Reconsideration of the History
221.北海道砂川市・空知太神社訴訟最高裁判決は「第二の神道指令」だ!! (2010.2.21)

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海道空知(そらち)支庁のほぼ中央に人口2万人弱の小さな市があります。その名を砂川市と言います。嘗(かつ)ては石炭産業で栄えたそうですが、全国的な炭鉱の相次ぐ閉鎖により今は昔。市内に菓子店が多い事から、市では現在「砂川スイートロード」として売り出しているそうです。扨(さて)、能書きはこの辺にして、この人口的に見ても決して大きくない一地方都市が全国的に知られる所となったのは皮肉にも、とある裁判が契機(きっかけ)でした。その裁判を「砂川政教分離訴訟」、或(ある)いは舞台となった神社の名を取って「空知太(そらちぶと)神社訴訟」と言います。それでは、件(くだん)の「空知太神社訴訟」に付いて簡単に説明しましょう。

空知太神社
これが訴訟の舞台となった北海道砂川市の空知太神社だ

成16(2004)年4月17日、砂川市内に住む無職・谷内栄日本バプテスト連盟会員のクリスチャン)、同・高橋政義(砂川政教分離を守る会会長・共産党員)の両氏が、市有地に神社や鳥居等の「宗教施設」があるのは憲法の「政教分離の原則」に反するとして、菊谷勝利市長を相手取り、建物の撤去等を求める住民訴訟を札幌地方裁判所に起こしたと言うものである。一審の札幌地裁、二審の札幌高等裁判所共に、原告勝訴の判決を下し、注目されていた最高裁判所に於いても平成22年(2010)年1月20日、一審、二審の判決を支持。原告住民の唱えていた「憲法違反」との主張が認められ、市の敗訴が確定した。

市有地を神社使用は違憲 最高裁、政教分離で新基準

2010年1月21日 中日新聞朝刊

 北海道砂川市が神社の敷地として市有地を無償で使わせていることが、憲法の政教分離原則に反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は20日、「特定の宗教を援助していると評価されてもやむを得ない」として違憲との判断を示した。その上で違憲状態を解消する方法には「撤去以外に現実的な手法があり得る」と述べ、この点を審理するよう札幌高裁に差し戻した。

 政教分離をめぐり最高裁は11件の憲法判断を示しているが、違憲判断は愛媛玉ぐし料訴訟判決(1997年)以来、2件目。

 政教分離をめぐる訴訟の判決は、これまで行為の目的や効果が社会通念上、認められる範囲にあるかどうかで判断する「目的効果基準」(津地鎮祭訴訟・大法廷判決=77年)が踏襲されてきた。

 今回の判決は、市有地の無償提供が、宗教団体への公金支出などを禁じた憲法89条に違反するかどうかについて「宗教施設の性格や無償提供の経緯、一般人の認識など諸般の事情を考慮し、総合的に判断すべきだ」とする新基準を示した。

 違憲判断が示されたのは、砂川市の「空知太(そらちぶと)神社」をめぐる訴訟で、原告は地元住民の谷内栄さん(79)と高橋政義さん(87)。

 判決は、町内会館と一体化した神社の建物について「建物は神道の神社の施設。祭事なども宗教的な行事だ」と指摘。「一般の人の目から見て特定の宗教に特別の便宜供与し、援助していると評価されてもやむを得ない」として、政教分離原則を定めた憲法20条や89条に違反すると結論づけた。

 神社の多くが戦後、国から土地の払い下げを受け、今も国や地方自治体の土地に立つ神社が多い点を踏まえ、「撤去以外に違憲状態を解消する方法を検討すべきだ」とした。

 判決は14裁判官中8人の多数意見。反対意見は2人で、うち今井功裁判官は違憲としたが「2審判決は正当で、(高裁への差し戻しではなく)市側の上告を棄却すべきだ」と述べた。堀籠幸男裁判官は唯一、合憲と判断した。甲斐中辰夫裁判官ら4人は「2審の認定事実では判断できない」として憲法判断を示さなかった。

 砂川市の別の市有地にあった「富平神社」をめぐり、市が市有地を町内会に無償譲渡した行為の是非が争われた訴訟の上告審では、大法廷は「無償譲渡は違法状態の解消が目的であり、手段も相当」として全員一致で合憲とする判決を出した。

 ■菊谷勝利・砂川市長の話 違憲状態を解消するため、関係者と話し合って解決を図りたい。(鳥居などを)撤去するのがよいと思うが、できなければ、どういった方法なら理解が得られるのか、話し合っていきたい。


