Reconsideration of the History
147.追いつめられた国民党 ── 国共トップ会談の示したもの(2005.5.28)

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連戦・胡錦涛国共党首会談 和24(1949)年1月、毛沢東(マオ=ゼットン)率いる中国共産党(以下、「中共」と略)との内戦(国共内戦)に敗れた国民党の蒋介石(チャン=カイシェク)総裁が首都南京を脱出し台湾へ逃避してから実に56年。平成17(2005)年4月26日、「国民党主席」として南京の土を踏んだ連戦(リエン=チャン)氏は、同月29日、北京の人民大会堂に於いて、胡錦涛(フー=チンタオ)共産党総書記(中国国家主席)と、昭和20(1945)年8月から10月にかけて行われた蒋介石毛沢東の国共トップによる所謂(いわゆる)「重慶交渉」以来、実に60年ぶりの国共トップ会談に臨みました。(右写真 左:連戦・国民党主席 右:胡錦涛・共産党総書記) この会談に於いて、中台(支那と台湾)の敵対状態を終結させ、平和協定締結を促進する等、「中国」(中華人民共和国=支那)による『反分裂国家法』(反国家分裂法)制定等で悪化した中台関係の改善と発展を目指す五項目に合意、事実上の「第三次国共合作」が為された訳です。この「第三次国共合作」によって連戦・主席率いる国民党は、蒋介石総統以来、常に台湾の政権を担ってきたにも拘(かか)わらず、民進党(民主進歩党)の陳水扁(チェン=ショイピエン)台湾総統によって野党に堕(お)とされた国民党の「復権」を画策した訳ですが、私はそこに国民党の凋落ぶり、更に言えば末期的症状を見た気がしました。と言う訳で、今回の「第三次国共合作」について、私なりに論じてみたいと思います。

錦涛・連戦会談に於いて、国共両党トップは、「一つの中国」の原則に関する平成4(1992)年の所謂『中台合意』の堅持と台湾独立反対で一致した事を内外に表明した訳ですが、ここに国民党のある種の「限界」が見て取れます。我々は「台湾」、「台湾」と呼んでいますが、あの「国」の正式な国号は未だに「中華民国」である訳です。 宋楚瑜 「中華民国」とは大陸の「中華人民共和国」同様、本来、支那(中華)を領土として初めて成立しうる筈なのですが、現実に「中華民国」が領土としているのは、台湾島とその附属島嶼に過ぎません。そのある種の「捻(ねじ)れ」を解消し、台湾が主権独立国家である事を強く主張する為に、台湾の政権与党である民進党や台連(台湾独立聯盟)は、その国号を「正名」(名を正(ただ)す事) ── 実情(現実の領土や施政権の及ぶ実効統治範囲)に合わせて、「中華民国」から「台湾共和国」へと改称 ── する事を目指している訳ですが、第一野党の国民党及び、宋楚瑜(ソン=チューユィ)主席(左写真)率いる第二野党の親民党は、あくまでも「中華民国」=「中国」の呼称に拘っています。(そもそ)も、「国民党」、「国民党」と呼んでいますが、こちらも「台湾」の呼称同様、正式な党名は「中国国民党」です。決して「台湾国民党」では無い訳です。まあ、国共内戦に敗れた蒋介石の「中国国民党」が一族郎党(大陸出身者、所謂「外省人」)を引き連れ大挙して台湾へと逃れ、李登輝政権に至る迄、その国是はあくまでも「大陸反攻」・「失地回復」(大陸の中共政権を打倒し、その支配権を奪還する)だった事を考えれば、分からなくもありません。彼ら国民党=外省人にとって「台湾」とは、所詮あくまでも「仮の住まい」でしか無く、いつの日か大陸へ帰還する、その日が来る迄、仕方無く台湾にいるだけと言うスタンスである訳です。

(しか)し、国民党が台湾へ逃れて(やって)来てから、既に半世紀以上もの歳月が流れ、蒋介石はおろか、その子息で台湾における二代目の総統・蒋経国も最早(もはや)この世にはいません。いや、それどころか「外省人」とは言っても、生まれも育ちも台湾と言う三世・四世に至っては、「祖国」と言えば台湾以外には無く、今更、非民主独裁国家「中国」との統一や「祖国帰還」等望んではいません。その様に考えれば、国民党が存続する道は唯一つ。蒋介石以来の党是「大陸反攻」・「失地回復」や建前としての「中国国民党」と言う名称と決別し、台湾に於ける台湾人による台湾の為の政党、

台湾国民党

に脱皮する以外にはありません。その為には、今も尚、内省人に大きな傷跡を残し、外省人や国民党に対する強い不信の根源となっている二・二八事件に対する総括と明確な謝罪をしなければなりませんし、「中国」(中共)が固執する「一つの中国」と言う論理と決別、台湾独立派が強く主張している「一つの中国、一つの台湾」と言う論理を受け入れなければなりません。詰まり、外省人政党(余所(よそ)者)として出発している国民党が、内省人・外省人と言う「省籍問題」を乗り越え、新「台湾人」政党として台湾公民(国民)の利益を第一義に考えるか?にかかっていると言っても過言ではありません。とは言え、私は国民党の存続には極めて懐疑的です。

戦主席の国民党にしろ、時を一にして訪支(訪中)した宋楚瑜主席率いる親民党にしろ、孰(いず)れも中共の「虎の威を借る」戦略を以て、与党民進党・台連に対抗する道を選択しました。然し、先に書いたコラム146.『北京五輪は開催されない? 胎動し始めた「共産中国」の崩壊』でも論じましたが、その「虎」(中共)自身の威信が低下、崩壊の道を歩んでいる訳で、その様なものに頼っている国民党・親民党の先は見えたも同然です。国民党は、外省人たる蒋家二代の後、内省人出身の李登輝(リー=トンホイ)氏を党主席・総統に迎えた時に、実は大きなチャンスがありました。前述の様に「中国国民党」から、台湾に於ける台湾人による台湾の為の政党「台湾国民党」へと脱皮するチャンスがあったのです。然し、折角の好機を国民党は逃してしまいました。李登輝総統の下(もと)で副総統の地位にあった連戦氏が、「正統な後継者」として李登輝路線を踏襲し、台湾(中華民国)の「台湾化」を推進していたとしたら、ひょっとしたら、当時、弱小政党であった民進党に政権を奪取される事は無かったでしょうし、その後も、台湾の政権与党としての地位を確保していたかも知れません。

湾公民の多くは、「独立」を望まず、かと言って「祖国統一」(「中国」への併合)も望まない「現状維持」派でしょう。然し、それはあくまでも中共による「武力解放」、言い換えれば、「中国」からの軍事脅威があるからです。もしも、その原因である「中国」が崩壊し、台湾にとって脅威で無くなったとしたら? 大手を振って「台湾独立」を宣言出来る様になった時、その時こそ、国民党や親民党の役目は名実共に終わる事でしょう。そして、その時は案外近いのでは無いか?と見ています。その時、

台湾に於ける台湾人による台湾の為の政治

を成し得る政党、その政党だけが生き残れると思いますし、国民党や親民党が党を維持存続したいのであるならば、中共等に媚(こ)び諂(へつら)って歩み寄らず、台湾公民の事を第一に考える真の台湾政党としての道を模索するべきです。又、それと同時に、内省人・外省人と言う省籍の違いを乗り越えて、与野党共に「台湾人」として協調、切磋琢磨出来るかどうか、それこそが台湾の独立維持と、国際社会に於ける地位向上の試金石となるのでは無いか、と私は思っています。


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