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称制 (しょうせい)

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「制を称す」の義で、摂政・関白と同様、政務を執(と)る形態の一つ。「制」とは、勅命(ちょくめい:天子の命令)を指し、「制を称す」る事は即(すなわ)ち、天子(皇帝、天皇)と同格である事を意味した。支那に於いては、天子が幼少の時、皇太后が、又、古代日本に於いては、先帝の崩後、新帝(即位予定者)が即位式を挙げずに政務を執る事を言った。日本では、仲哀天皇の崩後、その正后であった神功天皇(神功皇后)が行った「執政」、清寧天皇の崩後、飯豊天皇(忍海飯豊青尊 オシヌミノイイトヨアオノミコト)が行った「臨朝秉政(へいせい)」が、「称制」の先駆け。史上初めて実際に「称制」したのは、天智天皇(中大兄皇子 ナカノオオエノミコ)であり、西暦660年に、母・斉明天皇の崩後、668年に正式に即位する迄、実に8年間も皇位に即(つ)かず「称制」した。又、持統天皇(鸕野讚良皇女 ウノノサララノヒメミコ)も、686年に夫君である天武天皇の崩後、3年間「称制」した後、皇位に即いた。尚、持統天皇は、697年、甥の文武天皇(珂瑠皇子 カルノミコ)に譲位、702年に崩ずる迄、「太上天皇」を称し、上皇の先駆けとなった。


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