Reconsideration of the History
222.女系皇位継承容認論に対し、皇室に対する無礼を百も承知で物申す!! (2010.3.10)

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も時折読む国際情報誌『サピオ』の2010年3月10日号に、小林よしのり氏が皇位継承問題に関して、以下の様な事を述べておられました。曰(いわ)く、

天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」よりも「三種の神器(じんぎ)」よりも「男系」が重要だなんて理屈は、皇室典範改正問題が勃発した平成18年以降しか聞いたことがない」

と。そして、男系皇位継承論者を槍玉に挙げつつ、切々と女系皇位継承容認論を展開されていました。小林氏は日本人で恐らく其の名を知らぬ者が居ない程の超有名人ですし、掲載誌も世の保守派人士なら必ず一度は読んだ事のあるメジャーな雑誌です。そして、その記事を読んだ読者から、この様な御意見が寄せられたのです。

「SAPIO誌は読まれましたか? あの人は、<男系>は、<天壌無窮の神勅>や<三種の神器>より大事なんだろうか?との疑問を述べておられ、多分、この一言が、(保守派であり尊皇派である)私の心をぐらつかせたんじゃないかと思います。(中略) 私と似た様な割り切れない感情の者は、きっと日本全国にいるでしょう・・・」

小林氏が皇室・天皇をテーマに書いた『天皇論』は既に数十万部も売れており社会的影響は大きい。その小林氏が今回、男系皇位継承論を批判し、女系皇位継承を支持容認する論陣を張ったのですから社会的影響が小さい訳が無い。実際、今迄、男系皇位継承を支持してきた人達の中にも動揺が広がっています。然(しか)し、その事を百も承知の上で、又、相手が天下の小林氏である事を百も承知の上で、更に、これから私が書く事が時として皇室に対し無礼であろう事を百も承知の上で、今回は女系皇位継承論に対し反駁(はんばく)してみたいと思います。尚、本小論に対し批判・非難の向きもあろうかと思います。そして、メールで反論を寄せ、私に意見を求めてくる方もあろうかとは思いますが、一切返答致しません。(一々、返事を出す程(ほど)、今の私には時間的余裕がありませんので、予(あらかじ)めご諒解頂きたい) 以上、読者諸氏に於かれては、ご承知頂いた上で以下お読み下さい。

林氏は皇位の継承方法に付いて、

「天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下は、女系天皇を認める方向であるとしか思えない。だからこそわしも女系を認める主張をしているのだ!」

と述べています。然し、小林氏が天皇陛下の口から直接、女系継承を容認するお言葉を賜(たまわ)った訳でも何でも無く、とどの詰まりは「憶測」でしかありません。憶測で物を言うのであれば私も憶測で、

天皇陛下が男系継承堅持をご希望になられている

と言う事が出来ます。例えば、天皇陛下は歴代天皇の中でも宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)に最も熱心な事で知られています。1月1日の「四方拝」・「歳旦祭」に始まり、12月31日の「節折(よおり)」「大祓(おおはらい)」に終わる宮中祭祀は、「天皇」にとって最も重要な務めであり、皇室の伝統でもあります。その皇室の伝統を墨守為(な)されている天皇陛下が、同じく長き伝統に支えられてきた男系継承をご自身の代で放棄し、女系継承を容認為される等とは到底考えられません。「時代が時代だから」と言う向きもあるかと思いますが、ならば何故(なぜ)、この平成の御世(みよ)、21世紀に、古式に則(のっと)って宮中祭祀を熱心に為されておられるのか? 全く以て整合性がありません。

