Reconsideration of the History
181.日本、対米戦に敗れしと雖(いえど)も、決して恥ずる事勿(なか)れ (2007.2.21)

前のページ 次のページ


日、平成19(2007)年2月21日で、当ウェブサイト『帝國電網省』も開設10年と言う記念すべき節目を迎えました。思えば、主宰者である私自身、まさかこれ程、長く続くとは思ってもみませんでした。改めて開設当時 ── 平成9(1997)年がどの様な年だったのかを振り返る意味で、その年にあった事を幾つか挙げてみます。

平成9年の主な出来事

こうして、出来事を挙げてみると、当時を何となく思い出される方もおありでしょう。今年1月9日、内閣府(旧総理府)の外局でしか無かった「防衛庁」が「防衛省」に移行し、自衛隊の付随的任務でしか無かった国際平和協力活動・周辺事態に於ける後方支援活動・在外邦人輸送が本来任務に昇格。北鮮(北朝鮮)による日本海へのミサイル発射実験や地下核実験と言った一連の行動を受けての中川昭一・自民党政調会長による「日本核武装」検討発言(発言後、政調会長辞任はおろか議員辞職すらしていない)等々。これら一連の出来事は、十年前には到底考えられなかった大変化です。翻(ひるがえ)って見れば、8年前の平成11(1999)年、西村眞悟・防衛政務次官は、週刊誌上に於ける自身の「核武装論」披瀝が発端で次官辞任に追い込まれたのですから。又、目を「歴史」に転じれば、今でこそ『新しい歴史教科書』が「市民権」(存在自体が社会に許容されている事を指すのであって、市町村教育委員会レベルでの採用云々は又、別問題)を得ていますが、当時 ── 10年前は、「自虐史観花盛り」と言った様相を呈し、支那・韓国と言った極めて特定の「近隣諸国」(世に「特定アジア」と称される国々)による日本の歴史教科書の記述(内容)に対する圧力=内政干渉は、現在からは想像出来ない程酷いものでした。だからこそ、私は『帝國電網省』を開設し、「歴史」を世に問うた訳です。そして、私が「歴史」を問う中で非常に大きな比重を占めたものは、先の大戦 ── 大東亜戦争(太平洋戦争)に軍事的敗北を喫した事で成立した「日本軍国侵略主義史観」に対する挑戦。言い換えれば、安倍晋三・現総理に倣(なら)えば・・・「戦後(史観)レジーム」からの脱却でありました。その様な中、開設10年と言う今日を迎えるに当たり、今回は原点回帰の意味も込め、先の大戦、特に「日米の戦争」に付いて取り上げてみたいと思います。

東亜戦争に於いて、日本が直接戦戈(せんか)を交えたのは、米国を筆頭に、英・蘭(オランダ)・支那・ソ連と言った国々でした。この内、英・蘭に対しては緒戦に勝利を収め、彼(か)の国の植民地(英領マラヤ・シンガポール・ビルマ及び蘭領東インド)を占領。対支那戦に付いては、終戦当時ですら日本が圧倒的優勢(対米戦敗北に連動する形で、大陸の日本軍もやむなく武装解除降伏を甘受)。ソ連に至っては、僅か終戦一週間前の昭和20(1945)年8月8日に参戦した訳で論外も良い所。結局、日本が「大東亜戦争」に於いて、真に戦戈を交え死闘を演じたと言える国は、米国のみです。然(しか)し、歴史が物語る様に、日本は先の大戦に於いて、米国に敗北しました。これは動かし難(がた)い明確な事実です。流石(さすが)の私もこの歴史的事実を否定し、「日本は米国に勝利した」等と書く積もりは毛頭ありません。ただ、軍事的に完膚無き迄に敗北し、国土を占領されたとは言え、決して戦後の日本(であり日本人)が米国に対して、卑屈になったり媚(こ)び諂(へつら)ったりする必要はありません。況(いわん)や自虐的になる必要等全くありません。寧(むし)ろ、私は、

日本、対米戦に敗れしと雖(いえど)も、決して恥ずる事勿(なか)

と言いたいですし、もっと日本人は胸を張って良いと考えます。尤(もっと)も、何故(なぜ)、「敗戦国」の国民にも関わらず、其処(そこ)迄断言出来るのか? と言った疑問を持たれる方もおありでしょう。其(そ)れに付いて、以下順を追って説明していきます。

