Reconsideration of the History
238.防災の観点からも東京一極集中を排し「五京の制」を導入せよ! (2011.8.14)

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成23(2011)年3月11日の東日本大震災、4日後の3月15日深夜に静岡県富士宮市で震度6強の揺れを記録、東海地方の広範囲を襲った富士山直下型地震、そして、7月15日には栃木県真岡(もおか)市で震度5弱、同31日には福島県で震度5強、更には8月1日深夜にも静岡県で震度5弱と、東日本を相次いで襲っている大地震の中、再び議論の俎上(そじょう)に上(のぼ)っている一つのテーマがあります。それが東京に一極集中している首都機能を分散し、万が一、首都圏が大災害に見舞われた際のリスクを分散軽減しようと言うものです。

東京
東京
「東京都」の内、昭和18(1943)年7月1日の都政施行に伴い解体された旧東京市 ── 現在の23特別区は一般に「東京」と呼ばれ、天皇・皇后両陛下が坐(いま)す皇居、東宮家や秋篠宮家をはじめとする皇族方が坐す赤坂御用地、首相官邸や国会議事堂、更には中央省庁が集まり、日本の「事実上の首都」を形成している。又、9千万弱の人口を要するこの地域は、域内総生産(GRP)に於いて米国のニューヨークをも凌ぐ世界最大のメガシティ共称され、名だたる主権独立国家にも比肩する。然し、日本の政治・経済・文化の拠点が集中する東京がブラックアウトする様な事態が起これば、日本にとって正に国家存亡の危機と言っても過言では無いだろうし、ましてや、天皇陛下と皇太子殿下、「次の次」に皇位を継承されるであろう悠仁親王殿下が皆、同じ都心に坐す事は、皇統存続の観点からも好ましいとは到底言えない。
治元(1868)年7月17日、『江戸ヲ称シテ東京(とうけい)ト爲(な)スノ詔書』が発布され、江戸改め東京が京都(平安京)と相並ぶ帝都に昇格。東京と京都と言う東西両都体制が確立(これを「東京奠都(てんと)」と呼ぶ)。更に翌明治2(1869)年3月、同年10月に続く二度目の東京行幸以降、明治天皇は東京城(とうけいじょう;旧江戸城)改め皇城(皇居)を拠点に京都へ還幸せず、京都に在った政府機関も明治4(1871)年迄に東京への移転を完了。此処(ここ)に、『東京遷都の詔(みことのり)』は発布されてはいないものの、「事実上の首都」東京の完成を見た訳です。然(しか)し、京都から東京への「事実上の遷都」がスムーズに行われた訳ではありません。明治維新の元勲の一人、大久保利通(としみち)は浪華(なにわ)遷都(大阪遷都)を建白しましたし、名古屋遷都を主張する者もいました。然し、それら反対論は撥(は)ね除(の)けられ、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で甚大な被害に見舞われても、先の大戦(大東亜戦争)に於いて米軍による大空襲に幾度と無く見舞われ灰燼(かいじん)に帰しても、東京が「首都」の座から陥落(かんらく)する事も、ましてや、首都機能が分散される事も無く今日迄(こんにちまで)来てしまいました。とは言うものの、流石(さすが)に東北から関東に至る広範囲を襲った ── 特に三陸沿岸地域が津波による壊滅的被害を受け、福島第一原発がメルトダウン(炉心溶融)し放射性物質を「垂れ流し」ている ── 東日本大震災を目の当たりにした事により、予想される東海地震(恐らくは過去の歴史を繙(ひもと)く迄も無く、東海単独では無く、東南海・南海との連動地震となるだろう)や、関東大震災同様の相模湾を震源とする関東地震、更には未知の活断層による首都直下型地震が発生した際、日本の政治・経済・文化の中心である東京が「ブラックアウト」(首都消失)する事による国家中枢機能の停止と、その後の大混乱を少しでも軽減しようとの危機意識が従来以上に高まった事は歓迎す可(べ)き事と言えます。そして、この様な状況下、私が提言したい首都機能分散(展都)案があります。それを称して