敬宮愛子内親王殿下
敬宮愛子内親王殿下
東宮家唯一の御子様として、女系容認派からは現『皇室典範』を改正し、皇太子徳仁親王殿下の次に御即位為されるのが筋と言う意見がある。然し、彼等は女性皇族が即位する事で、宮中祭祀を含む「天皇としての務め」と、女性にしか出来ない御懐妊・出産の双方を強(し)いられる事の酷さを理解しているのだろうか? 幼少の男子皇族が即位可能な年齢に達する迄の単なる「中継ぎ」としての女帝ならばいざ知らず、婿を迎え継嗣を期待される女帝は、「天皇」と「皇后」双方の役割を周囲から期待されるにも関わらずだ。悠仁親王殿下と言う男子皇族がお生まれになった以上、我々は愛子内親王殿下の御成長を静かに見守っていくのが筋であり、闇雲に皇位継承の渦中に引き摺り込む可きでは無い。
に女系皇位継承に道を拓(ひら)く敬宮(としのみや)愛子内親王殿下の皇位継承に付いて述べます。世の女系皇位継承容認論者の中には、天皇陛下の次は皇太子徳仁(なるひと)親王殿下が、皇太子殿下の次は東宮(皇太子)家唯一の御子様である愛子内親王殿下が皇位を継承す可(べ)きであると主張します。私は決して愛子内親王殿下を憎んでいる訳ではありませんし、ましてや毛嫌いしている訳でもありません。絶対に女帝として御即位為される可きに非(あら)ずとは言っていません。(詳しくは、小論『140.昭和22年の「皇籍剥奪」を撤回せよ!! ── 「皇統断絶」危機に対する処方箋(下)』を参照の事) 然し、現『皇室典範』に依り、皇太子殿下の次は秋篠宮文仁親王殿下が、秋篠宮殿下の次は秋篠宮家唯一の男の御子様である悠仁(ひさひと)親王殿下が皇位を継承するのが筋である訳で、其処(そこ)を無理にルールを変えて迄して、若い世代の男性皇族(悠仁親王殿下)を差し置いて女性皇族(愛子内親王殿下)に皇位を継承させようと言う向きには正直首を傾げざるを得ません。

現『皇室典範』に基づく皇位継承順位
   系図1.現『皇室典範』に基づく皇位継承順位 (皇太子殿下の次は、秋篠宮家に皇位が移動する)

女系継承容認論者が唱える皇位継承順位
   系図2.女系継承容認論者が唱える皇位継承順位 (東宮家が断絶しない限り、秋篠宮家に皇位は移動しない)

又、此処(ここ)からが皇室に対し無礼な物言いなのですが、内心では誰もが思って居乍(いなが)ら、憚(はばか)られる事として口に出さずに居る事であり、どうしても直視せざるを得ない、避けて通る事の出来ない極めて重要な事ですので、無礼を承知の上で敢えて書きます。

(も)しも天皇陛下の御在位中に、皇太子徳仁親王殿下が薨去(こうきょ)為される様な事態に直面した時、一体どうするのか?

『皇室典範』に依れば、皇位継承第1位である皇太子殿下が薨去為された際には、第2位である秋篠宮殿下が立太子し、秋篠宮家は新たな「東宮家」となる訳です。

現『皇室典範』に基づく皇位継承順位
   系図3.現『皇室典範』に基づく皇位継承順位 (今上陛下御在位中に皇太子殿下が薨去された場合、秋篠宮家に皇位が移動する)

若しも、その様な事態が訪れる前に、愛子内親王の即位に道を拓くルール変更が為されたとしたら、一体如何(どう)なるでしょうか? 愛子内親王殿下は「前東宮家」の皇女。一方、悠仁親王殿下は「新東宮家」の跡継ぎ。現『皇室典範』に則れば、天皇陛下の崩御(ほうぎょ)に依り、秋篠宮殿下改め「皇太子」文仁親王殿下が御即位為される事となる訳ですが、その際、次の皇太子をどちらにするのか?で混乱を来す恐れがあります。

女系継承容認論者が唱える皇位継承順位
   系図4.女系継承容認論者が唱える皇位継承順位
   (皇太子殿下薨去に伴い秋篠宮殿下が即位された場合、愛子内親王、悠仁親王の孰れが次の皇太子になるのか?)

