Reconsideration of the History |
134.「中国語」は存在しない!! 使用言語から見た統一国家「中国」の内実 (2004.3.21) |
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皆さんは、「中国語」の単語を何か一つ挙げて下さい、と言われた時、一体どんな単語を挙げられるでしょうか? 大抵の方は、「好」(ニイハオ)あるいは、「謝謝」(シェシェ)を挙げられる事と思います。確かに定番中の定番ですが・・・実は、広い「中国」でこれらの言葉が通じる地域は限られているのです。いや、それどころか、所変われば、全く通じないのです。と言う訳で、今回は、普段、我々が「中国語」と呼んでいる言語を通して、「中国」(支那)を考えてみたいと思います。
一口に「中国語」と呼んでいますが、これは、某国営放送の教育番組『中国語会話』で教えられている「中国語」 ── 正確には「北京語」(北京を中心とした地域で使用されている「方言」)を基に支那政府が定めた「普通話」(プートンホワ;北京官話)の事で、もしも、皆さんが、この「普通話」を完璧にマスターしたからと言って、意気揚々、上海や香港に乗り込んだとしても、現地では全く通じない事でしょう。では、何故、同じ「中国」にも関わらず、この様な事になってしまうのでしょうか?
広い「中国」に住む「漢民族」の間では、政府が公認した「普通話」(北京語)の他に、「上海語」・「福建語」(台湾語)・「広東語」(香港語)と言った「方言」が使われています。ここで、私はこれらの言葉を「方言」と書きましたが、実際は「方言」等と言う生易しいレベルではありません。それは、次の表をご覧頂ければ一目瞭然です。
この表をご覧頂いた通り、冒頭で触れた「好」(ニイハオ)と言う単語一つ取っても、上海・福建・広東では発音が微妙に異なりますし、一つの文章「我是日本人」(私は日本人です)に至っては、最早、これが同じ「中国語」なのか?と思える程、発音に差が生じます。それは単なる「方言」のレベルを超え、英語とフランス語・ドイツ語にも匹敵する程 ── つまり、北京と広東では互いの言葉が「外国語」に思える程の差異があるのです。もっとも、これはあくまでも「口語」(話し言葉)での事であり、「文語」(書き言葉)においては、確かに漢字と同じ文法表記を使う「中国語」(単語表記等に微妙な違いはあるが)は存在します。とは言え、北京に住む人間が香港へ旅行した場合、口語は全く通じないので、結局、「筆談」に頼らざるを得ず、日常的に「関西弁」を使っている大阪の人が、東京から来た人の「標準語」(支那に於ける「普通話」に相当)を理解出来無い事が先ず無い日本の「方言」事情とはまるきり異なる事だけは確かです。
又、日本では「日本語ワープロ」が発達し、誰でも使おうと思えば(使い方を覚えれば)使えますが、対する「中国」ではこれが一筋縄ではいきません。「日本語ワープロ」では読み方を入力し、漢字仮名交じり文に変換すれば良い訳ですが ── 「中国」ではこれが簡単では無いのです。確かに、「中国」にもワープロはありますし、「日本語ワープロ」の様に、漢字の発音(読み)を入力して変換する事に変わりはありません。しかし、「中国語」が北京・上海・福建・広東の各言語の総称である現実が、ある種のボトルネックとなっている事も確かです。例えば、「普通話」(北京語)に於いては、日本に於ける「ヘボン式ローマ字表記法」同様、政府が定めた漢字のアルファベット表記法「併音」(ピンイン)と言うものが存在しますが、これはあくまでも「普通話」のアルファベット表記の為に制定されたものであって、北京以外の各言語には対応していません。裏を返せば、北京以外の各言語に於いては、統一基準となるアルファベット表記法が無いのです。更に、もう一つ。現在の「中国」で使われている「漢字」には、実は二つの字体が存在しているのです。一つは、「中華人民共和国」建国後に政府が従来からの漢字を簡略化した新字体「簡体字」(簡化字)であり、今一つは、英国から返還された香港(及び台湾)で使われている元来からの字体「繁体字」(日本の旧字体漢字に相当)です。つまり、現在の「中国語」は、口語の差異(北京語・上海語等)だけで無く、文語に於いても二つの字体が混在している訳で、これがある意味、「中国語ワープロ」のボトルネックとなっている訳です。つまり、言い換えれば、同じ「中国語ワープロ」と言いながら、実際には、EU(欧州連合)域内に於ける英語・フランス語・ドイツ語の各言語に対応したワープロを別個に開発するのに匹敵する程、面倒な事なのです。
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さて、この様に、私達が単に「中国語」と呼んでいるものが、実際には地域毎に異なる独立した言語の総称であると言う事を指摘した訳ですが、これとて単に「漢民族」(支那人)の使用している民族言語 ── 「漢語」でしかありません。広大な国土に多種多様な民族を抱える「中国」には、例えば、漢字も漢語も使わないチベット民族(チベット文字とチベット語を使用)や回族(ウイグル語・カザフ語)、更には、昨今流行している「トンパ文字」(下写真)を使っている納西(ナシ)族等、それこそ、構成民族の数だけ使われている言語が存在する訳で、これらを一括りに「中国語」と呼ぶ事が果たして妥当なものか?
と同時に、地域によって、互いの話す言葉が全く通じない ── そう言う国が、果たして統一国家「中国」と呼べるのかどうか? その観点からすれば、北京の共産党独裁政府が人民の上に君臨し、広大な領土を強権を以て無理矢理一元的に管理統制している現在の「中国」は、寧(むし)ろ、民族や言語を基軸とした幾つかの中・小規模国家に分割解体した上で、改めて希望する国家同士が旧ソ連圏に於ける「CIS」(独立国家共同体)の様な「緩やかな国家連合」を形成する事の方が、「中国」自身にとっても、「中国」の占領・抑圧下にある諸民族にとっても、更には、隣国である日本にとっても、幸せな事だと思うのですが、皆さんはどの様に思われるでしょうか?
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