Reconsideration of the History
113.『日米安保条約』は片務協定では無い (2003.1.20)

前のページ 次のページ


『日米安全保障条約』(日米安保条約)は片務協定である!!

日米同盟を重視する識者・論者の中には、この様な主張をする人が少なくありません。曰く、

『日米安保条約』は、米国本土や米軍艦が軍事攻撃されても、日本には自衛隊を出動させ米軍と共同軍事行動を取る協力義務は無い。それに対して、日本が攻撃を受けた場合、米国は自衛隊と日本を共同防衛する義務がある。つまり、『日米安保条約』とは、米国に「同盟国」日本を守る義務があるのに対し、日本には米国を守る義務が無い「片務協定」である。

と。確かに指摘の通りです。ですから、米政府・議会や米国民の中には『日米安保条約』を「不平等条約」であると言って、「同盟国」である日本に対してそれ相応の義務や責任を負わせるべきだ、と言った意見を主張する向きもあります。又、これに呼応する形で日本国内に於いても、より踏み込んだ形で米軍と連携・協力を図り、日米同盟を強化すきだ、と言った意見もあります。しかし、私はその様な意見・主張に対して、敢えて異論を唱えます。では、何故、私が異論を唱えるのか? ズバリ言えば、『日米安保条約』は言われている様な「片務協定」では無いからなのです。と言う訳で、今回は、日米同盟の現実を通して、如何に『日米安保条約』が片務協定で無いかについて書いてみたいと思います。

般に『日米安保条約』と呼ばれる条約は厳密には二つ存在します。先ず、第一が、昭和27(1952)年4月28日に発効した『日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約』で、一般的には「旧安保条約」等と呼ばれています。そして、第二が、「旧安保条約」を改定する形で、昭和35(1960)年6月23日に発効した『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』で、一般には「改定安保条約」・「新安保条約」等と呼ばれており、現在の日米同盟は、この「新安保条約」に依拠しています。

ころで、何故、『日米安保条約』は締結されたのでしょうか? 実は『日本国憲法』は米国の意向によって誕生した「米製憲法」であり、同憲法第9条には「戦争放棄と軍備不保持及び交戦権否認」が謳(うた)われています。実際に終戦時、米国は日本が二度と米英列強に敵対しない様、再軍備は認めず、軍事力強化に繋がる工業生産力を削ぐ為に、「農業国」として再出発させる方針でした。ところが、戦後、ソ連どころか支那・北朝鮮(及びインドシナ三国)迄もが「赤化」(共産化)。昭和25(1950)年6月、ソ連(後に支那も参戦)の軍事支援を受けた北朝鮮が突如、「南侵」(韓国への軍事侵攻)を開始し、朝鮮戦争が勃発するに及んで、東アジア全域が「赤化」する恐れが生じたのです。その後、朝鮮戦争は昭和28(1953)年7月、休戦協定が締結され、北緯38度の軍事境界線を暫定的国境とする南北朝鮮の「共存」で決着が図られ、辛うじて朝鮮半島全域の「赤化」だけは免れたのです。しかし、この戦争によって米国は方針を180度転換する事となったのです。

初、米国は日本を人畜無害な「農業国」として再出発させるつもりでした。そして、それを具体化する為に、所謂「戦争放棄」条項を謳った『日本国憲法』を日本にあてがったのです。しかし、朝鮮戦争を契機に米国は方針を転換、日本を「防共の砦(とりで)」・「西側陣営の極東前線基地」と定義し、その目的の為に日本に再軍備させる事とし、日本に対して昭和25年、警察予備隊を組織させたのです。その後、警察予備隊は昭和27(1952)年の保安隊を経て、昭和29(1954)年に自衛隊となった訳ですが、ここで言える事は、日本の再軍備は日本自身と言うよりも、むしろ、米国の強い意向が働いていたと言う事です。つまり、自衛隊は米国の都合で誕生したと言う事なのです。いや、自衛隊だけではありません。『日米安保条約』と、それに基づく日米同盟も、多分に米国の都合で誕生したものだったのです。

かに、敗戦の焦土から始まった戦後日本が、『日米安保条約』の片務性 ── 米国は日本を防衛する義務があるが、日本は米国を防衛する義務が無い ── のお陰で、経済復興に専念する事が出来た事は否定しません。しかし、だからと言って、私は『日米安保条約』が単なる「片務協定」であったとは思っていません。いや、はっきり言えば、米国にも充分な「旨み」があったと考えています。例えば、中曽根康弘・元総理が在任中、「日本は不沈空母である」と発言した事がありました。どう言う意味かと言うと、日本には各地に自衛隊・米軍基地があり、それらの基地を拠点に多くの軍用機が運用されている。つまり、見方を変えれば、日本全体が巨大な空母(航空母艦)であり、しかも、普通の空母とは違い船では無いので、どんなに攻撃を受けても、絶対に「沈まない」と言う事なのです。この「不沈空母」発言を引き合いに出す迄も無く、日本国内には多くの米軍基地が存在します。では何故、米軍基地が日本国内に存在し、米軍が駐留出来るのかと言えば、それは『日米安保条約』があるからなのです。

