Reconsideration of the History
143.『竹島の日』条例は正当だ!! 韓国の歴史歪曲こそ糾弾せよ!! (2005.3.24)

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成17(2005)年3月16日、島根県議会本会議で一つの条例が賛成多数で可決・成立しました。その名も、

『竹島の日』条例

と言います。

『竹島の日』条例

第1条

 県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。

第2条

 竹島の日は、2月22日とする。

第3条

 県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取り組みを推進するため、必要な施策を講じるよう努めるものとする。

これは、明治38(1905)年2月22日の島根県告示で竹島が県の一部となり、今年で百年になるのを機に、昭和27(1952)年の韓国による「李承晩ライン」の一方的設置以来、今日迄、「日本の領土」でありながら、韓国による軍事占領下にある竹島に対する島根県、ひいては日本の主権を再確認する意味と、広く国民にこの問題(竹島問題)を啓発する目的で制定された訳です。実際、条例案の提案理由では、

「竹島は歴史的にも国際法的にも、島根県隠岐の島町*註に属するわが国固有の領土」
と強調。
註:「竹島」は嘗(かつ)て島根県隠岐郡五箇村の管轄だったが、所謂(いわゆる)「平成の大合併」により、平成16(2004)年10月1日、同郡下の西郷町、布施村、都万村と共に合併し、現在は「島根県隠岐郡隠岐の島町」の管轄となっている。

韓国にに対しては、

「半世紀にわたって竹島を不法占拠し、実効支配の動きを強化してきた」
と厳しく批判しています。(右下写真は竹島。「竹島問題」については、コラム『95.韓国による「侵略」 ── 竹島問題』を参照の事)

竹島 これに対して、もう一方の当事者である韓国側は、官民上げて猛反発。連日、在ソウル日本大使館前等で大規模な抗議行動を繰り返し、姉妹都市提携の解消や交流事業の停止を通告、日本製品の不買運動、更には韓国政府による対抗措置としての『対日ドクトリン』の発表、と正に「反日一色」と言った状態であり、今年が日韓国交正常化40周年を記念した「友情年」でありながら、史上最悪の日韓関係に陥ってしまいました。とは言え、日本側が自省したり、条例の撤回をすべきだ等とは、私自身、万分の一も思ってはいません。寧(むし)ろ逆に、事此処(ここ)に至ったからには、半世紀以上も日韓両国間に溜まりに溜まってきた「膿(うみ)」を出し切る為にも、此処は日本も一切妥協する事無く、日本としての言い分を声高(こわだか)に主張すべきです。いや、それ以上に、韓国による「歴史歪曲」を徹底的に糾弾すべきものと考えます。と言う訳で、今回は、『竹島の日』条例に反発する韓国の「歴史歪曲」について、私なりに糾弾してみたいと思います。

国では竹島が「領有権問題」であると共に、「歴史問題」としても受け止められているそうです。曰く、

「日本が独島(トクト:「竹島」の韓国側呼称)を島根県に編入した同じ年(1905年)に締結された『乙巳条約』(『第二次日韓協約』の韓国側呼称)で、日本が韓国(大韓帝国)の外交自主権を奪い、5年後の1910(明治43)年、日本は韓国を併合して植民地支配した」
と。詰まり、韓国は日本による「竹島」の編入が、その後に続く、彼らが言う所の「韓国侵略」(日韓併合)の端緒だと考えている訳です。明治43年の「日韓併合」(日鮮合邦)について、私は日本が韓国を侵略し植民地支配した等とは万分の一も思ってはいません。寧ろ、当時の韓国が、企業で言えば倒産寸前な状態にあったのを、大企業の「大日本株式会社」が吸収合併し、自らの資金体力を注(つ)ぎ込んで36年もの間支え続けた、と言うのが実情だったと考えています。然(しか)し、彼らはそんな風には考えてはおらず、嫌がる韓国が日本によって無理矢理に併合・植民地化された、と思っている訳です。(「日韓併合」については、コラム『56.コリア人が待望していた「日韓併合」』を参照の事) まあ、「日韓併合」について韓国がどの様に捉えていようが、それはそれで良い事にしましょう。然し、「それ」(日韓併合)と「これ」── 明治38年の竹島の島根県への編入 ── とは全く関係の無い別の出来事です。その二つの異なる出来事を一緒くたにして、「竹島」に対する侵略占領支配を正当化している韓国側こそ、正に歴史を歪曲していると言えるでしょう。

