Reconsideration of the History
242.「女性宮家」等必要無い! 『皇室典範』改正なら他にもすべき事があるだろう!! (2012.1.27)

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ェ仁親王殿下
ェ仁親王殿下
ェ仁親王は、昭和天皇の御兄弟で唯一御存命の三笠宮崇仁(たかひと)親王の第一男子で今上(きんじょう)天皇の従弟(いとこ)に当たる。皇太子殿下や秋篠宮殿下が今上天皇の皇子と言うお立場から皇位継承問題で婉曲且つ慎重な御発言しか出来ないのとは異なり、はっきりと物言う数少ない皇族として、小泉政権時代の有識者会議が「女系天皇」容認を打ち出した際、皇室の長い歴史と伝統を破壊するとして明確に反対を表明為された。そして、そのェ仁親王殿下は、又、昭和22年に皇籍離脱した旧宮家の皇籍復帰に付いて肯定的発言を繰り返している。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加、消費税増税と共に、野田佳彦総理が積極的に進めようとしているテーマに「女性宮家」創設があります。これは、女性皇族(内親王及び女王)が結婚と共に皇籍離脱(皇族でなくなる事)する事を規定した現行の『皇室典範』を改正し、結婚後も皇籍離脱する事無く、配偶者、更には生まれてくるであろう子女も含め、女性皇族を当主とする宮家の創設を認めようと言うものです。その必要性として推進派は、東宮(とうぐう;皇太子)家の敬宮(としのみや)愛子内親王殿下(10歳)、秋篠宮家の眞子(まこ)内親王殿下(20歳)・佳子(かこ)内親王殿下(17歳)、(三笠宮)ェ仁(ともひと)親王家の彬子(あきこ)女王殿下(30歳)・瑶子(ようこ)女王殿下(28歳)、高円宮(たかまどのみや)家の承子(つぐこ)女王殿下(25歳)・典子女王殿下(23歳)・絢子(あやこ)女王殿下(21歳)、以上八人の女性皇族が『皇室典範』の規定に従って結婚後、皇籍離脱した場合、皇族が秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王殿下お一人になってしまい(悠仁親王殿下よりも年上の皇族が全て亡くなられた場合)、更には悠仁親王殿下が皇位継承した時には、皇室の藩塀(はんぺい)としての宮家が一つも無いと言う危機的な状況に陥ってしまう事態を回避する為だとしています。言わんとしている事は尤(もっと)もです。然し、女性宮家に道を開いた場合、当主である女性皇族(男系女子)は兎も角として、配偶者との間に生まれる子女は皇室の長い歴史と伝統には存在しなかった「女系」皇族であり、更にはその「女系」皇族が皇位を継承する様な事にでもなれば、「男系」によって継承されてきた皇統が廃絶する事を意味する訳です。その観点からも、私は野田総理が進めている女性宮家構想には断固反対ですし、それに沿った形での『皇室典範』改正にも反対を表明せざるを得ません。とは言え、現行の『皇室典範』を金科玉条の如く墨守し、一言一句変える事罷(まか)り成らん共思ってはいません。

