Reconsideration of the History
180.「割譲」と「放棄」 ── 似て非なる領土問題に於ける意味 (2007.2.10)

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前々回、と2回に亘(わた)って、北方領土問題に付いて論じましたが、丁度、

2月7日は、「北方領土の日」

だった事もありますので、今回も、領土問題に付いて論じてみたいと思います。そして、今回、焦点を当てるのは、「割譲」と「放棄」に付いてです。

(ま)ず、「割譲」について論じます。例えば、「割譲」を手元にある『広辞苑』(第4版)で引いてみると、こう書かれています。

 割譲 (かつ-じょう,-ジヤウ)
土地・物などの一部分をさいて他にゆずり与えること。「領土を―する」

アラスカの地図 詰まり、有償・無償に関わらず、「他者に対して、自己の所有物の一部を譲る事」を「割譲」と言う訳です。例えば、代表的な例として、アラスカがあります。アラスカ ── 現在のアメリカ合衆国アラスカ州は、ピョートル大帝時代、ロシア人探検家によって「発見」(現地先住民のイヌイト族やユピク族にとっては、「発見」も何も無い訳だが)され、その後、ロシア(以下、「露国」と略)が植民地経営しましたが、英・仏・土(トルコ)と露・サルデーニャが戦ったクリミア戦争(1853〜1856)終結後の財政難を打開する為、1867(慶応3)年3月30日、露国がアラスカを米国に720万ドルで売却(有償割譲)しました。720万ドルと言うと、高額の様に思えますが、1km2当たりたったの5ドルですし、その後、豊富な天然資源等が発見された事を考えると、「相当お買い得」だったと見る事が出来ます。もっとも、当時はアラスカが「宝の山」である事等、誰一人知る由(よし)も無く、アラスカ割譲交渉の米国側当事者であったウィリアム・H・スワード国務長官は、米国民から「巨大な冷蔵庫を買った男」と馬鹿にされましたが。(彼は、時代によって其の評価が、「大馬鹿者」から「先見の明」へと180度変わった「歴史」の典型例と言えます) アラスカは露国から米国への「有償割譲」の例でしたが、次に、「無償割譲」の例として台湾を挙げます。

治28(1895)年4月17日、日本は山口県下関市で締結された一つの条約がありました。世に『下関条約』として有名な『日清講和条約』です。『下関条約』は、日清戦争(1894〜1895)の戦後処理を確定する為、戦勝国である日本と、敗戦国である清国との間に締結された条約ですが、『下関条約』第2条によって、日本は清国から、遼東半島・台湾・澎湖列島を割与(無償割譲)されました。

   下関条約

第2条(領土の割譲 *筆者による意味付け

清国ハ左記ノ土地の主権並(ならび)ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及(および)官有物ヲ永遠ニ日本国ニ割与ス
  1. 左ノ経界内ニ在(あ)ル奉天省南部ノ地(*遼東半島についての記載)
    鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯(さかのぼ)リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城、海城、営口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併(あわ)セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而(しか)シテ遼河ヲ以(もっ)テ界(さかい)トスル処(ところ)ハ該河ノ中央ヲ以テ経界トスルコトト知ルヘシ
    遼東湾東岸及黄海北岸ニ在(あり)テ奉天省ニ属スル諸島嶼
  2. 台湾全島及其(そ)の附属諸島嶼
  3. 澎湖列島即(すなわち)英国「グリーンウィチ」(「グリニッジ」の事)東経119度乃至(ないし)120度及北緯23度乃至24度ノ間ニ在ル諸島嶼

皆さんもご存じの通り、『下関条約』によって日本に割譲された地域の内、遼東半島は、明治28(1895)年4月23日の仏・独・露三国による対日勧告

「日本による遼東半島領有は、清国の首都北京を脅かすのみならず、朝鮮独立を有名無実のものとにし、極東の平和の妨げとなる。従って、遼東半島領有の放棄を勧告し誠実な友好の意を表する。」
所謂(いわゆる)「三国干渉」を甘受した日本が、同年11月8日、清国との間に、『遼東半島還付条約』を締結し返還しましたが、残りの台湾と澎湖列島はそのまま日本の領有する所となり、大東亜戦争終結迄、日本が統治下に置きました。これは、日清戦争の結果、戦時賠償の一環として、日本が台湾・澎湖列島を清国から割譲 ── 然(しか)も条文には「永遠ニ日本国ニ割与ス」── 永久割譲された結果であり、『サンフランシスコ平和条約』第2条b項

   サンフランシスコ平和条約

第2条(領土権の放棄)

  1. 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

が無ければ、現在も日本が領有するに足(た)る正当且つ合法的な権利と言えるものでした。(尚、この点については、後述する) 因(ちな)みに、『下関条約』によって一旦は日本に割譲されたものの、その後、「三国干渉」が切っ掛けで清国に返還された遼東半島に付いては、「ただ」で返還した訳ではありません。返還に際して、日本は代償として清国から3千万両(4500万円)を受け取っています。詰まり、遼東半島返還に付いては、この様に解釈する事も可能な訳です。

