Reconsideration of the History
185.「イオウジマ」は米国のものでは無い!! ── 呼称変更に対する米国の不満など無視すべし (2007.6.26)

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硫黄島 京から南へおよそ1100Km、亜熱帯の洋上に浮かぶ一つの島があります。その名を「硫黄島」(右写真;手前の小高い山が有名な「摺鉢山(すりばちやま)」)と言います。昨年(平成18/2007年)、米国の俳優、クリント=イーストウッド氏が監督を務めた二部作映画、『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』・『硫黄島(いおうじま)からの手紙(Letters from Iwo Jima)』の舞台共なり、一躍、脚光を浴びる事となった島ですが、映画の題名にもなった「いおうじま」の呼称が国土地理院により、この度、「いおうとう」へと変更されました。

「硫黄島」は「いおうとう」、戦前からの呼称に統一

6月19日0時33分配信 読売新聞

 国土地理院(茨城県つくば市)は18日、太平洋戦争の激戦地として知られる硫黄島(東京都小笠原村)の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」へ変更することを決めた。

 北硫黄島、南硫黄島も、ともに「とう」に統一し、地図の表記も「とう」となる。

 小笠原村によると、戦前から旧島民らは「いおうとう」と呼んでいたが、昨年公開された米国映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙」の影響もあり、テレビなどで「じま」と発音されることが多くなったため、旧島民から苦情が寄せられていたという。村は国土地理院に対して呼称の変更を要請していた。

 国土地理院によると、硫黄島は1968年の本土返還後、「とう」と地図では表記されたが、82年に都の公報に基づき「じま」に修正された。米国では戦時中から「じま」と呼ばれていたという。

(Yahoo!ニュースより引用)

この島名呼称の変更に対し、米国内から不満や反発の声が上がっているそうです。
「イオウジマ」を返せ 呼称変更でアメリカ困惑「歴史書き換え」!?

6月22日10時56分配信 産経新聞

【ワシントン=山本秀也】国土地理院が太平洋戦争の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更したことで、米国内で困惑が広がっている。米国では「イオウジマ」の名がさきの大戦での勝利を象徴する地名として定着しているためで、変更をめぐり「日本が歴史を書き換えた」(FOXテレビ)といった報道も飛び出した。

 米国内では20日、東京発の外電を通じて硫黄島の呼称変更が伝わった。報道は今回の措置が日本での旧称復活に過ぎないことを紹介しつつ、米映画「硫黄島からの手紙」などで描かれた「第二次世界大戦で最も英雄的な戦闘」(AP通信)の呼称変更に戸惑いを隠さない。ローマ字表記が頼りの米国では、同じ漢字でも呼称の変更は地名そのものが変わるのに等しいためだ。

 不満の声は、とりわけ米軍の退役軍人らの間で根強いようだ。海兵隊のヘインズ退役中将は、AP通信に対して、「(呼称変更は)率直にいって好きになれない。イオウジマの名はわれわれの伝統であり、遺産の一部なのだ」と指摘。退役軍人協会(VFW)のデービス広報官は、FOXテレビで「旧称への差し戻しは日本のやったことだが、イオウジマの名は米国の軍事史に燦然(さんぜん)と輝く」と語った。

 米国では、摺鉢山(同島)に星条旗を掲げる米兵の巨大な塑像が、戦没者墓苑のあるワシントン郊外のアーリントンに設けられているほか、海軍の強襲揚陸艦も「イオウジマ」と命名されている。

(Yahoo!ニュースより引用)

(さて)、この米国内に於ける「いおうじま」から「いおうとう」への呼称変更に対する不満や反発に対して、一日本国民として、今回は、米国側に苦言を呈したいと思います。

(ま)ず、第一に指摘す可(べ)き点は、「ローマ字表記が頼りの米国では、同じ漢字でも呼称の変更は地名そのものが変わるのに等しい」事に付いて。例えば、「硫黄島」に付いて言えば、米国内では「Iwojima」と表記しており、これが「Iwoto」となる事は、読み方が変わろうと一貫して「島」の表記が使われる日本と違って、「地名そのものの変更」に等しい、それは確かです。然(しか)し、逆に言えば、漢字で「南部」と表記し乍(なが)ら、地域によって「なんぶ(Nanbu)」であったり、「みなべ(Minabe)」であったり、「〜町」も「〜ちょう(Chou)」であったり、「〜まち(Machi)」であったり、ローマ字表記の米国では明確に区別出来るものが、漢字表記の日本では読み方を教えて貰わなければ区別出来ない、と言った事例もままある事です。詰まり、どちらが便利であり平易、不便であり難解であると言った次元の話では無く、漢字と仮名を使う日本と、アルファベットを使用する米国の、言語上・文字上の特質から生じる致し方ない問題である訳です。(沖縄に行けば、「金城」姓が「きんじょう」・「かねしろ」・「かなぐすく」と言った具合ですし) ですから、ローマ字表記の米国に配慮して、彼らが慣用してきた「イオウジマ」を日本が今後も継続使用しなければならない理由は全くありませんし、旧島民とその子孫の「硫黄島」に対する想いに重きを置いての「いおうとう」への呼称変更は全く理に適(かな)った事であり、「部外者」が不満を表明する事自体が本来、烏滸(おこ)がましい事であり、更に言えば、日本の文字文化に対する「干渉」である訳です。

