太(からふと)の地図です。

北方領土関連地図
北方領土関連地図
(クリックすると拡大詳細図が別ウィンドウで見られます)

(つ)まり、嘗ての日本が領有していた「北方領土」とは、歯舞・色丹・国後・択捉の4島だけでは無く、千島全島と南樺太であった訳です。尤(もっと)も、日本は、昭和26(1951)年9月8日に調印した『サンフランシスコ平和条約』の第2条

サンフランシスコ平和条約(抜粋)

第二条【領土権の放棄】
  1. 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太(からふと)の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
を受け容(い)れており、その点では、既に4島を除く千島列島(北千島)と南樺太に対する領有権を主張する事は出来ない、と言えます。然し、以前の小論(詳しくは、『137.「二島」でも「四島」でも無い対露返還要求を突き付けろ!! 北方領土考-其の肆-』を参照の事)でも指摘した事ですが、露国(当時のソ連)は、『サンフランシスコ平和条約』に調印しておらず(調印を拒否したと言う事は、日本による千島・南樺太の領有権放棄を承認しなかったと言う事になる)同条約第2条を根拠とした千島・南樺太に対する日本の領有権主張を阻止する権利を有していないと言う事になります。又、同条約第2条を正確に読む限り、日本が千島・南樺太の領有権を放棄する事が謳(うた)われているだけで、日本が領有権を放棄した千島・南樺太をソ連が「合法的に取得出来る」等とは只(ただ)の一言も明記されてはいません。従って、日本が領有権を放棄した千島列島と南樺太は、如何(いか)に戦後半世紀以上、露国が実効支配してきたとしても、厳密には国際法上、未(いま)だに地図上では何(いず)れの国の色にも塗り分けられる事の無い白色(無地)

領有権未確定地域

であり、露国による占領地域でしか無い訳です。(主として、中ソ対立時代の支那の世界地図上では、「北方領土」に対して、「蘇占」=「蘇聯(ソ連)による占領地域」との表記が為されていた) 言い換えれば、これは、千島・南樺太が、イスラエルによるヨルダン川西岸・ガザ地区(パレスチナ領)やゴラン高原(シリア領)同様の単なる

軍事占領地域

でしか無く、露国は、千島・南樺太に対する領有権を主張出来得る、積極的且つ明確な根拠を何ら持ち合わせてはいない、と言う事を意味している訳です。

(続く)


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