Reconsideration of the History
172.皇室に41年ぶりに男子誕生 ── それでも、『皇室典範』は改正すべきである (2006.9.14)

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成18(2006)年2月24日の宮内庁に依る御懐妊正式発表から半年余り。9月6日午前8時27分、秋篠宮紀子妃殿下が東京都港区の愛育病院で無事、新宮様を御出産なされました。その間、男か女かと国民をやきもきさせた新宮様の性別は男子。この瞬間、昭和40(1965)年11月30日にお生まれになった新宮様の御父、秋篠宮文仁親王殿下以来、実に41年ぶりに皇室に新たな男子皇族が加わった訳です。そして、この新宮様 ── 悠仁(ひさひと)親王殿下は、皇太子徳仁(なるひと)親王殿下、秋篠宮殿下の次の世代に於ける男子皇族であり、然(しか)も、現行『皇室典範(てんぱん)に依り、皇太子殿下、秋篠宮殿下に次ぐ皇位継承権第三位。この先、東宮(とうぐう)(皇太子家)に新たな宮様、然も、親王殿下がお生まれにならない場合、将来、天皇となる可能性が極めて高い「運命の宮様」であると言えます。

今後の皇位継承の行方(系図)

ところで、間もなく退任する小泉総理が「有識者会議」の答申を元に、女性・女系天皇、第一子継承を容認した『皇室典範』改正法案の国会への上程、可決成立の目論見は、今年2月の紀子妃殿下の御懐妊発表と言う「神風」によって潰(つい)え去りました。そして、先日の悠仁親王殿下の御降誕。取り敢えず、「当面の危機」(次世代皇位継承者不在による皇統断絶)が回避された事で、政界では、敢えて国論を二分する『皇室典範』改正は先送りす可(べ)き、との空気が支配的ですが、私は此処(ここ)で敢えて言います。

皇統断絶の危機は決して去った訳では無い

のだと。寧(むし)ろ、41年ぶりの親王御降誕に依って、女帝・女系推進派(真の意味での「皇室廃絶派」)の力が弱まっている今だからこそ、「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締める」気持ちで、敢えて『皇室典範』改正に手を付ける可きでは無いのか?と。と言う訳で、今回は、悠仁親王殿下御降誕にも関わらず、何故(なにゆえ)『皇室典範』改正に踏み切らねばならないのか?について論じてみたいと思います。

故、悠仁親王殿下御降誕にも関わらず、『皇室典範』改正に踏み切らねばならないのか? その最たる理由は、現在の皇位継承者の問題です。悠仁親王殿下の御降誕により、今上(きんじょう)陛下を嗣(つ)ぐ皇位継承権者は、悠仁親王殿下を含め七方

表1.皇位継承順位に基づく皇位継承権者
順位 御名 続柄 生年月日・年齢
1 皇太子徳仁(なるひと)親王殿下 皇長子(今上天皇の長子) 昭和35年 2月23日生:46歳
2 秋篠宮文仁(ふみひと)親王殿下 皇次子(今上天皇の次子) 昭和40年11月30日生:40歳
3 悠仁(ひさひと)親王殿下 皇孫(秋篠宮文仁親王の長子) 平成18年9月6日生:0歳
4 常陸宮正仁(まさひと)親王殿下 皇弟(今上天皇の弟) 昭和10年11月28日生:70歳
5 三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下 皇叔父(昭和天皇の弟) 大正 4年12月 2日生:90歳
6 寬仁(ともひと)親王殿下 皇従弟(今上天皇の従弟,三笠宮崇仁親王の長子) 昭和21年 1月 5日生:60歳
7 桂宮宜仁(よしひと)親王殿下 皇従弟(今上天皇の従弟,三笠宮崇仁親王の次子) 昭和23年 2月11日生:58歳
注:年齢はコラム発表時点に於けるもので、一年に満たない端数(はすう)は切り捨てている。

然し、年齢から見ても、現状では悠仁親王殿下が即位する時には、何(いず)れの宮様もこの世には居(お)りません

表2.年齢順に基づく皇位継承権者
順位 御名 御子様
5 三笠宮崇仁親王殿下 (寬仁親王・桂宮宜仁親王)
4 常陸宮正仁親王殿下 (御子様無し)
6 寬仁親王殿下 彬子(あきこ)女王・瑤子(ようこ)女王
7 桂宮宜仁親王殿下 (未婚・御子様無し)
1 皇太子徳仁親王殿下 敬宮(としのみや)愛子内親王
2 秋篠宮文仁親王殿下 眞子(まこ)内親王・佳子(かこ)内親王・悠仁親王
3 悠仁親王殿下

常陸(ひたち)宮家には御子様が居らず、桂宮宜仁親王殿下も独身故、薨去(こうきょ)と共に、宮家は継嗣不在に依り廃絶します。又、三笠宮家(寬仁親王家)・高円(たかまど)宮家、そして、東宮家(現時点)には御子様が居られますが、何れも内親王であり、紀宮清子(のりのみや-さやこ)内親王が黒田慶樹氏と御結婚なされた様に、何れは降嫁(こうか)、皇族の身分を離れる訳で、此方(こちら)も継嗣(親王)不在に依り断絶します。すると、どの様な事態に陥(おちい)るのか?と言うと、唯一、男性皇族(親王)が居る秋篠宮家以外は、宮家は元より東宮家でさえ消滅してしまいます。然も、悠仁親王殿下が即位した時点で「秋篠宮」家も消滅。「悠仁天皇」陛下を除いて皇族が一人もいない、若(も)しくは、例え悠仁親王殿下が即位前に御結婚なされ、御子様を儲(もう)けられていたとしても、天皇御一家以外に、「皇統のスペア」たる可き宮家が無いと言う異常事態に陥ってしまうのです。この様な状況で、万が一、「悠仁天皇」陛下が皇位継承者(親王)不在の儘(まま)、崩御でもなされたら、正に、