◆判決の骨子

  1. 砂川市が市有地を空知太神社に無償使用させている行為は、憲法の政教分離原則に違反する。
  2. 宗教的施設に対する公有地の無償利用の是非については、施設の性格や経過、一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らし判断すべきだ。
  3. 特定宗教への特別な便益の提供、援助と評価されてもやむを得ない。
  4. 違憲状態の解消には神社撤去や土地明け渡し以外にも合理的で現実的手段があり、審理を尽くすため2審に差し戻す。

、最高裁に於いて、「神道」の施設である空知太神社に砂川市の市有地が無償使用されている事は「憲法の政教分離原則に反する」とした判決が下された訳ですが、実は札幌高裁に於ける二審(控訴審)判決後、非常に興味深い事が起きていました。それは「日本キリスト教協議会」(以下、「NCC」と略)の「靖国問題委員会」が平成19(2007)年7月2日、菊谷・砂川市長に対し、「最高裁へ上告しないよう求める声明」を発表していた事です。(以下、全文)

空知太神社違憲住民訴訟判決を受けて、上告しないように求めます

空知太神社違憲住民訴訟控訴審判決を受けて、上告しないように求めます。

2007年7月2日

札幌高裁(伊藤裁判長)は、去る6月20日谷内栄さんと高橋政義さんが訴えていた「空知太神社が市有地に建設され、内部に天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)ったほこらがあり、屋外には鳥居も設置されている」ことは日本国憲法第20条「政教分離」原則に反し違憲であるとの訴えに対し、一審札幌地裁判決同様、違憲と判決しました。

判決文は「市有地内の施設は明らかに宗教施設。ほこらや鳥居などの撤去を求めない市長の行為は、政教分離原則に違反する」と明確に違憲行為であることを指摘しています。

愛媛玉串(たまぐし)料裁判最高裁判決(1997年4月2日)では、「県が本件玉串料等を靖国神社又は護国神社に玉串料等を奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖国神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。そうすると、本件支出は、同項の禁止する宗教的活動を行うためにしたものとして、違法というべきである」と県が靖国神社の例大祭等に際し公金を支出し奉納したことは憲法20条3項、89条に違反するとの明確な判決がだされているところであります。

私たち日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会は、1審に続き2審においても明確な政教分離違反が指摘された事実に鑑み、砂川市は上告をせず、空知太神社にかかわる宗教施設の撤去要請を速やかに行うことを求めます。

日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会
委員長 須賀誠二

〒073-0195北海道砂川市西6条北3丁目1-1
       砂川市役所  菊谷勝利市長
Eメール goiken@city.sunagawa.lg.jp
fax  (0125)54-2568

これは、とどの詰まり、英国で生まれたプロテスタント系キリスト教(バプテスト)の流れを汲むNCCが、日本神道に対して売った喧嘩と言っても過言ではありませんし、二審判決後直後に出された声明は、見方を変えれば「砂川市長に対する恫喝」 ── 宗教団体による政治介入共取れます。言わば、往古(いにしえ)の都に於いて、南都(奈良興福寺)・北嶺(比叡山延暦寺)の僧兵が、その武力を背景に朝廷を威圧、自分達の要求を飲ませ様としたのにも似ています。そして、此処(ここ)で私が何を言いたいのかと言うと、NCCの声明による砂川市長への圧力そのものが、実は彼等(かれら)が空知太神社を通じて主張した「憲法の政教分離原則違反」の一つ、宗教の政治的活動に該当するのでは無いかと言う事です。詰まり、NCCは一方で神道施設の「憲法違反」を主張してい乍(なが)ら、もう一方で自ら同じ轍を踏んでいた事になる訳です。それにしても、このNCCと言う団体。どうも一連の声明を読んだ限り、反皇室(天皇陛下御在位20年記念式典挙行の中止を総理・衆参両院議長に陳情した)・反神道(直近の声明では、鳩山総理に対してどころ、何と国家の官職に無い自民党の谷垣総裁に対しても、伊勢神宮へ参拝しない様求めた)・反国民国家(所謂『在日外国人参政権法』どころか、何と在日外国人に日本人と同等の権利を保障する『外国人住民基本法』の制定運動をしている)を明確に打ち出し、自分達の信奉するキリスト教が日本の「国体」(「国柄」と言い換えても良い)に優越するとでも考えているらしい。

ころで、今回の最高裁判決は極めて重要且つ深刻な問題を提起しました。それは言い換えれば、明治維新直後の仏教弾圧運動、所謂(いわゆる)「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」や、終戦後にGHQが発した「神道指令」にも匹敵するもの。私は今回の判決に、「第二の神道指令」と言っても過言では無い、日本人の宗教・信仰の破壊を助長加速させる危険性を見たのです。

