Reconsideration of the History
237.たとえ右翼・保守派から反発されよう共、私は原発全廃を主張する! (2011.6.11)

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は世間的には「右翼」(右派)・「保守派」に分類されている様ですが、その右翼・保守派から反発されている事の一つに「原発の廃止」 ── 然(しか)も「原発の全廃」を声高(こわだか)に主張している事が挙げられます。一般に、「原発推進派」は右翼・保守派、「原発反対派」は左翼・市民運動活動家と見做(みな)されて居(お)り、その分類からすれば、私は左翼のお先棒を担(かつ)ぎ、右翼・保守派の風上(かざかみ)にも置けないと言う事になるのでしょう。然し、事はそう簡単ではありませんし、抑(そもそ)も右翼・保守派だから原発反対に異を唱えるのはおかしいと言う考え方自体に私は異を唱えざるを得ません。そこで今回は前回に引き続き、自らの原発全廃に関する主張の補足説明をしたいと思います。

(ま)ず、私が福島第一原発事故発生後のテレビや新聞を見ていて気になった事があります。それは、「セシウム137」137Cs:半減期30.1年)と共に原発から放出された放射性物質「沃素(ようそ)131」131I)に付いて、

沃素131の半減期はたったの8.04日であり、たいした影響は無い

と言う判を押した様な報道でした。我々一般人にとっては「半減期が8.04日」と言われると、その影響もたったの8日で無くなると誤解してしまいがちですが、その事自体が大きな間違いである訳です。「半減期」とは、物質から放出される放射線量が元の半分になるのに要する時間(期間)ですから、「半減期8.1日」の沃素131は、2分の1(50%)になるのに8.04日、4分の1(25%)になるのに16.08日、8分の1(12.5%)になるのに24.12日、16分の1(6.3%)になるのに32.16日、32分の1になるのに40.2日・・・掛かる計算になります。然し、この「沃素131の半減期が8.04日」と言う数字には絡繰(からく)りがあります。と言うのも、これは例えば外界から隔絶された実験室の様な空間 ── 密閉された部屋の中 ── に、絶対に増減する事の無い一定量の沃素131を閉じ込めた場合に適用される数値であり、今回事故を起こした福島第一原発の様に、絶えず放射性物質が放出され続けている ── 常に供給されている ── 様な場合、半減期の数値は余り意味を為さなくなります。(原発からの放射性物質の放出が止まれば放射線量も半減期に従って確実に減少するが、絶えず放出され続けている限り、後から後から放出されてくる放射性物質の為に放射線量は一向に減少しない事になる) 又、沃素131がベータ(β-)崩壊する過程で、今度は同じく放射性物質である半減期11.934日の「キセノン131m」131mXe)に変化します。

福島第一原発より放出された主な放射性物質の放射線量の時間的推移

沃素131及びキセノン131mの放射性崩壊
まあ、キセノン自体は希ガスですし、キセノン131mが放出する放射線(γ(ガンマ)線)は、沃素131が放出する放射線(β(ベータ)線)に比べ、遙かに透過率が高いので、人体への影響は少ないとの意見もあろうかとは思います。但(ただ)し、忘れてもらっては困るのですが、福島第一原発からの放射性物質の放出は東日本大震災が発生した3月11日一日の事では無く、その後、現在に至る迄唯の一日も止(や)む事無く続いており、例えその放出量が微量だろうが影響が小さかろうが、「継続は力也」の諺(ことわざ)よろしく、長期間放出及び被爆し続けた場合の視点がすっぽり抜け落ちている事に疑義を挟まざるを得ません。

プルトニウムは飲んでも大丈夫!?
政府が平成5(1993)に、旧動燃(現日本原子力研究開発機構)に依頼して制作した原発推進宣伝ビデオ『プルトニウム物語 頼れる仲間プルト君』。その内容から国際的非難を浴び直ぐに回収絶版にされたと言うが、「プルトニウムをガブ飲みしても大丈夫!」との主張には、福島第一原発の事故により放出されたセシウム137・沃素131、更にはプルトニウムと言った放射性物質は微量なので「人体への影響は少ない」との大本営発表の淵源を見る事が出来る。
してや、放射性物質の放出が何時(いつ)止むのかの目処(めど)すら立っておらず、更に原発の敷地外から飛散したプルトニウム239239Pu)や240240Pu) ── 半減期が239は2万4千年、240ですら6560年 ── 迄検出される始末で、一体何が「問題無い」のか正直理解に苦しみます。とは言え、平成5(1993)年に政府(この年の8月9日、非自民・非共産連立政権である細川内閣が成立する迄は、自民党が政権与党だったのだが)の依頼で旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団) ── 現在の日本原子力研究開発機構 ── が制作(但し、旧動燃は企画監修を担当し、実際の制作は株式会社三和クリーンが行った)した原発推進宣伝ビデオ『プルトニウム物語 頼れる仲間プルト君』の中で、「プルトニウムをガブ飲みしても大丈夫!」、「プルトニウムは青酸カリの様に飲んだら直ぐ死ぬと言う劇薬ではありません」、「プルトニウムが原因で癌になったと断定された例はありません」等とアピールしていた事を鑑(かんが)みれば、さもありなん共言えますが・・・(平成8(1996)年)7月、大阪府堺市の学校給食で発生したO-157が原因の食中毒事件で「穎(かい)割れ大根」が感染源と疑われた際、菅直人厚相(当時)が安全性のアピール目的で穎割れ大根を食べる姿が報道された。それに倣(なら)い、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と主張する関係者が、今回もテレビカメラの前で実際にプルトニウムを一気飲みしてみては如何(どう)だろうか?)