日韓両国と竹島・鬱陵島の位置関係 前のコラム『95.韓国による「侵略」 ── 竹島問題』に於いて、現在の「竹島」 ── 嘗て「松島」と呼ばれていた島が名実共に「日本固有の領土」であった事を指摘しましたが、それと同時に私はこうも書きました。

「当時(江戸時代)、日本側では、鬱陵(うつりょう)島の事を「竹島」あるいは「磯竹島」と呼んでおり、現在、日韓が領有権を争っている「竹島」は、元来、「松島」と呼ばれていました。(中略) 幕府が「竹島」=鬱陵島の経営を大谷氏(伯耆国(ほうきのくに:現在の鳥取県)米子の大谷氏)に委(ゆだ)ねた歴史的事実から、鬱陵島が当時、幕府治下の日本に「支配」されていた共取れ、鬱陵島の領有権を日本が主張する事も可能となる」
詰まり、韓国の占領下にある「竹島」(松島)は言うに及ばず、真の「竹島」 ── 現在、韓国領となっている鬱陵島(ウルルンド)さえも、嘗て日本の統治下にあった訳です。(左地図は、日韓両国と竹島・鬱陵島の位置関係を示している) 然も、それは、彼らが言う所の「日帝」(大日本帝国)とは直接関係が無い鎖国体制下の江戸時代の事なのです。尤(もっと)も、その後、徳川幕府は元禄年間に鬱陵島の領有権を李氏朝鮮(以下、「李朝」と略)に譲ったので、「鬱陵島の領有権は現在、韓国側にあって当然」と言えそうですが・・・然し、領有権委譲後の李朝の鬱陵島経営を見てみると、必ずしもそうとは言えないのです。

鬱陵島 陵島 ── 真の「竹島」(右写真)を徳川幕府治下の日本から譲られた李朝は、その後、鬱陵島をどの様に扱ったのか? 実は驚くべき事に、彼らは島民を朝鮮本土に引き上げさせ、官吏も常駐させない「空島政策」を実施したのです。詰まり、李朝は、折角、日本から譲られた鬱陵島を、わざわざ「蛻(もぬけ)の殻」 ── 国際法に言う所の「無主地」(どの国にも属さない地域の事)にしてしまったのです。そして、「無主地」となった鬱陵島には、その後、再び、日本人漁民が度々寄港、上陸する事となったのです。ところで、国際法では「無主地」の取り扱いに対する一つの原則があります。それを、

無主地の「先占」(occupation)の原則

と言います。具体的には、

「ある国は、『無主地』(どの国にも属さない地域)がある場合、一方的な措置を取る事によって、これを自国の領土とする事が出来る。」
と言うものです。これを件(くだん)の鬱陵島に当て嵌(は)めてみると、

徳川幕府=日本による統治(島名:竹島)
徳川幕府、領有権を李朝に譲渡
李朝による統治(島名:鬱陵島)
 李朝、鬱陵島から島民・官吏引き上げ(実質的な領有権放棄) 
鬱陵島が空島となる(国際法上の「無主地」)
鬱陵島に再び、日本人漁民が寄港・上陸
鬱陵島に対する日本の「無主地」先占(再度、日本領)

李朝による「空島政策」実施後、再び、日本人が鬱陵島に寄港・上陸し、島を利用した事から、「無主地」となっていた鬱陵島に対して、日本による「無主地の先占」が成立。詰まり、

日本による鬱陵島に対する領有権が再成立

した事となる訳です。

盧武鉉・韓国大統領 根県議会本会議で、『「竹島の日」条例』が成立した一週間後の3月23日、盧武鉉(ノ=ムヒョン)・韓国大統領(右写真)が『(韓国)国民向け談話』なるものを発表しました。その中で、盧大統領は、

『竹島の日』制定は侵略を正当化し、大韓民国の光復(解放)を否定する。歪曲された歴史教科書の復活も侵略と支配の歴史を正当化するもの」
と言い、続けて、
韓日関係の未来の為に言いたい事を我慢してきた事が、現在の結果を招いてしまった。外交的に日本政府にきっぱりと(行為の)是正を要求する」
共言っています。然し、日韓関係の未来の為に、「言いたい事を我慢してきた」のは、日韓何(いず)れの側だったのか? 私は日本側だったと断言します。ならば、我々日本もこうきっぱりと言うべきです。

韓国に侵略され、占領支配されている竹島(旧松島)を即刻返還せよ!!

