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湾岸戦争  The Gulf war

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1990(平成2)年8月、イラク軍の電撃的なクウェートへの軍事侵攻に端を発した戦争。イラク軍のクウェート侵攻に対して、翌1991(平成3)年1月、米国を盟主とする「多国籍軍」がイラクに対して開戦、約40日間の戦闘はイラクの敗北に終わった。その後、米英が一方的にイラク領内の北部と南部に飛行禁止空域を設定、様々な理由を付けて、米軍機が度々イラクへの攻撃を行い、2001(平成13)年のアフガニスタン戦争(国際テロ組織「アル-カイーダ」の掃討と、それを支援しているとされたタリバーン政権の打倒)終結後は、「テロ撲滅」を大義に再び対イラク戦争を標榜する等、国連を無視した米国の身勝手な論理に対しては、同盟国・アラブ穏健派諸国からも批判の声が上がっている。又、戦争当時、主として米軍が地上のイラク軍事施設に対して行った「ピンポイント攻撃」が相次いで失敗し、一般市民に多数の死傷者が出たり、地上部隊がイラクへの攻撃に劣化ウラン弾を使用、戦後、多くの奇形児・障害児が生まれる等、米軍はかつてのベトナム戦争の教訓を全く生かさなかった。更に、イラク軍のクウェート侵攻に関する情報を米国が事前に知っていながら黙認していた事や、戦争当時、米国のマスメディアが、意図的な事実歪曲・捏造報道を行っていた事がその後発覚する等、湾岸戦争に対する米国の「戦争責任」については、未だに清算されていない。


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