  1. 『下関条約』により、清国が遼東半島を日本に「無償割譲」
  2. 『遼東半島還付条約』により、日本は清国に遼東半島を、3千万両で「有償割譲」

詰まり、長々と書きましたが、要は

「割譲」とは、甲から乙に対して権利が譲渡される事

であり、一旦、権利の譲渡が確定すれば、甲は乙に権利を要求出来ないと言った色合いのものである訳です。(但し、甲・乙間で交渉した結果、権利者である乙が応じれば変更は可能だが) だからこそ、今となっては「売り損」共言える破格の値段で米国に売却=有償割譲してしまったアラスカの領有権を、露国は二度と口に出来ない訳です。それでは次に、今回、「割譲」と共に取り上げる「放棄」について論じます。

「割譲」同様、「放棄」を手元にある『広辞苑』(第4版)で引いてみると、こう書かれています。

 放棄・抛棄 (ほう-き,ハウ-)
  1. なげすてること。すておくこと。
  2. 自分の権利・利益を使わずに喪失させること。「戦争の―」

『サンフランシスコ平和条約』によって、日本が当時領有していた地域の内、朝鮮半島(a)・台湾・澎湖諸島(b)・北千島・南樺太(c)・南洋群島(d)・南極(e)・南沙諸島・西沙諸島(f)に対する領有権を放棄させられた事は、皆さんもご存じの通りです。

   サンフランシスコ平和条約

第2条(領土権の放棄)

  1. 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  2. 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  3. 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  4. 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下に あつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
  5. 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
  6. 日本国は、新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

然し、同じ『サンフランシスコ平和条約』には、これら諸地域に対して日本が領有権を放棄した「後の事」が明記されてはいません。詰まり、『「割譲」とは、甲から乙に対して権利が譲渡される事』と前述しましたが、それに対して、日本による諸地域に対する領有権放棄は、

甲が権利を放棄したが、放棄された権利の譲渡先は未確定

詰まり、「一方的な権利の放棄」であり、厳密には日本が放棄した諸地域に対する領有権=帰属は法的に未確定なまま、と言える訳です。又、「割譲」の様に、甲から乙への権利譲渡がなされていない以上、甲(日本)による一方的な権利放棄である以上、一度は権利を放棄した甲(日本)が再度 ── 改めて権利を主張出来る可能性が残されている事にもなります。この点が、領土問題に於ける「割譲」と「放棄」(一方的放棄及び領有権者未確定)の大きな違いである訳です。

後、日本が領有権を放棄した地域の内、朝鮮半島は韓国・北鮮の分断国家として独立。台湾も独立国家(世に言う所の「政治実体」)として存在。南洋群島もパラオ(ベラウ)・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦として独立しました(他に、米国自治領の北マリアナ諸島が存在)。現在、旧日本領でありながら現地住民による自治自決を伴わず、領有権が未確定な地域には、支那・東南アジア諸国間で係争中の南沙諸島(スプラトリー諸島、旧称:新南群島)・西沙諸島(パラセル諸島)の他に、南千島(日本が現在、露国に対して返還を要求している所謂「北方領土」)・北千島(得撫(うるっぷ)島以北、占守(しゅむしゅ)島以南の諸島)・南樺太(樺太島の内、北緯50度以南の地域)があります。露国は、現在「実効支配」── 日本から見れば、露国による侵略の結果生じた「不法占拠」── している千島全島と南樺太に付いて、「第二次世界大戦の結果」であり、『サンフランシスコ平和条約』に於いて日本が領有権を「放棄」している以上、合法である、との立場でいます。然し、繰り返しますが、領有権問題に於ける「割譲」と「放棄」では、その性格に雲泥の差があり、更に日本が放棄した地域の領有権が国際法的に未確定である以上、露国の主張に何らの正当性はありません。日本が露国に千島全島と南樺太を「割譲」、若(も)しくは、『サンフランシスコ平和条約』の条文に、日本が放棄した千島全島と南樺太の領有権を露国が取得出来る旨明記されていれば(甲から乙への権利譲渡)、話は別ですが、どちらも為されてはいません。再三再四、同じ事を書く様ですが、『サンフランシスコ平和条約』により、諸地域に対する領有権を放棄させられた日本ですが、「未来永劫、領有権を再主張してはならない」と明記されていない以上、日本が何ら拘束されねばならない理由は全くありません。ましてや、放棄した地域に対する領有権の譲渡が未確定であるなら、尚更の事です。日本が今更、戦後独立した朝鮮半島や台湾、南洋群島に対する領有権迄主張す可(べ)きだ等とは私も言いませんが、殊(こと)、「北方領土」に対しては、もっと強く返還を要求す可きですし、場合によっては、歯舞・色丹・国後・択捉の四島に限定せず、範囲を広げて千島全島と南樺太に対する返還要求をす可きであるものと考えます。その意味で、日本政府に対しては、政府公報のテレビCMに登場する「北方領土」の地図を四島に限定するのでは無く、千島全島と南樺太に拡大し、国民に周知徹底していく努力 ── 情報宣伝(プロパガンダ)戦略の重視 ── を今後図っていく可きでは無いかと思います。

補足情報


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