高円宮憲仁親王殿下
高円宮憲仁親王殿下
殿下は今上陛下の従弟であり、直宮(じきみや)である皇太子殿下・秋篠宮殿下の良き相談役であり兄の様な存在であったと言われる。又、皇室と国民を繋ぐ「皇室(オク)のスポークスマン」の役を果たされ、次世代の皇室を担う存在であられたが、享年47歳と言う若さで薨去為された。その点からも、殿下の早過ぎた死は誠に以て惜しまれる。
お一方は元皇太子徳仁親王殿下の皇女、愛子内親王殿下。もうお一方は文仁「天皇」陛下の皇子、悠仁親王殿下。皇位継承方法に於いて、男系堅持か? それ共、女系容認か? と言った論議に勝る共劣らない大問題となる事は必至です。世は愛子内親王支持派と悠仁親王支持派に分裂。文字通り国論を二分し、最悪の場合、南北朝に匹敵する混乱を引き起こす事でしょう。この様な事態が決して起こらないと一体誰が保証出来るでしょう? 現に皇族の中にあって次世代を担うプリンスとの呼び声も高かった高円宮憲仁(たかまどのみや-のりひと)親王殿下は平成14(2002)年11月21日、在日カナダ大使館に於いてスカッシュの練習中に心室細動に依る心不全を起こされ、その儘(まま)帰らぬ人となりました。享年僅(わず)か47歳。高円宮殿下は、日本のサッカー、フェンシング、スカッシュの各協会及び、全日本軟式野球連盟の名誉総裁を務められ、「スポーツの宮様」として周囲からは全く健康面で不安を抱かれて等おりせんでした。にも関わらず、スカッシュの練習中に薨去された。詰まり、皇族と雖(いえど)も命ある生身(なまみ)の人間である以上、いつ何時(なんどき)どの様な事態に見舞われるか分からないと言う事です。そして、皇太子殿下とて例外ではありません。同じく生身の人間である以上、絶対に今上(きんじょう)陛下の御在位中に薨去されないとは言い切れません。明治以降、「偶々(たまたま)」運良く、明治から大正、昭和、今上天皇と、時の皇太子がすんなりと皇位継承出来たのであり、長い皇室の歴史の中では、皇太子の儘薨去された例もあるのです。それを踏まえた上で、小林氏は女系皇位継承容認(愛子内親王御即位支持)を打ち出されたのか? 私には大いに疑問です。そして、皇太子殿下が薨去為された場合、秋篠宮家が新たに東宮家となると書きましたが、その時、雅子妃殿下と愛子内親王殿下のお立場は如何(どう)なるのか? この極めて微妙な問題に対して、果たして小林氏は如何考えておられるのか? ましてや、宮内庁がどの様な対策を用意しているのか? 考えなければならない事が山積しており、軽々(けいけい)に女帝・女系皇位継承を容認出来る程、事は単純では無いのです。

後に、小林氏が容認した皇位女系継承に関し、実現する事で最も「喜ぶ」のは一体誰なのか?に付いて指摘します。小林氏は「天皇陛下に対しては、もはや単なる敬愛を超えた尊敬心を持っている」との事ですが、其の尊皇派(皇室支持派)とは対極にある、「皇室を廃絶したい」と考えている左翼(日本共産党や日教組等)が実は最も皇位女系継承を支持しているのです。曰く、男女同権・ジェンダーフリー。欧州では英国のエリザベス2世、デンマークのマルグレーテ2世、オランダのベアトリクスの各女王が現在在位しており、北欧スウェーデンでは、カール16世グスタフ国王の第一王子・ヴェルムランド公爵カール=フィリップ王子では無く、王子の姉・ヴェステルイェートランド公爵ヴィクトリア王女が王太子の地位にある。これらの実例を挙げて、日本でも男女の別に関係無く、第一子を跡継ぎにす可きだ等と言っている連中です。然し、彼等(かれら)が皇室の安泰=皇位の安定的継承を考えて女系継承容認を主張している訳ではありません。実は、彼等は男系継承堅持・女系継承容認で意見が二分している保守派・尊皇派を尻目に、皇位継承にとって男系継承が最も重要である事を充分承知しています。その上で敢えて、彼等は女系継承容認を主張しているのです。それは一体何故なのか? 彼等は皇室の伝統に反する「女系天皇」が誕生した時点で、

「皇室の伝統は男系による皇位継承だ。現天皇は女系であり皇室の伝統に反する。その様な天皇は最早(もはや)天皇でも何でも無い。皇室は即刻廃絶し、日本を共和制にす可きだ!!」

と主張する事でしょう。詰まり、皇位女系継承容認は「皇室を廃絶したい」連中を利するだけで、却(かえ)って皇室の安泰=皇位の安定的継承に危機を齎(もたら)す訳です。だからこそ、私は頑(かたく)なに皇位は絶対に男系が継承す可きだと主張し、同時に、男系男子皇族(の人数)を確保する為にも旧宮家の皇籍復帰を実現す可きだ、と言っている訳です。

林氏は、「陛下のお気持ち」は皇位女系継承容認であろうと述べていますが、皇室の伝統を大事に思われ、将来の皇室に思いを馳せられている天皇陛下が「皇室を廃絶したい」連中の思惑にお気付きにならぬ筈がありません。小林氏が一体どの様な考え、気持ちで皇位女系継承容認を主張されたのか、その「深層」は分かりかねますが、小林氏の記事を読んで「心がぐらついた」方に対し、私は改めて男系継承堅持を主張すると同時に、信念を持って男系継承を支持して頂きたい。其れが皇室の安泰と日本国の弥栄(いやさか)を願う国民の一人としての私の切なる願いでもあるのです。

