Reconsideration of the History
128.執拗な迄に「東海」呼称に拘る韓国 ── 「竹島問題」に対する布石 (2003.10.8)

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『127.「東海」、「東海」、そして「東海」 ── 「日本海」呼称変更が引き起こす混乱』・前々回『126.国際表記を「日本海」から「東海」へ ── 日本海を巡る韓国側主張の矛盾』と二回にわたって、国際表記「日本海」を巡り、IHO(国際水路機関)迄巻き込む形で、韓国が「東海」に変更する様、運動を展開している事について触れた訳ですが、実はこの問題には「裏」があるのです。はっきり言えば、韓国にとって「日本海」の国際表記が、韓国が変更を主張して止まない「東海」になろうが、従来からの「日本海」のままであろうが、さして問題ではありません。つまり、韓国にとって本音では「どうでも良い」事なのです。それならば、何故、韓国は執拗な迄に「東海」呼称に拘るのか? 実は、ある「別の問題」の解決を有利に進める為の「材料」(カード)として、「東海」呼称を持ち出したのです。と言う訳で、今回は、韓国が「東海」呼称に絡めて一挙に解決を図ろうとしている「別の問題」について、書いてみたいと思います。

国が本音ではどうでも良い「東海」呼称を、わざわざ持ち出して迄、解決を図ろうとしている問題とは一体何なのか? ズバリ言えば、それは先に取り上げた「竹島問題」です。(詳しくは、『95.韓国による「侵略」 ── 竹島問題』参照の事) 復習の意味も兼ねて簡単に触れますが、「竹島問題」とは、昭和27(1952)年1月18日、韓国初代大統領・李承晩が、『海洋主権宣言』を布告、日本海上に一方的に「李承晩ライン」と呼ばれる領海線を設置し、これに基づいて、翌昭和28(1953)年2月27日、同ラインの「内側」(韓国側)に位置していた「日本の領土」である「竹島」(島根県隠岐郡五箇村)に対して軍隊を派遣しこれを占拠。以来、今日に至る迄、同島は韓国軍警備隊が常駐 ── 韓国による軍事占領下にあり、日韓両国間の「領土問題」として横たわっています。その「竹島問題」と「東海」呼称とに一体どの様な関連性があるのか? 皆さんの中には、その様に思われる方もおありでしょう。かたや「領土問題」、かたや「国際表記問題」。一見すると何の関連も無い様に思われる二つの問題ですが、そこに「関連性」を持たせようと考えたのが韓国なのです。では、韓国は「東海」呼称を通して、「竹島問題」をどの様に扱おうとしているのでしょうか?

国は、前述の様に「日本の領土」であった竹島を「領有」(主権を有する日本から見れば韓国による「侵略」であり「軍事占領」)するに当たり、先ず、『海洋主権宣言』の布告と、「李承晩ライン」の一方的設置を図りました。これを大義名分に竹島を「領有」した訳ですが、当然の事ながら、同島に対する主権を有する日本がこれを認める訳がありません。その後、日本は幾度と無く韓国に対して、竹島に対する主権を主張、返還を要求しましたし、二国間交渉で埒(らち)があかないと見るや、国際司法裁判所の場でシロクロ決着を付けようとの提案もしました。しかし、韓国は日本の提案を一切拒絶し、一貫して「竹島は韓国固有の領土である」と言う姿勢を崩してはいません。とは言え、元来、「日本の領土」であった竹島を韓国が「領有」するに至った歴史的経緯(侵略・軍事占領)迄は隠蔽(いんぺい)出来ません。このままでは、いくら「実効支配」の実績を積んでも、国際社会からは、

確かに現在、竹島は韓国が領有しているが、元来は「日本固有の領土」であった。
と言うレッテルを貼られたままになり、何時まで経っても「後ろめたさ」が残ります。又、日本が提案した国際司法裁判所の様な国際機関の場で、何の利害関係も無い「第三者」(国)に判断を委ねる様な事になった時、果たして、国際社会は日韓どちらの主張に耳を傾けるのか? 韓国にとって、オリンピック・ワールドカップ・アジア大会と言った国際大会を次々と成功させ、「PC房」(PCバン)に代表されるブロードバンド・IT大国に一躍躍り出た現在、「竹島問題」に於いて後顧の憂いを無くす事 ── 例えどの様な場面に遭遇しても、絶対に自国の主張が国際社会に受け入れられる様にする事。その伏線として、韓国は「東海」呼称を持ち出したのです。

まり、こう言う事です。国際社会が「日本海」に対する国際表記を韓国が主張している「東海」に変更する事を認めれてくれれば、日本の「日本海」に対する「影響力」(「日本海」呼称には、多分に「日本の内海」と言う印象が付き纏(まと)う)を払拭する事が出来、相対的に韓国の「影響力」を向上させる事が出来る。縦(よ)しんば、例え「東海」呼称への変更が叶わないとしても、「日本海」は「日本の内海」では無く、「韓国の海」でもある、と言う事を国際社会に示す事が出来る訳で、どちらに転んでも、韓国と「日本海」の繋がりをアピール出来る訳です。その上で、「竹島は、新羅時代から固有の領土であった」と言う「歴史的事実」(実際には甚だ曖昧で、領有の証拠にはなり得ないのだが)をもアピールし、「竹島問題」を有利に解決しようと画策している訳です。しかし、それだけでは、心許ないので、韓国は更なる秘策を講じてきたのです。

「鬱陵島海上国立公園」関連図 成14(2002)年8月12日、韓国環境部(環境省)が、『鬱陵島海上国立公園(仮称)推進案』を纏め、

「2002年10〜11月に住民説明会と公聴会を開いて世論を集め、2003年3月から1年間、各種の調査を行った後、国立公園指定の妥当性を検討する」
とし、平成16(2004)年を目処(めど)に、鬱陵島(ウルルンド,うつりょうとう)・独島(ドクト)及びその周辺海域を、「鬱陵島海上国立公園」に指定する見通しであると発表したのです。さて、ここに名が上がった「独島」ですが、これこそが韓国が軍事占領している「竹島」の事なのです。つまり、表向きは「自然環境保全」目的と言っていますが、本音は「海上国立公園」化する事で、世界中の環境団体を味方に付け、日本をして返還要求を取り下げさせ様と目論んでいる訳です。ちなみに韓国は既に、「独島」(竹島)を、「韓国天然保護区域」(1982年)及び、「特定島」(2000年)に指定しており、「海上国立公園」化(2004年指定予定)は、その総仕上げと言う訳です。

上、見てきた様に、『海洋主権宣言』・「李承晩ライン」・「東海」(日本海)呼称問題、そして、「海上国立公園」化と言った一連の出来事は、全て「竹島問題」に対して韓国が周到に準備、日本に対して打ってきた布石と見る事が出来るのです。


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