『新安保条約』第6条第1項はこの様に謳っています。

     (新)日米安保条約

  第6条(基地の供与)第1項

日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

この条項に基づき、米軍は日本国内に基地を設け、軍を駐留している訳ですが、日本国内への駐留目的は、単に「日本の安全」の為だけではありません。「極東における国際の平和及び安全の維持」の為共謳われています。確かに、極東の平和は日本の国益にも合致する事です。しかし、ここに謳われている「極東」が何処から何処迄を指すものなのかと言う事は、条約には一言も謳われていません。例えば、昭和35(1960)年から昭和50(1975)年にかけての「ベトナム戦争」では、沖縄の米軍基地から出撃した米軍がベトナムを空爆していますし、平成2(1990)年8月のイラクによるクウェート侵攻に端を発した「湾岸戦争」においても、沖縄を始めとする在日米軍基地が兵站基地として重要な役割を果たしました。しかし、ベトナムにしろ、イラクにしろ、これらの地域が「極東」に含まれるかと言えば、どの様な解釈をしよう共、到底含まれる筈があります。それどころか、平成13(2001)年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルへ2機の旅客機が突入した事件を契機に、国際テロ組織「アル-カイーダ」の掃討と、それを支援しているとされたタリバーン政権打倒を名目に開始された米国によるアフガニスタンへの軍事侵攻に際しては、海上自衛隊から護衛艦と補給艦が遠くインド洋に迄派遣され、米軍の後方支援任務を担わされました。つまり、『新安保条約』に規定されている「極東」の範囲は、米国の意向によってどうにでも拡大解釈され、日本は「同盟国」の名の下に米国の起こす戦争を、国家を挙げて「後方支援」しなくてはならない訳です。これの一体何処が「片務協定」と言えるのでしょうか?

『日米安保条約』によって日本は米軍に対して軍事施設用地の供与をしており、それら用地の莫大な地代(民有地の場合、地主に払われる地代)は、米国では無く日本が支払っています。しかし、在日米軍の軍事施設は、単に軍事基地・演習場・兵員宿舎等の純粋な「軍事施設」だけではありません。米軍家族住宅・娯楽福祉施設等の「非軍事施設」も含まれています。まあ、「非軍事施設」が含まれていたとしても、日本があくまでも「土地の提供」のみであるならば、目くじらを立てる事も無いかも知れません。しかし、本来、米軍が自らの経費で維持管理すべきこれら各種施設が、日本からの所謂「思いやり予算」で整備されたりしているとなると話は全く別です。実際、『日米安保条約』自体にはこの様な事を謳った条項は存在していません。更に、『日米地位協定』等の付随協定によって、日本は日本国内で犯罪を犯した米軍人を原則的に直接、逮捕・処罰できません。これでは、益々「片務協定」等とは言えなくなるのです。

後に、『日米安保条約』が単なる「片務協定」等では無い決定的な証拠を挙げましょう。それは、首都圏に点在する在日米軍基地の存在です。東京都の横田空軍基地や、神奈川県の厚木空軍基地・横須賀海軍基地と言った首都圏の在日米軍基地は、「日米安保条約」の観点に立てば、「同盟国」日本の首都・東京とそれに隣接する首都圏を防衛する為に存在している、と言う事になるのでしょう。しかし、別の視点に立ち、穿(うが)った見方をすれば、「属国」日本の首都に絶えず睨(にら)みを利かし、事(日本が米国に反旗を翻す)あらば、何時でも在日米軍をして東京を占領可能な状態に置いておく事が出来る、と言う事になるのです。これはもう単なる「片務協定」どころの話ではありません。日本は、駐留米軍の為に土地や資金を提供し、米軍の軍事行動では後方支援をさせられる。しかも、昨今話題の「有事法制」では、有事の際、米軍が日本国内の道路・空港・港湾を最優先に利用出来る事をも規定・・・となれば、正に国家を挙げての後方支援で、到底、「同盟関係」等とは言えず、米国への「軍事的隷属」・「属国」と言えるものです。これでも、まだ、『日米安保条約』は「片務協定」では無い!! と言えるでしょうか? もし、それでも「片務協定」である、と主張される方がおられるなら、納得のいく説明をして頂きたいものです。


   余談(つれづれ)

『日米安保条約』を「片務協定」であると主張している識者・論者は、米軍の日本駐留・日本防衛について何か履き違えている様に思います。何故、米国が日本を防衛するかと言うと、単なる「同盟国」だから等ではありません。最大の理由は、「在日米軍基地がある」からなのです。在日米軍基地があるからこそ、米国は日本を防衛する。至極当然の事です。又、現在の日本が実質的に「米国の属国」然としている事にも起因しています。建前では、日本は米国の「同盟国」であり、「独立主権国家」です。しかし、本音では、日本を米国の「属国」あるいは「州」・「自治領」程度にしか考えていない様に思えます。もし、その様に考えているのであるならば、米国の日本防衛の理由は益々はっきりします。「自国の領土だからこそ防衛する」 この様な観点から、日米安保体制を改めて見つめ直し、独自の国防に基づく「真の独立主権国家」としての日本を一刻も早く取り戻すべきものとは言えないでしょうか。 (了)


   読者の声 (メールマガジン ≪ WEB 熱線 第1194号 ≫ 2009/6/26_Fri ― アジアの街角から― のクリックアンケートより)

アンケート結果


前のページ 次のページ