Reconsideration of the History
125.なぜ一つしか無いのに、「日本中央標準時」なのか? (2003.7.21)

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さんがいつも使われている時刻はどこを基準にしているかご存じでしょうか? 東経135度子午線上 ── 一般には兵庫県の明石天文台で計測されている時刻が、日本の「標準時」とされています。

そんな事、今更、言われなくても分かっているよ。

と仰る方もおありでしょう。では、この東経135度を基準にした日本の標準時が法令上、「日本中央標準時」(以下、「中央標準時」と略)と呼ばれている事迄、ご存じだったでしょうか?

日本は北海道から沖縄迄同じ時刻が使われているのに、なんで「中央標準時」なんだ?

確かに、現在の日本には米国の「東部時間」・「西部時間」の様な時差は存在しません。日本国内どこにいても使われている時刻は同じです。それにも関わらず、何故、「中央標準時」と呼ばれているのか? それは、日本にもかつて、米国の様に複数の「標準時」が存在していたからなのです。と言う訳で、今回は、「中央標準時」の呼称を通して、かつて存在した日本の時差について書いてみたいと思います。

は明治28(1895)年。前年に勃発した日清戦争講和の為、下関は春帆楼で開催されていた講和会議の結果、4月17日、日両国は「下関条約」(馬関条約)に調印、早速、同条約に基づき、日本は清国より割譲された台湾(及び附属島嶼)を領土に編入したのです。それ迄も、日本の「標準時」は東経135度子午線を基準にしていたのですが、南西諸島(薩南諸島・琉球諸島)よりも西の台湾を領有した事によって、日本の領土は従来よりも更に東西に伸びた為、東端の北海道と西端の台湾では明確な「時差」が生じてしまう事となったのです。そこで政府は、明治28年12月、『明治28年12月28日勅令第167号(標準時ニ関スル件)(以下、『勅令第167号』と略)を公布し、東経120度子午線を基準にした「日本西部標準時」(以下、「西部標準時」と略)を新設、従来の標準時を「日本中央標準時」と改めたのです。ちなみに、「西部標準時」は、「中央標準時」より-1時間(グリニッジ世界標準時より+8時間)とされ、台湾本島・澎湖諸島等からなる「台湾」と、先島諸島(八重山・宮古・尖閣諸島)に適用されました。

『明治28年12月28日勅令第167号』における標準時の適用範囲

標準時区分 適用範囲
日本中央標準時
(東経135度)
北海道・本州・四国・九州・朝鮮
伊豆諸島・小笠原諸島・先島諸島を除く南西諸島
千島列島(北千島・南千島)・南樺太
日本西部標準時
(東経120度)
先島諸島(八重山・宮古・尖閣諸島)・台湾本島・澎湖諸島

しかし、この「狭い日本」の中に二つの標準時が存在する事は、必ずしも便利とは言えませんでした。確かに、現在、一つの標準時を用いている日本において、北海道では日がとっぷりと暮れているのに、九州ではまだ明るい、と言う事はあります。その観点に立てば、東西に伸びた日本の国土事情から見て、標準時が二つあったとしても、決しておかしい事ではありません。しかし、現実として、同じ「沖縄県」であるにも関わらず、沖縄本島の那覇と石垣島の間で1時間の「時差」があると言うのは、誠に以て不便極まり無い事です。いや、更に拡大して、同じ「日本」の中に「時差」があると言う事も、米国の様に広大な国土を有しているならいざ知らず、メリットよりもデメリットの方が際だってしまったのです。

局、昭和12(1937)年9月24日、政府は『昭和12年9月24日勅令第529号』(以下、『勅令第529号』と略)を公布し、先の『勅令第167号』を一部改正、明治28年以来、41年間用いてきた「西部標準時」を廃止したのです。

 『明治28年12月28日勅令第167号(標準時ニ関スル件)
 (最終改正:昭和12年9月24日勅令第529号)

第1条  帝国従来ノ標準時ハ自今(じこん)(これ)ヲ中央標準時ト称ス
第2条  削除
第3条  本令ハ明治28年1月1日ヨリ施行ス

附則 (昭和12年9月24日勅令第529号)
本令ハ昭和12年10月1日ヨリ之ヲ施行ス

しかし、『勅令第529号』は、あくまでも「西部標準時」の廃止を謳(うた)っていた(第2条の削除)だけでした。その為、『勅令第167号』によって従来からの標準時が「中央標準時」と改称された第1条はそのまま残ってしまい、現在でも法令上は「中央標準時」と呼ぶのが正しく、国立天文台発行の『理科年表』においても、この正式な表記が用いられています。とは言っても、実生活において特に支障がある訳でもありませんし、テレビや新聞の報道でも、「現地時間の・・・日本時間の・・・」と言った言い方が主流な訳ですし、「中央標準時」と言う呼称を知らずに一生を終わる人の方がほとんどなのかも知れません。

て、ここ迄、日本本土における「標準時」について書いてきた訳ですが、実は、かつての日本には、これとは別に更に三つの「標準時」が存在していたのです。前回のコラム『124.昔はサイパンもパラオも「日本」だった ── 日本の南洋群島統治』で、第一次世界大戦直後から終戦迄の間、日本が赤道以北のマリアナ・マーシャル・カロリン等の諸島 ── 所謂「南洋群島」を統治した事を書きましたが、この「南洋群島」に対しては日本本土とは異なる独自の標準時が定められていました。先ず、日本本土の「中央標準時」と同じ東経135度子午線を基準とした「南洋群島西部標準時」、次に、東経150度子午線を基準とした「南洋群島中央標準時」、そして、東経165度子午線を基準とした「南洋群島東部標準時」です。つまり、「国際連盟委任統治領」として日本の南洋群島統治が正式に認められた大正8(1919)年から『勅令第529号』が公布された昭和12年迄の約20年間、日本には正規領土と委任統治領を含めて、五つもの「標準時」が存在していた事になる訳です。(昭和12年以降は、本土の「西部標準時」廃止によって四つ)

後、日本は南洋群島の領有権を放棄し、現在、同地域はミクロネシア連邦・マーシャル諸島共和国・ベラウ(パラオ)共和国等として独立しています。しかし、もし、戦後も引き続き日本が南洋群島を統治していたとしたら・・・あるいは、現在も複数の「標準時」を持っていたかも知れません。もっとも、サイパンやパラオへの海外旅行に出掛ける人達にとっては、同地域が日本領にしろ外国にしろ、どっちみち時計の針を補正しなくてはならない訳ですから、その様な事は、どうでも良いのかも知れませんが・・・。


   余談(つれづれ)

在の日本には、東経135度子午線を基準とした「中央標準時」しかありません。ですから、日本全国何処にいても、「午前0時」は「午前0時」です。しかし、あくまでも「日本の領土」ではありませんが、「中央標準時」とは異なる標準時を用いている地域が少なからず存在します。それは、南極です。日本から派遣される越冬観測隊が常駐する「昭和基地」(東経39度35分24秒)と、「ドームふじ観測拠点」(東経39度42分12秒)では、「中央標準時」より-6時間(グリニッジ世界標準時より+3時間)の時刻が「標準時」として用いられているそうです。


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