Reconsideration of the History |
103.国防対日委任=傀儡国家「満州国」論は成立しない (2002.6.7) |
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前回のコラム(102.「満州国」を「偽満」と呼び、「満州」を「東北」と称す支那の欺瞞)で、私は支那の
「満州国」は日本が「中国」の固有領土である満州を軍事占領・分断して作り上げた「傀儡国家」であると言う主張に対して反論しました。しかし、それでも皆さんの中には、
「満州国」は国軍を保有せず、関東軍(日本軍)が駐留していたではないか。これこそ、「傀儡国家」の証拠では無いのか?と仰られる方もおありでしょう。しかし、「満州国」における関東軍の駐留は「傀儡国家」の証拠と言えるのでしょうか? 私はこの事に対しても、否定的です。と言う訳で、今回は、この点について書いてみたいと思います。
確かに「満州国」には建国後も依然として関東軍が駐留し、国家が崩壊する迄、遂に独自の国軍は編成されませんでした。これは明確な事実です。しかし、だからと言って、関東軍の駐留が違法な行為だったとは言えません。何故なら、昭和7(1932)年9月に、日本と「満州国」との間で取り交わされた『日満議定書』(正式には『満洲国新京ニ於テ帝国特命全権大使ガ満洲国国務総理ト共ニ署名調印シタル議定書』)の第2項には、
と明記されており、この条項に遵(したが)って関東軍は「満州国」建国後も、引き続き駐留する事となったのです。ちなみに、この条項は、日本と「満州国」による集団安全保障体制について謳っており、その目的を達成する為に関東軍の満州駐留を認めているのです。そして、これと似た事例を皆さんもご存じの筈です。それは『日米安保条約』と在日米軍です。『日満議定書』 第2項日本国及満洲国ハ締約国ノ一方ノ領土及治安ニ対スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約国ノ他方ノ安寧及存立ニ対スル脅威タルノ事実ヲ確認シ両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルヘキコトヲ約ス之カ為所要ノ日本国軍ハ満洲国内ニ駐屯スルモノトス
『日米安保条約』を枠組みとする現在の日米安保体制は、その目的を達成すると言う名目で日本国内に米軍の駐留 ── 所謂(いわゆる)「在日米軍」を認めています。まあ、日米安保体制や在日米軍については、賛否両論があり、私も批判的な考えを持っていますが、日米二国間で締結された条約に基づいて米軍が駐留している以上、これを違法行為と断ずる事は出来ません。ましてや、米軍の日本駐留を理由に「日本は米国の傀儡国家である」として、日本を独立主権国家として承認していない国がこの世界にあるでしょうか? しかし、それでもこう仰られる方がおありでしょう。
現在の日本は「自衛隊」(事実上の国軍)を保有しており、その上で米軍が日本に駐留している。それに対して、「満州国」は国軍を保有せず、関東軍の駐留によって、自国の国防を日本に全面委任していた。関東軍が駐留していた「満州国」は、国土を日本に占領されていた様なもので、これを「傀儡国家」と言わずして何と言えるのか?と。しかし、この主張も現実の国際社会を眺めた時、果たして有効なものなのでしょうか?
国防の他国への全面的委託。かつての「満州国」が採用していたこのスタイルは果たして「傀儡国家」の証拠と言えるのか? 実は、今現在、国際社会を眺めて見ると、「満州国」と同様に国軍を保有せず(戦力不保持)、自国の国防(安全保障)を他国に委任している国が少なからず存在しています。例えば、ベラウ(パラオ)共和国(1981年独立)・ミクロネシア連邦(1986年独立)・マーシャル諸島共和国(1986年独立)と言った太平洋諸国は、かつての米国信託統治領ですが、何れの国も独立後、国軍を保有せず、米国との間に『自由連合盟約』を締結し、国防と安全保障の全権を米国に委任しています。だからと言って、これらの諸国が「米国の傀儡国家」であるのかと言うと、決してそうではありません。それどころか、これら諸国はれっきとした国連加盟国 ── つまり独立主権国家なのです。
「満州国」の場合 |
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日本の満州領有 (日本の特殊権益) |
→ | 「満州国」建国 (日本に国防の全権を委任) |
ベラウ・ミクロネシア・マーシャルの場合
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米国信託統治領 (米国による南洋諸島統治) |
→ | 対米自由連合として独立 (米国に国防の全権を委任) |
「満州国」と、かつて米国信託統治領だったベラウ・ミクロネシア・マーシャルと言った太平洋諸国。両者は日米と言う違いはありますが、共に大国の統治を経て独立した主権国家で、独立後、自国の国防を大国(旧統治国)に委任したと言う点でも非常によく似ています。それでありながら、「満州人」である愛新覚羅溥儀氏を国家元首に戴いた多民族国家「満州国」は日本の「傀儡国家」であり、かたや、米国信託統治領を経て独立した太平洋諸国はれっきとした「独立主権国家」であると言う論理。それこそ、支那の勝手な「正しい歴史認識」に振り回された不合理な「歴史観」に基づく誤った解釈とは言えないでしょうか?