Reconsideration of the History
24.日本人が中国を「支那」と呼んでどこが悪い!? (1998.3.5)

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前の日本では中国の事を広く「支那」(シナ)と呼んでいました。ところが、戦後になると、「シナチク」(いわゆる「メンマ」の事)等に名を留める程度で、中国自体を「支那」と呼ぶ慣習は姿を消してしまいます。この辺の事情には、「戦勝国」(中国)と、「敗戦国」(日本)と言う構図があり、「支那の呼称は中国を侮蔑している!!」と言った内容の中国側の主張に日本が配慮した事が要因となっています。しかし、「支那」の呼称は果たして中国が主張するような侮蔑用語なのでしょうか? 私は決してそうは思いません。と同時に、「支那」に取って代わった「中国」の呼称が、日本人の間で日常的に使用されているにもかかわらず、その真の意味を知っている人がどれ程いるでしょうか? 今回は、なぜ「支那」の呼称が侮蔑用語ではないのか、「中国」の呼称に潜む真の意味は何なのかを書いてみたいと思います。

ず、「支那」の語源ですが、中国史上最初の統一帝国「秦」(チン Ch'in 前221-207)から来ています。この「チン」(秦)がインド(サンスクリット語)に伝わり、「チーナ」(Cina)・「ティン」(Thin)となり、更にヨーロッパへ伝わり、「シーヌ」(Chine 仏語)「チャイナ」(China 英語)と変化していった訳です。そして、戦前の日本で広く使用された「支那」もこれと同様で、梵語(サンスクリット語)の「チーナ」がインドの仏典と一緒に中国に逆輸入されたもので、中国人自身が「支那」・「脂那」と表記したのが起源です。つまり、中国側が侮蔑用語としている「支那」の表記は、中国自身が編み出したもので、日本人は江戸時代中期以来、終戦まで、それを借用していたに過ぎないのです。又、日本人が使用していた「支那」が侮蔑用語だというならば、「シーヌ」も「チャイナ」も又、侮蔑用語となる訳で(語源は全て同じなのだから)、中国が自国の英語表記を、「People's Republic of China(中華人民共和国)とする事自体、矛盾している訳です。

1.中国の呼称〜「支那」の変遷

チン Ch'in(秦)┬ティン Thin(梵語)
       └チナ Cina(梵語)┬支那・脂那(中国)─支那(日本)
                └
シーヌ Chine(仏語)─チャイナ China(英語)

ついでですので、もう一つの中国の呼称についても書いてみようと思います。「支那」とは別系統の中国の呼称に「キタイ」と言うものがあります。この語源は、遼王朝(リャオ Liao 907-1127)の別称(と言うよりもこちらが正称)「契丹」(キタイ Khitai,複数形 Khittan)から来ています。さて、この「キタイ」ですが、これはモンゴル人の一派・契丹族が満洲から華北(中国北部)に至る地域に建てた国で、言葉も習俗も中国とは異質でした。しかし、アラブや遠いヨーロッパでは、中国全土を領土としていなかったにもかかわらず、「キタイ」イコール「中国」と言った形で認識されてしまいました。そして、この「キタイ」の呼称が広がったもう一つの原因は、あのマルコポーロが書いた「東方見聞録」だったのです。マルコポーロが中国を訪れた時には、「契丹」と言う国は既に無く、フビライ・ハン「元」が中国を支配していました。この「元」を、マルコポーロは「東方見聞録」の中で、「カタイ」と書いています。「カタイ」と言うのは「キタイ」が訛ったもので、今でもトルコ語・ペルシア語・ロシア語等では、中国の事を「キタイ」と呼んでいます。ちなみに、香港の航空会社「キャセイ・パシフィック」の「キャセイ」(Cathay 英語)も、「キタイ」が語源で、主に「華北」を指す語ですが、広く中国全土を指す古語・雅語(詩語)としても慣用されています。

2.中国の呼称〜「キタイ」の変遷

キタイ Khitai(契丹)─カタイ Khatai(元)─キャセイ Cathay(英語)

がそれてしまいました。最後に、「中国」の呼称に潜む真の意味について書いてみようと思います。中国の現国名「中華人民共和国」の「中華」ですが、この中の「華」とは古代中国の王朝「夏」が起源で、「中夏」とも書かれました。そして、「中国」・「中華」の「中」とは、「世界の中心」を意味しており、「中華」とは、「世界の中心である夏(華)」と言った意味なのです。そして、この「中国」・「中華」とは、裏を返せば、中国周辺の国々は「野蛮で非文化的な未開な地」と言った意味も込められているのです。これが「中華思想」と呼ばれるもので、中国の周辺国は中国から見た方角によって、東夷・西戎・南蛮・北狄と呼ばれました。勿論、私たちが住む日本も例外ではありません。「邪馬台国」や「女王卑弥呼」で有名な「魏志倭人伝」も、正式には「魏志東夷伝倭人条」と言います。つまり元来、日本人が中国の事を「中国」と呼ぶのは大義名分からしても不自然な訳で(あの「広辞苑」にもそう書かれています)、中国側が自国の呼称としている「中国」(及び「中華」)は、逆の意味で、「支那」以上に侮蔑用語なのです。

(了)


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