Reconsideration of the History
243.来る可き北鮮動乱に備えよ! 「金正恩後」を睨み日本も「玉」を用意せよ!! (2012.2.25)

前のページ 次のページ


金正日の死を伝える朝鮮中央テレビの特別放送
2011(平成23)年12月19日正午、朝鮮中央テレビは、長らく画面から姿を消していた事で様々な憶測を呼んでいた看板アナウンサー・リ=チュニ氏を喪服姿で登場させ、金正日の死を伝える特別放送を流した。尚、画面に表示されている文字は、ハングルで「12月17日8時30分 国防委員長死亡」と書かれている。
左から金日成・金正日・金正恩
「金氏朝鮮」の三人の「王」 ── 金日成・金正日・金正恩(左から)
世界広しと雖(いえど)も「社会主義」の看板の下(もと)、最高指導者を三代に亘(わた)って父子直系世襲した国は北鮮以外には見当たらない。その意味でも、北鮮と言う国家は「朝鮮民主主義人民共和国」と言い乍(なが)ら、其の実、金氏の王を頂点に戴(いただ)く李氏朝鮮顔負けの専制王朝国家だと言えよう。
2011(平成23)年12月19日正午。北鮮の公式メディアである朝鮮中央テレビが特別放送を行い、「偉業輝ける人民の領導者(リョドンジャ)」にして「偉大なる将軍様(チャングンニム)」金正日(キム=ジョンイル)が二日前の17日午前8時30分、心筋梗塞により死亡したと発表しました。此により日本は、横田めぐみさんをはじめとする邦人の拉致を指揮し、核兵器開発と弾道ミサイルの試写を繰り返してきた「不倶戴天の主敵」を失ったのです。金正日の死により権力を継承したのは、同年9月27に朝鮮人民軍大将に昇進(但し、実際の発令は10月10日)、翌28日の朝鮮労働党中央委員会に於いて党中央軍事委員会副委員長に選出されていた三男の金正恩(キム=ジョンウン)です。北鮮建国の父であり「永遠の国家主席」とされた金日成(キム=イルソン)金日成の子息で、米国からイラク(嘗てのサッダーム=フセイン政権)、イラン(反米イスラーム体制)と共に「悪の枢軸」の指導者として名指しされた金正日。そして、更にその子息である金正恩と、社会主義体制に於いては前例の無い権力の三代世襲が為された訳で、正に巷間言う所の「金王朝」と言えるでしょう。とは言うものの、建国の父でありカリスマであった初代・金日成、先軍政治(軍事最優先)の名の下(もと)、軍部の力を背景に独裁を強化した二代目・金正日に較(くら)べると、三代目・金正恩は権力の移行期間が極めて短く、且つ29歳と言う若さと経験の浅さから、どうしても見劣りします。事実、彼が幾ら祖父・金日成の髪型や服装、仕草を真似たところで、「領導者」としての威厳を醸す事等、どだい無理な話です。加えて問題なのが国内情勢です。

、いや多くの識者が北鮮の体制をして「金王朝」と呼んでいる事は先述しましたが、国号を採って「金氏朝鮮」と呼ぶ事もあります。朝鮮半島の歴代王朝で「朝鮮」の国号を名乗ったのは、伝説の王朝である檀君朝鮮、支那の殷周革命(王朝交代)の際、殷の最後の王である帝辛(一般には「紂王(ちゅうおう)」の名で知られる)の叔父に当たる箕子(きし)を祖とした箕氏朝鮮(奇氏朝鮮)、支那は前漢の時代、燕(えん)からの亡命者・衛満が時の王、箕準から王位を簒奪(さんだつ)して建国した衛氏朝鮮、そして、支那は明の時代、王氏高麗(こうらい)の将軍・李成桂(イ=ソンゲ)が時の王、恭譲王(コンヤンワン)を廃して建国した李氏朝鮮(李朝とも呼ばれる)が挙げられますが、その内、最後の朝鮮王朝である李氏朝鮮のリメイク版と言えるのが、実は「金氏朝鮮」なのです。

