Reconsideration of the History
164.『皇室典範』は改正すべきである!! ただし・・・ (2006.2.21)

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秋篠宮御一家
 秋篠宮御一家
 左より順に、眞子内親王殿下、文仁親王殿下、
 佳子内親王殿下、紀子親王妃殿下
2月7日、秋篠宮紀子(あきしののみや-きこ)妃殿下が御懐妊、今秋御出産予定との発表が、列島を駆け抜けました。秋篠宮家にとっては、平成6(1994)年12月の次女・佳子(かこ)内親王殿下御降誕以来、実に12年ぶりの慶事である訳ですが、若(も)しも、この御子様が男子 ── 親王殿下となると、皇室にとっては、昭和40(1965)年11月御降誕の父君・秋篠宮文仁親王殿下以来、実に41ぶりの親王御降誕となる訳です。そうなれば、現『皇室典範』(以下、「現典範」と略)の規定により、皇太子徳仁(なるひと)親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下に次ぐ、皇位継承順位第3位となります。まだ御降誕されていな時点で、先の話をするのは不敬(失礼)であるとは思いますが、この先、皇太子家の御子様が愛子内親王殿下お一人と言う事になれば、皇系は、今上(きんじょう)天皇から皇太子殿下、更に秋篠宮家へと移る事となります。

は言え、秋篠宮家に親王殿下が御降誕されたとしても、秋篠宮殿下よりもお若い ── 次世代の皇位継承者が一人増えるだけであり、安定的な皇位継承の観点からすれば、甚(はなは)だ心許(こころもと)ない事は確かです。実際、紀子妃殿下の御懐妊で、今国会への法案提出が頓挫した所謂(いわゆる)「有識者会議」の『皇室典範』改正案は、「安定的な皇位継承を確保する」目的で、女性天皇(女帝)・女系天皇の容認を打ち出した訳ですから。とは言え、私は皇統の長い伝統である「男系継承」は今後も維持すべきであるものと考えていますし、その観点に立てば、「有識者会議」の出した結論等、到底受け容(い)れ難(がた)いものです。然(しか)し、だからと言って、手を拱(こまね)いていれば良い共思いません。従来、私は「有識者会議」主導の『皇室典範』改正に対して、断固反対してきました。だからと言って、現典範を改正すべきに非(あら)ず等とは毛頭思ってはいません。寧(むし)ろ、積極的に改正す可(べ)きであると考えています。其処(そこ)で、今回は、『皇室典範』のある可き姿とは何なのか? 私なりに、改正の指針を示してみたいと思います。

定的な皇位継承を確保するには一体どうすれば良いのか? 一番簡単な事は、「皇族(の人数)を増やす」事です。とは言え、何処(どこ)の馬の骨かも分からない人間を「皇族」にすれば良い訳ではありません。然し、幸いな事に、その「候補」となる可き方々が、この平成の御世(みよ)にもきちんと居(お)られます。それが、先のコラム140.昭和22年の「皇籍剥奪」を撤回せよ!! ── 「皇統断絶」危機に対する処方箋(下)でも触れた「旧宮家」の方々です。然し、「旧宮家」の方々が皇籍復帰する為には、一つ非常に大きな障碍(しょうがい)が立ち開(はだか)ります。

治40(1907)年2月11日制定の旧『皇室典範増補』第6条には、斯(か)くの如(ごと)く謳(うた)われています。

   旧『皇室典範増補』

第六条 皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス(えず)

(つ)まり、一旦、皇籍離脱し臣籍に下(くだ)った「元皇族」(要は一般庶民となった者)は、皇籍復帰出来ない、と謳っている訳です。そして、現典範施行に伴い、旧『皇室典範増補』がその効力を失った現在も、この条項は暗黙の了解事項として踏襲されており、昭和22(1947)年10月に「皇籍離脱」(実際にはGHQによる「皇籍剥奪」)された旧宮家は、皇籍復帰への道が閉ざされています。旧宮家には、天皇の血を引く男子 ──「男系男子」の方々が少なからず居(い)るにも拘(かか)わらずです。詰まり、昨今、囁(ささや)かれている旧宮家の皇籍復帰を実現するには、現典範を改正し、元皇族及びその男系子孫の皇籍復帰を認める条項を新たに設(もう)けなければならない訳です。これが第一の改正点です。因(ちな)みに、臣籍降下した元皇族の皇籍復帰、更に皇位継承には、平安時代の宇多(うだ)・醍醐(だいご)二帝の先例があり、旧宮家の皇籍復帰は「お膳立(ぜんだ)て」次第である、と言えます。