森喜朗元総理 て、現職の総理が「日本の国、正(まさ)に天皇を中心としている神の国」と発言したが為に、物議を醸(かも)した事がありましたが(平成12(2000)年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会の席上、森喜朗総理(右写真)が行った挨拶に於ける発言)、私はこの発言は誠に以て正しいと思っています。「神の国」と言うと、どうも神道と直結する向きがありますが、日本は「八百万(やおよろず)の神」住まう国と称されるが如く、実に多くの神様が居ます。その神様全てが神道由来の神では無い事を皆さんはご存じでしょうか? 例えば、皆さんにもお馴染(なじ)みの「七福神」 ── 恵比寿(ゑびす)・大黒天・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(弁才天)・福禄寿・寿老人・布袋(ほてい)の七柱の神様の事 ── ですが、実はこの中で日本の神様は恵比寿だけだと言ったら、中には驚かれる方もおられるかも知れません。然(しか)し、これは事実です。例えば、「商売の神」として崇敬される大黒天。米俵(こめだわら)に乗った大黒様が打ち出の小槌(こづち)と福袋を夫々(それぞれ)の手に持つ典型的なイメージは、日本神話に登場する「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の「大国」と言う漢字が音読で「ダイコク」と読める所から同一視される様になっただけで、元来は我々のイメージとは全く異なるヒンドゥー教やチベット仏教(ラマ教)に於ける「世界の破壊神」、マハー-カーラ(Mahākāla:「マハー」は「大いなる」、「カーラ」は「黒」を意味し、総じて「大いなる闇黒」を意味する)でした。

大黒天 マハーカーラ
日本の「商売繁盛の神」大黒様(左)は、元来は印度の「世界の破壊神」マハー-カーラ(右)だった!!

又、毘沙門天(ヴァイシュラバナ)と弁財天(サラスヴァティ)は元来は印度のヒンドゥー、後に仏教の神となり、福禄寿と寿老人は支那の道教の神、布袋に至っては唐末に実在した仏教僧だと言われています。正に七福神は神々の多国籍混成部隊とでも呼べる存在だった訳です。然し、日本で今も信仰されている神様は七福神に限りません。

州には男女の神様が寄り添う何とも微笑(ほほえ)ましい姿の石像が安曇野(あずみの)を中心に至る所にあります。所謂「双代(そうたい)道祖神」と呼ばれる神様です。これは、古くは遠く古代シュメール(現イラク南部に栄えたメソポタミア最古の文明)に起源を発しています。

長野県上田小県地方に残る双代道祖神 シュメールの遺跡から出土した王と王妃の像
長野県上田小県地方に残る双代道祖神(左)は、シュメールの遺跡から出土した王と王妃の像(右)が原型だ

道祖神には双代道祖神以外にも、甲州独特の「丸石道祖神」や、男根をモチーフとした物、更には石碑に単に「道祖神」の文字が刻まれただけの物迄様々な種類があります。そして、これらは古くから村の辻々(つじつじ)等に設置され、人々の信仰を受けてきました。

山梨県北杜市若神子諏訪神社の丸石道祖神 群馬県下妻市高道祖神社の男根道祖神 長野県安曇野市の文字道祖神
山梨県北杜市の丸石型(左)、群馬県下妻市の男根型(中)、長野県安曇野市の文字型(右)の各道祖神

方、日本には支那の道教由来の「庚申(こうしん)待ち」(庚申講)と呼ばれる民間信仰が古くから為(な)されてきました。これは、人間の体内に居るとされる「三尸(さんし)」と言う虫が、庚申(かのえ-さる)の日の晩、人間が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを阻止する為、その晩は夜通し眠らないと言うもので、天帝やその眷属(けんぞく)である猿田彦神(さるたひこのかみ)、青面金剛(しょうめんこんごう)を祀って宴会を開いた風習で、今でも夜通しと迄はいきませんが、地方では庚申の日の晩に集まりを設ける事があります。そして、この庚申信仰に根ざす形で、日本全国各地に「庚申塔」や「庚申塚」、更には庚申講の本尊とされる青面金剛の石像が数多く作られました。因みに、「見ざる、言わざる、聞かざる」でよく知られる「三猿(さんざる)」も庚申と関連があります。(民間信仰では庚申講以外にも、十五夜講、二十三夜講と言った月待塔信仰がよく知られる)

千葉県袖ヶ浦市阿部神社の青面金剛 福岡県前原市三雲地内の庚申塔
千葉県袖ヶ浦市阿部神社の青面金剛(左)と福岡県前原市三雲地内の庚申塔(右)

