Reconsideration of the History
3.チベットは中国の領土ではない! (1997.2.21)

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1951年、中国人民解放軍がチベットの首都ラサに進駐、「チベット解放」を宣言した。チベットの混乱の中、チベットの政教一致の最高指導者(国家元首)ダライ・ラマ14世は、側近と共にチベットを脱出、インド領ダラムサラに臨時政府を樹立した。それから、既に46年...果たして、46年前の「チベット解放」は正しかったのか? 又、中国政府に反革命分子の総帥と決めつけられているダライ・ラマ14世とは、一体、チベットにとってどのような存在なのだろうか? まず、チベットの歴史から簡単に触れてみましょう。

チベット地図 ベットは古くは羌等と呼ばれ、その領土も現在の地図で言えば、チベット自治区・青海省・甘粛省南部・四川省西部・雲南省北西部・ブータン・シッキム・ネパール北部・インド北西部・パキスタン東北部にまで及び、アジア中央に位置した大国です。古来より中国とは密接な関係にあり、中国の五胡十六国時代には、中国領内に成漢・前秦・後秦・後涼の四王国を相次いで建国しています。又、629年には小国に分裂していたチベットを、ソンツェン・ガンポ大王が統一、吐蕃を建国します。吐蕃はその後、東トルキスタンの要衝を押さえ、755年、唐(中国)に安史の乱が起こると混乱に乗じて、遂に唐の首都長安に進駐します。アジアの大国唐は、国内の反乱と共に、「チベットの影」によって衰退したとも言えます。その後、吐蕃は843年にラテン・ダルマ帝が暗殺され、分裂してしまいます。

在のチベット文化が形成されたのは、ラマ教(チベット仏教)が本格的に普及し、チベットの国教になってからの事です。そして、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマが宗教のみならず、政治的にも権威を有し、首都ラサのポタラ宮殿が事実上の政府になります。又、近世以後のチベットは吐蕃時代の「武力」による進出から180度反転し、「ラマ教」による進出を果たします。これはある意味では成功し、ネパール・ブータン・シッキム・モンゴルにダライ・ラマの権威が及びます。しかし、これは両刃の剣でもありました。モンゴルや青海地方の為政者は、度々チベットに進駐し、ダライ・ラマの権威を背景に「ラマ教文化圏」に影響力を行使するようになります。その最たるものが満州人の建国した清朝です。

は、1720年、内陸アジアの大国、ジュンガルに占領されていたチベットに進駐、ダライ・ラマ7世を首都ラサに入れると共に、カンチェネ・ポラネの2人を「宰相」に任命、チベットを間接統治するようになりました。1728年には、宰相ポラネが内乱を鎮圧し清朝から全チベットの蔵務総理・郡王に任命され、事実上の「チベット国王」となります。しかし、1750年、チベットで反清暴動が起こり、ポラネの子ギュルメ・ナムギェル郡王が暗殺されると、清軍が進駐し、これ以後、清朝による直接統治の色合いが濃くなりました。

代に入ると、アジアに欧米列強が進出しますが、チベットも例外ではありませんでした。インドを手中に収めたイギリスが、1893年、清朝との間に蔵印条約(シッキム・チベット条約)を調印。更に1903年にはヤングハズバンド大佐率いるイギリス軍がチベットに遠征、翌1904年には遂に首都ラサに侵入、武力にものを言わせて、ラサ条約を調印してしまいます。この時、ダライ・ラマ13世はモンゴルへ亡命、1910年、清軍が進駐すると、今度はインドへと亡命してしまいます。

ベットに好機が訪れたのは、1912年のこと。辛亥革命により清朝が滅亡すると、亡命先のインドからイギリスの支援を受けたダライ・ラマ13世がチベット本国に帰還、「チベット帝国」の「独立」を宣言します。しかし、1951年、中国人民解放軍がチベットに進駐、翌1952年には人民解放軍チベット軍区が設置され、中国は「独立国」チベットを廃止し、「チベット自治区」を設置してしまいます。

かし、満州の例を見てもお分かりの通り、チベットは満州人の国清朝に征服されていたのであって、中国に征服されていた訳ではありません。又、辛亥革命の際、清朝からの独立を宣言したのですから、その地位は孫文の建国した中華民国と対等だった筈です。つまり、現在のチベットの状況は満州同様、中国による不法占拠であり、チベットに進駐した「人民解放軍」は「人民抑圧軍」だった訳です。又、「反革命分子」の総帥と決めつけられているダライ・ラマ14世の地位は、現在も「チベット帝国」の正統な「国家元首」であり、北インドのダラムサラにある亡命政府は「独立」チベットを代表する正統政府な訳です。先のドイツ連邦議会での「チベット決議」がそれを何よりも物語っていると言えます。(了)


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