に指摘せねばならない事は、今回の福島第一原発の事故後、記者会見の模様がテレビのニュースで放映される等して一躍脚光を浴びた「原子力安全・保安院」や「原子力安全委員会」・「原子力委員会」と言った日本の原子力行政に関わる公的機関の存在自体に問題があると言う事です。例えば、国家公務員の人事管理に関し広汎な権限を有する「人事院」や、国の収支決算を厳しく検査する「会計検査院」は、数多い日本の国家行政機関の中でも一際(ひときわ)公正中立性が求められ、その為に、内閣や他の省庁からの介入を一切許さない独立した機関として存在しています。それでは、件(くだん)の「原子力安全・保安院」や「原子力安全委員会」・「原子力委員会」は如何(どう)かと言うと、先(ま)ず、「原子力安全・保安院」は経済産業省の外局の一つで、原発推進の旗振り役を担ってきた「資源エネルギー庁」傘下の特別機関。次の「原子力安全委員会」や「原子力委員会」も内閣府の審議会の一つで、共に既存の省庁にぶら下がる形で存在し、他からの介入を許さぬ公正中立性を堅持するどころか、逆に国の原発推進政策に則り、

原子力発電は「安全」と言う事が大前提

の下(もと)に、東京電力をはじめとする電力会社と共に、東海村でのJCO臨界事故が起きようが、高速増殖原型実験炉「もんじゅ」でナトリウム漏洩火災事故が起きようが、決して後退する事無く、国の原子力行政にお墨付きを与え続け、原発の増設を推進してきました。然(しか)し、3月11日の事故発生後、「想定外」の三文字を繰り返す事で自己責任の回避に躍起となり、対応は後手々々、自分達の推進してきた政策の誤りを決して認めない等、醜態(しゅうたい)を晒(さら)し続けています。第一、原発が「安全」である事を前提に、「原子力安全・保安院」等と言う名称が付けられている事自体が驕慢の元共言えます。

原発は非常に危険なもの

この視点がはじめにあって、それならそれで如何(いか)に安全に管理していくか?と言った発想なら兎(と)も角、今迄の発想は、

原発は安全なもので、それをどう保安していくか?

東京原発
映画『東京原発』
平成16(2004)年公開の『東京原発』(監督・脚本:山川元,出演:役所広司・段田安則・平田満ほか)では、東京に原発を誘致しようとする都知事(役所)と、それに反対する副知事(段田)等の対立と議論が滑稽に描かれた。
と言った視点しか無かった。それこそが今回の「想定外」で括られる一連の事故原因を作り出した土壌では無かったのか? 私にはそう思えて仕方ありません。ましてや、本当に原発が安全なものであるのなら、何故(なぜ)、東京・名古屋・大阪と言った大都市部や、京浜(けいひん)・京葉(けいよう)・中京・阪神と言った大電力を消費する工業地帯の隣接地域に、唯の一基も原発が建設されなかったのか? この極めて素朴な疑問に対し、国・電力会社は明快な回答を提示出来る筈ですが、残念乍ら、その様な事はついぞ耳にした事がありません。それは詰まり、国・電力会社が口では「原発は安全」と言っているものの、内心では「原発は危険」で、その様な物騒な代物(しろもの)を政府機関や国会、ましてや天皇陛下をはじめとする皇族方が住まう東京の近くに誘致する等以(もっ)ての外(ほか)だと言う暗黙の了解があるからに他ならず、正(まさ)に本音(ほんね)と建て前の典型例と言っても過言では無いでしょう。

後に指摘せねばならない事。それは

原発は固定された核爆弾と同じである

と言う事です。普通の原子爆弾(核爆弾)は、現代に於いては軍艦や航空機から発射される巡航ミサイルや、地上基地から発射される弾道ミサイルの弾頭部に装着され、敵目標に向けて発射されるものですが、原発は違います。原発は巡航ミサイルや弾道ミサイルとは異なり、発射される事無く立地場所にデンと腰を下ろし根を張って鎮座しています。其処(そこ)へ向けて敵がミサイルを撃ち込めば、核爆発こそしない迄も、原発由来の放射性物質を広範囲に撒き散らす事が可能です。この「核爆発を伴わずに放射性物質を撒き散らす爆弾」は別名「汚い爆弾」共呼ばれますが、放射性物質を多く内包する原発は、正にこの「汚い爆弾」になり得る存在である訳です。にも関わらず、原発に対する防備 ── 防衛体制が万全であるかと言えば、必ずしもそうとは言えないのが実情です。