二に、ヘインズ米海兵隊退役中将の指摘「(呼称変更は)率直にいって好きになれない。イオウジマの名はわれわれの伝統であり、遺産の一部なのだ」に対してですが、私個人としては、「言いたければ、勝手に言っていれば良い」と言った程度の話です。抑(そもそ)も、「硫黄島」は東京都下管轄の日本領であり、グアム島(グアム準州)やサイパン島(米国自治領北マリアナ諸島)の様な米国領ではありません。日本の主権下にある島の呼称を日本がどう変更しようが、他国(米国側)からどうこう言われる筋合いは全く無い訳で、たとえ相手にとってどんなに「思い入れの深い」島だとしても、それは相手側の勝手な都合であり、こちら側には何ら関係が無い話です。ヘインズ将軍らにとって「イオウジマ」の呼称が、どんなに「イオウジマの名はわれわれの伝統であり、遺産の一部」だとしても、それはあくまでも彼らの心の中にしか存在しない伝統であり遺産である訳で、私はその心の中の事迄否定する積もりは毛頭ありません。但(ただ)し、その「押し付け」だけは真っ平御免です。以前、靖国参拝「問題」に対して総理が「心の中の問題」と発言しましたが、正にその通り。人が心の中にどんなもの(思想・信条・観念等)を抱いていようが、他人に押し付け無い限り、何人(なんぴと)たりとも侵害される事はありません。それと同じ事で、米国側が「イオウジマ」の呼称に拘(こだわ)りたければ、拘っていれば良い、但し、日本側に押し付けるな、と言う事です。(私が「中国」では無く、「支那」の呼称を用いているのも同じ事。他人に「支那」呼称の使用を奨めこそすれ、強要したりはしない。)

合衆国海兵隊記念碑 三に指摘す可き点は、「日本が歴史を書き換えた」(FOXテレビ)との報道に付いて。「イオウジマ」に関連するものとして、米国ワシントン郊外のアーリントン米国立共同墓地に設置されている「合衆国海兵隊記念碑」(星条旗を掲げる米兵群像 右写真:谷川永洋氏撮影(石井顕勇氏「硫黄島探訪」より))の事は、皆さんもご存じでしょう。実際、今迄知らなかった方の中にも、昨年の映画『父親たちの星条旗』を観て知った方もかなりの数おられるものと思います。この映画は、記念碑の元となった写真家ジョー=ローゼンタールが撮影した『硫黄島の星条旗(Raising the Flag on Iwojima)』の被写体の一人であったジョン=ブラッドリー元海軍兵の子息、ジェイムズ=ブラッドリー氏の著書『硫黄島の星条旗(Flags of Our Fathers)』を元として制作されました。扨、記念碑の元となり、ピュリッツァー賞まで受賞した写真『硫黄島の星条旗』は、戦時中から今迄「イオウジマを制圧した米軍が、摺鉢山頂上に初めて掲揚した星条旗」として扱われ、この写真及び「英雄談義」は米国首脳部による国民の戦意高揚や戦時国債募集のネタに広く活用されてきた事は周知の事実です。然し、その写真が実は「二度目の掲揚」だった事が、ジェイムズ=ブラッドリー氏の著書によって白日の下(もと)に晒(さら)され、米国首脳部が当時の日本軍部同様に「大本営発表」をしていた真実を暴露してしまいました。

米国首脳部による「大本営発表」の一例
First Iwo Jima Flag Raising Raising the Flag on Iwojima
左:ロイス=ロウェリー軍曹撮影による最初の星条旗掲揚
右:ジョー=ローゼンタール撮影による二度目の星条旗掲揚

昭和20(1945)年2月23日、米軍は硫黄島の摺鉢山を制圧、頂上に星条旗を掲揚。その際、記念撮影したが、米国首脳部は、見栄えの良い「二度目の掲揚」を「最初の掲揚」として、戦時プロパガンダに利用した。

そして、それを元として制作された映画が前述の『父親たちの星条旗』であった訳です。詰まり、日本が「硫黄島」の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更する事で、彼ら言う所の「歴史を書き換える」以前に、米国が「硫黄島」での出来事に対して真実を捻(ね)じ曲げて、「歴史を書き換え」ていた訳です。正に何をか況(いわん)や、と言った所です。

だまだ、米国側に対して言う可き事はありますが、最後に「纏(まと)め」として一つ指摘した上で、締め括りたいと思います。写真『硫黄島の星条旗』等はほんの一例です。私は今迄に、支那事変における米国の違法参戦や、真珠湾攻撃前の対日先制攻撃、「人体実験」としての性格が濃厚な二度に亘(わた)る原爆投下、更には、マッカーサーによる日本自衛戦争論等について取り上げ、米国側の歴史観(戦勝国史観)に疑問を呈し、日本側から見た歴史観(大東亜史観)を主張してきました。そして、其処(そこ)で言えるのは、米国側の歴史観であり、且つ、戦後レジーム(体制)の基盤を支えてきた所謂(いわゆる)「戦勝国史観」── 当時の米国は正義であり、日本は悪であった ── が、敗戦国である日本に対してばかりで無く、戦勝国民たる米国民をも騙(だま)し、ひいては「歴史の真実」から目を逸(そ)らさせ続けて来たと言う事です。その点では、写真『硫黄島の星条旗』に対する政府・軍のプレス(公式発表)を信じ、それによって戦時国債をせっせと買って、米国の戦争を支えた当時の米国民は、ある意味、「歴史の被害者」(詐欺被害者)と言えるでしょうし、自国民を騙した米国首脳部の罪は重いと言う事。又、「大本営発表」が当時の日本首脳部による極めて特異な事例等では無く、戦時下に於いては何処(どこ)の国でも多かれ少なかれ起こり得る「ごく普通の出来事」である、と言う事を我々は認識す可きであり、米国側(及び戦勝国)の主張・価値観が必ずしも正しい訳では無い事を充分承知した上で、相手の話を聞く、そう言ったスタンスを常に持ち続けなければならないと言えるでしょう。


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