日本帝國 対 アメリカ合衆国。先の大戦に於いて、日本は米国に完膚無き迄に敗北した事は先に述べた通りです。然し、「日本と米国」 ── 詰まり、「国と国」と見る事自体に、抑(そもそ)もの「間違い」があった訳です。アメリカ合衆国。この国は、50の州(state 但し、ヴァージニア・ケンタッキー・ペンシルヴァニア・マサチューセッツの4州のみ、commonwealth を使用)と、特別区(district)・準州(territory)・直轄領・属領・自由連合州(commonwealth)等からなる「連邦国家」です。然し乍(なが)ら、連邦を構成する「州」は、日本に於ける都道府県とは全く異なる存在です。面積一つ採っても、カリフォルニア(約404千km²)・テキサス(約678千km²)・アラスカ(約1,481千km²)の3州は、日本(約378千km²)を凌ぎますし、各州には独自の「憲法」や「州法」が存在し、更に、有事の際には国防総省州兵総局に指揮権が移り、連邦軍(合衆国軍隊)に編入されるものの、平時に於いては州知事が指揮権を持つ「陸軍州兵(Army National Guard)」・「空軍州兵(Air National Guard)」・「州防衛軍(State Defense Forces)」等、独自の軍隊さえ保有しているのです。確かに米国には、強大な権限を有する大統領(President of the United States)が居(お)り、上下両院からなる連邦議会や、統一軍としての連邦軍も存在します。然し、議会上院は各州代表(各2議席)からなる100議席で構成されていますし、州憲法や州法等が、連邦憲法に抵触したり逸脱しない限り、連邦憲法に優先・尊重される等(『禁酒法』と言える様な法律が、現在も米国南部の一部地域で生きている)米国の州は、日本の都道府県よりも遙かに高度な自治権を有しています。抑(そもそ)も、米国の正式な国号「the United States of America」が示す様に、米国は「United States(州による連合)」=「合州国」(これを「合国」では無く、「合国」と訳した事自体が間違いの元)であり、我々が「州」と呼んでいるものは、事実上の「国家」と言っても良い存在であり、裏返せば、米国は50の「州」=「国家」で構成された「50ヶ国連合」と見る事も出来ます。又、大リーグのベースボールに於いて、アメリカン・ナショナル両リーグそれぞれの優勝チームによって戦われる試合が「ワールド・シリーズ」、そこで勝利したチームが「ワールド・チャンピオン」と呼ばれるのを見ても分かる通り、米国民にとって、米国は「国家」であると同時に「ワールド」=「一つの世界」でもある訳です。以前から、日米戦争史を、面積・人口・資源・工業生産力と言った「国力」(一例に、昭和16年の鉄鋼生産高を見ても、米国が 8,300万tであるのに対し、日本は僅か 418万tでしか無かった)の視点から見て、「圧倒的な国力の差」に日本は敗北したのだ、と言った論旨の意見がありましたが、それ以前に、日本は、「50ヶ国からなる連合」であり、一国のみで「一つの世界」を形作る様な途轍もない国家(米国)を相手に戦い、その上、更に、英・豪(オーストラリア)・蘭・支那・ソ連をも敵に回して大立ち回りを演じた。これだけでも、物凄い話では無いでしょうか?