金正恩・張成沢・李英鎬
金正恩(左)の真後ろに立つ叔父の張成沢
2011(平成23)年12月28日、平壌(ピョンヤン)で執り行われた金正日の告別式に於いて、遺体を乗せたリンカーン-コンチネンタルの右最前列に立つ喪主の金正恩の真後ろに立っていたのは、彼の叔父とは言え党内序列第19位と言われる張成沢(チャン=ソンテク)であった。これが張成沢をして「金正恩の後見人」と言われる所以(ゆえん)でもある。彼は「国防委員会副委員長」の肩書きとは裏腹に経済が専門で、自国の再建には「中国」(支那)式の改革開放しか無いと考えており、軍部及び守旧派との間に軋轢(あつれき)があるとされる。(左最前列に立つのは李英鎬(リ=ヨンホ)軍総参謀長、その後は金永春(キム=ヨンチュン)人民武力部長)
左から李英鎬・金正恩・金永南
金正日追悼大会の壇上、金正恩の右に立つ李英鎬(左)
2011(平成23)年12月29日、平壌(ピョンヤン)で執り行われた金正日の追悼大会に於いて、壇上中央に立つ喪主の金正恩の左側(向かって右側)には最高人民会議常任委員長(国会議長)の金永南(キム=ヨンナム)、右側(向かって左側)には朝鮮人民軍を率いる李英鎬(リ=ヨンホ)軍総参謀長(次帥)が立っていた。李英鎬は張成沢が目を掛けて引き上げた人物で、金正恩体制は党と官僚を率いる張成沢と、軍を率いる李英鎬の支えにより、辛うじて成り立っていると言っても良い。但し、李英鎬が何時迄(いつまで)も目を掛けて呉(く)れた張成沢に従うとは思えない。何故なら、彼とて野心家の一人なのだから。
左から金正恩・金永春・李英鎬・金正日
金正日の軍部隊視察に同行した金正恩と並ぶ金永春
写真は金正日が軍の部隊を視察した際に撮影されたものだが、金正恩の左隣に立っているのは金永春(キム=ヨンチュン)人民武力部長(国防相)である。一緒に「仲良く」並んでいるのであれば何ら問題は無いのだが、この二人は仲が悪く、生前の金正日の頭痛の種の一つでもあったと言う。単に「親の七光り」で権力を世襲したボンボン金正恩の体制に不満を抱く金永春ら軍部の古参は、「新王」の失敗を手ぐすね引いて待っていると言うのが実情だろう。(金正日の右隣に立っているのは李英鎬(リ=ヨンホ)軍総参謀長)
氏朝鮮は、国王を頂点とする王族と貴族特権階級である「両班(ヤンバン)」ら支配階層が圧政を布(し)き、国内事情(政治の腐敗と深刻な食糧不足等)や国外情勢(西欧列強による宗主国・清の半殖民地化や、黒船来航が引き金となった日本の明治維新)を顧みる事無く、自分達の暮らしを維持する為、只それだけの為に、大多数の民衆を搾取し続けた「どうしようもない国」 ── 実際には「国」と言うのも烏滸(おこ)がましい程、国としての体(てい)を為していなかったのだが ── でした。今現在、韓流ブームに乗って日本でも韓国発の歴史物ドラマが放映されていますが、其処(そこ)に描かれている李氏朝鮮の描写は正直言って史実とは真逆と言っても過言ではありません。いや、寧(むし)ろ、金王朝とそれを取り巻く側近達、更には先軍政治の名の下に軍部を優遇している現在の北鮮に近いと言った方が当を得ています。詰まり、国民の圧倒的な支持があって成り立っている体制では無いと言う事です。加えて、深刻な食糧不足は既に限界水域を越えており、国民はおろか軍への配給も満足のいく水準ではありません。こうなると、圧倒的な軍部の力を背景に自らの基盤を維持してきた先代・金正日の頃の様にはいきません。ましてや、金正恩体制は「領導者による独裁」等では無く、彼の叔父(金正日の妹・金敬姫(キム=ギョンヒ)の夫)で党と官僚を率いる張成沢(チャン=ソンテク)と、朝鮮人民軍総参謀長(次帥)として軍を率いる李英鎬(リ=ヨンホ)による後ろ盾の上に辛うじて成り立っている妥協的集団指導体制です。然も、李英鎬が軍部を率いているとは言え、古参の金永春(キム=ヨンチュン)人民武力部長(国防相)等、軍部内の強硬派は、自分よりも若く格下だった李英鎬が抜擢され、彼の下に置かれている事を大いに不満に思っていますし、金正日が生前から手を焼いていた程、金正恩と金永春の間も険悪です。(其れを如実に示したのが、昨年12月28日の金正日の告別式に於ける葬送行進である。金正日の遺体を乗せたリンカーン-コンチネンタルの左右に幹部が列を作って行進したが、最前列には右に金正恩、左に李英鎬。金永春は自分よりも若く嘗ての部下だった李英鎬の後を歩かされたのだ。儒教による上下関係に五月蠅(うるさ)い朝鮮人社会に於いて此程(これほど)の屈辱は無いと言えよう) 其処へ持ってきての経済改革計画です。北鮮は深刻な食糧不足に苛(さいな)まれていますが、これは何も今に始まった事ではありません。抑(そもそ)も、日本が朝鮮半島を統治していた時代(コリア人言う所の所謂「日帝三十六年」)から言える事ですが、地理的特色から南は農業振興、北は工業化が推進されて来ました。それ故、今では信じられないかも知れませんが、南北朝鮮成立直後は現在とは異なり、重工業地帯を多く抱えていた北鮮の方が韓国よりも国力があったのです。然し、それは裏を返せば、北鮮は農業に不向きだ共言える訳で、実際、度重なる凶作による食糧生産量の低下と、日米を中心とする経済制裁により食糧の確保が満足にいかず、慢性的な食糧不足に悩まされています。(「中国」からの食糧供給が絶たれれば北鮮は国家全体が餓死する) とは言え、この儘(まま)手を拱(こまね)いていては、益々深刻な食糧不足に拍車が掛かり、国民の不満、更には軍部の不満が鬱積し、何時(いつ)暴発するかも分かりません。実際、そうならない為に、海外留学経験があり「外の世界」を自らの眼で見てきた金正恩自身は、政治体制は一党独裁による社会主義(共産主義)であり乍(なが)ら、経済システムに資本主義を導入した「中国」(支那)の改革開放政策に倣(なら)って、北鮮版経済特区の設置による経済活性化を目論んでいる事でしょう。然し、これは経済の活性化とそれに伴う食糧不足の改善にはある程度寄与するかも知れませんが、それは同時に、国民の生活水準が上がる事による軍部の相対的な地位低下(「衣食足りて礼節を知る」の諺(ことわざ)よろしく、飢餓状態が改善されれば、今度は軍部の関与軽減を含む政治改革が叫ばれる事だろう)、ひいては、金王朝の世襲独裁に対するあからさまな批判を惹起する事にもなります。詰まり、父の死により一国の頂点に立った金正恩は、進むも地獄、退(ひ)くも地獄と言った状態に置かれていると言っても過言ではありません。そう考えると、改革によって自らの特権が失われる事を怖れた金永春ら軍部内の反対派が宮廷クーデターを起こし、金正恩を排除しないとは必ずしも言えないでしょう。実際、過去の歴史に於いて、王氏高麗滅亡、李氏朝鮮成立の契機となった1388年の威化島回軍(前述の李成桂によるクーデター)や、支那五代最後の王朝・後周に於いて軍のトップにあった趙匡胤(後の宋の太祖)が960年に起こした陳橋の変と言った軍事クーデターにより、時の帝王が廃され新王朝(政権)が樹立された事例は枚挙に暇(いとま)がありません。詰まり、祖父や父の偉業と言う単なる「七光り」だけで実績が何ら伴わない若き領導者・金正恩の地位は決して安泰では無いと言えるのです。

