Reconsideration of the History
253.「中国」こそ軍国主義国家だ! ── 我が日本は「平成の元寇」に備えよ! (2013.1.17)

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安倍晋三・内閣総理大臣
第90代・第96代内閣総理大臣 安倍晋三
第一次内閣(平成18(2006)年9月26日〜平成19(2007)年9月26日)では「戦後レジュームからの脱却」を訴え、国家安全保障を担う防衛庁の省昇格や、左翼・日教組により歪められてきた教育の再生を目指して『教育基本法』の改正を実現した。平成19年7月の参院選敗北と自身の体調悪化により職を辞したが、平成24(2012)年12月の衆院選に再び自民党総裁として臨み圧勝。戦後、吉田茂以来二人目となる総理再登板を果たした。彼の総理就任に対し、「中国」・韓国・北鮮の特定アジア三国は「右翼政治家」として警戒感を露わにしたが、それは裏を返せば、彼が特ア三国の意に従わぬどころか、彼らにとって自分達を脅かす「強い宰相」である事の証左でもある。
「中国」国家海洋局所属のレシプロ機「Y12」
日本領空を侵犯した「中国」国家海洋局所属のレシプロ機「Y12」
平成24年12月16日投開票の衆院選は、投票前から民主大敗・自民大勝が予想され、「中国に毅然とした態度で臨む」であろう安倍晋三・自民党総裁による新政権発足に内外の耳目は集まっていた。その新政権を牽制する目的か、将又(はたまた)挑発する意図なのか、「中国」は国家海洋局所属のレシプロ機「Y12」を12月13日、尖閣群島魚釣島の南15kmの日本領空に侵入させた。9月に日本政府が尖閣を国有化して以降、「中国」は海洋監視船・漁業監視船による接続水域・領海への侵入を常態化させているが、これに加え空域に於いても侵入を常態化させており、対日軍事侵略の野望を益々逞(たくま)しうしている。
成24(2012)年12月16日投開票の衆議院選挙に於いて、民主党政権下、野党に甘んじていた自民党が歴史的大勝利を果たし3年3ヶ月ぶりに政権を奪還。安倍晋三・自民党総裁が吉田茂以来、戦後二人目となる総理返り咲きを果たし、第二次安倍内閣がスタートを切りました。(政権交代は選挙を経て「民主的」に実現したが、私はこれを「12月16日の政変」と命名したい) この安倍総理に対し「中国」(支那)は、前東京都知事で日本維新の会代表の石原慎太郎氏と共に「タカ派」・「右翼政治家」と断じ、総理就任に対する祝電すら寄越(よこ)さないと言う外交的非礼を以て望みました。まあ、この事一つ採っても、「中国」が如何(いか)に我が日本に対して敵対的であるか分かると言うものですが、問題は我々が考えている以上に極めて深刻なものと言えます。それを如実に示したのが、日本領・尖閣群島(以下、単に「尖閣」と略)に対する示威行動の増長です。

「中国」は昨年 ── 平成24年9月11日に日本政府(野田民主党政権)が尖閣を国有化して以来、多くの海洋監視船(海監)・漁業監視船(漁政)を連日、次々と日本の接続水域、更には領海へと恣意的に侵入させ、警戒に当たっている海上保安庁の巡視船が「ここは日本の領海に付き退去せよ」と警告すれば、逆に「ここは中国の領海に付き、日本側こそ退去せよ」と嘯(うそぶ)く始末。それでも、海上での「睨(にら)み合い」で収まっていました。それが、安倍政権の現在では、「中国」は領海侵犯では飽き足らず、国家海洋局所属のレシプロ機、更には軍用機迄投入して日本領空を公然と侵犯する始末。その度に、日本は航空自衛隊のF15戦闘機を緊急発進(スクランブル)させています。これに対し「中国」は、集団的自衛権の容認と『日本国憲法』第9条(所謂「戦争放棄条項」)の改正、そして、「自衛隊」の「国防軍」への改組を打ち出した安倍政権下の日本が「右傾化」していると一方的に決め付け、「過去の歴史の過ちを顧みず、軍国主義の道を歩んでいる」等と吹聴、嘗(かつ)(大東亜戦争時)、日本軍が進出した東南アジア諸国の警戒心を煽る策を弄しています。(但し、現時点で「中国」の主張に同調、日本を非難する周辺諸国は韓国・北鮮の特定アジア以外には無く、完全に浮いている) 然(しか)し、私はその様な「中国」の妄言を声を大にして否定します。いや、否定どころか、彼ら言う所の「過去の歴史の過ちを顧みず、軍国主義の道を歩んでいる」との妄言をそっくりその儘(まま)、熨斗(のし)を付けて「中国」に返してやろうと思っています。それを如実に示したのが、次のニュース記事です。