ェ仁親王第一女子 彬子女王殿下
ェ仁親王第一女子 彬子女王殿下
ェ仁(ともひと)親王家の第一女子(長女)である彬子(あきこ)女王殿下は昭和56(1981)年12月20日生まれの30歳。現在、皇室には八人の女性皇族(独身)が居られるが、その中で最年長である。30歳と言う年齢は既に結婚適齢期であり、いつ何時(なんどき)、御結婚されても何ら不思議では無い。然し、結婚による皇籍離脱が謳われている『皇室典範』と、野田総理が進めている「女性宮家」構想の中、彬子女王殿下に限らず女性皇族にとって、御結婚は自らの地位と皇室の将来に直結する微妙な問題を抱えており、それが故に御結婚に踏み切れないで居られるのかも知れない。
「女性宮家」には断固反対!! 然し、その主張とは一見矛盾するかも知れませんが、私は、女性皇族が結婚後も皇籍離脱する事無く皇族であり続ける事には反対しません。いや、寧(むし)ろ賛成です。但し、それは「単品」では無く、別の条件と「セット」での改正である可きだとの考えです。その条件とは、具体的には現行の『皇室典範』では認められていない皇族の養子縁組み禁止の条件付き撤廃です。現在、皇室には秋篠宮・常陸宮・三笠宮(ェ仁親王家を含む)・桂宮(独身)・高円宮の五宮家がありますが、継承者としての男子皇族が居(お)られるのは秋篠宮家のみ。残る四家の内、桂宮家は独身の宜仁(よしひと)親王殿下のみですし、他の三家も女性皇族しか居られない事から、結婚と同時に皇籍離脱する以上、皆、男系男子皇族の不在により遠からず断絶する事は自明の理です。そして、それを防ぐ為には、女性皇族が結婚後も皇籍に留まる必要が不可欠である訳です。然し、例え女性皇族が結婚後も皇籍に留まったとしても、配偶者が皇族として認められなかったり、子女が「女系」である事から、矢張り皇族として認められず、ましてや「男系」の不文律に反する事から皇位継承等以(もっ)ての外(ほか)である以上、それは単に女性皇族の「皇族」と言う身分に対する「延命治療」と言っても過言では無く、その女性皇族の薨去(こうきょ)によって宮家が断絶する事には何ら変わりが無いでは無いか? その様な意見も出てくる事でしょう。そして、その様な意見に応(こた)える方策こそが、現行の『皇室典範』では認められていない皇族の養子縁組み禁止の条件付き撤廃である訳です。

行の『皇室典範』では認められていない皇族の養子縁組み禁止の条件付き撤廃。それでは、その「条件」とは一体何なのか? それは孰(いず)れかの天皇の「男系男子」の子孫である事。具体的には、昭和22(1947)年に皇籍離脱(実際には「皇籍剥奪」)した十一宮家の内、現在も男系男子の子孫が残る久邇(くに)・賀陽(かや)・竹田・朝香・東久邇の旧五宮家や、夫々(それぞれ)皇室から藤原摂家(せっけ)に養子入りした近衛信尋(このえ-のぶひろ)・一条昭良(あきよし)・鷹司輔平(たかつかさ-すけひら)を祖とする「皇別摂家」の男系男子の子孫を対象に、宮家当主・女性皇族との養子縁組や、女性皇族との結婚(と同時に宮家当主との養子縁組=婿養子)による宮家相続への道を拓(ひら)くと言うものです。これならば、独身の桂宮家や、お子様が居られない常陸宮家、更には、お子様があり乍(なが)ら、全て女王(女性皇族)であるが故に孰れは断絶する運命にあるェ仁親王家や高円宮家も、旧宮家や皇別摂家の男系男子との養子縁組や婿養子により存続が可能となります。詰まり、わざわざ皇室の伝統には無い「女性宮家」や女系継承に道を拓かず共、旧宮家や皇別摂家の男系男子子孫に対象を限定した養子縁組・婿養子を『皇室典範』の中に謳(うた)う事で、「皇族が誰もいなくなる」危機は充分回避可能である訳です。その観点からすれば、野田総理が進めている女性宮家構想は拙速ですし、実現される事で皇室の枠組みが破壊されかねない重大な危険性を孕(はら)んでいると言わざるを得ません。

竹田恒泰氏
旧皇族「竹田宮家」出身の竹田恒泰氏
現在、慶應義塾大学講師を務めている竹田恒泰氏(37歳)は、昭和22(1947)年に皇籍離脱(剥奪)した旧竹田宮家出身の男系男子。父は日本オリンピック委員会(JOC)前会長の竹田恒和氏で、祖父・竹田宮恒徳(つねよし)王の母が明治天皇第六皇女・常宮(つねのみや)昌子内親王である事から、明治天皇の玄孫(やしゃご)に当たる。皇族の発言が種々制限されている中、旧皇族の家に生まれ乍(なが)らも一般人である立場を利用し、時として皇室の代弁者としての役割を担っており、「おヒゲの殿下」として親しまれているェ仁親王殿下とは昵懇(じっこん)の仲でもある。
養子縁組の例