五京の制

と言います。

渤海国の五京(地図)
渤海国の五京
7世紀から10世紀にかけて満洲から北朝鮮を版図(はんと)とし、当時の超大国・唐をして「海東の盛国」と言わしめ、更には日本とも使節の往来を通じて一貫して友好同盟関係を保った渤海国。その渤海国には皇都(首都)である上京と、陪都(副都)である東京・中京・南京・西京の五京が存在した。そして、この「五京の制」は、渤海に続き満洲に興亡した遼(契丹)・金に於いても踏襲された。
「五京の制」 ── これは読んで字の如く、五つの京師(けいし,みやこ)を設置すると言うもので、「中国」(支那)の唐(618-907;但し、690-705は則天武后による武周朝)や、満洲(現在、「中国」が占有し、「中国東北部」と僭称(せんしょう)している地域)に相次いで興亡した粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)と旧高句麗(こうくり,コグリョ)遺民による連合国家、渤海(698-926)・蒙古(モンゴル)系契丹(きったん,キタイ)族の(916-1125)・黒水靺鞨改め女真(じょしん,ジュルチン)族の(1115-1234)の諸王朝は、一つの皇都(首都)と四つの陪都(ばいと;副都)からなる「五京の制」を布(し)いていました。又、五京と迄はいかないものの、一つの皇都に、一つ(両京)、二つ(三京)、三つ(四京)と複数の陪都を設(もう)けた例は、支那南北朝時代の北周(556-581)から、支那史上最後の王朝とされる清朝(1636-1912)に至る迄、多くの王朝に採用されてきました。(更に遡(さかのぼ)れば、後漢末に於ける長安・洛陽・許昌の例等もある) この東アジアの諸国・諸王朝での実績がある「五京の制」を、私は現在の日本にも導入す可(べ)きでは無いかと考える訳です。

東アジアに於ける展都の例

京都
京都
延暦13(794)年、桓武天皇により長岡京から遷都された「平安京」が前身である。その京都は「千年の都」共称され、源頼朝の鎌倉開府以来、武家が政治の実権を握った後も、天皇(朝廷)の坐す皇都の地位を保ち続けた。明治元(1868)年の東京奠都(てんと)以来、「主(あるじ)無き都」となってしまったものの、正式に東京への「遷都」が為されて居(お)らず、京都に於ける皇居「京都御所」もその儘(まま)維持管理されている事から、今日でも、京都が東京と並ぶ日本の首都である事には何ら変わり無い。
大阪
大阪(大坂)
飛鳥(あすか)時代の難波津(なにわのつ)や大化改新後に即位した孝徳天皇の難波京に遡(さかのぼ)る古い歴史を持つ西日本最大の都市。大坂(おおざか)城を拠点に統一政権を営(いとな)んだ太閤(たいこう)秀吉の時代に大いに発展し、徳川家康による江戸開府後も「天下の台所」と称され、西日本の経済・文化の中心地として大いに繁栄した。明治維新の際には、大久保利通(としみち)が「浪華(なにわ)遷都」を主張した事もあり、皇都東京を支える陪都(ばいと)としては正(まさ)に申し分無い。
さんの中には、日本に複数の京(みやこ)を設置する必要性や利便性が果たしてあるのか? ましてや、この21世紀の日本に?と疑問を抱く方もおありの事でしょう。然し日本に於いても、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還する迄の実に700年もの長きに亘(わた)って、「天皇の都」(京都:権威の都)と「将軍の都」(幕府:政治の都)と言う展都体制が布かれてきました。然も、それは現代の様に、電話やインターネットと言った情報通信基盤や、新幹線や高速道路と言った高速基幹交通網すら無かった時代の事なのです。誰もが一人一台は携帯電話を持ち、ADSL・光ファイバーによる高速ネット回線やクラウドコンピューティング技術が普及した現代では、離れた都市間での情報共有も比較的容易ですし、嘗(かつ)ては徒歩で半月以上も掛かった江戸(東京)〜大坂(新大阪)間も、今では東海道新幹線のN700系のぞみ号(営業運転最高速度270km/h)でたったの2時間25分。日に何度も往復する事すら可能な時代なのです。詰まり、現代の技術を用いれば、離れた場所に首都機能を分散したとて些程(さほど)支障は生じないですし、逆に中枢都市の周囲近郊に衛星都市を配するよりも、距離が離れていた方が災害時に同時にダウンする可能性を低く抑える事が出来、リスク管理の点からも有効と言えるでしょう。


