Reconsideration of the History
165.日本は台湾の「国家統一委員会」廃止を明確に支持すべきである!! (2006.3.3)

前のページ 次のページ


2006(平成18)年2月27日、陳水扁・台湾総統が総統府の諮問機関「国家統一委員会」と李前政権時代に策定された『国家統一綱領』の「終止」(事実上の廃止)を決定、即日発表しました。

<国家統一綱領>台湾総統が事実上廃止を発表 中国反発も

[ 毎日新聞 02月27日 22時57分 ]

【台北・庄司哲也】台湾の陳水扁総統は27日、総統府内の諮問機関「国家統一委員会」と李登輝前総統時代に策定された中台の段階的な統一を目指すとした「国家統一綱領」について事実上の廃止を発表した。中国側は廃止の動きを強く非難しており、反発が予想される。

 「国家統一委員会」は中台統一を目的に90年に総統府内に設置された非法定機関。また、「国家統一綱領」は、91年に同委員会が策定し、短期、中期、長期の3段階に分けて中台統一を目標に掲げている。陳水扁総統は00年5月の就任演説で「四つのノー、一つのない」を発表し、「『国家統一委員会』と『国家統一綱領』は廃止しない」と表明していた。

 陳総統は春節(旧正月)の1月29日の演説で廃止の検討を発表。同委員会について「有名無実化している」とし、綱領については「一つの中国として受け入れるとする原則は非常に問題」との認識を示していた。

 発表後、米国務省は「台湾海峡の現状の変更に反対する」と、この方針に不快感を表明していた。

 陳総統は、米国に配慮して「廃止」という言葉を使わず、「終止」という用語を使った。

これに対して、在日支那(中国)大使館の参事官が、日本政府に対し「反対を表明して欲しい」旨、要望してきたそうです。

「日本は反対明確に」 台湾国家統一委廃止で中国大使館

2006年03月02日19時08分

 台湾の陳水扁(チェン・ショイピエン)総統が国家統一委員会や統一綱領の事実上の廃止を決めたことについて、在日中国大使館の熊波(ユウ・ハ)・参事官は2日、「台湾独立への歩みを加速するものだ」と批判し、日本に対して「台湾指導者の危険な行動に反対する姿勢を明確にしてほしい」と要望した。在京の報道機関に対する背景説明の中で述べた。

 熊参事官は今回の台湾の行動について、中台交流の拡大にストップをかけ、緊張を高めるものだ、と非難した。

元記事(asahi.com):http://www.asahi.com/international/update/0302/013.html?ref=rss

2月14日、韓国の潘基文(パン=ギムン)外交通商部長官が、コフィ=アナン連合国(国連)事務総長の後継候補に立候補しましたが、その際、韓国側が潘氏に対する日本の支持を求めたのに対して、外務省幹部が、

自分達に都合の良い時だけ支持して欲しいと言われても難しい

詰まり、よりはっきり言えば、

どの面下(つらさ)げて、そんな事が言えるんだ? あぁ?

と、にべも無く断ったそうです。ま、当然でしょうね、今迄の韓国の日本に対する姿勢からすれば。因(ちな)みに、(2006年)3月1日、ソウルで行われた「三・一(サムイル)運動」87周年記念式典に於いても、盧武鉉(ノ=ムヒョン)大統領は、明らかに「内政問題」である日本の憲法改正問題について注文を付けていますし・・・これはもう明確な「内政干渉」ですね。

(さて)、話を台湾問題に戻しますが・・・陳総統による「国家統一委員会」及び『国家統一綱領』の「終止」決定に対して、支那は日本に、「台湾指導者の危険な行動に反対する姿勢を明確にしてほしい」と要望してきたそうです。然し、これも韓国からの潘氏支持に対する要望と同様、日本は「にべも無く断る」可(べ)です。

那は「靖国参拝」や「歴史認識」問題(こんなものは本来「問題」になる可きものでは無い。抑(そもそ)も外交案件になる事自体が異常なのである)、更には東支那海のガス田開発・沖ノ鳥島に対する日本の主権否認・防空識別圏への航空機侵入等々、我が国との間に多くの「トラブルを起こしている」。又、外交案件にもならない様な「問題」を理由に、首脳会談を未だに拒否した儘(まま)。そんな国から、「台湾指導者の危険な行動に反対する姿勢を明確にしてほしい」と要望された所で、これも、

どの面下(つらさ)げて、そんな事が言えるんだ? あぁ?

の次元の話でしょう。普段から煮え湯を飲まされている日本は、この際、ここぞとばかり「腹いせ」に、陳総統の決定に対する全面的な支持を表明し、あくまでも支那とは明確な一線を引く可きです。

く出る事が出来る時には、躊躇(ためら)わずに強く出る可きなのです。鉄砲玉が飛び交う「ドンパチ」だけでが「戦争」ではありません。外交面で「叩ける時に叩き、国益を伸張する」事も「戦争」の内です。その意味でも、ここは一つ、政府と麻生太郎外相を戴(いただ)く外務省には踏ん張って貰いたいものです。


   余談(つれづれ)

党・民進党(民主進歩党)出身の陳総統が、「国家統一委員会」及び『国家統一綱領』の廃止を決定・発表した「2月27日」と言う日付は、誠に以て意味深です。現在、野党である国民党(中国国民党)蒋介石から李登輝・前総統迄、四代に亘(わた)って、台湾の政権を担ってきましたが、その国民党とその母体である外省人(省籍が台湾の外=大陸にある人々)にとって、最も触れられたくない、「歴史」から消し去りたいものの一つが、1947(昭和22)年2月28日に起きた「二・二八事件」でしょう。国民党政権が、本省人(外省人が移り住む前から台湾にいた支那系の人々)に対して、徹底的な武力弾圧を加え、一説には3万人もの人々を殺害した共言われる「二・二八事件」。その「二・二八事件」の前日である「2月27日」を敢えて選んだ辺りが、本省人であり、民進党出身の総統である陳水扁氏の国民党に対する「当て付け」であり、強烈な皮肉であると感じたのは、果たして私だけだったでしょうか? 彼(か)のローマのカエサルは、「ルビコン川」渡河を契機に「歴史」に名を残しました。ひょっとしたら、陳総統も、「国家統一委員会」及び『国家統一綱領』の廃止と言う「ルビコン川」渡河を契機に、台湾「正名独立」に端緒を付けたのかも知れません。


前のページ 次のページ