この他に、お地蔵さん(地蔵菩薩)や馬頭観音(「馬頭嬢」も含む)等の石仏、最早(もはや)一体何の神様が祀られていたのかも分からなくなってしまった石の祠(ほこら)を、今でも路傍で目にする機会が少なくありません。これらの中には、今でも地域住民の厚い信仰により大切に守られている物も少なくありませんが、問題はその立地です。今回、空知太神社訴訟の判決により、「宗教施設の敷地として市有地を無償で使わせていた事が違憲」との判断が下された事で、同様の事例が全国で確認された事です。中には、古い寺院の敷地が調べてみた所、実は公有地だった事が分かり、寺院・自治体双方が頭を抱えてしまったケースもあるのです。ましてや、路傍の石仏や石塔に至っては、全国でどれ程の数が該当するのかすら把握出来ていません。そして、これらの内、所有者の分からない物を全て撤去するとして、一体誰が何処(どこ)へ移転すると言うのか? 或いは廃仏毀釈の時と同様、破却(詰まりは、うち捨ててしまうと言う事)するのか? 事は単に空知太神社の問題に留まらない訳です。

路傍の石仏群(山梨県身延町常盤)
空知太神社訴訟の最高裁判決は、路傍に佇む日本全国の名も無き石仏・石塔の破却にゴーサインを出したも同然であり、正に「第二の廃仏毀釈・神道指令」と呼んでもおかしくない愚挙だ。
(写真:山梨県身延町常盤地内、国道300号沿線の路傍の石仏群)

岩手県奥州市の後藤寿庵廟堂
長崎市の日本二十六聖人記念碑
岩手県奥州市の後藤寿庵廟堂(上)と長崎市の日本二十六聖人祈念館敷地内のレリーフ(下)。空知太神社訴訟の判決結果は、これら「市有地」内に建つキリスト教施設の撤去移転も惹起する。この事をNCCにしろ、空知太神社訴訟原告団のクリスチャンにしろ、一体どう考えているのだろうか?
後に、この問題を語る上で皆さんに知っておいて頂きたい事があります。幕末以前、全国各地の寺社(寺院と神社)の境内地は幕府により所領安堵(あんど)され、寺社の所有する文字通り「私有地」でした。然し、明治新政府は、明治4(1871)年と同8(1875)年の2度に亘(わた)り、土地没収の命令 ── 所謂「上知令」を発し、全国の寺社領を没収、詰まりは「国有地」化してしまいました。その後、国有化された境内地が寺社に「貸借」されたり、更には戦後、国有境内地が次々と寺社に払い下げられたりと言った経過を辿(たど)ったのですが、全ての寺社に所有権が返還された訳ではありませんでした。中には、今回、問題となった空知太神社の様に、一旦は私有地へ移転したものの、固定資産税等の負担問題から、境内地が砂川町(砂川市の前身)に寄付され、その代わりに「市有地」となった境内地の無償使用が認められたと言った例もあるのです。こう言った経緯 ── 元々「私有地」だった土地が「国有地」とされ、更に再び「私有地」に戻る過程で、漏れた事例等も多々ある ── を無視し、単に「市有地内にあるから、けしからん!!」と主張するのは如何(いかが)なものか? 因みに、今回の判決で苦しむ事になるのは、何も寺社(仏教・神道)だけではありません。例えば、岩手県奥州市の切支丹(キリシタン)領主・後藤寿庵(じゅあん)の居館跡に建つ廟堂は、地元のカトリック教会主催の大祈願祭が市長出席の下(もと)、執(と)り行われていますが、ここはれっきとした「市有地」です。又、長崎市の市有地には、宣教団により建立(こんりゅう)された日本二十六聖人記念館及び祈念碑があり、毎年、野外ミサが執り行われているそうです。これら市有地に建つキリスト教所縁(ゆかり)の施設も、「憲法違反」として撤去の対象となるのです。この事をNCCにしろ、空知太神社訴訟を起こしたクリスチャンの谷内栄氏は、どう考えているのか? 仏教・神道施設は撤去の対象だが、キリスト教施設は除外される等と、よもや思っては居ないとは思いますが、結果は自らの首を絞めるだけであり、非キリスト教信者の感情を損ねるだけだと言う事が理解出来ないのでしょうか? 繰り返しますが、日本は「神の国」です。日本古来の土着の神も、仏教・道教・ヒンドゥー教の神も、更にはキリスト教の神も、それこそ、八百万の神が共存する国なのです。自ら「宗教対立」の種を蒔(ま)いて一体何の得があると言うのか? NCCにしろ、谷内栄氏を筆頭に空知太神社訴訟を起こしたクリスチャンの原告にしろ、その事を改めて噛み締めて貰いたいと思いますし、軽々(けいけい)に愚かな判決を下し、後々(のちのち)に迄(まで)禍根を残す結果を作った最高裁判事連に対しても猛省(もうせい)を促すと同時に、私自身、個人として次回の最高裁判所裁判官国民審査に於いては、「違憲」の判断を下した判事全てに「罷免(ひめん)す可(べ)き」との意思表示をしたいと思っています。