日本に於ける展都の例

名古屋
名古屋
古くは戦国の覇者・織田信長、その後継者にして天下人・豊臣秀吉の生誕地として、又、江戸幕府成立後は徳川御三家筆頭の尾張徳川家のお膝元として発展。特に7代藩主・宗春は、質素倹約を旨とする将軍吉宗の享保の改革に反して「名古屋の繁華に京(興)がさめた」と言われる程の経済活性化策を推進し、今日の名古屋の礎を築いた。現在の名古屋は中日本最大の都市で、東京と京都(西の京)の間に位置する事から「中京」共称されている。
福岡市
福岡市
古くは大陸に対する「表玄関」の役割を担ってきた国際都市でもある福岡市は人口150万人弱。九州の政治・経済・文化の中心都市で、福岡市を中心とする「福岡都市圏」と同県の北九州市により「北九州・福岡大都市圏」を形成している。この九州を代表する大都市圏を、嘗(かつ)て九州・壱岐・対馬・大隅諸島を統括し「遠の朝廷(とおのみかど)」と称された「大宰府(だざいふ)」の名で陪都としては如何(どう)であろうか。
札幌
札幌
北海道庁を置く札幌市は、周辺の衛星都市である江別(えべつ)・千歳(ちとせ)・恵庭(えにわ)・北広島・石狩の五市及び当別町(とうべつちょう)・新篠津(しんしのつ)村と共に人口230万人余の「札幌都市圏」を形成している。津軽海峡を隔てた北の大地・北海道の中心都市・札幌(都市圏)に陪都を定める事は、福岡同様、本州の三都(東京・名古屋・大阪)での不測の事態に備える為の一種の「保険」でもある。
映画『首都消失』ポスター
映画『首都消失』
小松左京氏の作品としては『日本沈没』が余りにも有名だが、それに勝る共劣らぬ大作に『首都消失』がある。ある日、正体不明の「霧」により隔絶されてしまった首都東京と、一極集中により「司令塔」を失ってしまった日本の危機を描いたこの作品は、ストーリーは別として、政治・経済・文化の中心が東京に一極集中する現代日本の弱点を如実にさらけ出している。
リニア中央新幹線
リニア中央新幹線ルート図
リニア中央新幹線
最高速度時速505キロ、東京−大阪間440キロを67分で結ぶ次世代の夢の超特急。当初は南アルプス連峰(赤石山脈)を迂回する形で伊那谷、或いは木曽谷を通るルートが計画されていたが、ここへ来て岩盤の固い南アルプスを敢えて貫通する直線ルートに決定。都内の始発駅が品川に決定した事とも相まって、其処には事業主体であるJR東海とは別に国家の意向 ── ある「計画」が大きく介在している。そして、それは恐らく私の提唱する「五京の制」 ── 東京・名古屋・大阪・福岡・札幌 ── とは全く別の陪都建設計画でもある。(上の写真は、山梨リニア実験線を試験走行中の超電導磁気浮上式リニアモーターカーMLX01-901)
(さて)、その様な中、昨今注目されているのが、橋下徹(はしもと-とおる)大阪府知事率いる「大阪維新の会」が提唱している「大阪都」、大村秀章(ひであき)愛知県知事と河村たかし名古屋市長が提唱している「中京都」、そして、泉田裕彦(いずみだ-ひろひこ)新潟県知事と篠田昭(しのだ-あきら)新潟市長が提唱している「新潟州」の各構想です。先(ま)ず「大阪都」ですが、これは、政令指定都市の大阪・堺の両市、そして、豊中(とよなか)・吹田(すいた)・守口(もりぐち)・八尾(やお)・松原・大東(だいとう)・門真(かどま)・摂津(せっつ)・東大阪の大阪市周辺9市を廃止し、新たに20特別区に再編。区の行政機能と財源を都に移譲・統合した上で「大阪府」の名称も「大阪都」とすると言う構想で、嘗(かつ)て「東京府」下の一自治体であった「東京市」を特別区に再編(15区から36区を経て、現在の23区に落ち着いた)、区の権限を移譲する形で「東京都」が発足した先例に倣(なら)ったものと言えます。次に「中京都」ですが、これは、政令指定都市で愛知県の県庁所在地でもある名古屋市を愛知県と一体化。権限強化と行政の効率化を図った上で愛知県を廃止し、新たに「中京都」を設置すると言うものです。そして、最後の「新潟州」ですが、これは、新潟県を「新潟州」又は「新潟都」に改組し、政令指定都市であり県庁所在地でもある現在の新潟市は廃止し、特別区を設置。他市町村も人口規模30万人前後の基礎自治体に統合再編し、行政の効率化を図ると言うものです。孰(いず)れも、東京都と都下の特別区の関係を導入、「都」(州)の体力を強化しようと言う点では一致しており、今年7月1日には、「首都機能分散」(展都)絶対反対派で知られる石原慎太郎・東京都知事と会談した橋本府知事が、石原都知事から「大阪都」 ── 「大阪副首都」(陪都)構想に対し、一定の理解を引き出す等、展都に対する風向きが少しずつ変化しつつあります。(但し、石原都知事は大阪を東京と同格とする「大阪奠都(てんと)」には断固反対。飽(あ)く迄(まで)も東京を補完する「陪都(ばいと)」としての「大阪府」ならば支持すると言うスタンスであるが) これらの動きを踏まえた上で、私の提唱する「五京の制」に付いて説明したいと思います。

