Reconsideration of the History
239.8.01入国拒否! 日本の国会議員を犯罪者扱いした韓国を嗤ってやろうではないか! (2011.9.13)

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羽田空港で取材に応じる佐藤正久・新藤義孝・稲田朋美三議員
羽田空港で取材に応じる佐藤正久・新藤義孝・稲田朋美三議員
平成23(2011)年8月1日、自民党所属の新藤義孝・稲田朋美両衆議院議員と佐藤正久参議院議員の三氏は、韓国に不法占拠されている竹島(韓国呼称「独島(トクト)」;旧日本名「松島」)の隣島である鬱陵島(ウルルンド;旧日本名「竹島」)の「独島博物館」視察の為、羽田空港を発ち韓国は金浦空港に到着した。だが、そこで三氏を待ち受けていたのは、韓国政府による「両国の良好な関係に役に立たない」との公式声明、そして、韓国入国管理法の規定「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」に基づく入国拒否・退去処分であった。詰まり、韓国は日本の国会議員を「犯罪者扱い」した上で入国拒否したと言う事である。
稲田・佐藤・新藤三議員の横断幕を燃やし気勢を上げる韓国保守派
稲田・佐藤・新藤三議員の横断幕を燃やし気勢を上げる韓国保守派
補足説明だが、金浦空港に到着した三氏は空港事務所関係者により「法務部」なる部屋へと案内され、空港事務所長から「入国不許司」を通告され、更には入国拒否された者を仮留置する為の部屋「ディテンションルーム」へ移動する様、通告されたと言う。三氏がこれを拒否、抗議すると韓国側は撤回したが、その間、空港内外で韓国保守派団体関係者等200人余りが示した行動は、三氏をまるで「日本の犯罪者」、「テロリスト」の如く扱い、韓国国民も同様の目で見た事である。然し、後述するが、これが「大人の対応」を採る日本と、「大人気ない三等国」韓国の歴然とした差なのである。
三議員同様、仁川空港で入国拒否れた下条正男・拓殖大教授
三議員同様、仁川空港で入国拒否れた下条正男・拓殖大教授
今回の「入国拒否」事件では三議員が大きく取り上げられたが、実はもう一人「入国拒否」された人物が居た。三氏と韓国で合流し、共に鬱陵島の「独島博物館」を視察する予定だった拓殖大学の下条正男教授がその人だ。彼は平成23(2011)年7月31日、三氏とは別に仁川(インチョン)国際空港から入国しようとしたが、「日本の右翼国会議員の先遣隊」だとして入国拒否、8月1日未明、日本へと強制送還された。四氏が視察しようとした「独島博物館」には一体「何」があったのだろうか? 「独島博物館」と称し乍ら、竹島が韓国領である証拠等、実は何一つ展示されていない。だからこそ、視察に来られてはまずかったのではあるまいか?
成23(2011)年8月1日午前11時過ぎ、所は韓国・首爾(ソウル)特別市江西(カンソ)区の金浦(キンポ)国際空港。戦後、韓国初代大統領・李承晩(イ=スンマン)が一方的に『海洋主権宣言』を発し、日本海に韓国の主権線 ── 通称「李承晩(り-しょうばん)ライン」を設定。このラインの「内側」にあった「日本固有の領土」竹島を占領し、「独島(トクト)」と称して不法占拠している、その最前線である鬱陵島(うつりょうとう,ウルルンド)の「独島博物館」を視察する目的で、衆議院から新藤義孝・稲田朋美、参議院から佐藤正久(陸上自衛隊第一次イラク派遣復興業務支援隊長として現地住民から絶大の信頼を勝ち得、その後のイラクに於ける自衛隊活動を円滑ならしめた。その当時の風貌から「髭の隊長」の名で呼ばれる)の三人の自民党選出国会議員が全日空機で金浦空港へと降り立ちました。然(しか)し、其処(そこ)で彼等(かれら)三人を待ち受けていたのは、何と「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」との韓国『入国管理法』の規定に基づく入国拒否及び強制退去処分だったのです。