金正男
金正日の長男で金正恩の異母兄、金正男
平成13(2001)年5月1日、妻子と共に偽造旅券を使って成田空港から日本に入国、東京ディズニーランドへ遊びに行こうとしたものの、入国管理局に身柄を拘束され、同月4日、小超法規的措置により強制退去処分された金正男(キム=ジョンナム)。当時、小泉政権は彼が金正日の長男、金正男であるとは公式に認めなかったが、平成21(2009)年1月24日、当人が北京国際空港でインタビューを受けた際、「日本と言う国に興味があったので旅行に行った」と述べ、日本へ密入国した事実を自ら認めた。
金平一
故・金正日の異母弟、金平一(右)
金日成をして「党は金正日に、軍は金平一(キム=ピョンイル)に、政治は金英一(キム=ヨンイル:故人)に任せると言わしめた金正日の異母弟、金平一。嘗て人民武力部大佐として作戦副局長や、護衛総局に籍を置いて父・金日成の警護を任されていた金平一は有力な後継候補だった事から、兄・金正日に後継決定後は彼に疎(うと)まれ、欧州諸国の駐在大使を転々とさせられている。然し、生来、学業優秀で風貌も良く、57歳と年齢的にも問題無い事から、役不足の金正恩に代わる指導者として担ぎ出すと言う選択肢が無い訳でも無い。
ころで今更乍ら、金正日の後継者レースに於いて早々と脱落した長男の金正男(キム=ジョンナム) ── 平成13(2001)年5月1日、妻子と共に偽造旅券を使って成田空港から日本に入国、東京ディズニーランドへ遊びに行こうとした(本人の弁)ものの、入国管理局に身柄を拘束され、同月4日、強制退去処分により北京へと放逐された事件をご記憶の方もおありでしょう ── が、金正恩の後継確立後もマカオ等に滞在し、以前と何ら変わらぬ贅沢な暮らしを続けている事を不思議に思われませんか? 嘗て金日成の後継者レースの際、金正日と二代目の座を争った異母弟の金平一(キム=ピョンイル)は、父親金日成譲りの風貌と優秀な学業成績、更には護衛総局に籍を置いて父親の警護を任されていた事から、二代目の有力候補と目されていましたが、兄である金正日との争いに敗れた事から、フィンランドやブルガリア、ポーランドと言った欧州諸国の駐在大使を転々とさせられており、二度と祖国の土を踏む事は許されない、その様な境遇にあります。(一説には金正日の命令で去勢(パイプカット)されたとの話もある) それに較べると、傍目(はため)には相も変わらず「豪遊」を繰り返し、弟の権力継承に付いても「個人的に三代世襲に私は反対します」と歯に衣着せぬ発言をする金正男を見て、正直、命の危険は無いのか? 刺客を放たれては居ないのか? と他人事乍ら多少心配にもなります。然し、その心配は現時点では全く無用であると言わざるを得ません。何故なら、金正男は傍目には勝手気儘に行動している様に見えますが、実際には「中国」が身辺警護を付け、且つ行動が逐一監視されており、真の意味での自由気儘な行動等許されては居ません。詰まり、「中国」は金正男を刺客等から守っていると同時に、常に其の行動を監視管理している訳です。そして、その理由は一つ。金正男と言う「北鮮のプリンス」を自分達の目の届く範囲に囲っておき、「不測の事態」が発生した際の手駒として使う腹積もりがあるからに他なりません。