「戦争に備えよ」=尖閣も念頭か、全軍に指示―中国

時事通信 1月14日(月)21時15分配信

【北京時事】中国人民解放軍総参謀部が2013年の軍事訓練に関して「戦争にしっかり備えよ」と全軍に指示していたことが分かった。14日付の軍機関紙・解放軍報が一面トップで伝えた。沖縄県・尖閣諸島や南シナ海などの問題を念頭に、軍事衝突も想定して、軍の準備を加速させる狙いがあるとみられる。

 解放軍報によると、軍事訓練に関する指示は、習近平・中央軍事委員会主席(共産党総書記)の重要指示に基づいて作成。「戦争思想を強化し、危機意識を高めよ」「戦争にしっかり備え、実戦の必要性から出発し、部隊を厳しく訓練せよ」「戦争能力を高めよ」などと指示している。

中国軍、尖閣意識し「戦争準備せよ」 メディアも対日緊張煽る

産経新聞 1月15日(火)7時55分配信

【北京=矢板明夫】中国人民解放軍を指揮する総参謀部が全軍に対し、2013年の任務について「戦争の準備をせよ」との指示を出していたことが明らかになった。14日付の軍機関紙、解放軍報などが伝えた。また、国営中央テレビ(CCTV)など官製メディアは最近、連日のように日本との戦争を想定した特集番組を放送し、軍事的緊張感をあおっている。

 沖縄県・尖閣諸島周辺での自衛隊との軍事衝突を意識して、習近平新指導部がその準備と雰囲気作りに着手し始めた可能性がある。

 解放軍報によれば、総参謀部が全軍に向けて出した2013年の「軍事訓練に関する指示」の中で、「戦争準備をしっかりと行い、実戦に対応できるよう部隊の訓練の困難度を高め、厳しく行うこと」と記されている。

 総参謀部は昨年も訓練指示を出していたが、「軍の情報化や部隊間の横の連携の重要性」などを強調する内容が中心で、今年のような戦争を直接連想させる表現はなかった。中国指導部が戦争準備に向けて大きく一歩踏み込んだことがうかがえる。

 同紙は今年の訓練目標について、昨年11月に就任した習近平・中央軍事委員会主席の重要指示に基づいて作成したと解説している。

 また、中国の主要メディアは今年に入って、「尖閣戦争」を想定した番組を連日のように放送している。中国軍事科学学会の副秘書長、羅援少将や、元海軍戦略研究所長の尹卓少将ら多くの軍関係者が出演し、主戦論を繰り広げている。そのほとんどは習総書記と同じく太子党(元高級幹部の子弟)のメンバーで、習総書記の意向が反映している可能性が高い。

 一方、日本と外交交渉を通じて尖閣問題の解決を主張する学者らはほとんどメディアに呼ばれなくなったという。ある日本研究者によると、最近北京で行われた尖閣問題に関するシンポジウムで、「論争の中心は対日戦争を小規模にとどめるか、全面戦争に突入するかが焦点になりつつある。小規模戦争を主張する人はハト派と呼ばれ、批判されるようになった」という。

 共産党筋によれば、習近平総書記は昨年11月の党大会で、軍人事の主導権を胡錦濤国家主席が率いる派閥に奪われた。習氏は現在、軍内の保守派と連携して、日本との軍事的緊張を高めることで、自身の求心力を高め、主導権を取り返そうとしているとみられる。

中国で対日開戦論高まる「退けば世界における競争力に損害」

サーチナ 1月15日(火)16時32分配信

 中国で、東シナ海や南シナ海における領土紛争を解決するために、戦争という手段に訴えよという声が高まっている。特に念頭に置かれているのが、尖閣諸島の領有を巡る日本との対立だ。人民解放軍総参謀部が提出した「2013年全軍軍事訓練指示」も「戦争の準備をせよ」などと訴えた。人民日報系の環球時報は15日付で「中国の戦争は理屈が通り、有利であり節度もある。敵にわが方が潜在的戦争相手であるとの教訓を与えよ」と題する論説を掲載した。