の間、金浦空港で一体何が起きたのか? 帰国した三氏の証言を纏(まと)めると、空港到着直後、空港の事務所関係者の案内で「法務部」と書かれた部屋へと案内され、其処で空港事務所長から「入国不許司」(入国拒否)を通告されたと言います。その際に事務所長が挙げた理由が「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」であったと言い、それに対し、「入国理由も聞かずに何を以て『公共の安全を害する』のか?」、「今迄に、この様な理由で入国不許可を適用した事例があったのか?」と抗議したそうです。この抗議に対して、事務所長は「分からない」の一点張りで、遂には「私の権限を越えているので・・・・」と、入国拒否された者を仮留置する為の部屋「ディテンションルーム」へ移動する様、通告される始末。然し、三氏は仮にも日本の国会議員。恰(あたか)も「犯罪者」か「テロリスト」の如き扱いに対し、「ディテンションルーム」行きを断固拒否。韓国側も流石(さすが)に、其処迄してはまずいだろうと「ディテンションルーム」への移動指示は撤回したものの、三氏は空港から外へ一歩も出る事を許されず、結局、20時10分発の便で帰国しました。

(ちな)みに、この入国拒否事件には三氏とは別に「第四の人物」が存在しました。それが、事ある毎に竹島問題を取り上げ、不甲斐無い日本政府・外務省を叱咤(しった)してきた拓殖大学の教授、下条正男氏です。下条教授は三氏と韓国内で合流した上で、共に鬱陵島の「独島博物館」を視察する目的で、三氏が金浦空港に到着した前日の7月31日、仁川(インチョン)国際空港に降り立ちました。然し、下条教授を待ち受けていたのは「日本の右翼国会議員の先遣隊」との一方的決めつけであり、三氏同様に入国拒否された挙げ句、日本へと「強制送還」され、8月1日付けの韓国紙『朝鮮日報(チョソン-イルボ)』をして、「こっそり入国摘発 今日未明追放」との見出しで1面トップで報道されると言う屈辱迄味合わされたのです。

の入国拒否事件に対し、日本側は先(ま)ず在首爾日本大使館を通じて、入国許可を韓国政府に要請しました。然し、韓国側は日本側の要請をにべも無く断りました。そして、韓国は外交通商部(日本の外務省に相当)当局者を通じて、8月1日、入国拒否した理由を「混乱を招いて身辺の安全を保証出来ない。韓日関係を考慮した上での判断だ」と説明。更に「日本は韓国を刺激する行動をとり続けている」と批判 ── 逆ギレしたのです。この入国拒否措置に対しては韓国政府や外交通商部内でも、「何も視察予定の鬱陵島に付いて迄、日本の領有権を主張している訳では無い」、「この機会に独島博物館を視察させ、韓国の領有の正当性を知らしめる可(べ)きだ」として異論も出た様ですが、李明博(イ=ミョンバク)大統領の側近であり、対日強硬派の急先鋒でもある李在五(イ=ジェオ)特任長官が入国拒否を断固主張した事で良識派の意見は封殺。その結果、四氏に対する入国拒否は事実上の「政府方針」として貫かれたのです。

(さて)、この入国拒否事件に付いては、日本政府の相も変わらぬ「弱腰」(いや、誰ぞが曰(のたま)った「柳腰」か?)と、日本との関係をこれ以上悪化させたくない韓国李明博政権双方の思惑からか、その後、外交問題として尾を引く事は形の上ではありませんでした。然し、その余波なのかどうか、事態は思わぬ方向へと飛び火しました。それが、「韓流偏重放送」を行っているとして抗議、是正を求められたものの、「抗議を受ける理由はない」として拒絶したフジテレビを巡る一連の「反韓流」デモを含む抗議活動です。今回の小論は、フジテレビを巡る騒動(フジテレビは飽く迄も「民放」なので已(や)むを得ない面もあり、事実上の国営放送であるNHKによる『大長今(宮廷女官チャングムの誓い)』や『李祘(イ-サン)』等に見られる韓流偏重の方が正直問題であると考える)が主題では無いので、これ以上言及しませんが ── とは言うものの当の韓国でも嘗(かつ)て「日本文化」禁止措置を国策として採っていたのだが ── 、入国拒否事件を巡る韓国側の一連の対応を見ると、「嗚呼(ああ)、韓国は自国を先進国だと信じて疑っていないが、矢張りまだまだ「三等国」だな」と言わずには居(お)られません(笑) では何故(なぜ)、私が斯(か)くも韓国をして「三等国」と言わしめるのか?に付いて説明したいと思います。