本は国家の総力を傾注し、強大な大国・米国を相手に、世界最大の海洋である太平洋を舞台に、昭和16(1941)年12月8日の開戦から昭和20年8月15日の終戦迄、実に3年8ヶ月もの長期間、死闘を繰り広げました。米国と戦った国は、何も日本だけではありません。米国は、メキシコと米墨戦争(1846-1848)を、スペインと米西戦争(1898年)をそれぞれ戦い、孰(いず)れにも勝利して、カリフォルニア(米墨戦争)、フィリピン・グアム・プエルトリコ・キューバ(米西戦争)と言った地域を「戦利品」として獲得しています。とは言え、孰れも敗戦国が国家存亡の危機に立たされる程の死闘が繰り広げられた訳ではありません。米国が本気を出して戦った戦争は、実の所、日本との「大東亜戦争」だけです。開戦時の大統領・フランクリン=ローズヴェルトや彼の取り巻き(政府首脳部)は、いくら「列強」の一つであり、日清・日露戦争に勝利した軍事大国の日本とは言え、米国の足下(あしもと)には到底及ばず、開戦から其程(それほど)の期間を経ずして、簡単に降伏させられると甘く見ていました。然し、いざ蓋(ふた)を開けて見れば、日本が大型正規空母4隻を含む多くの艦艇・航空機・将兵を一挙に喪失した昭和17(1942)年6月7日のミッドウェー海戦大敗迄、実は日本側が戦局を有利に展開しており、米国からすれば、とんだ誤算だったと言えます。結果的に、このミッドウェー海戦を境に形勢が逆転。日本はその後、敗北に敗北を重ね、昭和20年8月15日の敗戦を迎える訳です。然し、たとえ敗北したとは言え、国家の存亡を掛けて米国と此処(ここ)迄戦った国、然も3年8ヶ月も持ち堪(こた)えた国は、日本を於いて他にはありません。前述の様に、日米戦争は世界最大の海洋である太平洋を舞台に戦われた訳ですが、当時の日本は、太平洋だけで無く、支那大陸やインドネシア(当時の蘭印)・マレー半島(当時の英領マラヤ)・ミャンマー(当時の英領ビルマ)と言った南方にも兵力を展開しており、文字通り、世界最大の戦争を戦っていたと言えます。だからこそ、米国は戦後、日本を心底畏(おそ)(米国は、日本の潜在力を嫌と言う程、思い知った)、日米安保体制 ── 同盟関係を構築(日本を敵に回さぬ為の同盟関係)。日本が独自の国防力を保持出来ない様に、米国産の兵器を購入、若(も)しくは、日米による共同開発を強(し)いてきました(米国は、「零戦」の悪夢を二度と見たくは無い)。詰まり、米国が戦後の世界秩序に於いて、ソ連との冷戦に勝利し、唯一の超大国として君臨してこれたのは、偏(ひとえ)に、

米国の心胆を寒からしめた唯一の国、日本

に、猫 ── いや、獅子(ライオン)の首に鈴を付けるが如く、上手(うま)く懐柔してきたからこそ共言えます。其れは、

日本が「真の眠れる獅子」

である事の証左であり、米国が何やかや言い乍らも、日本に対して一目置いている事の表れでもある訳です。

間関係に於いて、互いに本気を出して喧嘩をした者同士が、後に以前とは比較出来ない程、親密になる事が時としてあります。互いに本音と本音をぶつけ合ったからこそ成し得る、一言では言い表せない様な不思議な事ですが。日米関係が一面では、米国を主とし、日本を従とする隷属的関係にある事は確かです。然し、米国にして見れば、「以夷制夷(夷を以て夷を制す)」に代表される権謀術数に長(た)け、心の中で何を企んでいるのか分からない支那に較(くら)べれば、本気で殴り合った日本が相手である方が、遙かに気が楽で安心出来る事も確かです。又、圧倒的な体力差(国力)があるにも関わらず、自分(米国)に本気を出して掛かってきた日本に対しては、気骨を感じ、敗者とは言え、実に天晴(あっぱ)れである、との心境 ── 例えれば、信州川中島で幾度と無く死闘を演じた越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄との間に芽生えた一種の友情にも似た心境 ── をも抱いた事でしょう。ですから、我々日本人は、先の大戦に於ける敗北を何時(いつ)迄も引き摺り続けねばならない理由は全く無いのです。寧ろ、

日本、対米戦に敗れしと雖も、決して恥ずる事勿れ

と言った気概を持ち、もっと胸を張って良い。「50ヶ国連合」である米国を相手に、大健闘した事を誇りに思っても良い。其処(そこ)から初めて、還暦(戦後60年)を過ぎた「戦後レジーム」からの脱却がスタートし、真の意味での「新日本」の建設が始まるのでは無いか? 私は、そう強く思うのですが、皆さんは如何(いかが)感じられたでしょうか。

(了)


   読者の声 (メールマガジン ≪ WEB 熱線 第969号 ≫ 2008/01/18_Fri ― アジアの街角から― のクリックアンケートより)

アンケート結果


前のページ 次のページ