Reconsideration of the History
258.日本は決してチェンバレンの轍を踏むな! 「中国」には宥和外交で無く武断で臨め! (2013.7.14)

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、日本は最も暑い季節を迎えています。それは早々と梅雨が明け、連日猛暑に見舞われていると言う事もありますが、来る7月21日の参議院議員通常選挙投開票に向けて、自民党を筆頭に各党がシノギほ削っていると言う意味での暑さです。昨年(平成24=2012年)12月16日に投開票された衆議院議員総選挙に於いて、与党・民主党は大敗を喫し、政権を奪還したのは安倍晋三総裁率いる自民党でした。この選挙で大勝した自民党は安倍総裁が総理に再登板し、所謂(いわゆる)「アベノミクス」と呼ばれる経済財政政策をはじめ、竹島・慰安婦問題で関係が冷却している韓国、そして、尖閣群島(以下、単に「尖閣」と略)に対する領海・領空侵犯を繰り返し日本の主権を著しく侵害している「中国」(支那)に対し、一歩も引かない外交を展開する事で、「強い日本」を取り戻そうとしています。然し、それを阻む内的要因。それが、参議院では野党勢力が多数派を占める所謂「ねじれ国会」の存在でした。自民党が平成19(2007)年7月29日に行われた参議院議員通常選挙選挙で大敗を喫し、政権与党の座を当時の最大野党・民主党に明け渡す事となった時の総理であり自民党総裁であったのは安倍氏でした。その安倍氏にとっては、自らの汚名を雪(すす)ぎ、何としても衆議院に続き参議院でも与党が多数派を占める体制を構築、政権基盤を盤石(ばんじゃく)にした上で、いよいよ本腰で自ら進める政策の実現を期す。その為にも、「自民優勢」との下馬評に胡座(あぐら)をかく事無く、さりとて萎縮する事無く、この「夏の陣」に大勝せんと精力的に動いている訳です。結果から言えば、安倍総理をはじめとする自民党が余程の大失態を犯さない限り、自民大勝・民主大敗の構図は変わりないでしょう。ひょっとすると、「民主党」と言う政党自体が参院選後、四分五裂して消滅しているかも知れませんし、「みんなの党」や「日本維新の会」と言った第三極も政界再編の荒波に揉まれて消滅するかも知れません。その意味では、「平成24年12月16日の政変」(昨年の衆院選に対する私の命名)に続く、政変第二章となるかも知れません。

(さて)、そんな安倍自民党に対して、警戒感、いや危機感を抱いているのが、隣国の「中国」と韓国、そして、北鮮の所謂「特定アジア三国」 ── 通称「特亜」 ── です。平成25年3月から4月に掛け、米国調査機関「ピュー・リサーチ・センター」がアジア各国で行った世論調査の結果が7月12日に発表されましたが、この調査で日本に対する印象で「非常に良い」・「良い」との回答がマレーシアの80%を筆頭に、インドネシア(79%)、フィリピン(78%)、オーストラリア(同)、パキスタン(51%)と、東南アジア諸国を中心に高かったのに対し、韓国では22%、「中国」に至っては僅か4%しか良いとの回答が得られず、逆に「非常に悪い」・「悪い」との回答では、韓国では77%、「中国」に至っては90%を記録。(但し、北鮮は国内での調査自体が実現不可能な為、記録を取れず) 特亜と他のアジア諸国の対日観が際立って異なる結果が数字の上からも如実に示されました。これは、大半のアジア諸国が日本に対して好感を抱いているのに対し、マスコミが「アジア諸国」・「周辺諸国」の呼称の下に表してきた特亜が、大半のアジア諸国とは「異質」 ── 詰まり「浮いている」事の証左でもある訳です。そして、更に言えば、台湾やフィリピン、ベトナムと言った東南アジア諸国は、海空軍力の増強と、それを背景にして東支那海や南支那海で他国の海洋権益の侵害、いや侵略を公然と行っている「中国」に対する警戒感・危機感が増大、相対的に「中国」の暴走を掣肘(せいちゅう)する役割を日本に求め、その結果、安倍自民党が求める「強い日本」も支持されると言う、「中国」からすれば苦々しく思える連鎖が生まれている事です。此処(ここ)で私は声を大にして言います。アジアをはじめとする国際社会で孤立しているのは日本に非ず、実は「中国」なのだ!と。そして、当の「中国」は、7月11日、米国はワシントンで行われた「米中戦略・経済対話」に於いても、日中が激しく対立している尖閣に対し、従来同様、自国の領有権主張を繰り返す等、頑なな姿勢に変わりありませんでした。いや、それどころか、「中国」は今年、従来からの「海監」(海洋局)・「海警」(公安部)・「漁政」(農業部)・「海関」(税関)の四部門を統合し「中国海警局」を新設。尖閣周辺の日本の接続水域や領海への侵入を繰り返してきた「海監」や「漁政」と言った監視船を、全て「中国海警局」傘下に集約し、更には監視船から武装を強化した準軍艦への置換を推進する方針を打ち出してきたのです。詰まり尖閣を巡る日中の対立は、「中国」の準軍艦投入により新たなステージ ── 軍事衝突の可能性が更に高まった ── を迎えたと言えるのです。その様な「中国」に対して、安倍自民党率いる日本はどう対応すれば良いのか? それが本論の命題なのです。

