Reconsideration of the History
189.「第二次朝鮮戦争」はあり得ない!! 金大中・盧武鉉の対北融和政策は愚かの極み (2007.10.25)

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金大中と金正日
盧武鉉と金正日
共に金正日との首脳会談に臨んだ金大中(上:2000年6月)と盧武鉉(下:2007年10月)韓国大統領
共親米で凝(こ)り固まっていた建国当時の李承晩(イ-スンマン)政権時代が過去のものとは言え、金大中(キム-デジュン)前政権と言い、盧武鉉(ノ-ムヒョン)現政権と言い、(かつ)て「敵」として激しく対峙してきた北鮮(北朝鮮)に対する融和政策、所謂(いわゆる)「太陽政策」は些(いささ)か病的ですらあります。ここ十年程で急速に拉致問題解決に本腰を入れ始めた日本とは対照的に、南北首脳会談はおろか、実務者協議ですら自国民の拉致問題を正面切って取り上げようとしない韓国の姿勢を見ていると、金大中にしろ、盧武鉉にしろ、余程(よほど)、金正日(キム-ジョンイル)に致命的な弱みでも握られているのか、はたまた、現実を無視した「祖国統一」の熱にでも浮かされているのか、と訝(いぶか)しがらざるを得ません。ところで、書店の仮想戦記コーナーで、近未来の「第二次朝鮮戦争」モノと言える小説を目にした事がある方もおありでしょう。昨今の韓国に於ける対北融和政策や、北鮮の核を巡る六ヶ国協議等を見ていると、これから先、再び朝鮮半島が戦場と化すのか?との疑問が生じると同時に、先軍政治による「強盛大国」を目指す北鮮が、韓国内を親北左傾化、籠絡(ろうらく)した上で再び南侵すると見る向きもあります。然(しか)し、縦(よ)しんばそれが現実のものとなったとしても、「第二次朝鮮戦争」はあり得ません。では、何故(なぜ)その様に断言出来るのか? 今回は、この事について触れてみたいと思います。

和28(1953)年7月27日。この日を以て多くの方々は朝鮮戦争が「終結」したものと認識していますが、抑(そもそ)もそれが間違いなのです。(朝鮮戦争の発端・経過に付いては、今回取り上げない) この日、板門店(パンムンジョム)に於いて、朝鮮戦争の当事者である金日成(キム-イルソン)朝鮮人民軍最高司令官、彭徳懐(ポン-ドーファイ)中国人民志願軍司令官、M.W.クラーク・国連派遣軍司令部総司令官の三者によって休戦協定への調印が行われました。(下写真)

朝鮮戦争休戦協定調印式(1953年7月27日)

それから半世紀。南北を分断する北緯38度の軍事境界線付近で偶発的な発砲や特殊工作員の侵入はあったものの、大規模な部隊が相手側支配地域に侵攻、両軍が砲火を交えた事は一度もありません。その意味では、「朝鮮戦争」は最早過去の出来事であり、今度、同じ様な事が起きれば、「第二次朝鮮戦争」と呼ぶのが相応(ふさわ)しい共言えます。然し、昭和28年7月27日に調印されたものは「休戦協定」です。戦争が「終結」したのでは無く、あくまでも「戦闘の一時的な休止」であり、休戦協定調印から半世紀経っていようが、南北両国にとっては「準戦時体制」── 依然として戦争が継続している状態 ── である訳です。ましてや、休戦協定に調印したのは、北鮮・支那両国と、国連派遣軍の名の下に実質的に戦った米国であり、韓国の李承晩大統領は協定を不服として調印していないのです。詰まり、北鮮は休戦に応じたものの、韓国は休戦にすら応じていない。「第一次朝鮮戦争」すら未(いま)だ終わっていない。これが現実なのです。

平壌 (さて)、以上の点を踏まえた上で、昨今の南北関係を俯瞰すると、正に奇々怪々としか言い様がありません。金大中・盧武鉉の二代に亘(わた)って対北融和政策を推進、北鮮の首都・平壌(ピョンヤン;右写真)へと首脳訪問した韓国に引き替え、金正日は未(いま)だに韓国の首都・ソウルを訪問しようとしません。その姿勢を頑(かたく)なであると感じる方もおありでしょうが、これは当然の事です。如何(いか)に韓国が対北融和政策を推進しようが、北鮮にして見れば、あくまでも準戦時体制下であり、韓国は依然として「敵国」である訳です。その敵国の首都に最高指導者である金正日がのこのこと出掛けて行かないのは至極当然であり、二代に亘ってのこのこと最高指導者(大統領)がやってくる「南」(韓国)の神経が知れない、と内心思っている事でしょう。(北鮮と正式な国交が無いとは言え、戦争状態に無い日本の小泉純一郎・総理(当時)が訪朝したのとは本質的な意味が違う) 景勝地・金剛山(クムガンサン)の観光開発や開城(ケソン)工業団地の支援、更にはエネルギー・食糧の支援を惜しまない韓国の姿勢は、北鮮にして見れば確かに「有り難(がた)い」(この表現が正しいかどうかは別として)事でしょうが、その反面、韓国指導部のお人好しぶりに呆(あき)れると同時に、武力は使わず、「民族融和」・「祖国統一」等の美辞麗句を並べ立てる事で、左傾化の一途を辿(たど)る韓国民の「民族魂」に訴える心理戦で韓国を籠絡、北鮮主導による祖国統一の達成を目指しているとしても何ら不思議ではありません。

今東西の歴史を鑑(かんが)みる時、とある一つの法則が働いている事実に直面します。それは南北二勢力が対峙した時、必ずと言って良い程、北が勝利していると言う事実です。日本・支那の南北朝然(しか)り。米国の南北戦争然り。ベトナム戦争然り。総じて見れば、世界を覆う南北問題然り。又、中世支那を舞台に、北方の遊牧民族、契丹(キタイ,遼)女真(ジュルチン,金)が、南方の宋に対して常に優位に立ち、蒙古(モンゴル)に至って遂に宋を滅ぼし、元朝を打ち立てた史実。肥沃(ひよく)な江南地域(長江以南)を押さえ経済的に優位にあった宋を、それらでは劣勢であったものの軍事的に優位にあった北方の異民族が圧倒し、自らを「兄」、宋を「弟」として屈服させた事実。経済面で優位に立ち、日本と同様に「平和呆(ぼ)け」の韓国を、貧しくも独裁・軍事最優先の北鮮が倒さない、と一体誰が言い切れるでしょうか?

金正日 国は何かと言えば日本への対抗心を燃やし、何らかの切っ掛けで直ぐ「反日」一色の様相を呈しますが、真の敵は一体誰(国)であるか?を冷静に考える可(べ)です。「民族同胞」であるとして、北鮮に対するシンパシーを抱く韓国民が増加している様ですが、血は同じであろうと、姿形が同じであろうと、半世紀以上も自分達とは全く異なる政治・思想体制、然も情報鎖国の下(もと)で暮らしてきた北鮮国民は、最早(もはや)「民族同胞」と言えない程、自分達と異なると言う事を自覚す可きです。一時の流行 ── トレンドでありシンパシー ── に流され、「北」に呑み込まれる事の無き様、老婆心乍(なが)ら隣国の一国民として、韓国に対し忠告し今回の小論を締め括りたいと思います。


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