に改正す可き点は、現典範第9条です。

   『皇室典範』

第九条(養子の禁止) 天皇及び皇族は、養子をすることができない。

この条項により、天皇を含む皇族は養子縁組する事が出来ません。然し、この条項を部分改正し、例えば、

   『皇室典範』(案)

第九条(養子) 天皇及び皇族は、第二項の例外を除き、養子をすることができない。

     第二項 昭和二十二年十月十四日に皇籍離脱した元皇族及び、元皇族の男系子孫

とすれば、旧宮家の男系子孫を天皇の猶子(ゆうし;養子)に迎える事が可能となりますし、廃絶した秩父宮(ちちぶのみや)・高松宮両家の祭祀(さいし)を継承させ、宮家を復活させる事も可能となります。因みに、私の提示した現典範第9条改正案では、「第二項」で旧宮家を挙げていますが、例えば、第107代・後陽成(ごようぜい)天皇の第四皇子で近衛(このえ)家に養子入りした近衛信尋(のぶひろ)、同帝第九皇子で一条家に養子入りした一条昭良(あきよし)、第113代・東山天皇の子、閑院宮直仁(かんいんのみや-なおひと)親王の第四王子で鷹司(たかつかさ)家に養子入りした鷹司輔平(すけひら)等の家系 ── 所謂「皇別摂家(こうべつせっけ)」の子孫 ── の男系男子との養子縁組みを、「第三項」として認める事も可能と言えます。詰まり、前例の無い女系による皇位継承に道を開かず共、元皇族の皇籍復帰(宮家再興)と、元皇族や天皇の血を引く旧皇別摂家の男系子孫の養子入りを実現する事で、皇位継承資格を有する「男系男子」の絶対数は確実に増え、男系継承を維持する事が充分可能となる訳です。

皇室と皇別摂家の系図
近衛信尋一条昭良鷹司輔平各家の系図は末尾に掲載)

(さて)、此処(ここ)で少々、話が脱線しますが、嫡子(嫡出(ちゃくしゅつ)子)・庶子(非嫡出子)の発生の元となる側室制度については、旧『皇室典範』(以下、「旧典範」と略)に於いては認められていたものの(とは言え、昭和天皇は終生、香淳皇后以外に側室は設けなかったが)現典範に於いては、第5条と第6条の規定から事実上、廃止・否定されています。

   『皇室典範』

第五条(皇族の範囲)

 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。

第六条(親王・内親王・王・女王)

 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。

(註:第6条に於いて、嫡系子孫を以て、親王・内親王・王・女王とする旨、謳っている事と、第5条に於いて、親王・内親王・王・女王を皇族とする旨、謳っている事から、皇后や親王妃以外の女性との間に生まれた子=庶系子孫は皇族に含まれない事を規定しており、明文化されてはいないが、側室は事実上認めないと言っているに等しい。)

然し、これには一種、法の盲点が隠されています。

『民法』及び『刑法』には、配偶者のある者が重ねて婚姻する事 ── 所謂「重婚」を禁止する規定が設けられています。

   『民法』

第七三二条

 配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。

第七三二条第二項

 第七三二条又は第七三三条の規定に違反した婚姻については、当事者の配偶者又は前配偶者も、その取消しを請求することができる。

   『刑法』

第二十二章 わいせつ、姦淫(かんいん)及び重婚の罪

第百八十四条(重婚)

 配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは、二年以下の懲役に処する。その相手方となって婚姻をした者も、同様とする。

古い言い方ですと、「妾(めかけ)」、「二号」等と色々ありますが、浮気や不倫は可能であっても(事の倫理的な是非は別問題として)、我々国民が複数の異性と婚姻する事 ──「重婚」は法律上認められていません。然し、この法律の枠の外にいる人々が存在します。それが天皇を含む皇族です。皇族は、法律上「国民」ではありませんので、国民向けに制定されている各種法律は適用されません。詰まり、『民法』や『刑法』が禁止している「重婚」が、法律上は認められる事になります。然し、現典範上では、皇族は「嫡出子」 ── 皇后や親王妃の子でなければならないと規定されています。一見すると「重婚」は無理に思えますが、法律には必ず盲点があります。

室 ── 古い言い方ですと、「女御(にょうご)」や「典侍(てんじ)」等は駄目と言う事になるのですが、例えば、今いる皇后の他に、もう一人の皇后 ── 詰まり「第二皇后」を設ける、となれば話は変わってきます。第二であろうと第三であろうと、「皇后」との間に生まれた子は嫡出子です。それは、親王に於ける第二親王妃、第三親王妃であっても同じ事です。現実問題として、倫理上、平成の御世にこの様な事が許容され得るかどうか、となれば甚だ難しい問題ですが、法律上は充分可能である、と言う事を我々は知っておく可きでしょう。