閣での軍事衝突の確率を高めた「中国」に日本は如何(どう)対応すれば良いのか? 結論から言えば、「武断」 ── 力(武力、軍事力、いや日本には「軍隊はいない」と言う事になっているので、防衛力)による解決をも辞さない、その覚悟を以て「中国」に相対するしか無い!と考えます。では何故、この21世紀、「平成の御世(みよ)」に、「日中戦争」に発展するかも知れない「武断」等と言う焦臭(きなくさ)い選択肢を私が示すのか? 皆さんは訝(いぶか)しがるかも知れません。然(しか)し、私とて好き好んで戦争をしたいと言っている訳ではありません。いや、寧(むし)ろ出来る事なら「日中戦争」は避けたいと思っています。然し、それでも、「武断」を口にするのか? その理由を順を追って説明していきたいと思います。

ミュンヘン会談に臨んだ英仏独伊の首脳
ミュンヘン会談に臨んだ英仏独伊の首脳
昭和13(1938)年9月29日、ドイツのミュンヘンに、ネヴィル=チェンバレン英国首相、エドゥアヘル=ダラディエ仏国首相、ベニート=ムッソリーニ伊国首相、ガレアッツォ=チャーノ伊国外相と言った英仏伊三国の首脳が集まり、ホスト国のアドルフ=ヒトラー第三帝国総統との首脳会談に臨んだ。所謂「ミュンヘン会談」と呼ばれる英仏独伊四ヶ国首脳会談である。この会談に於いて、ズデーテンラントを巡り緊迫するドイツとチェコ-スロヴァキアの解決策が協議され、ドイツが武力併合を企図していたチェコ-スロヴァキア領ズデーテンラントは、調印された『ミュンヘン協定』によりドイツに割譲される事に決した。これにより、戦争の危機は回避された訳だが、それは単に欧州全域を戦場とする二度目の大戦勃発を半年遅らせる事になったに過ぎなかった。(写真前列の左より、チェンバレン、ダラディエ、ヒトラー、ムッソリーニ、チャーノ)
ミュンヘン会談から帰英したチェンバレン
ミュンヘン会談から帰英したチェンバレン
ミュンヘン会談を終え帰英したチェンバレン首相は、ズデーテンラントを巡る戦争危機を回避した英雄 ── さながら凱旋将軍よろしく英国民から迎えられた。然し、彼らが実現した「ミュンヘンの平和」は僅か1年後、ドイツ第三帝国の周辺諸国侵略に端を発する第二次世界大戦勃発によって呆気なく終焉(しゅうえん)、その後、英国も首都ロンドンを弾道ミサイル攻撃される等、甚大な戦争被害を蒙る事になる。尖閣を巡る現在の日中対立の中、チェンバレンよろしく「友愛」を説く鳩山由紀夫・元総理の宥和策が如何(いか)に虚(むな)しいものであるかは歴史が既に証明している。「友愛」も「宥和」も相手にその気があって初めて成り立つものであって、更々歩み寄る気の無い国に対しては何の効力も為さない、正に「馬の耳に念仏」なのである。
周辺諸国によって分割されたチェコ-スロヴァキア
周辺諸国によって分割されたチェコ-スロヴァキア
『ミュンヘン協定』によりズデーテンラントがドイツへ割譲された後、それに倣うかの様に、チェコ-スロヴァキアは周辺諸国に次々と領土を奪われていき、一年後、地図上から「チェコ-スロヴァキア」と言う国家は消滅した。(地図の内、1がドイツが要求したズデーテンラント、2がポーランド要求地域、3がハンガリーが要求した南スロヴァキア、4が同じくハンガリーが要求したカルパト-ウクライナ、5がチェコ、そして、6がスロヴァキア)
は昭和13(1938)年9月29日。場所はドイツはバイエルンのミュンヘン。この歴史ある大都市に、ネヴィル=チェンバレン首相、エドゥアヘル=ダラディエ首相、ベニート=ムッソリーニ首相、そして、ホスト国のアドルフ=ヒトラー総統と、英仏伊独四ヶ国首脳が集まり、世に言う「ミュンヘン会談」が開催され、そして、調印されたのが『ミュンヘン協定』です。では、ミュンヘン協定には一体何が謳(うた)われていたのか? それは、当時のドイツ第三帝国が、ドイツ人が多く住んでいたチェコ-スロヴァキア西部のズデーテンラント(「ラント」はドイツ語で「地方」の意)を武力により併合しようとしていた事が背景で、実際にドイツはチェコ-スロヴァキアに対する軍事侵攻作戦「緑の件作戦」を策定。