雲仙普賢岳平成新山
噴火により新たに形成された雲仙普賢岳山頂部「平成新山」
普賢菩薩 「世界に普(あまね)く現れ、仏の慈悲と理知を顕(あらわ)して人々を救済する賢者」たる普賢菩薩(ふげんぼさつ;右絵)の名を冠した長崎県は雲仙(うんぜん)の普賢岳。その普賢岳が噴火したのは江戸時代の寛政4(1792)年以来、凡(およ)そ200年ぶりとなる平成2(1990)年11月の事であった。平成3(1991)年6月3日発生の大火砕流により死者・行方不明者43名を出した普賢岳の噴火活動は、平成7(1995)年4月に終熄。その後、山頂部の溶岩ドームは「平成新山」と命名され、国の天然記念物や世界ジオパークにも認定されたが、この時の噴火はその後の日本の国難へと続く単なる予兆だったのか。
高速増殖原型実験炉「もんじゅ」
高速増殖原型実験炉「もんじゅ」
文殊菩薩 米・英・仏・独と言った欧米先進諸国が軒並み開発運用を断念する中、先進国で独り高速増殖炉に固執(こしゅう)する日本。その日本が「常陽」に続いて福井県敦賀市に建設したのが「もんじゅ」だ。「もんじゅ」の名は、普賢菩薩と共に釈迦三尊の脇侍(わきじ)を務(つと)め、智慧(ちえ)を司(つかさど)る仏として知られる文殊菩薩(もんじゅぼさつ;右絵)に肖(あやか)ったものだが、ウランにプルトニウム、更にはMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合燃料)を燃やす核施設に仏の名を冠したのが災いしたのか、度重なる事故により現在も運転を停止している。
霧島連山新燃岳
火山雷を伴って噴火する霧島連山・新燃岳
今年(平成23年)1月27日、52年ぶりとなる爆発的噴火を起こした霧島連山の新燃岳。霧島連山と言えば、天之逆鉾(あまのさかほこ)刺さる高千穂峰(たかちほのみね)を筆頭に、皇祖(すみおや)天照大神(あまてらすおおみかみ)が下した「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」により、皇孫(すめみま)天瓊瓊杵尊(あめのににぎのみこと)が天降(あまくだ)った天孫降臨神話の舞台である。その神話の舞台で起きた噴火から1ヶ月余りの後(のち)、宮城・岩手・福島三県の太平洋岸を中心に甚大な被害をもたらした東北地方太平洋沖地震が発生した。これは石原都知事が口にした様に、戦後日本人に対する「天罰」なのか?
れでも、原発に固執、依存したがる方々に私は問いたい。

皇祖皇宗以来の「神の国」の
大地が放射能で汚される事に何も感じないのか?

と。平成2(1990)年11月から平成7(1995)年3月頃迄噴火活動が続き、その間、火砕流により43名の死者行方不明者を出した長崎県は雲仙の「普賢岳」(普賢菩薩)。平成7年12月8日(12月8日は奇しくも日本の対米開戦日と同じである)にナトリウム漏洩火災事故を起こし、平成22(2010)年8月26日には炉内中継装置の落下事故を起こした福井県は敦賀市の高速増殖原型実験炉「もんじゅ」(文殊菩薩)。そして、今年平成23(2011)年1月27日、52年ぶりとなる爆発的噴火を起こした九州南部は霧島連山の新燃岳(霧島連山は彼(か)の有名な高千穂峰(たかちほのみね)を筆頭に神々が天降(あまくだ)った天孫降臨神話の舞台である)。これらの出来事は個々に起きたのでは無く、普賢菩薩が怒り、文殊菩薩が怒り、そして、皇祖皇宗が怒り、八百万(やおよろづ)の神々が怒った。その意味では石原都知事が口にした「天罰」の二語は決して的外(まとはず)れでは無く、神々が日本国民に対して発したこれ以上無い程(ほど)の警告であった、と私は認識しています。

日本は「神の国」だからこそ、
余計に神の意に
そぐわぬ事をした時の
神の怒りも大きい

後、経済至上主義、物質主義を追求し経済的な豊かさを極めたものの、その反面、大切なものを多々捨て去り、忘れてしまった日本国民に対し、今回の東日本大震災とそれに伴い発生した福島第一原発の事故は、多大な人的・物的代償を払って迄して、その事を我々に気付かせようとしたのだと捉える事は出来ないでしょうか? 大震災からの復興は単に被災地の復興、経済的復興のみならず、日本国民が忘れてしまっていたものの復興をもさせようと言う神々の壮大な経綸(けいりん)であり、そのチャンスを活(い)かす事無く同じ道を歩んだなら、今度こそ神々は本気で怒り更なる「天罰」を下す事でしょう。その意味でも、我々は原発問題や歴史問題、領土問題も含め、この辺りで戦後日本の「総括」をする必要に迫られているのでは無いでしょうか?(了)



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