、話が随分と横道に逸(そ)れてしまいましたが、まだまだ、現典範には改正す可き点がある中、最後に、もう一つ、「私案」として追加して頂きたい点に付いて述べたいと思います。それは「譲位」に関する条項です。

典範現典範、何(いず)れも、天皇は一度(ひとたび)即位したら、崩御(ほうぎょ)する迄(まで)、皇位に在(あ)り続ける ── 終身在位を規定しています。然し、天皇陛下自らが執(と)り行(おこな)う、大嘗祭(だいじょうさい)や新嘗祭(にいなめさい)、四方拝(しほうはい)に代表される皇室祭祀は並大抵のものではありません。実際、昭和天皇御不例(ごふれい;病気)の際、新嘗祭の祭祀を代行した掌典長(しょうてんちょう)が疲労困憊(こんぱい)で気絶してしまった逸話もある程(ほど)です。又、日々の公務や国賓来日時に於ける各種接遇等、「天皇のお仕事」は想像以上の激務です。万が一の際には、摂政(せっしょう)を設置出来るとは言え、その様な激務を終生しなければならない、サラリーマンと違って定年が無い、と言うのは余りにも酷と言えば酷です。ですから、「定年」よろしく一定の年齢に達した時や、心身的に在位甚だ困難と言った場合に限り、陛下自らの御意志を以(もっ)て、皇太子殿下へ譲位出来る様にする。譲位後は仙洞御所(せんとうごしょ)に移り、「太上(たいじょう)天皇」(上皇,院)として、残りの人生を穏やかに過ごされる。その様な配慮を考えても良いのでは無いか? と思う訳です。

れにせよ、『皇室典範』の改正と言うものは、国家の基本法である憲法の改正にも比肩する程の大事です。軽々(けいけい)に扱わず、慎重に慎重を重ね、当事者である皇族方の御意見を十二分に反映したものである可きですし、「国家百年の計」よろしく、十年、二十年と言った短いスパンでは無く、百年、二百年、いや、千年先をも見越したものである可きと言えるのでは無いでしょうか。


   余談(つれづれ)

「安定的な皇位継承を確保する為」に、女帝・女系天皇の容認を『皇室典範』改正案に盛り込んだ小泉総理と「有識者会議」。40年以上も皇室に男子が御降誕していない現状では、「男系」男子継承の伝統に固執する限り、皇位継承権者の不在により、何れ皇統が断絶する。故に、女帝、更には女系天皇をも認めて皇族の人数を増やし、皇位継承権者の裾野を広げる・・・。確かに言わんとする事は分からないでもありません。然し、女帝は扨置(さてお)き、「女系」継承となると、連綿と続いてきた皇統が根本的に変質してしまいます。「天皇」を天皇たらしめているものは何なのか? 西欧の「王権神授説」や、支那の「天命思想」等に見られる、「神から地上の統治権を委任」されていた帝王達とは違い、日本の天皇は、皇祖神 ── 詰まり「神様」を先祖に持つ「神の子孫」が代々、皇位を継承してきた訳で、唯一、皇祖神に連なる「男系」にその資格がある、とされてきました。その「男系」継承を捨てて、「女系」をも認めると言う事は、天皇が一般国民 ── 「ただの人」に堕す事に他なりません。

在、『皇室典範』改正に対して、女帝・女系天皇に賛成している人の中には、男女共同参画社会やジェンダーフリーの推進派だけで無く、「反天皇」を標榜する左翼勢力や在日外国人 ── 「非国民」も多くいます。実際、今年の「建国記念の日」(2月12日;嘗ての「紀元節」)には、「戦前の紀元節復活」に反対する市民グループ等が、「女性・女系天皇を容認する皇室典範改正ではなく、天皇制の廃止」を訴える集会を主催していた程です。彼らにとって、「天皇」を天皇たらしめている「男系継承」の伝統が崩壊すれば、それを口実に「天皇制廃止」=皇室の廃絶を公然と口にする事が出来る様になる訳です。折角、「安定的な皇位継承を確保する為」と信じて、女帝・女系天皇を容認した所が、いざ蓋を開けてみたら、皇室廃絶の口実にされてしまった、では笑い話にもなりません。その観点からも、「女系継承」等、決して認めてはならないのです。



近衛信尋家の系図

一条昭良家の系図

鷹司輔平家の系図


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