在、女性皇族で最年長はェ仁親王第一女子(長女)の彬子女王殿下です。昭和56(1981)年12月20日生まれの御年30歳。一般的な感覚では充分、結婚適齢期であり、いつ何時(なんどき)御結婚為されても何ら不思議ではありません。その彬子女王殿下が毎日新聞の単独インタビューに応じ、御自身のお考えを披瀝為された記事が今年(平成24年)1月7日、掲載されました。

寛仁親王家長女・彬子さま:「女性宮家」早い決着を

 政府が検討作業に入った「女性宮家問題」などに関し、寛仁親王家の長女彬子(あきこ)女王殿下(30)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、「お国の決定に任せるしかないが、決めるのであれば早く決めていただきたい」などと思いを語った。彬子さまは未婚の女性皇族8人のうち最年長で、皇族がこの問題について考えを示したのは初めて。

 彬子さまは、日本美術史を専攻し、英国オックスフォード大で女性皇族としては初めて博士号を取得。現在、立命館大衣笠総合研究機構でポストドクトラルフェロー(博士研究員)を務めている。

 皇室典範は、女性皇族は皇族以外と結婚した場合、皇族の身分を離れると規定しており、このままでは皇族が極端に減ってしまうため、野田政権は年明けと共に、結婚後も皇族にとどまる女性宮家制度の本格的な検討を始めた。

 彬子さまはインタビューで、(政府・国会)に任せるしかないと政治的発言に関し控える姿勢を示しつつ、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘。「今の議論は女性宮家を創設するかしないか(のみ)になっているような気がして、そこには違和感がある」と戸惑いを語った。

 また、結婚して民間人になるという前提で教育されてきたことを挙げ、「その前提が大きく変わるかもしれないというので、私自身落ち着かない状態です」と心境を吐露した。そして、結婚適齢期の女性皇族が増えることに関し「お相手の方の将来にも関わってくる問題です」として女性宮家問題の早期決着を望んだ。

 一方、皇室の将来については「国民のみなさまが皇室をどのように見ておられるか」「国民のみなさまが残したいと思われているか」にかかっているとし、自身が結婚後も皇族にとどまることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。【大久保和夫、川崎桂吾】

 ◇解説 将来設計を左右 十分な考慮を

 政府が改正を検討する皇室典範は、対象を広く一般化した他の法律とは違い、天皇陛下と皇族の23人の立場などを規定したものだ。

 女性宮家制度は、独身女性皇族の今後の生き方や将来設計を直接左右する。典範の改正時期によっては「姉が一般人なのに妹は結婚しても皇族」という差が出る恐れもある。宮家を作る女性皇族の範囲をどうするかという問題もある。

 皇族は選挙権もなく、政治的言動は控えており、彬子さまも質問ごとに熟慮しながら、国の決定に任せるしかないと自らの立場を強調した。制度上は「意向の確認・反映」が必要事項ではないとしても、典範改正に際しては「若い女性たちの人生を変える」という事実を踏まえた十分な考慮が必要だ。

 一方で、国民の理解も欠かせない。2月からの有識者ヒアリングについては、国民に皇室の課題について理解を深めてもらうためにもオープンにして判断の素材を提供すべきだろう。【大久保和夫】

毎日新聞 2012年1月7日 2時30分(最終更新 1月7日 10時41分)

彬子女王殿下はインタビューの中で、野田総理が進めている「女性宮家」構想に限定した『皇室典範』改正に疑義を挟み、私も主張している昭和22年に皇籍離脱した旧宮家の皇籍復帰に付いて言及しています。ェ仁親王が言及し、ェ仁親王と昵懇(じっこん)の仲にある旧皇族「竹田宮家」出身の竹田恒泰(つねやす)氏 ── 皇統の男系子孫であり、明治天皇の玄孫(やしゃご)でもある ── も言及し、更には女性皇族最年長の彬子女王迄も言及した旧宮家の皇籍復帰。野田総理は「女性宮家」構想に限定していますが、此処迄(ここまで)皇室関係者が言及している以上、皇室の伝統にそぐわない「女性宮家」等と言う異質な議論よりも、旧宮家の皇籍復帰(旧宮家の再興)や、現在の宮家当主との養子縁組による宮家存続と言った方向での『皇室典範』改正に議論の舵を切る可きでは無いのか? 私はそう強く思いますし、本来、それが正道だと思うのです。(了)


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