 「2013年全軍軍事訓練指示」は主に意識面における要求だが、「戦争の準備をせよ」、「戦争能力を上げよ」、「戦争遂行の能力と、戦勝は軍隊の使命・職責であり根本的な存在価値だ」などと、開戦と戦争の遂行を異例の調子で強調した。

 環球時報の論説は、中国が「対ベトナム自衛反激戦(中越戦争の中国側呼称)以来、中国は30年近くも平和を続けた」と指摘した上で、戦争について改めて考える必要があると主張。

 「戦争はよいことではない」、「他の手段を尽くしていないのに、鬱憤(うっぷん)ばらしで開戦はできない」と論じた上で、「中国政府はいかなる時にも国家利益を冷静に考慮し、人民のために正しい政策決定をする責任がある」と論じた。

 中国ととりまく環境については、多くの国との領土問題が整理できておらず、問題は「発酵しつづけている」との見方を示した。さらに、中国は地球規模の戦略的力を徐々に獲得していることから、「遠くにある大国との摩擦は絶え間なく高まっている」、「近国と遠国が助け合って、中国への圧力を強めている」と主張。

 「この種の圧力の最高の形式は、戦争ぎりぎりのゲームであり、中国があとずさりすれば、次々に戦略的な(悪い)結果を引き起こし、中国の世界における競争力に損害をもたらす」と主張した。

 さらに、「中国を征服することは許さない。中国はどの国と開戦しても、相手を征服する考えはない」、「中国が叩くのは、中国の利益を侵犯する暴走に対してであり、相手に対して中国は潜在的な戦争相手であるとの教訓を与えるためだ」、「このような開戦は、中国の平和台頭の戦略と矛盾しない」、「中国の(平和台頭という)戦略とチャンスは戦争によって一時的には乱れるだろうが、終結することはない」などと主張した。

 戦争全般の「道義」については、「対外競争の主戦場は経済であり、軍事力を発展させ必要な時に用いるのは、経済という競技場を壊さないためだ。これは中国が最も得意とする領域であり、人類の道徳と国際法が共通して激励する競争の方法だ」と主張した。

 戦争の可能性と開戦後の推移については、「戦争を恐れないことは、好戦的であることとは違う。中国はあるいは今後も奇跡のように、あらゆる戦争を避けることができるかもできない。たとえ戦争を始めたとしても、相手は無限に戦争を続けようとは思わないはずだ。すみやかに、中国との休戦を模索するはずだ」との見方を示した。(編集担当:如月隼人)

元「中国」国家主席・江沢民
嘗ての「中国」の最高指導者・江沢民
「改革開放」政策を推進した最高実力者・ケ小平(ダン=シャオピン)引退後、党・国家・軍の最高ポストを兼任、新たな最高指導者(1990〜2005)となった江沢民(チアン=ツォーミン)の実父・江世俊(チアン=シージュン)が支那事変下の江蘇省で日本の特務機関に協力していた「漢奸」(売国奴)であった事は公然の秘密である。その「漢奸の息子」が「中国」の最高指導者となったのである。何が元で国家主席であった劉少奇(リウ=シャオチー)が失脚、投獄された様に自身も同じ運命を辿(たど)る共限らない。そんな彼が演じたのは「漢奸の息子」の汚名を濯(そそ)ぐ「対日強硬派」であった。彼の時代、「中国」では反日愛国教育が強化され、その教育を受けた若者には強固な「反日思想」が刷り込まれた。その結果が現在、「中国」の反日・愛国無罪として吹き出しているのである。
「中国」 ── 習近平(シー=ジンピン)中国共産党(以下、「中共」と略)指導部 ── のこの様な動きに付いては、貧富の格差の拡大や汚職の蔓延、言論や情報・報道の自由への抑圧に対する民衆の鬱積した不満の矛先が自分達中共政権に向かない様、釣魚島(尖閣に対する「中国」側呼称)を「侵略支配」している日本の「不法」を殊更(ことさら)強調し、攻撃の矛先を日本に仕向ける ── 「反日」を煽る戦術の一環であると言う意見もあります。それはそれで正しいですし、江沢民(チアン=ツォーミン)時代以降行われてきた極端な「反日教育」で洗脳された若者達が社会の主流になりつつある現在の「中国」社会に於いて、中共が今更、「反日教育は間違っていました」と言う訳にもいかず、若者達を中心とした「反日」的傾向に引き摺(ず)られている面も否定は出来ません。然し、それらの要因を差し引いたとしても、この所の「中国」の対日姿勢は常軌を逸しているとしか言い様がありません。例えば、上記の記事中にある対日開戦を意識した中での

