Reconsideration of the History
177.『大日本帝國憲法』第75条に違反 ── 故に『日本国憲法』は無効である (2006.12.9)

前のページ 次のページ


成18(2006)年12月6日、7日の二日間、私は京都へと赴(おもむ)き、『日本国憲法』無効論を法理面から展開されている、弁護士にして憲法学会会員の南出喜久治氏と会い、昼食を摂(と)りながら懇談。件(くだん)の『日本国憲法』をはじめ、『ポツダム宣言』『カイロ公報』(一般的には『カイロ宣言』の名で知られる)等について意見を交わしました。

も南出氏も、『日本国憲法』は無効である、との見解では一致しています。然(しか)し、私がその根拠を、『陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約』(以下、『ハーグ陸戦法規』と略)第43条(占領地の法律の尊重に関する条項)

       陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約

  第43条

国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。

に求め、進駐軍(日本駐留米軍)による占領統治期間の最中(さなか)に、連合国軍総司令部(以下、「GHQ」と略)によって作成された草案を「叩き台」(叩き台とは言え、日本側による大幅な変更を、GHQは認めなかった)にして改正(制定)された『日本国憲法』は、国際法違反であるから無効である、と主張しているのに対し、南出氏は単純明快に、『大日本帝國憲法』(以下、『帝國憲法』と略)第75条に違反する故(ゆえ)、無効である、と喝破(かっぱ)されました。そして、その『帝國憲法』第75条は斯(か)くの如(ごと)く謳(うた)われています。

       大日本帝國憲法

  第75条

憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

昭和天皇とマッカーサー元帥 (さて)、『帝國憲法』第75条にその根拠を求めた南出氏の論理は誠に明快でした。南出氏は、GHQによる占領期、詰まり、日本政府を統制下に置く米国の軍政期に於いて、その頂点に君臨し、昭和天皇と肩を並べて写真に収まったダグラス=マッカーサー最高司令官(右写真)を、権限の実態上、天皇陛下と同格 ── 詰まり、「事実上の摂政」と見なし、その「摂政」が昭和天皇に代わって政務を執(と)っていた期間に、『帝國憲法』や『皇室典範』の改正が為された事は、摂政設置期間中の憲法・典範改正を禁じた『帝國憲法』第75条に違反する為、無効であると主張した訳です。又、この論理に基づき、南出氏は、現行の『皇室典範』も法理面から見て無効であると喝破されています。

ころで、『日本国憲法』も現行『皇室典範』も無効であると主張されている南出氏ですが、では、どの様な対処をすれば良いか?との点についても、非常に単純明快であり、この点では私と意見が一致しています。曰(いわ)く、

原状を回復せよ!!

と。

(ここ)何年かで急速に社会に認知される所となり、世論を喚起した大事件と言えば、矢張り、その筆頭は北鮮(北朝鮮)による邦人拉致事件でしょう。そして、実際、拉致されていた邦人の方々(かたがた)の一部が帰国を果たした訳ですが、この問題で政府が採(と)る方針は唯(ただ)一つ。事の如何(いかん)に関わらず、拉致被害者の返還が先決と言うものです。例え、拉致被害者が北鮮にシンパシーを抱き、日本への帰国を拒(こば)んでいたとしても、先(ま)ずは、日本へ帰国させる事が先決、と言う「原状回復」路線です。この「原状回復」の論理を当て嵌(は)め、国際法『ハーグ陸戦法規』に違反し、尚且(なおか)つ、『帝國憲法』第75条に違反する所から、取り敢えずは「原状回復」=『日本国憲法』を一旦破棄し、『帝國憲法』を復活させる。現行『皇室典範』も一旦破棄し、旧『皇室典範』を復活させる。其処(そこ)をスタート地点にして、改正するなら改正すれば良い。これが、南出氏の考え方であり、私の考え方でもある訳です。

正=制定からして既に違反の産物である『日本国憲法』や現行『皇室典範』を、この儘(まま)の状態を基準に改正する事は、言わば、違反の産物を改正する事に他ならず、「違反に違反の輪を掛けた」正当性の欠如した産物を再生産するだけの事です。其(そ)の意味では、例え半世紀経(へ)ていようが、いまいが、正(ただ)す可(べ)き所を正してから、改正の手続きを踏む可きですし、それが為されて初めて、正当な『憲法』を日本国民の手に、正当な『皇室典範』を皇室の手に取り戻す事が出来るのでは無いでしょうか。


前のページ 次のページ