「無主地先占」で日本に領有権がある鬱陵島(旧竹島)も即刻返還せよ!!

と。

   余談(つれづれ)

「對馬島本是我國之地」標石 陵島鬱陵邑道洞里の薬水公園にある「独島博物館」(竹島博物館)の展示場に一つの標石が設置されています。(左写真) 高さ2.5m、幅1.6mの標石には、『世宗実録』第4巻の一節が大字で刻まれています。曰く、

對馬島本是我國之地

「對馬島(テマド)は元々我が国の地」と。又、標石の左右の面には、「對馬島」が慶尚道(キョンサンド)に属した朝鮮領土であり、元々馬を育てる場所だった事を明らかにして、 倭寇の侵略によって「對馬島」を奪われたと記した『世宗実録』第11巻・第104巻・第116巻と、『三国史記』の「新羅(しらぎ)本紀」等が彫られています。扨(さて)、それでは、この標石に登場している「對馬島」とは一体何処(どこ)にある島なのか? 興味がある所ですが、頭の回転の速い方や、「對」と言う漢字をご存じの方なら、もうお分かりの事でしょう。「對馬」とは、長崎県の管轄下にあり、国の天然記念物で『レッド・データブック』にも記載されている絶滅危惧種「ツシマヤマネコ」が棲息する「対馬(つしま)」の事なのです。(下地図は対馬(長崎県対馬市)の位置)

対馬の位置 国は、盧武鉉・大統領の談話

「『竹島の日』制定は侵略を正当化し、大韓民国の光復(解放)を否定する。歪曲された歴史教科書の復活も侵略と支配の歴史を正当化するもの」
に代表される様に、常日頃から日本に対して、「歴史歪曲」・「侵略支配の正当化」と言った事を繰り返し口にしては糾弾してきました。然し、当の韓国は一体どうなのか? 国際法を無視する形で一方的に『海洋主権宣言』とそれに基づく「李承晩ライン」を日本海上に設置し、日本領でありながら既に統治下に置いていた鬱陵島(旧竹島)はおろか、竹島(旧松島)をも軍事占領し、更に今度は、わざわざ標石を建立(こんりゅう)して迄して、対馬も「元々我が国の地」と嘯(うそぶ)く厚顔さ。自国領である竹島が韓国によって侵略され、軍事占領下にあるにも関わらず、武断(軍事的解決)に訴える事無く、隠忍自重(いんにんじちょう)している日本。方や、(植民地支配・民族抑圧の)「被害者」を装(よそお)い乍(なが)ら、鬱陵島・竹島を奪取、対馬さえも「自国領」と主張。「日本海」を強引に「東海」に改称させ、自らの勢力拡大を図ろうとしている韓国。どちらの方が、歴史を歪曲し、侵略支配を正当化しているのか? これはもう、言わずもがな、と言っても過言では無いでしょう。

「韓流ブーム」か何か知らないが、私は「日韓友情年」だろうが何だろうが、何かと言えば直(す)ぐに「日の丸」(日章旗)を燃やし、反日デモを組織し、二言目には、

反省しるニダ!!  謝罪するニダ!!

ばかりエンドレステープよろしく繰り返す、韓国民にはほとほとうんざりしています。反日結構!! 日本糾弾上等!! そっちがその積もりなら、こっちだって黙っている必要は無いし、何時迄(いつまで)も一方的な「友達ごっこ」をし続ける必要も無い。この際、日本も肚(はら)の中に溜め続けてきた韓国に対する不満や鬱憤を、韓国が日本に対してしてきた様に、全てぶち撒(ま)けてみてはどうだろうか? それで両国関係が修復出来ないのなら、「日韓関係」とはその程度のものだったのだときっぱり割り切って、以後謝絶すれば良いし、互いに本音を徹底的にぶつけ合った上で、修復出来たとすれば、其処(そこ)で初めて「真の日韓関係」と言うものが生まれるだろう。何れにせよ日韓関係に於いて、今、日本に一番求められているものは、韓国に対して何ら臆する事無く、

言うべき事は言い、批判すべき事は批判する

これに尽きるのでは無いだろうか?


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