この様な開戦は、中国の平和台頭の戦略と矛盾しない

等と言う主張は、自分達の目的(尖閣が日本固有の領土である事は歴史的にも国際法的にも疑う可くも無いにも関わらず、それを我が物にせんとする野望)の為には、例え「戦争」と言う手段に訴えてでも達成してみせると言いつつ、それを自国の「平和台頭」の戦略とは矛盾しない、等と主張する辺り、既に論理破綻を来(きた)していますし、

中国を征服する事は許さない
中国はどの国と開戦しても、相手を征服する考えは無い

等と言う主張も、彼らが「人民解放軍」を使って、チベットや東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内蒙古)、そして、満州を「侵略・征服」した前科や、一度も領有・統治した歴史の無い台湾を自国領と称して「武力解放」する選択肢を排除していない点から見ても、「相手を征服する考えはない」等と言う主張を額面通りに受け取り、信用しろと言う方が無理と言うものです。いや、それどころか、

たとえ戦争を始めたとしても、相手は無限に戦争を続けようとは思わない筈だ
すみやかに、中国との休戦を模索する筈だ

等と言う主張は、近年急速に充実しつつある自国の軍事力に自信を付け、他国との紛争解決に対する武力使用のハードルを下げるのと同時に、先の大戦に於ける「日本の轍」を踏む危険性を孕(はら)んでいます。その「日本の轍」とは、真珠湾攻撃に始まる対米戦に於いて、圧倒的な空母機動部隊による航空攻撃で米海軍太平洋艦隊の主力基地を壊滅させる事で、米国民の心胆を寒からしめ、彼らの戦意を喪失。米国は短期で休戦・講和するだろうと言う楽観論で始めた所が、逆に米国民の反戦・厭戦的風潮を払拭(ふっしょく)してしまい、戦争自体も長期戦に陥り、結果的に日本が敗北してしまった「大誤算」の事です。詰まり、昨年(平成24=2012年)9月、野田民主党政権による尖閣の国有化以降、「中国」が海洋監視船や漁業監視船によって日本の主権を繰り返し侵害しているにも関わらず、日本は「嵐が過ぎるのを待つ」が如く消極的対応に終始した事から、安倍自民党政権に変わった所で、日本が発足以来一度も実戦経験の無い自衛隊を本気で投入する事は無いだろう。縦(よ)しんば投入した所で、「専守防衛」の観点から積極的に応戦しては来ないだろう、と「中国」が高を括(くく)っている面は否(いな)めません。その奢(おご)りが、

たとえ開戦しても、日本は無限に戦争を続けようとは思わない筈だ
すみやかに、中国に屈服する筈だ

と言った「希望的観測」に繋(つな)がっているのだと私は思っています。そして、その様な「中国」が私は怖いのです。では、一体何が怖いのか? 私は何も現在のレベルに於いても、日本の自衛隊が「中国」人民解放軍と戦って負ける等とは露共思ってはいません。(但し「楽勝」するとは考えていないが) 然し、実力を付けてきた「中国」が日本の軍事的実力を過小評価し、安易に開戦しようと考えている、その「身の程の知らなさ」が怖いのです。だとすれば、「中国」に開戦を踏み止まらせるには一体どうすれば良いのか? それは一言で言えば、日本が「中国」が対日開戦を躊躇する程の圧倒的な防衛力(軍事力)を常に持ち続けるのと同時に、法的にも運用面に於いても、自国領土への侵略・国家主権への侵害に対しては、躊躇する事無く自衛隊を投入、断固として「受けて立つ」気概を示す事だと思っています。そして、それ無くして、「中国」の横暴から日本を護(まも)る、ひいては大東亜(アジア・太平洋地域)の安寧を維持する事は達成され得ないと考えています。その意味からも、日本が防衛力のより一層の充実と集団的自衛権行使の宣言、そして、それに基づいて、共に「中国」の侵略・主権侵害に晒(さら)されている台湾・フィリピン・ベトナムと言った諸国との集団安保体制構築を一刻も早く実現する事が必要ですし、安倍政権にとっても喫緊の課題だと言えるでしょう。ところで、私は本小論の初めの部分で、彼ら言う所の