「中国」が金正男を手駒として使う程の「不測の事態」とは一体何なのか? それはずばり、北鮮国内に於いて軍部によるクーデターが発生し金正恩が「廃位」(失脚)されたり、民衆による蜂起が元で動乱(混乱状態)に陥った際、金正恩に代わる領導者として御輿に祭り上げ、彼を奉じる形で「治安回復」名目で人民解放軍を北鮮に進駐占領せんが為です。そして、その最大の理由は、満洲は吉林省に延辺朝鮮族自治州と言う北鮮と接する朝鮮人が多く暮らす地域を抱えているからです。北鮮でクーデターなり動乱が発生すると、国境を流れる川、鴨緑江(おうりょくこう/アムノッカン)を渡って、北鮮から大量の難民が押し寄せてくるであろう事は想像に難くありません。ましてや、クーデターの余波で混乱が北鮮から延辺朝鮮族自治州に飛び火したりすれば、朝鮮人以外にも多くの少数民族を抱える「中国」の民族問題や領土問題に影響が出て来ます。更には、その様な事態共なれば、当然の事乍ら、南の韓国とその同盟国である米国が黙っていよう筈がありません。(実際、米韓連合軍は北鮮で不測の事態が発生した際に発動する「作戦計画5029」なるものを既に策定している) 結果、「中国」は、クーデターなり動乱を一刻も早く鎮圧し、周辺への混乱の拡大を阻止する必要上、又、あわよくば、その機に乗じて北鮮を実質的に自国領に組み込まんが為、北鮮領内へ人民解放軍を投入、更には秩序回復名目での軍政布告と占領統治と言った手段に訴えてくる事は火を見るよりも明らかです。但し、一方的に軍を進駐したのでは、主権侵害や侵略の誹(そし)りを受けかねません。然し、若(も)しも、その際、「北鮮のプリンス」である金正男を擁していたとしたら? 「中国」にとっては大義名分が立ちますし、いざとなれば北鮮領を獲(と)る事も出来る訳で、金正男保護の為に掛かっている経費等安いものと言えるでしょう。