島根県議会前で警察官に取り押さえられた崔在翼・首爾市議
島根県議会前で警察官に取り押さえられた崔在翼・首爾市議
平成17(2005)年3月16日、賛成多数での採択が確実視されていた『竹島の日』条例案に反対する為、島根県松江市の島根県議会を大韓民国独島郷友会会長で首爾(ソウル)特別市市議会議員であった崔在翼(チェ=ジェイク)が訪問。議会の玄関付近でやおらカッターナイフを取り出した為、警備の警察官によって取り押さえられると言う事件が起きた。本人は「自らの指を切って血で声明文を書く積もりだった」と供述したが、多くの人間が集まる中、外国人で然(しか)も日本固有の領土であり乍(なが)ら、韓国に不法占拠されている「竹島」を「独島」と叫び、条例案の採択を阻止しようと乗り込んできた人間が刃物を取り出したのである。取り押さえられて当然だったと言える。
島根県庁前で「竹島の日」に抗議する崔在翼
島根県庁前で「竹島の日」に抗議する崔在翼
前年(平成17)、島根県議会前で「大暴れ」した崔在翼は、性懲りも無く平成18(2006)年の「竹島の日」=2月22日に再来日。島根県庁前で「独島は韓国領土。竹島の日を撤回しろ」と書かれたプラカードを掲げて抗議活動を行った。その後、翌年(平成19年)も「竹島の日」に来日。「竹島の日」記念式典会場で抗議活動を展開する等したが、日本はこの刃物を取り出した「犯罪者予備軍」の来日を唯の一度も阻止せず、「独島は韓国領土」との主張に対しても、言論の自由の観点から圧力は掛けていない。韓国に対し、日本は何と「大人の対応」なのだろうか(笑)
剰な迄に「大人の対応」を採る日本に対し、何故、私が韓国を「三等国」と決めつけるのか? その答えを明かす前に、先ずは6年前に起きたとある事件に付いて振り返りたいと思います。

成17(2005)年3月16日。場所は島根県松江市の島根県議会。この日、韓国によって不法占拠され続けている竹島を管轄する島根県議会は一つの条例案の採決を予定していました。其(そ)の名はズバリ『竹島の日を定める条例』(通称「竹島の日」条例)。定数38人の島根県議会に於いて、民主・共産両党を除く超党派議員35人により議員提案された条例案は、採決前から圧倒的多数の賛成で採択可決する事が有力視され、事実、賛成35・反対2・棄権1の圧倒的多数 ── 島根県民により選ばれた殆(ほとん)どの議員が賛成した事から、事実上、「島根県民の総意」と言っても過言では無い ── で可決成立したのですが、この採択を巡って、韓国から一人の人物が来訪していました。彼の名は崔在翼(イ=ジェイク)。そして、事件は起きました。大韓民国独島郷友会会長であり、韓国の首都・首爾(ソウル)特別市の市議会議員でもある彼が議会の玄関付近に於いて、やおら「独島(トクト)は大韓民国の領土だ!返せ!」等と叫び乍らカッターナイフを取り出した為、警備の警察官が彼を取り押さえ、周囲が俄(にわか)に騒然となったのです。警察へと連行された崔在翼は、カッターナイフを取り出した行為に付いて、「自らの指を切って血で声明文を書く積もりだった」と供述したそうですが、多くの人間が集まる中、然(しか)も「竹島に対する日本の領有権を認めない」対日強硬派の韓国人が、何事か叫び乍ら(韓国語で叫ばれても大多数の日本人には何を言っているのか分からない)、たとえカッターナイフとは言え刃物を取り出したのですから、それは警察官に取り押さえられても当然でしょう。然し、日本は何と「大人」なのでしょう。彼は取り調べ後、放免され帰国したばかりで無く、何と島根県議会が制定した「竹島の日」=翌平成18(2006)年2月22日に性懲(しょうこ)りも無く再来日したのです。