過去の歴史の過ちを顧みず、(日本は)軍国主義の道を歩んでいる

との妄言をそっくりその儘、熨斗を付けて「中国」に返してやろうと思っていると書きました。その根拠は一体何なのか? 領土問題であり、軍事問題であり、そして、政治問題でもある尖閣を巡る一連の事案を「歴史再考」で取り上げているのですから、ここから先は歴史問題の側面から斬り込み、「中国」の妄言を論駁(ろんばく)したいと思います。

(さて)、皆さんに問題です。鎌倉時代中期の文永11年10月5日から20日(1274年11月4日〜19日)と、弘安4年5月21日から同年閏7月7日(1281年6月9日〜8月21日)の二度に亘(わた)って、北部九州を主戦場に起きた対日侵略事件は一体何でしょうか? 正解は、時の元号を採って、前者を「文永の役」、後者を「弘安の役」、そして、両者を併せて「元寇(げんこう)」或いは「蒙古襲来」です。「そんな事誰だって知っているだろう!」と言う声も聞こえてきそうですが、実はこの「元寇」と言う呼称こそが、「中国」の妄言を論駁する重要な武器となるのです。それでは、何故、「元寇」と言う呼称が「中国」の妄言を論駁する重要な武器となるのか、順を追って説明していきたいと思います。

支那歴代王朝変遷表 ・商(殷)・周・秦・漢・晋・隋・唐・五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)・宋・・明・。これらは支那に於いて曲がりなりにも「正統」であるとして認知されている王朝を古い順に並べたものです。因(ちな)みに、我々が普通「漢民族王朝」と認識している隋と唐はモンゴル系遊牧騎馬民族の鮮卑(せんぴ)族ですし、元朝はモンゴル族、最後の王朝・清朝(正式名称は「大清国」(ダイチン-グルン)と言う)も満州族であり、彼ら言う所の「中華帝国」の歴代正統王朝は必ずしも漢民族によるものでは無かった。寧(むし)ろ、隋・唐・と言った広大な版図(はんと)を誇った大帝国は孰(いず)れも漢民族王朝では無く、

漢民族が異民族に征服支配されていた時代

だったと言うのが妥当である訳です。まあ、今回はその事を突き詰めて論じるのが目的ではありませんから、これ以上深入りはしませんが、問題は既に述べた様に支那が「正統」な王朝として認知している元朝 ── 正式名称を「大元大蒙古国」(ダイオン-イェケ-モンゴル-ウルス)と言う ── はモンゴル帝国の創始者であるチンギス=ハンの孫、フビライ(クビライ=カアン)によって創建されたモンゴル族による征服王朝であると言う事です。それは詰まり、元代が

漢民族がモンゴル族に征服支配されていた時代

であると言う事であり、普通に考えれば元朝を「中華帝国」の悠久の歴史に於ける一つの正統な王朝としてカウントす可(べ)きでは無い筈です。何故なら、日本に例えれば、大東亜戦争(一般に「太平洋戦争」と呼ばれる)敗北後の昭和20(1945)年10月2日(総司令部の東京への設置)から『サンフランシスコ平和条約』(正式には『日本国との平和条約』と言う)が発効、国家主権を回復した昭和27(1952)年4月28日迄の間は、「日本が米国(GHQ)に占領支配されていた時代」であり、これを「アメリカ王朝」或いは「アメリカ幕府」としてカウントしよう等と考える日本人は私の知る限り唯の一人もいません。それにも関わらず、支那は元朝を「中華帝国」の悠久の歴史に於ける一つの正統な王朝としてカウントし、元朝が支配していた領域の内、現在「中国」の領土では無い他国領となっている地域 ── 「中国」の潜在的領土 ── に対する領有権も有していると言うのが、彼らの論理なのです。然し、そうだとすると、「中国」は元朝の「正の遺産」と同時に、「負の遺産」も相続した事になります。その最たるもので、日本に最も関わりのあるもの、それが前述した「元寇」なのです。