   余談(つれづれ)

林氏は同記事の中で、

「敬宮愛子内親王殿下は将来、女帝となられるのか、民間人になるのか、それによって教育方針は全く異なってくるはずで、これも早急に決めなければならないところに来ているのではないか?」

共述べられていました。確かに教育方針が定まらなければ、最もお困りになられるのは愛子内親王殿下御本人である事は間違いありません。その点では私も同感です。但し、「女帝(天皇)即位ありき」を前提に帝王学教育を絶対にす可きかどうかとなると見解が少々異なります。

は江戸時代中期の享保元(1716)年。後に「八木(はちぼく)将軍」と渾名(あだな)され、更には「暴れんぼう将軍」として世人に長く愛される事となる徳川吉宗公が第8代将軍として江戸城に入りました。彼は初代家康公が御三家(尾張・紀州・水戸徳川家)を創設したのに倣(なら)って、御三卿(ごさんきょう;田安(たやす)・一橋(ひとつばし)・清水の三家。但し、清水家の創設はは吉宗の歿後)を創設。江戸時代三大改革の一つ「享保(きょうほう)の改革」を主導し、徳川中興の祖と称されています。その吉宗公ですが、彼は抑(そもそ)も将軍の座に就(つ)く可き人物ではありませんでした。

は貞享元(1684)年、御三家の一つ紀州徳川家第2代藩主・光貞(みつさだ)公の四男として、この世に生を享けました。当時は藩の大小、大名・旗本の区別無く、継嗣たる嫡男(ちゃくなん)と次男以下では待遇に歴然とした差がありました。世に言う「部屋住み」の身であり、嫡男を補佐するのが役目であった訳です。然し、運命の悪戯(いたずら)から、父より藩主を嗣いだ嫡男・綱教(つなのり)(第3代)、三男・頼職(よりもと)(第4代)が相次いで歿し、本来ならば一生、梲(うだつ)の上がらない人生を歩む筈だった吉宗に紀州藩主の座が巡ってきたのです。そして、皆さんもご存じの通り、その後、第7代将軍・家継公が僅か8歳で世を去り、徳川宗家男系男子が断絶した事から、宗家を継いで8代将軍として江戸入城を果たしました。正に「シンデレラ・ボーイ」と言っても過言ではありません。この様な人生を歩んできたのですから、彼は当然の事乍ら、藩主たる可き、将軍たる可き者が受けるであろう帝王学教育を幼少時代に受けては居ません。それでも、名君と称される将軍として歴史に名を残しています。

悠仁親王殿下
悠仁親王殿下
父君・秋篠宮殿下以来、実に41年ぶりにお生まれに為られた男子皇族。母君・紀子妃殿下の御懐妊が、丁度、女系天皇に道を拓く方向で『皇室典範』の改正が論議されていた最中だった事もあり、男系継承維持派からは「将来の天皇」御誕生・「天佑神助」・「神風が吹いた」等と称され、当時、日本全国が奉祝ムードに包まれた。
は帝王学教育が不要だ等とは言いません。然し、それを受ける可きは、愛子内親王殿下では無く、将来の天皇として誰もが確実視している悠仁親王殿下にこそ必要では無いか、と思うのです。縦(よ)しんば、愛子内親王殿下が御即位為される事となったとしても、その前提としての帝王学教育が必要不可欠だとは思っていません。(私は、旧来と同様「中継ぎ」としての女帝、或いは旧宮家や皇別摂家出身の男系男子との御成婚であれば、御即位に反対するものでは無い)

は持って生まれた能力や受けてきた教育も重要ですが、与えられた立場・地位に応じて後(あと)から付いてくるものも多々あります。それは、その人の経験の積み重ねであり、立場に応じた自覚と意識の為せる技でもあります。

、愛子内親王殿下に必要な事は帝王学教育では無く、自然を慈(いつく)しみ、天下万民(ばんみん)を慈しむ心の形成では無いでしょうか? 愛子内親王殿下が御即位為されるかどうかは別にして、それは決して無駄にはならないでしょうし、「敬宮(としのみや)」と言う御称号に相応(ふさわ)しく、国民を心から愛し、国民からも敬愛される、その様な存在となる事でしょう。(了)


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