   余談(つれづれ)

黄櫨染御袍をお召しの天皇陛下
重要祭儀専用の装束「黄櫨染御袍」をお召しの天皇陛下
知太神社訴訟原告の一人、谷内栄氏の所属する日本バプテスト連盟、砂川市長宛に上告しないよう圧力を掛けた日本キリスト教協議会の孰れも、日本の国土に根を下ろしてい乍ら反日的態度を取り続けている宗教団体である。例えば、日本バプテスト連盟は、昭和51(1976)年の昭和天皇御在位50年記念祝典に反対したのを始めとして、1989(平成元)年の今上(きんじょう)天皇即位の礼・大嘗祭(だいじょうさい)に反対し、国旗「日の丸」・国歌「君が代」にも反対、英霊の眠る靖国神社どころか、空知太神社の様なごくごく普通の神社に対してすら敵意を露わにしている。然し、今更(いまさら)言う迄も無い事だが、日本は「神道」を基盤(バックボーン)とする国である。それは先ず第一に、現行憲法の第1条に於いて「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と謳(うた)われている天皇陛下が、実は「神道に於ける最高位の神官」である事に由来している。

晦日(おおみそか)、行く年を惜しんで除夜の鐘を撞(つ)(仏教)、来る年を祝って神社へ初詣(はつもうで)に出掛け(神道)、その後、朝迄飲み歩き、家に帰って寝正月・・・等と言う方も多々おられる事だろう。然し、天皇陛下は違う。元日、未だ暗い内から重要祭儀専用の装束(しょうぞく)「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」にお召(め)し替えられ、皇居内の神嘉殿(しんかでん)南庭(なんてい)に設(もう)けた祭場に於いて、皇祖皇宗(皇室の祖先神並びに歴代天皇)・天神地祇(てんしんちぎ:天津神と国津神)・東西南北四方の諸々(もろもろ)の神々に拝し、国の繁栄と国民の幸せを祈念する。これを「四方拝」と言うのだが、皆が自宅でゆっくり正月を迎えるのに対し、天皇陛下は凍(い)てつく寒さの中、元日の早朝から皆の幸せを祈られる。正に神道に於ける最高位の神官たる所以(ゆえん)だ。

、現在の神社神道にしろ、民間信仰にしろ、二千年以上の長きに亘(わた)り日本列島の風土によって培(つちか)われてきたものである。その過程に於いては、印度発祥の仏教の受容を巡って血で血を洗う戦いも演じられたが(蘇我氏と物部氏の抗争が夙(つと)に有名)、やがて本地垂迹(ほんちすいじゃく)・神仏混淆(こんこう)の中で、仏教と神道が融合調和していく。仏教寺院の中に「山の神」等、神道の神が祀られ、神社の境内地に「神宮寺」が併設され仏が祀られる。その様に神仏が人々の暮らしの中に溶け込み同居してきてた日本に於いて、件(くだん)のキリスト教団体の排他性は際立(きわだ)っており、ある種、異質でさえある。(「浮いている」と言い換えても良い) 嘗て日本には切支丹禁制の時代もあったが、今や昔の話である。それにも関わらず、何故、日本古来の神道、日本に於いて独自の発展を遂げた仏教に対し、「新参者」である彼等は敵意を露わにするのか? 彼等が「主(しゅ)」なり「神の御子(みこ)イエス-キリスト」を信仰するのは自由だ。然し、此処(ここ)は八百万の神集(つど)いし「神の国・日本」である。日本で信仰・布教を続けていたいのであれば、先ずは皇室・神道と言う日本を日本たらしめている「国体」(国柄)を認める所から始める可きである。何故なら、神道も仏教も、それを大前提とした上で此処日本で成り立っているのだから。その大前提なくして共存はあり得ないし、剰(あまつさ)え布教伝道に大多数の日本国民が耳を傾ける事も無い。

界各地で見られるキリスト教とイスラム教の宗教対立。その要因を作り出しているのは、実はキリスト教側の閉鎖性・排他性(排斥性)にある。そう言った側面がある事を件の宗教団体は認識、そして、反省し、日本で如何に神道・仏教と言った他の宗教と共存していくかを考えていく可きでは無いだろうか。(了)


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