蒙古襲来絵詞
蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)
「中国は日本に侵略された被害者である! 日本は自ら犯した罪を反省し、正しい歴史認識に則って行動す可きだ!」 ── これが現代「中国」が日本との関係に於いて少しでも自国にとって不利であったり、自国の要求を日本に飲ませる際に用いている常套句(じょうとうく)である。それでは「元寇」の模様を伝えるこの絵巻物は一体何を我々に伝えようとしているのだろうか? 鎌倉時代の日本に対し、当時の「中華帝国」元朝が二度も大軍を以て北部九州に攻め寄せた「元寇」。これこそ「中国」が日本を侵略した加害者である事の紛れも無い証左では無いのか? 因みに「中国」から「元寇」 ── 対日軍事侵略に対する反省・謝罪を唯の一度も耳にした事は無いし、ましてや賠償してもらった記憶も無い。詰まり、「中国」は日本に対し「元寇」による加害者責任を果たしていない事になる。
寇 ── 文永11(1274)年と弘安4(1281)年の二度に亘って、(及び旧南宋の残存艦隊)とその属国である高麗(こうらい)の連合軍が日本の北部九州に軍事侵攻した事件。この「元寇」は又の呼び名を「蒙古襲来」共言い、その名の通り、モンゴルが日本に攻め寄せたとの認識がある訳ですが、その侵略の当事者であるフビライ元朝を、支那が態々(わざわざ)「中華帝国」の悠久の歴史に於ける一つの正統な王朝として認めていると言う事は、逆説的に考えれば、二度に亘って行われた対日軍事侵略の責任に付いても支那 ── 「中国」に帰すると言う事にもなります。まあ、それはそうでしょう。方や元朝の「正の遺産」である版図(領有権)に付いては相続権があると言い乍(なが)ら、方や「負の遺産」である「元寇」 ── 二度に亘る対日侵略行為の責任は知らぬ存ぜぬでは全く以(もっ)て筋が通りませんから。然も、日本は「元寇」が遠因となって北条執権家による鎌倉幕府が元弘3/正慶2(1333)年に滅亡。その後、後醍醐天皇が建武新政(元弘3/正慶2年6月〜建武3(1336)年1月)を開始するも僅(わず)か2年半で瓦解(がかい)し、北朝を奉じた足利氏を将軍家とする室町幕府が成立。然し、後醍醐天皇とその皇子達が吉野に拠(よ)って南朝を樹立し、日本は同時に二人の天皇が存在し、朝廷も諸国の武士も各々(おのおの)孰れかの天皇に付いて相争う南北朝の動乱に突入。元中9/明徳3(1392)年に足利義満の仲介による「明徳和約」によって、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に、正統な天皇たる証(あかし)である「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)を渡して譲位。一旦は南北両朝が合一したものの、足利将軍家による和約の反故(ほご)に怒った後亀山上皇と旧南朝の皇子達が再び吉野に拠って後南朝を樹立。この第二次南北朝は、その儘、応仁の乱(応仁元(1467)〜文明9(1477))へと発展し、これ以後、日本は下克上(げこくじょう)と天下盗(と)りの嵐吹き荒れる戦国時代に突入しました。戦国の世は織田信長、そして、彼の家臣であった羽柴秀吉改め豊臣秀吉による天下統一によって終焉(しゅうえん)しましたが、動乱の火は燻(くすぶ)り続け、太閤(たいこう)秀吉の死後、五大老筆頭の徳川家康と五奉行筆頭の石田三成による関ヶ原の戦い(慶長5年9月15日=西暦1600年10月21日)、それに続く大坂冬の陣(慶長19(1614)年)と大坂夏の陣(慶長20(1615)年)による豊臣家の滅亡 ── 徳川将軍家の江戸幕府によって天下再統一される迄の間、実に280年余に及ぶ混乱を日本に強(し)いたのです。まあ、日本が鎌倉幕府滅亡から戦国時代、安土桃山時代(織豊政権)を経て江戸幕府が成立した事により中世から近世へ、そして、社会・政治・経済・文化の多方面に於いて様々な発展を遂げた事は否めず、その延長として我々が生きる現代日本が存在する以上、この280年余の間に付いてとやかく言う可きでは無いのかも知れません。然し、その動乱の引き金(遠因)を引いたのが「元寇」だった事も又、紛れも無い事実である訳です。ならば、長期間に亘って日本社会を混乱に陥れた責任が「元寇」の当事者でる元朝の後継者を自認する支那 ── 「中国」に帰する事に焦点を当て、