金正哲
エリック=クラプトンのシンガポール公演を鑑賞する金正哲
平成23(2011)年2月14日、「ギターの神様」エリック=クラプトンのシンガポール公演に姿を現したのは、誰あろう金正日の次男・金正哲(キム=ジョンチョル)である。彼は父の権力を継承した弟(三男)の金正恩と同じ、元在日朝鮮人の母親、高英姫(コ=ヨンヒ)似で性格も優しいと言う。それは裏を返せば線が細いと言う事であり、血で血を洗う権力闘争や米国との間で核開発やミサイルの試写をカードにした北鮮のお家芸「瀬戸際外交」を行う独裁者には不向きと言う事でもある。とは言え「腐っても鯛」。「北鮮のプリンス」と言う立場を利用しない手は無いのである。
(さて)、そろそろ核心の話をしましょう。金正日の後継者として「金氏朝鮮」の三代目を世襲した三男の金正恩。長男であり乍らも後継者争いからいち早く脱落し、その後、「中国」の実質的保護下に置かれている金正男。となれば、残るは同じく後継者争いに敗れた次男の金正哲(キム=ジョンチョル)とくるでしょう。この金正哲を日本が何とか手に入れる事は出来ないものか?(金正哲をどうやって手に入れるか? ── 連れてくるか? ── に付いては、智慧のある人間が考えれば良い) 大阪鶴橋生まれの在日朝鮮人二世、高英姫(コ=ヨンヒ)を母に持ち(この点では、金正恩も同じ)、二人の兄弟同様、海外留学経験がある「北鮮以外の世間を知っているプリンス」を、日本が食客 ── 「不測の事態」の際の保険 ── として目の届く範囲内に置いておく事は出来ないものか? 古代、満洲から北鮮に跨(またが)る地域を領した高句麗(こうくり)や、同じく満洲を領した渤海国を「中国の地方政権」として自国の歴史に組み込み、それを根拠に同地域に対する領有権を正当化する「東北工程」を進めている「中国」の領土的野心を見る時、日本がそれに対抗する為、如何(いか)なる対処を採れば良いのか? その帰結が「中国」が抱える金正男に対する金正哲である訳です。

毒を食らわば皿迄

夷を以て夷を制す

との諺もあります。仮にも日本にとって不倶戴天の敵であった金正日の息子を食客として迎える等、以(もっ)ての外(ほか)! とうとう竹下義朗も血迷ったか? 馬鹿も休み休み言え! との非難も聞こえてきそうですが、国際社会とは正に魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する修羅場です。その修羅場を切り抜ける為には、時としてウルトラC共言える大技を繰り出さなくてはならない場面もある事でしょう。そのウルトラCとして、金正哲を日本が食客に抱える事。その事を私は日本が採り得る選択肢の一つとして考えても良いのでは無いか? そう思うのです。(了)


前のページ 次のページ