皇統断絶

と言う最も恐れていた事態を迎えてしまうのです。詰まり、悠仁親王殿下がお生まれになったと言って浮かれ、『皇室典範』改正を先送りしたり、封印したりしていられる様な余裕は全く無い訳です。

仁親王殿下の御降誕に依って、次世代の皇位継承者は取り敢えず「担保」されました。然し、この儘では、常陸宮・三笠宮・桂宮・高円宮の各宮家は継嗣無き儘断絶。東宮家も断絶。そして、「悠仁天皇」の出身家である秋篠宮家も断絶。かと言って、「有識者会議」が答申した如く、女性皇族(内親王・女王)に結婚後も皇籍残留を認め、新たな宮家を創設させるのか? 女性皇族にも皇位継承を認め、更には皇室の長い伝統である「男系継承」をも放棄し、女系(母系)に依る皇位継承に道を開くのか? 私はその様な小泉流の「大胆な皇室改革」等せず共、伝統を維持する事は充分可能であるものと考えます。そして、「有識者会議」の答申とは違った形での『皇室典範』改正で、この事態は充分乗り越える事が出来るのです。

えば、私が「歴史再考」に於いて幾度と無く提起してきた、昭和22年の「皇籍離脱」(GHQに依る「皇籍剥奪)に依って、臣籍降下なされた(皇族から一国民となられた)旧皇族の子孫 ── 若い独身世代も居る ── が皇籍復帰し、宮家を再興して頂くとか、継嗣不在の現宮家(詰まり、秋篠宮家以外)へ養子入りし、宮家を継承して頂くとか、或(ある)いは、女性皇族との御結婚を通じて宮家に婿入りして頂くとか(例え婿入りしたとしても、旧皇族出身者の視点から見れば、男系継承は守られる)、方策は幾らでもあります。又、以前の小論「164.『皇室典範』は改正すべきである!! ただし・・・」でも触れましたが、旧皇族以外にも、皇別摂家(皇室から摂関家に養子入りし、男系で皇統に連なる家系)の中から、幾つかの「条件」に見合う男系男子を選定し、皇籍に加わって頂いた上で、現宮家に養子入りして頂く事も一考の余地があるでしょう。女系容認等と言う皇室の伝統を無視した暴論は、旧皇族、更には皇別摂家にさえも男系男子の該当者(候補者)が居ない、万策此処(ここ)に尽きた時、初めて議論の俎上(そじょう)に乗る、そう言った次元の話でしょう。何れにせよ、悠仁親王殿下御降誕でも、次世代の継承者が漸(ようや)く御一方担保されたに過ぎません。盤石(ばんじゃく)たる皇位継承と、日本の「心(しん)の御柱(みはしら)」たる皇室の安泰、ひいては、日本の安定と繁栄の為にも、後顧の憂い無き形での『皇室典範』改正が早急に為(な)される事を、一日本国民として願わずには居(お)られません。


   余談(つれづれ)

般、とあるメディアに於いて、この様な事が述べられていました。曰(いわ)く、

「『皇太子』とは『天皇の直系の子であり、尚且つ、次期皇位継承者』である。現在の皇太子が即位すれば、当然、現在の『皇室典範』では秋篠宮が次期皇位継承者となるのだが、秋篠宮は『天皇(徳仁皇太子)の弟』であって、直系の子では無い。それ故、身分的には『皇太子』であったとしても、『皇太子』と呼ぶ事は不自然である。ならば、「弟」であるから、『皇太弟』と呼ぶのか? 現在の『皇室典範』には、その様な規定は無く、混乱が予想される。その様に考えると、やはり、女性・女系の皇位継承も認め、皇太子の直系の子である愛子さまを皇位継承者にするのが妥当である」
云々と。例え皇位継承者ではあっても、「天皇の直系の子」では無いから「皇太子」とは呼ばない? これこそ暴論では無いのか? 他国の例で言えば、中東はサウディアラビアのアブドゥッラー現国王(Abdullah bin ʻAbd al-ʻAzīz Āl Saʻūd/2005年即位)は、ファハド前国王(Fahd ibn ʻAbd al-ʻAzīz Āl Saʻūd/在位 1982-2005)の異母弟 ── 詰まり「弟」でしたが、日本に於いては、即位前はごく普通に「皇太子」と呼んでいました。又、「皇太子」は、『立太子の礼』なる儀式を執(と)り行(おこな)いますが、例えば、「天皇の弟」ならば『立太の礼』なのか? 天皇の孫が皇位継承者となった場合、「皇太孫」と呼称する事が『皇室典範』に規定されていますが、だからと言って『立太の礼』とは呼びません。あくまでも、『立太子の礼』は『立太子の礼』なのです。ですから、やれ、「『天皇の弟』だから、『皇太子』では無い」等と言って、認めぬが如き主張は、単なる「言いがかり」と言えます。

(ひるがえ)って、女帝擁立を画策した「勢力」は、女帝の夫君に対する呼称が今迄無かった事から、「(女性)天婿(むこ)」であるから「皇婿(こうせい)」だとか、「(女性)天偶者」であるから「皇配」であると言った呼称を必死で考えていた様ですが、それこそ新たな造語であり、「皇太弟」云々よりも、余程(よほど)、蘊蓄(うんちく)を並べ立てているでは無いか、と正直、苦笑せざるを得ませんね。(註:英国女王エリザベス2世の夫君、エヂンバラ公フィリップ殿下は、時として「皇配殿下」と呼称される事もある)


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