Reconsideration of the History |
139.昭和22年の「皇籍剥奪」を撤回せよ!! ── 「皇統断絶」危機に対する処方箋(上) (2005.2.7) |
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平成17年1月25日、首相の私的諮問機関「皇室典範(てんぱん)に関する有識者会議」の初会合が開かれました。この会議に於いては、昨今、話題に上(のぼ)っている「女帝」(女性天皇)の是非を含め、皇位継承資格問題について、大々的な論議が為される訳ですが、では、何故(なぜ)、今「女帝」なのか? 皇位継承の何に問題があるのか? いまいち、分からないと言う方もおありの事だと思います。そこで、簡単に整理してみますと、皇位継承について定めている『皇室典範』に、この様な文言があるからなのです。曰(いわ)く、
皇室典範と。つまり、皇族の内、男性のみが皇位継承権を有する、と言う事になります。そして、同じく『皇室典範』には、どの順番で皇位継承権があるのかも以下の如く規定されています。
第1条(継承の資格)
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
皇室典範そこで、この規定を現在の皇室に当て嵌(は)めてみますと・・・
第2条(継承の順序)
@ 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
- 皇長子
- 皇長孫
- その他の皇長子の子孫
- 皇次子及びその子孫
- その他の皇子孫
- 皇兄弟及びその子孫
- 皇伯叔父及びその子孫
A 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
B 前2項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
注:年齢はコラム発表時点に於けるもので、一年に満たない端数(はすう)は切り捨てている。
順位 御名 続柄 生年月日・年齢 1 皇太子徳仁(なるひと)親王殿下 皇長子(今上天皇の長子) 昭和35年 2月23日生:44歳 2 秋篠宮文仁(ふみひと)親王殿下 皇次子(今上天皇の次子) 昭和40年11月30日生:39歳 3 常陸宮正仁(まさひと)親王殿下 皇弟(今上天皇の弟) 昭和10年11月28日生:69歳 4 三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下 皇叔父(昭和天皇の弟) 大正 4年12月 2日生:89歳 5 三笠宮寬仁(ともひと)親王殿下 皇従弟(今上天皇の従弟,三笠宮崇仁親王の長子) 昭和21年 1月 5日生:59歳 6 桂宮宜仁(よしひと)親王殿下 皇従弟(今上天皇の従弟,三笠宮崇仁親王の次子) 昭和23年 2月11日生:56歳
今上天皇(明仁天皇)→徳仁「天皇」(現皇太子殿下)→文仁「天皇」(現秋篠宮殿下)→皇統断絶(男系男子皇族欠員)この様な事態を回避し、皇統を存続させる為の方策として、「皇統に属する男系の女子」にも皇位への道を拓(ひら)く ──「女帝」の容認や、「皇統に属する女系の男子」 ── 結婚を機に皇籍離脱(臣籍降下)した女性皇族(天皇の御息女)がお産みになったお子様にも皇位継承資格を与えようとか、はたまた、昨年末に婚約が内定した今上天皇陛下の御息女、紀宮清子(のりのみや-さやこ)内親王殿下と黒田慶樹さんの御成婚を機に、お二人をして新たな宮家を創設させるべきだ、と言った意見が出ている訳です。まあ、皇太子殿下には、「皇男子」のお子様はおられませんが、敬宮(としのみや)愛子内親王殿下と言う御息女がおられる訳ですし、愛子内親王殿下をして、皇太子殿下(次期天皇)の跡を嗣(つ)がせようと言う意見(女帝復活論)にも一理あります。実際、皇室は過去、10代8人(若(も)しくは、12代10人)の女帝を輩出していますから。(下表参照)
とは言え、過去の女帝を見ると、日本の女帝
代 諡号(小字は別称) 在位期間 続柄 − 神功(じんぐう)天皇注1
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)執政
201-269仲哀帝皇后
応神帝母− 飯豊天皇注2
忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)臨朝秉政
484-485履中帝皇女或いは
市辺皇子息女33 推古天皇
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)
額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)592-628 欽明帝皇女 35 皇極(こうぎょく)天皇
天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめのみこと)
宝皇女(たからのひめみこ)642-645 敏達帝曾孫
舒明帝皇后37 斉明天皇(皇極天皇重祚) 655-661 41 持統天皇
大倭根子天之広野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめのみこと)
高天原広野姫天皇(たかまのはらのひろのひめのすめらみこと)
鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)称制 686-689
皇位 689-697天武帝皇后
草壁皇子母43 元明天皇
日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)
阿閉皇女(あへのひめみこ)称制 707
皇位 707-715天智帝皇女
草壁皇子正妃
文武・元正両帝母44 元正(げんしょう)天皇
日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)
氷高皇女(ひたかのひめみこ)715-724 草壁皇子息女
文武帝姉46 孝謙天皇
宝字称徳孝謙皇帝,高野天皇(たかぬのすめらみこと)
阿倍皇女(あべのひめみこ),高野姫(たかぬひめ),法基尼749-758 聖武帝皇女 48 称徳天皇(孝謙天皇重祚) 764-770 109 明正(めいしょう)天皇
女一宮,興子(おきこ)内親王1629-1643 後水尾帝第二皇女 117 後桜町天皇
以茶宮(いさのみや),緋宮(あけのみや),智子(としこ)内親王1762-1770 桜町帝第二皇女
注:代数は現行の「皇統譜」に遵(したが)う。
- 一般には「神功皇后」と呼ばれており、現在の皇統譜では歴代に数えられてはいない。しかし、第14代仲哀天皇の死後、執政の地位にあり、彼女の死後、第15代応神天皇が即位している所から、明治以前は彼女を第15代天皇として歴代に数えていた。
- 一般には「飯豊皇女」と呼ばれており、現在の皇統譜では歴代に数えられてはいない。しかし、『扶桑略記(ふそうりゃくき)』には「飯豊天皇、廿四代女帝」、『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にも「飯豊天皇、忍海部女王是也」と記載されており、嘗(かつ)ては歴代に数えられていた。