9月6日、ニュルンベルクで開催された第10回ナチス党大会を皮切りに、ズデーテンラントを巡るドイツとチェコ-スロヴァキアの対立は何時(いつ)戦争に突入しても何らおかしく無い程緊迫したものとなったのです。この深刻な情勢に介入したのが、ダラディエ仏国首相とチェンバレン英国首相でした。ダラディエ仏国首相は、チェンバレン英国首相に対し、ヒトラー第三帝国総統を含む首脳会談開催を提案。この提案を受けたチェンバレン英国首相は9月15日、ドイツ南部はベルヒテスガーデンに於いて、ヒトラー第三帝国総統との英独首脳会談に臨み、ヒトラー第三帝国総統から「次の首脳会談迄の間、武力行使は行わない」との言質を引き出し、帰国後、ドイツにズデーデン軍事侵攻 ──戦争突入 ── を思い留まらせる為、チェコ-スロヴァキアに対し、ズデーテンラントのドイツへの領土割譲を要求したのです。そして、この英仏両国の「勧告」と言う名の要求をチェコ-スロヴァキアが甘受した事で開催されたのがミュンヘン会談であり、ズデーテンラントのドイツへの領土割譲が謳われた『ミュンヘン協定』が調印されたのです。結果、ズデーテンラントを巡るドイツのチェコ-スロヴァキアに対する軍事侵攻と言う戦争危機は回避されました。チェコ-スロヴァキアはズデーテンラントを失うと言う代償を払わされましたが、欧州世論は戦争が回避された事の方に重きを置き、チェンバレン、ダラディエ、そして、ムッソリーニは孰(いず)れも「ミュンヘンの平和」と立役者として、熱狂的な歓迎を以て本国に凱旋(がいせん)したのです。然し、結果は如何(どう)だったでしょうか? 確かに、ミュンヘン会談と、その会談の結果たる『ミュンヘン協定』は、ドイツによるチェコ-スロヴァキアへの軍事侵攻 ── 戦争危機を回避しました。然し、その結果もたらされた「ミュンヘンの平和」はどれ程保たれたでしょうか? ズデーテンラントを手にしたドイツは翌昭和14(1939)年3月、チェコ-スロヴァキア国内の分離独立運動を扇動し、独立スロヴァキアとカルパト-ウクライナ(カルパティア-ルテニア)を独立させた上でハンガリーに併合。残るチェコに対してもドイツ軍を進駐させ、9月1日にはチェコをベーメン-メーレン保護領の名の下にドイツ統治下に置き、地図の上から「チェコ-スロヴァキア」と言う名の国家を消滅させたのです。然も、同日未明、ドイツ軍はポーランドへと軍事侵攻を開始。後に「第二次世界大戦」と呼ばれる戦争に突入したのです。詰まり、結果的に「ミュンヘンの平和」が保たれたのは僅か一年。「ズデーテンラントさえ与えれば、ヒトラーもそれ以上は望まないだろう」と高を括(くく)っていたチェンバレンやダラディエの目論見(もくろみ)が大きく外(はず)れたばかりか、チェコ-スロヴァキア有数の工業地帯であったズデーテンラントをドイツに与えてしまった事で、ドイツの工業力と軍事力の強化を利してしまい、その結果、フランスは全土をドイツ軍に占領され、イギリスも首都ロンドンに対する報復兵器第2号(フェアトゥングスヴァッフェ-ツヴァイ) ── 通称「V2ロケット」(大陸間弾道ミサイル) ── による渡洋攻撃で甚大な被害を蒙(こうむ)る所となったのです。それもこれも、チェンバレン英国首相の対独宥和政策が一因です。若(も)しも、ドイツがズデーテンラントに対する軍事侵攻をちらつかせた時、英仏が断固として反対し、場合によっては対独開戦も辞さず!との確固とした決意を示していたとしたら? 前述の様に、ドイツはチェコ-スロヴァキア有数の工業地帯であったズデーテンラントを獲得した事で、工業力と軍事力が向上した訳で、それを阻止していたなら、その後のドイツの周辺諸国に対する侵略政策にも大きく影響した筈です。ましてや、軍事力が強化される以前であったなら、戦争に突入したとしても、英仏があれ程、ドイツに苦しめられる結果とはならなかったかも知れません。詰まり、なまじ、チェンバレンの対独宥和政策があったばかりに、戦争突入の時期は半年遅らせる事は出来たものの、却って事態を大きくしてしまった共言えるのです。そして、この教訓を決して無駄にしてはならないのです。