成18(2006)年2月22日に再来日した崔在翼が向かったのは島根県庁でした。彼は此処(ここ)で、

独島は韓国領土
竹島の日 撤回しろ!
2006.2.22 崔在翼(手形)

と日本語で書かれたプラカードを掲げて抗議行動を行い、翌平成19(2007)年の「竹島の日」にも来日。「竹島の日」記念式典会場に於いて、再び、

独島は韓国領土
竹島の日 撤回しろ!
2007.2.22 崔在翼(手形)

と日本語で書かれたプラカードを掲げて抗議行動を行ったのです。(日本への渡航費用をわざわざ出して迄しての抗議活動、誠にご苦労さんなこってす) そして、此処で私が強調したい事、それはこの様に、日本固有の領土であり乍ら韓国によって不法占拠状態が続く「竹島」に対し、日本の立場と全く相容(あいい)れない「独島は韓国領土」との主張を声高に主張している人物が、何の入国制限も課される事無く毎年来日し、わざわざ竹島を管轄する島根県を訪れ、島根県民、いや日本国民の神経を逆撫(さかな)でするかの如く、「独島は韓国領土 竹島の日 撤回しろ!」と誰憚(たれはばか)る事無く主張出来る「言論の自由」の有り難(がた)さ。逆の立場で、例えば私が韓国に入国、「独島」(竹島)を所管する慶尚北道(キョンサン-ブクド)の道庁所在地、大邱(テグ)市を訪れ、

“다케시마”는 일본 고유의 영토다!
한국은 “다케시마”를 신속하게 일본에 반환해라!
(竹島は日本固有の領土 韓国は即座に返還せよ!)

等とハングルで書いたプラカードを掲げて抗議行動を行おうものなら、果たして身の安全が保障されるでしょうか?(恐らく、現地市民から袋叩きに遭い半死半生の身になるのではあるまいか?) いや、それ以前に、自民党三議員や下条教授が受けたのと同様に現地空港に到着後、「日本の右翼活動家」として入国を拒否され、日本へと強制送還されるのではないでしょうか?

り返しますが、日本では例え相手が反日的思想を持ち、反日的言動を公然と口にする様な人物であったとしても、犯罪歴が無く特段拒否す可(べ)き明確な理由が無い限り、入国を拒否したり等しません。それに対し、犯罪者どころか現職の国会議員が単なる視察目的で入国しようとするのを、まるで犯罪者かテロリストの如く扱い、明確な理由も示さずに入国を拒否、強制送還する国。どちらかが「大人の国」で、どちらが「三等国」であるか火を見るよりも明らかでしょう。我々日本人は「韓流」熱に絆(ほだ)され、現(うつつ)を抜かしている場合ではありません。昨今では、北緯38度線を境に対峙する「敵国」北鮮(朝鮮戦争は形式的には「休戦協定」によって一時的に停戦しているに過ぎず、韓国と北鮮は未だ交戦国である)よりも、寧(むし)ろ、日米同盟・米韓同盟を通じ本来であれば「日米韓三国同盟」としての「同盟国」である筈の日本の事を良く思わない「韓国」と言う「三等国」が、目と鼻の先、対馬海峡と日本海を隔てた対岸に存在していると言う現実を、我々日本人は再認識す可きと言えるでしょう。(了)


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