の提唱する「五京の制」とは、「事実上の首都」であり皇都でもある東京(東京江戸府)の他に、中京名古屋府(中京都)・西京大阪府(大阪都)・南京大宰府(福岡・北九州大都市圏)・北京札幌府(札幌都市圏)の四陪都を設置すると言うものです。(尚、本家本元の京都は首都機能移転云々とは別に「上都」として別格扱いとする) 現在でも東京・名古屋・大阪の三大都市圏は、東名・名神高速道路(及び供用されている新名神高速道路)と東海道新幹線、更には現在建設中の第二東名高速道路や、建設が既定路線のリニア中央新幹線(東京─神奈川─山梨─長野─岐阜─名古屋)等、複数の動脈で結ばれており、展都を考える上で、名古屋と大阪を抜きにする事は出来ません。又、福岡・北九州大都市圏は南西日本、札幌都市圏も北日本を夫々(それぞれ)代表する枢要な都市圏域であり、双方共に三大都市圏から距離が離れている事から、三大都市圏の孰れか、又は全ての機能が停止する様な事態に陥った際にも、首都機能を補完する事が可能です。因(ちな)みに、私が提唱している「五京の制」は、国会は○○県、首相官邸は○○県、総務省は○○県に、と言った具合に政府機関を東京から各地へ分散させる従来からの首都機能移転案とは全く異なり、四陪都に夫々(それぞれ)、東京に在るものから見れば規模は小さい乍(なが)らも、全くのコピーを設置すると言うものです。詰まり、東京が何らかの理由でブラックアウトした場合でも、大阪に設置してある首相官邸や国会、更には各省庁の「ブランチ」(「ブランチ」とは言っても、本所と同等の機能を代行可能にする)が直ちに機能し、国家運営に空白を作らない様にすると言うもので、例えれば、停電時に間髪入れず非常用発電機が作動し、必要な電力を確保する様なものです。

(7月)26日、他界した日本を代表するSF小説の大家、小松左京氏の代表作で映画化も為(な)された『首都消失』(昭和60=1985年発表・昭和62=1987年映画化)を読まれた方も多い事と思います。彼(か)の作品に於いて、東京のブラックアウトによる国家中枢機能の停止により、米ソ両大国による露骨な干渉や、安保理への日本の国連信託統治案提出と言った国家主権喪失の危機が描かれており、弱肉強食の国際社会に於いては、例え理由が未曾有の大災害だったとしても、国家運営に空白が生じる様な事態だけは何としても避けねばなりません。ましてや日本は、大軍拡により尖閣群島はおろか、沖縄や小笠原諸島のEEZ(排他的経済水域)・領土・領海を侵蝕し、あわよくば我が物とせんと虎視眈々と狙っている「中国」や、先の大戦末期、火事場泥棒共言える手段で日本から北方領土(北方四島を含む千島列島全島及び南樺太)を掠(かす)め盗(と)ったロシア(旧ソ連)、更には、戦後、竹島(韓国名「独島」)を侵略占領し、昨今では平然と対馬(つしま)迄も「我が領土」と嘯(うそぶ)いている韓国と言った「敵国」に、周囲を取り囲まれているのですから、尚の事です。

の提唱する「五京の制」を実現するには、多額の費用が掛かります。その事自体を私は否定しません。然し、東京への国家中枢機能の一極集中をこの儘(まま)放置し、万が一、その東京がブラックアウトする様な事態に陥った時、『首都消失』に描かれたのと同様の状況に日本が追い込まれたりしたら、どれ程(ほど)悔やんでも悔やみ切れません。その様な事態を避ける為の「保険」として ── 日本がどの様な事態に陥った場合でも国家主権を失わずに済む「担保」として、従来からの首都機能移転案とは別に、是非共、「五京の制」を議論の俎上に乗せて貰いたい。その様に私は考える訳ですが、扨、皆さんは如何(どう)感じられたでしょうか?(了)


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