二度に亘って行われた日本に対する軍事侵略の道義的責任

を日本が「中国」に突き付け、「侵略国家」としての反省と謝罪、そして、賠償を要求する事も可能であると言う結論に達するのです。

寇は文永11年と弘安4年の二度共、九州在郷御家人を中心とする鎌倉武士の奮戦もあって孰れも退けられ、日本が元の属国となる事態は避けられました。それでも、超大国の皇帝フビライは諦(あきら)めきれなかった様で、弘安5(1282)年以降も度々(たびたび)対日軍事侵略を企図しましたが、内外情勢(二度の元寇による国内の疲弊と、ベトナム(北部の陳朝大越国と中・南部の占城(チャムパ)王国)との緊張関係)がそれを許さず、結局、弘安9(1286)年、遂に計画は中止となり、「三度目の元寇」は幻に終わったのです。(その後、元朝は二度の元寇と第三次対日侵攻計画の準備による疲弊により、帝国の栄華は斜陽、僅か百年余で滅亡した。隋が三度の高句麗遠征で国を傾けたのと同様、元朝は結果的に対日軍事侵略の失敗が元で国を傾けたと言える) それから700年余。この21世紀に「中国」 ── 支那は再び、日本を軍事侵略しようとしているのです。二度の元寇は北部九州が主戦場となりました。然し、今度は尖閣を含む先島諸島(八重山諸島と宮古諸島)、そして、その延長線上に位置し「中国」にとっての目の上のたん瘤(こぶ)である沖縄本島に魔手を伸ばして来る事でしょう。(「中国」は尖閣の領土・領海及び埋蔵天然資源の獲得が主目的では無い。本当の目的は彼らの設定する防衛ライン「第一列島線」の絶対的確保により、東支那海から太平洋に誰にも邪魔される事無く艦隊を進出可能にする事と、「第二列島線」の確保による「中国」版対米絶対国防圏の構築にある) その為に、毎年二桁の伸びを記録する莫大な国防費の支出ですし、日本を含む海洋国家群を圧倒させんが為の空母機動部隊を主力とする大海軍構築ですし、他国の航空兵力を殲滅(せんめつ)せんが為の第五世代戦闘機の開発配備の推進である訳です。詰まり、彼ら「中国」は、元朝による「二度に亘って行われた日本に対する軍事侵略の道義的責任」を一切取る事無く、今又、再び日本に対する軍事侵略を発動しようとしているのです。

日蓮上人
日蓮宗(法華宗)の開祖 日蓮上人
建長5(1253)年に立教開宗した日蓮上人は鎌倉幕府に対し『立正安国論』を提出。来る可き元寇の国難を訴えた。その彼が現代に現れたなら、日本に対する「中国」の姿勢を一体どの様な目で見るだろうか?
倉時代、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の御題目の下(もと)、日蓮宗(法華宗:ほっけしゅう)を立教開宗(かいしゅう)した日蓮上人(しょうにん)は、文応元(1260)年、得宗(とくそう:元執権)の北条時頼に提出し、その内容が元で幕府から弾圧を受ける事となった『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』の中で、元朝による対日軍事侵略 ── 日本の国家的危機 ── を訴えました。そして、日蓮上人の危惧は14年後の文永11年、現実のものとなったのです。その日蓮上人が現在の状況を目(ま)の当たりにしたとしたら、一体何と言うでしょう? 恐らく、

平成の元寇に備えよ!

と叫び、社会に対して警鐘を鳴らすのでは無いか? そう私は思うのです。

共による一党独裁体制下の「中国」はそう遠くない時期に滅びる。この考えに私自身、少しも揺るぎはありません。然し、古今東西、巨大帝国が内部矛盾によって崩壊する直前、周辺諸国を巻き込む形で暴走し、災厄を齎(もたら)した例に枚挙の暇(いとま)はありません。その点からも、民衆の攻撃の矛先を自らの体制から外部 ── その最大のターゲットが我が日本 ── に仕向け、体制の延命を図ろうとしている「中国」による対日軍事侵略(それが尖閣周辺に限定される局地戦争に止(とど)まるのか、両国による全面戦争へと発展するのかは、この際関係無い)を不可避のものと認識し、挑まれる日本国、そして、我々日本国民はそろそろ本気で腹を括っておく必要があります。それ故(ゆえ)、我々は何時迄(いつまで)も「平和呆(ぼ)け」している暇(ひま)等、正直無いのです。(了)


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