上、過去の歴史を繙(ひもと)いて辿(たど)り着いた私の結論はこの様なものです。

日本はチェンバレンの徹を決して踏むな!

英仏はドイツ第三帝国に対する宥和政策を取った事でヒトラーを増長させ、自らの首を縛る結果を招きました。その教訓から汲み取れるもの、それは、尖閣を巡って「中国」が今後益々事態をエスカレートさせて来た時、外交での解決に重きを置いて、海上保安庁、ひいては自衛隊の投入を躊躇(ためら)ってはならないと言う事です。東支那海のガス田問題を見ても分かる様に、「中国」側には日本に譲歩する気等更々見受けられません。日本が主権を有し、日本が実際に実行統治している尖閣に対し、「領有権争いがある事を認めよ!」等と世迷い言(よまいごと)を叫んでいる「中国」に「配慮」した所で、「中国」がそれで満足する事は決してありません。時間を稼いで海空軍力の益々の充実を図り、再び、そして、次は必ず軍事力を投入して尖閣を「力で強引に掠(かす)め取る」事は必定(ひつじょう)です。ならば、彼らにその時間を決して与えない事です。中途半端に宥和策で「中国」を懐柔する事等決して考えてはなりません。彼らが監視船で無く準軍艦、更には正規の軍艦を投入、尖閣の接続水域や領海に侵入してきたら、迷う事無く自衛隊を即時投入する。何かのCMではありませんが、「今でしょ!」と言うタイミングを失する事無く、力には力を投入する。それが例え戦争が勃発したとしても、全面戦争への発展を防ぎ、局地戦で事態を収拾させる事の出来る唯一の手段なのです。

教の説法に、以下の様なものがあります。

大難は小難に、小難は無難に

大難(全面戦争)は小難(局地戦)に、小難(日中開戦)は無難(日本が対中宥和策を取らず、「中国」が軍事力を投入する気なら、日本も受けて立つ!とのシグナルを送る事で、「中国」に開戦を諦めさせる)に。「中国」は恐らく、習近平(シー=ジンピン)を「ラストエンペラー」に、「共産党王朝」は崩壊する事でしょう。そして、その時期はそう遠くないでしょう。然し、古今東西、朽ち果てる帝国が最後の「足掻(あが)き」を見せ、周辺諸国が「とばっちり」を蒙る事も又、歴史が教える教訓の一つです。その「とばっちり」を受けない様、災厄を蒙る事の無い様、降り掛かる火の粉を避ける意味からも、日本は対中宥和策を決して取る事無く、毅然とした態度を貫かねばならない、そう私は強く思いますし、参院選後、政権基盤を盤石にするであろう安倍総理には、特亜に対し決して「ぶれない」外交を展開してもらいたい。そう強く思うのです(了)


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